緊急事態 (1)
しばらく車の中は静まり返っていた。
岩淵は寝ているし、桐生は窓の外に目を向けて黙り込んでいる。川戸は意外にも安全運転で、音楽やラジオを聞くこともなく車を走らせていた。
「クラブに行くか?」
目的地が決まっていなかったの?
それなのに運転していたの?
「クラブ? なんでまた」
「グローブボックスを開けてみろよ」
「……」
しばらく川戸の横顔を眺めてから、桐生がグローブボックスの扉を引き開けると、斜めになった扉部分にプラスチックの小瓶や錠剤の束が崩れ落ちてきた。
「これは?」
「女に使うんだよ」
「ほお?」
ほお? ってなにさ。
あんたはふくろうか!
驚きなさいよ。怒りなさいよ。
「こいつら……やっぱり事故らせて殺す?」
洋子さんは怒らないで。
「いやでも、死なない程度ならいいかも。警察の前で事故るのはどう? その薬があれば取り調べされるんじゃない?」
「この近くに警察署があるんですか?」
記憶のあやふやな幽霊に聞かないでくれ。
「井上さんや洋子さんの記憶が頼りなんだけど」
「いやー、娘は運転しないので、道はよくわからないんですよ」
「私は川戸に引っ付いているだけだもん。知らないわよ」
駄目だ。
幽霊も生霊も、近くの警察署の情報なんて持っていなかった。
「クラブで飲み物に混ぜて連れ出すんだよ」
「そんなことをしているから、首に引っかき傷なんてつけられるんだろう」
「それだけじゃ済まさないわよ」
会話に混ざるように呟きながら、洋子さんが川戸の首に回していた腕に力を込めた。
「川戸……今、声が聞こえなかったか?」
「はあ? 岩淵が寝言でも言ったんじゃないか? おまえ、この間からなんなんだよ」
「前の部屋がおかしかったんだよ。勝手に扉が開いていたり電気がついていたり」
「事故物件か?」
「かもしれない」
「それ、動画にしたがるやつがいるんじゃねえの? 貸せば儲かるんじゃねえか?」
川戸ってポジティブだな。
自分だって首の傷が治らなかったり悪夢を見ているのに、儲け話に出来るのか。
思考回路がおかしい。
「ったくイライラする」
「それで憂さ晴らしがしたいのか。んじゃあ、キャバクラじゃ駄目だな」
「店が決まっていないのに、どこに向かっているんだよ」
言われて周囲を見回したら、だいぶネオンの数が減っていた。このまま進むと住宅街だ。
車だからすぐに駅前に戻れるんだろうけど、なんでこんな方に来たんだろう。
「どこでもねえよ。おまえが店を決めないから流しているだけだよ。クラブは駄目、キャバクラは駄目。風俗か?」
「おまえの部屋に呼べる女はいないのか?」
「俺の部屋で痛めつけるのはやめろよ。あとがめんどうだろう」
「痛めつけるのはおまえだろうが」
ここ何日か桐生に張りついていて、まともな生活をしていて驚いていたのよ?
外面がよくて、気を許している相手の前だと無愛想になるくらいは、そう珍しくもないでしょう?
面倒見もいいみたいだし、新しい仕事も岩淵に話していた通り、ちゃんと計画して進めていたの。
それが何?
やっぱりこいつもおかしいよ。
「桐生もかなり酔っていますね」
私の疑問に答えるように、井上さんが前の座席から振り返って話しかけてきた。
「態度も見た目も変わりませんが、目が据わっています」
「変わっているわよ。普段は驚くくらいまともで、なんで川戸と付き合っているのか疑問だったのよ」
「酔うと気が合うのかもしれません。川戸もそれをわかっていて、酔わせていたのかもしれませんよ」
「変態と酒乱と、気が弱いくせにいきがっているガキの組み合わせ? 最悪」
「まさかとは思いますけど」
「川戸はわざとひと気のない場所を走っているんじゃない?」
井上さんの言葉を引き継いだ洋子さんの台詞に、私は背凭れに寄りかかっていた体を急いで起こした。
やめてよ。
また誰かを拉致する気でいるの?
「車を停めろ」
だから、桐生の声にほっとした。
たのむからおとなしく帰ってくれ。
「なんだよ」
不満そうでも言われた通りに路肩に車を停めるあたり、川戸が桐生に一目置いているのは間違いない。
でも酔わせて、犯罪の片棒を担がせようとするんでしょ?
桐生だって酒のせいで殺人まで犯したんなら、禁酒しなさいよ。
「あそこ。高校生くらいか?」
桐生が指さした方向に目を向けると、駅の方向から歩いてくる小柄な女性が見えた。
コート姿で紺色の大きな鞄を持っている。
イヤホンをつけているのは音楽を聴いているのかな。
「塾帰りの高校生かもな」
「今なら誰もいない」
「はあ?! はあああああ?!」
「おい。また声が……」
「気にしすぎだよ。ずいぶん神経質になってるなあ」
「うっせえ。ったくむしゃくしゃする」
「じゃあ楽しまないとな」
やめて。
やめてよ。
私達がビビらせたせいなの?
「梨沙……」
はっとして横を見ると、先輩が泣きそうな顔で私を見ていた。
「その瓶に入っているクスリを使おうぜ」
「よし。いつもの手順だ」
「いつも?!」
「他にも攫っていたんですか」
「こいつらマジで最低!!」
やると決意してからは、桐生の行動に迷いはなかった。
川戸が車を脇道に入れて女性の背後に回り込むように移動させ、元の通りに戻るとスピードをあげて女性の横に車を停めた。
まだ車が完全に停車する前に桐生が助手席から下り、音楽を聴いていて気づくのが一瞬遅れた女性を羽交い絞めにし、クスリで湿らせたハンカチを口に押し付けた。
車を停めた川戸の行動も素早かった。
運転席から降り、バックドアを開けながら桐生の傍に駆け寄り、ぐったりした女性の足を抱え、ふたりがかりで荷台に押し込む。
三列目の椅子を倒していないから、人間が横になるには足を曲げないといけないのに、詰め込む作業もスムーズだ。
「ちょっとちょっとちょっと!!」
なんて手際のよさなのよ。
どうするのこれ?
この子まで殺されてしまうかもしれない。
「ど……どうし……」
「川戸! 許さない! 絶対許さない!」
「ちょっと待ってよ! 何してくれんの!」
落ち着き払って犯行を実行した川戸達とは逆に、私達はパニックだ。
感情の乏しいはずの幽霊をここまで焦らせるなんて、さすがだよ。やめてくれよ。
どうすんの?
私達のせい?
幽霊のくせに何か出来るなんて思ったのが間違いなの?
「シロ! シロ! どうすればいいの?!」
「……」
「黙ってないで何か言ってよ!」
「落ち着きなさい!」
いつもは静かな井上さんの出した大声に、私達は目を丸くして黙り込んだ。
「彼女を助けられるのは私達だけなんですよ。冷静さを失わないでください。今まで何日もかけて努力してきたのを、ここで無駄にするつもりですか」
「で、でも」
「たとえ幽霊でも、これだけの人数がいるんです。足掻こうじゃないですか!」
そうだ。
私達だけしかいないんだ。
いえ、私達はここにいるのよ。
中途半端な存在だとしても、何か出来ることはあるはずよ。
「ありがとう井上さん。落ち着いた」
「いえ。格好をつけて言いましたが、打開策があるわけではないのです」
「やれることはやるわ」
むしろ幽霊だからこうして大騒ぎしてもばれないし、人間に出来ないことだって出来る。
チートだと思おう。
やってやろうじゃないの。
「井上さんは事故らないように警戒をお願いします。洋子さん、私と先輩は少し後ろにいますんで、何か変化があったら教えてください」
「わかった」
「おまかせください」
「先輩、電話しましょう」
「え?」
「警察に助けを求めるんです」
「あ……たす……け……」
幽霊でよかった。
荷物が山積みの席にも座れるし、背凭れの中に埋もれていても大丈夫。
ぐったりと横たわっている女子高生の横に座り込み、イヤホンのコードを辿ってスマホを発見した。
「鞄の中ですね。落としていかないでくれてよかった」
先輩の時も荷物が発見されなかったから、たぶん一緒に持って行ったんだろう。
ずさんだなあ。スマホがあれば、GPSで場所が特定されるっていうのは現代人の常識でしょう。
酔っているせい?
持ち主が眠っているし、多少帰宅が遅くなったくらいじゃ家族は捜索願なんて出さない。
少なくとも二時間くらいは彼女が行方不明になったことは、誰にも気付かれないからいいのか。
「車が少しふらついてますね」
「たのむから事故らないでよ。この子まで巻き込まれてしまう」
犯罪を犯して高揚しているせいで、酔いが回ってきたのかもしれない。
ふたりとも興奮状態なのは間違いない。
「先輩、電話かけてください」
イヤホンがついているから音は大丈夫。
電話さえ繋がれば、会話出来なくても警察は何かあったか確認してくれるはず。
「まかせて」
先輩は、出会ってから今までで一番はっきりとした口調で答えた。




