生霊の洋子さん (2)
警戒しているのかな。
目を細めて、じろじろと私達を見ている。
襟ぐりが大きくて片方の肩がずり落ちているトップスから、黒いタンクトップが見えている。
ダメージジーンズを履いて、首にも腕にもジャラジャラとアクセサリーをつけて、かなり派手な雰囲気だ。
つい足元から顔までじっくり見ていたら、右手の中指の爪だけが割れているのに気付いた。
「これ」
私の視線に気づいた彼女はにっこりと微笑んで、男の首筋の傷を指先でなぞった。
あれは彼女がつけた傷なのね。
「私は田所理沙。生前は女優をしていた幽霊よ」
「田所? あーー! 知ってる。ウソ、いつ死んだの?」
話し始めたら普通の子だった。
興味津々で身を乗り出している様子から見て、彼女にはちゃんと感情があるみたい。
顔色が今にも倒れそうなくらいに青くて頬がこけているのに、声だけは元気そうだった。
「去年の十一月くらいだったかな?」
「そっかー。私がこの状態になったのが去年の九月だから……」
「ながっ! そんなに長く生霊やってんの?!」
「好きでしているわけじゃないわよ」
そりゃあまあそうでしょうけど、生霊ってこんなに話せるものなの?
これって幽体離脱じゃない? 魂抜けちゃってない?
「私は井上です。一度成仏した後、守護霊になってこの世に戻ってきた出戻り組です」
「守護霊? 誰の?」
「娘のですよ。ここにはいません」
「ああ、じゃあいいわ。こいつらの守護霊じゃなければいいの。で? そこにいるのは?」
彼女が指さしたのは私の背後だ。
そこにはアッシュがいる。
「見えるの?」
「見えないけど気配は感じる。何かいるでしょ」
「私の担当の死神がいるのよ。もし見えたら、あなたの寿命がやばいらしいわ」
「まあ、この状況だもん。やばいでしょうよ」
あはは……と笑いながら髪を片手でかきあげる間も、もう片方の手は川戸の頭から離さない。
綺麗にマニキュアの塗られている爪が食い込みそうなくらい、がしっと鷲掴みよ。
たぶん彼は、将来的にそこから禿げると思う。
「死神ってどんな奴なの? やっぱり鎌を持った骸骨?」
「クロウの姿をしているの」
「クロウって誰さ」
「ゲームの登場人物」
「はあ?」
今はアッシュの見た目の話題はいいのよ。見えないんだから気にしないで。
だって彼女も、アッシュの姿を見たら惚れちゃうかもしれないじゃない?
今はクロウの姿だけど、こっちも美形ではあるし。
「体のほうはどういう状況なんですか? 普通に生活出来ていませんよね?」
洋子さんは質問した井上さんにちらっと顔を向けて話を聞き、視線だけすっとそらしてから俯いた。
色っぽいし、立ち方や仕草にはどこか品がある女性だわ。
「体は病院のベッドの上よ。もうどこも悪くないはずなのに目が覚めなくて、医者も困っているはずよ。でも戻り方がわからないし、この男が死ぬか捕まる場面を見るまでは離れる気はないの」
「その男に何かされたのよね?」
「……」
「私の友人の幽霊は、この男に殺されたの。おそらくそいつも共犯者だと思う」
岩淵の肩を叩きながら説明すると、生霊さんの顔つきが険しくなった。
「この男、絶対に他にも何かやっているとは思ってた。その子も飲み物にクスリを入れられたの?」
「いいえ、友人の家から帰宅中に、三人組に無理やり車に連れ込まれ、人里離れた場所で暴行されて殺されたの」
「……それ、ニュースになってたやつ?」
「おそらく」
「こいつマジで殺さなきゃ駄目だ」
待て待て待て。ここで首を絞めないで。
「なんか……息苦しいな」
「この店、寒くないか?」
ほら、何か感じているから。
ちょっと落ち着いて。
「幸奈さんを呼んできましょう。この男の面通しをした方がいいでしょう」
「私が行った方がよくない? 井上さんで平気?」
「シロさんがいますし、たまに一緒にアニメを観てだいぶ仲良くなったんですよ。田所さんはお話を聞いておいてください」
「ありがとうございます。お願いします」
気にしないでと手を振って、井上さんの姿が見えなくなった。
私だと、焦るといまだに変な場所に転移しちゃうことがあるのよね。
すぐに戻ってくるだろうから、話を進めておこう。
「話を聞かせてもらえるかな。まず名前を」
「あ、ごめんなさい。私は西山洋子。秘書課で仕事をしているわ」
「洋子さんね。服装からして、遊びに行っている途中でこいつに会ったの?」
「そう。仕事はどれもそうでしょうけど、秘書の仕事もストレスがひどいのよ。それで週末はストレス解消のためにクラブでガンガンに踊っていたの。運動にもなるしね。よく行く店だったし、友人も一緒だったから油断してたのね。飲み物を置いたまま席を立ったりはしていないから、話し込んでいる時に隙を見てクスリを入れられたんだと思うわ。踊っているうちに眩暈がして、危ないよって誰かに声をかけられたところまでは覚えているんだけど、気付いたら見たことのない部屋の天井に浮いていて、ベッドの上で意識をなくしている自分の体を見下ろしていたの」
私が病院で体験したのと似た状況ね。
彼女の場合は死んではいなかったんだから、やっぱり幽体離脱なんじゃない?
「この男、女を痛めつけるのが好きなのよ。クスリで意識がもうろうとしている私を殴ったみたいで、鼻や頬の骨が折れていたんじゃないかな。気絶していたのか痛みは感じなかったけど。そしたらこいつ、意識がないとつまらないから起きろって私を揺すって、それでも反応がなくてイライラして首を絞めたのよ。それで私がぐったりしたから殺したと思ったんでしょうね。そのままホテルに置き去りにしたの」
「最低な野郎だ」
「呪いたくもなるでしょう?」
「なるなる」
「病院で治療を受けたから、体のほうはどんどんよくなって、今ではまあ普通の見た目でしょ?」
「顔色最悪だけど」
「それは仕方ないわ。点滴で生き永らえているから」
それでも戻れないのは、恨みが強すぎるからなのかな。
このままだと体に戻れなくなったり、衰弱死して生霊から幽霊にジョブチェンジしちゃうんじゃない?
「あ」
「え?」
ガタガタガタ……と、店全体が小刻みに揺れ始めた。
「ん? 地震か?」
カウンターの上に置かれていた食事用のナイフが飛んで、川戸の椅子に当たって床に落ちた。
何事かと振り返っても川戸には何も見えていないだろうけど、私には貞子も真っ青な状態の先輩の姿が、しっかりと見えている。
「こわっ」
洋子さんまでビビらせる先輩マジやばい。もう見た目は悪霊よ。
髪が広がってうねうねと動いて、真っ青な顔の中で瞳だけが異様にぎらぎらと輝いている。
ガンっと音を立てて先輩のすぐ近くの椅子が倒れ、カウンターの中でグラスの割れる音がした。
「こいつ……運転手」
「運転手なの?!」
てっきりこいつは車に連れ込む役目だと思ってた。
岩淵は体格もそんなにごつくないし、度胸もない。
家と大学の往復ばかりで、飲みに行くのも近所ばかりだったのは川戸を避けていたからだ。
川戸のほうは、先輩を殺した後も平気で他の女性に乱暴を働いていたってことは、罪悪感を感じていないくず野郎だってことよ。
「な、なんだ?」
「騒ぐなよ。たいしてでかくない地震だろ」
日本人は地震慣れしているからな。
これが海外だったら、地面が揺れたって大騒ぎで逃げるところよ。
それにナイフだけ飛んで来たってことに、違和感を感じないのかね。
「幸奈、落ち着け。悪霊になるな!」
「幸奈さん、悪霊になったら御家族が悲しみますよ」
シロと井上さんが止めようとしても、先輩は全く聞いていない。
わかってないなあ。先輩を止めるならそれでは駄目よ。
「先輩。魔法少女ルルちゃんなら、悪霊にはならない」
「……え?」
「それにここで悪霊になったら、最終回まで観られないし」
「……ならない」
すーっと髪が本来の形に戻り、顔もいつもの可愛らしい先輩に戻った。
「魔法少女? 何?」
「そんなにアニメが……」
洋子さんと井上さんが、安心したのと脱力したのとでしゃがみ込んだ。
守護霊と生霊より、先輩のほうがやっぱり強かった。
「こいつがふたり目の犯人でいいんですね」
「そう」
やった。
ようやく二人目が現れた。
「もうひとりはどこにいるのかな」
「少し話を聞いてみましょう」
私達は、幽霊ふたりと守護霊ひとりと生霊ひとり、そして死神ふたりの六人で、川戸と岩淵のテーブルをぐるりと取り囲んで話を聞くことにした。




