進 展 (3)
男が入っていったのは、単身者向けの五階建てのマンションだった。
エレベーターのあるオートロック付きのおしゃれなマンションですよ、生意気な。
「部屋も確かめたいから、ちょっと行ってくる」
「俺も行く」
「僕も」
「……ひとり……は、いや」
いいけどね。いいんだけどね。
単身者向けマンションのエレベーターって、そんなに広くはないのよ。そこに人間ひとりと幽霊ふたりと死神ふたりが乗るって、どんな状況よ。
ボタンの並ぶ扉横に人間が立って、私は彼の真後ろに立っている。
アッシュはエレベーターの扉の真ん前、つまり彼の隣に立っていて、先輩は隅っこに縮こまりながらシロを抱っこして立っていた。
「なんか……エレベーターの中、温度が低い気がするな」
それは幽霊が二名もいるからですね。
温度が下がるらしいよ。
「三階か」
扉が開いて歩き出した青年の後ろにぞろぞろと行列を作って、彼が部屋に入るのを見届けた。
「一番奥の角部屋ね。名前は……今時表札を出しているやつは少ないわよね」
「どうする?」
「そりゃ中に入るわよ。名前や電話番号がわかるかもしれないでしょ。先輩とシロはベランダで待っていてくれません?」
「うい」
「うん」
先輩達が移動するのを見送って、私はアッシュを見上げた。
「さっきはありがとう」
「なにが?」
きょとんとした顔をしているから、本当にわかっていないんだろう。
さらさらと揺れる黒髪に、黒い目、青い瞳。
冷たく見えそうな色合いなのに、というか死神なんだから冷たい雰囲気でいいはずなのに、性格を知っているせいか優しそうに見える。
「守ろうとしてくれたでしょ?」
「……そうだっけ?」
「そうよ。ありがとう。嬉しかった」
「感情ないのに?」
「ほんの少しだけはある気がするよ? 気のせいだとしても、そう思えるだけいいじゃない」
素直じゃないなあ。
幽霊にお礼を言われるのは嫌なのかしら。
「俺は……おまえの行き先が決まったと知らせに来ただけだ」
「え?! 今まで決まっていなかったの? ずいぶん時間がかかったわね」
「そ……うだな」
なんでそこで横を向くのよ。
もっと前に決まっていようが、ついさっき決まったんだろうが、私にとってはどっちでもいいのに。
どうせ今は成仏する気はないんだから。
「あれ? もしかして私がいなくなるのが嫌だったり?」
「それはないな」
「即答かい!」
まあいいやと玄関のドアをすり抜ける。
すっかり幽霊らしい動きを出来るようになっちゃったな。
「お邪魔します」
掃除が行き届いているとは言えないけど、独身男子の部屋としては綺麗な方じゃない?
掃除は休みの日にまとめてやる私の部屋と、綺麗さは同じくらいよ。
「おっ!」
だいたいワンルームマンションの間取りって、廊下の突き当りに部屋があって、途中にトイレやバスルームがあるでしょ?
廊下を何歩か進んだら、脱衣所に続く扉が開けっ放しになっていて、部屋の主が服を脱いでいた。
「帰って来たばかりでもう風呂に入るの? シャワーだけだとしても、まだ五時になってないくらいのはずよね。この時間に?」
仕事に行く前に汗を流す綺麗好きか、彼女とデートか。
「男の裸を凝視すんな」
「押さないでよ。別に凝視なんてしてないでしょ」
アッシュに背中をぐいぐい押されて正面の扉をすり抜ける。
こいつの私のイメージってどうなっているのよ。
「普通の部屋ね」
ソファーの背凭れに服がかけられているし、テーブルに読みかけの雑誌が開いたままだけど、足の踏み場がないってこともないし、ちらっと覗いた台所も綺麗だった。
料理作っていないんだろうな。
「あ、ワンルームじゃなくて1LDKなのか」
リビングを中程まで進んだら、右側にも部屋があった。
仕切りを開けておけばワンルームにもなるし、閉めれば部屋にもなるという作りだったのね。
ベッドは起きた時のままで、布団がまくられた状態のままになっている。
彼女を連れ込んでいる雰囲気もないし、とても殺人を犯したことのある男の部屋とは思えない。
今まで、殺人犯の部屋を見たことないけどね。
普通過ぎて、こわいのよ。
自分の友人になっていてもおかしくない身近な男性が、殺人犯だということもあるんだなんて考えたくないじゃない。
「名前のわかりそうなもの……郵便物はない?」
「死神はそういうことに関わらない」
「じゃあ、何しに来たのよ」
ベランダから中を覗いている先輩に手を振って、テーブルの横にしゃがんで物色を始める。
白い猫が窓ガラスに張り付いているのは、見なかったことにした。
「えーと、あ、このハガキ、あて先は岩淵剛毅か。テストの時に書くのが大変そうな名前ね」
岩淵剛毅岩淵剛毅。
覚えていられるかなあ。
岩淵だけでも覚えていられるようにしないとな。
「って、なんでスマホが床に落ちてるの。踏んだわよ。幽霊でよかったわ」
「生前は重……」
「ああ?!」
「いや、なにも」
スマホの横にしゃがみこんで、どうにかして中身を見ようと頑張ってみたけど無理だわ。
電源を入れるところまでしか出来なかった。
幽霊って無力よ。
「名前がわかっただけでも……お?」
しゃがんでいたおかげで、テーブルの下にいろいろ落ちているのに気付いた。
触りたいと念じながら手を伸ばし、持ち上げるのは難しそうだから手前に引き寄せる。
少しずつしか動かせないのがじれったいわ。
「メモ? 二十日。ゼミ室。十時。……大学生か」
この位置に部屋を借りているってことは、先輩や弟と同じ大学なんじゃないの?
先輩は犯人達を知らなくても、犯人側は先輩を大学で見かけて狙っていた可能性が出てきたわ。
「また来ればいいし、ひとまず出ましょうか」
「ああ」
窓からベランダに出ようとしたら、先輩とシロの傍に初対面の幽霊が立っていた。
なんでこう幽霊密度が高いの?
ベランダはそんなに広くないうえに、物干しざおが置かれているのよ。
開いているスペースで先輩と見知らぬ幽霊が会話していて、シロはエアコンの室外機の上に座っていた。
「行くしかないわね」
窓をすり抜けて私がベランダに出ると、幽霊の男性は一瞬驚いた顔をして、でもすぐに優しい笑顔になって、横にずれてスペースを作ってくれた。
でもその場所だと、物干しざおが身体を突き抜けているわよ?
幽霊だから平気だけど、気にならないのかな。
「あ、戻ったのか」
「おかえり……」
男性が苦手なはずの先輩が、見知らぬ幽霊のすぐ近くにいても平気な顔をしている。
知り合いなのかしら。
「彼女が噂の幽霊?」
穏やかそうな雰囲気の男性は、私を見て楽しそうに微笑んだ。
三十代後半くらいかな。
短髪でジーンズに水色のカーディガンというラフな雰囲気の幽霊だ。
休日のお父さんってイメージね。
でも幽霊にしてはおかしいの。
体がぼんやりと光っているのよ。
表情も、他の幽霊のようにぼんやりしていなくて、生きている人間と変わらないの。
「確かに幽霊らしくないね。人間らしさがこんなに残っている幽霊は珍しいんじゃないかな。後ろにいるのはあなたの担当の死神さんかな? 迎えに来てほしい相手は外国の人だったの?」
「え?」
振り返ったら、いつの間にかアッシュはクロウの姿になっていた。
ひさしぶりに見ると、違和感が半端ないわ。
「他所の幽霊に見られるのはまずい」
「先輩はいいの?」
「どうせ男の顔なんてよく見ていない」
そんなことないでしょう。
いい加減だなあ。
「彼はゲームのキャラの姿をしているんです」
「ゲームの?! へえ。僕も生きている時はプレステ2のゲームをしたものだよ」
「2?」
「もう二十年近く前の話だからね。今はもっと新しいゲーム機が出ているよね」
「今は5です」
「……まじか」
気さくな幽霊だなあ。すっごく話しやすいし。
こんなに話せる幽霊に初めて会ったわ。
「ああ、まだ挨拶していなかったね。私は井上と言います。一番向こうの部屋に住んでいる娘の守護霊をしています」
守護霊きたー!




