死神は推しの姿で現れる (1)
最初は少し暗いので、二話もすぐにアップします。
分類は現実世界〔恋愛〕であっているでしょうか。
健康な人間のほとんどは、明日自分が死ぬなんて考えもしないだろう。
だから週末に出かける約束を入れるし、何か月も先の旅行の予約だってするのよ。
私だってそうだった。
自分が死ぬのはずっと先。歳を重ねておばあさんになってからだと思っていた。
ついさっきまでは。
仕事を終えて家に帰ったら洗面所に直行して、手洗いうがいは常識よね。それから化粧を落として、着ていた服を洗濯機に放り込んでシャワーを浴びる。
コロナの前から、このルーティーンは変わらない。
女優としての自分が洗い流されて、私生活の素の自分になる儀式みたいなものだ。
シャワーから出たら、通販で買ったルームウェアを着てキッチンに直行よ。
「今日はどのビールにしようかな?」
特に夏は絶対にビールは欠かせない。
その一杯のために働いているようなものなんだから。
ちょっと足が濡れているけど、そんなの気にしない。いつものことよ。
明日は休みだから、今夜は飲むわよ。
ぺたぺたと裸足で廊下を進み、リビングダイニングに続く扉を開けた。
主役ではないけど、これでも何作もドラマや映画に出ている女優だから、まあまあいいところに住んでいる。
18畳のLDKはひとり住まいには充分な広さだし、部屋が十五階にあるため窓の外に見える景色も素敵なの。部屋の電気を消して、夜景を見ながら飲む酒は格別よ。
冷蔵庫を開けていつものビールを取り出す。
新商品は毎回試すけど、結局元の銘柄に戻っちゃうのよね。
プルタブを開けながら足で扉を閉めようと片足をあげた時、軸にしていた足がつるっと滑った。
「え?!」
片手は缶ビールを持ち、片手はプルタブを指に引っ掛けたまま、世界が回って天井が見えて、ゴンッと後頭部をたぶんカウンターの角にぶつけたんだと思う。
強烈な痛みと熱さを一瞬だけ感じてすぐ、世界が暗転した。
ピーーッという、どこかで聞いた覚えのある電子音で目が覚めた。
なんの音か思い出せないけど、以前にどこかで聞いたことがある。いい音ではなかったはずだ。
なんとなく頭が重くて思考がはっきりしないまま目を開けると、目の前に白い壁が迫っていた。
なんだろうと横を見たら、壁に照明がくっついている。
あ、壁じゃなくて天井だわ。
私は今、真っ白い天井に鼻先が付きそうな高さに体が浮いているんだ。
これは……夢?
「梨沙……梨沙!」
「なんで、こんな……」
「うっ……ううっ……」
背中側から複数の声がした。みんな泣いているみたい。
聞いたことのある声だったので誰の声か確認したくて、天井に手を当てて体を回した。
見えたのはベッドに横たわる自分と、両親とマネージャーだった。
これはどういう状況なの?
真っ白なこの部屋は病室で、ここは病院よね。
両親が東京まで来ているってこと?
それより、なんで私の体はベッドに横たわっているのに、私はここにいるの?
……そうか。頭を強打して死んだのか。
サスペンスドラマでよくある死に方よね。
耳障りな電子音は、心電図が発する音だったのね。
両親の悲しんでいる様子を見ても、自分の遺体を見ても、あまり心が動かない。
今の私は体から魂だけ抜け出た状態で脳も心臓も何もないから、鼓動が早くなることもなければ頭に血が上ることもなくて、全て遠い出来事に感じる。
でも待って。
足が濡れたままで滑って、缶ビールを持ったまま死んだのよね。
どう報道されるんだろう。
転倒による事故死?
両親はどう説明されたんだろう。
発見したのは誰?
よりによってこんな死に方するなんて。
人生をやり直したいとか、死にたくないとかわがままは言わない。
死に方だけはもう少しなんとか出来ないかな。
あまりにひどくない?
両親の傍に行きたいなと思ったら、すっと体が動いて、自然に足から床に着地した。
ひとりだけ少し離れた位置にいるマネージャーの前に立ってみたけど、なんの反応もない。
やっぱり今の状態は幽霊で、私は誰にも見えないのか。
マネージャーはデビューした時からずっと支えてくれた人だ。友人でもあった。
もう次の映画も決まっていたのに、こんなことになるなんて。
悲しいと思っているはずなのに涙は出ない。
ハンカチで目元を覆い、泣きじゃくっているマネージャーの姿から顔を背け、枕元にいる両親の元にゆっくりと近付いた。
何度も私の名を呼ぶ母を支えている父の肩が震えている。
後ろからふたりを抱きしめようとしたのに、青白い手は両親に触れることなく、体をすり抜けてしまった。
「ごめん。お別れを言えないまま、こんな死に方しちゃって」
聞こえないとわかっていても、声をかけて頭を下げた。
高校を卒業してすぐに上京して、ずっと一人暮らしで、年に数えるほどしか会わなかった。
好き勝手に生きて、馬鹿な死に方をした娘を許してください。
胸が痛い。
もう心臓はないはずなのに、胸がうずいて、もやもやと何か湧き上がってくる気がする。
これ以上悲しんでいる家族を見たくなくて、開けたままになっていた出入り口から廊下に出た。
「社長?」
廊下にはプロダクションの人が何人もいて、顔見知りの社員が社長と言葉を交わしてすぐ、スマホ片手に駆け出していった。
病院だから、電話出来るところが限られているんだろうな。
みんな沈痛な面持ちで、社長なんて立っているのがつらいのか、壁にもたれかかって目元を手で擦っていた。
「ごめんね、まさかこんなことになるなんて……」
ああ、駄目だ。外に行こう。
出口はどこ? そもそもここはどこの病院なの?
きょろきょろしていたら、ものすごい形相で走ってくる弟が見えた。
もうこれ以上は駄目。自分のしでかしたことだけど、もう耐えられない。
弟が来る方向とは逆側に、逃げるように歩き出した。
「姉貴?!」
だけど悲鳴のような叫び声は、私を逃がしてはくれなかった。
仲のいい姉弟だった。
女優になると言い出した時、最初に応援すると言ってくれたのは弟だった。
反対する父を説得するのも手伝ってくれた。
今では家族揃って応援してくれていた。
本当に大好きな家族だった。
それなのに、こんな結末なの?!
こんな別れなの?!
ちょっと足が濡れていただけよ?
お行儀は悪かったかもしれないけど、足で扉を閉める人なんてたくさんいるわ。
デビューしてから今まで、つらい時もあったけどずっと頑張ってきた。
三年前に映画でもらった主人公の妹役が評価されて、ようやく順調に仕事が来るようになったの。
これからだったのよ。
稼げるようになったら親孝行しようと思ってたのに。
家族に申し訳なくて、取り返しのつかないこの状況が納得出来なくて、よくわからない暗くて強い衝動が胸の奥深くから湧き上がってくる。
他の感情はどこかうつろなのに、なぜこの感情だけ……。
「しょうがないな。もう悪霊化しそうになっているのか?」
「え?」
不意にお腹のあたりに上に引き上げる強い力が加わって、ものすごい速さで天井を何層分も突き抜けて体が上昇した。
「やめて! 吐く! 無理!」
「死んでいる奴が吐くわけがないだろ」
感情の抜けた声がすぐ近くで聞こえてはっと顔をあげたら、いつの間にか屋上に立っていた。
さっきは天井に手が触れたはずなのに、なんで今は通り抜けたの?
思わず自分の手を見下ろし、建物の周囲の木の枝がしなる程に風が吹いているのに、全く何も感じないことに気付いて拳を握り締めた。
死んでるんだって、幽霊なんだって、思い知らされている気がする。
「こんばんは。はじめまして。俺があんたの担当の死神だ。よろしくな」
死神? この目の前に立つ白人の兄ちゃんが?
だいたいその服はなんなの? コスプレなの?
「あ、いかん。クロウだった。俺はクロウだ」
え? 何言ってるの?
ああ、この男の風貌、ついこの前までやっていたゲームの主人公にそっくりなんだ。
魔法を銃で撃つ近未来風のロールプレイングゲームで、登場人物のデザインが格好良くて女性にも人気なの。
主人公はアッシュブラウンの髪に緑色の瞳のクロウ。
普段は遊び人風でやる気がなさそうな態度なんだけど、実は責任感の強いキャラなのよ。
身体の線がはっきり出る黒い服は、近未来の世界設定なのに中世ゴシックファッションで、ごつい厚底ブーツを履いて腰に銃をぶら下げている。
ゲームの中ではかっこよかったんだけど、病院の屋上で見るとかなり痛いわ。
「今、死神だって言ったじゃない」
「忘れろ」
「うわ、信じられない。黒いローブはどうしたのよ。デスサイスは?」
「日本の死神がデスサイス持っているわけないだろう」
こんないい加減なやつが死神なの?
世の中どうなっているのよ。
「転生令嬢は精霊に愛されて最強です……だけど普通に恋したい!」連載中です。
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