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「こわーい」
「やだー」
前方から、女子たちの緊張感のない声が聞こえる。
黒組の3騎が、向かってきていた。
その勢いは鋭く、見る間に近づいてくる。
先頭の女子がぶつかった。
組み合う。
近くにいた女子が囲もうとしたが、
その動きは緩慢で、
囲みきる前に、組み合っていた女子が首を獲られた。
鈴木は、自分の味方にも関わらず、
帽子を獲られ、悔しがる女子を見て、
射精する前の、湧き上がってくる感じにも似た、
えも言えぬ快感に、襲われた。
鈴木は、興奮しながらも、冷静に現状を分析していた。
今出てきている3騎は、確かに強い。
だが、互いに連携しているわけではなく、
がむしゃらに、目の前の女子の首を獲ろうとしているだけだ。
体力には底がある。
動きは、必ず鈍くなるはずだ。
その後も、首を獲られたが、
次第に、3騎の動きは重くなっていった。
女子たちが、ゆっくりと囲んでいく。
そして、相手の首を獲った。
3騎倒すのに、9騎、失っている。
こっちの残りは、16騎だ。
囲んでいる間も、黒組の大将、清水を含めた3騎は、
前に2騎、後ろに清水という形のまま、動く気配が無かった。
孤立している3騎を、助けに行くそぶりさえ、見せなかった。
こちらの、女子たちの海の、綻びを見極めているのか。
どこから突っ込むか、考えているのか。
この3騎が、異常な強さだった。
練習の様子は、今でも目に焼きついている。
大学生との練習で、十数騎に囲まれていた。
そういう場面を、想定しているのだろう。
開始の合図と同時に、囲みを瞬時に断ち割り、次々と首を刈っていった。
文字通り、縦横無尽の動き。
それは、一頭の獣のようだった。
その獣が、ついに動き出した。
猛然と向かってくる。
しかし、女子の海に突っ込む、まさにその時、
獣の頭がもげた。
大将の清水だけ、止まったのだ。
鈴木は舌打ちをした。
「勘のいいヤツだ」
黒組の残った2騎は、そのまま女子の海に突っ込み、飲み込まれた。
帽子を持つ手が、二つ、ほぼ同時に上がった。
その色は、黒だ。
囲みから、2騎、出てきた。
ギャル系の美人と、清楚系の美人。
二人の女子が、黒の帽子を、高らかに掲げている。
応援席がざわついている。
黒組の2騎が、首を獲られた。
しかも、相手の騎馬を一騎も倒すことなく、あっさりと。
囲まれていたから、応援している人には、
はっきりとは見えなかったはずだが、
なにが起きたかは明白だった。
八百長。
鈴木は、規則を隅々まで読み込み、
八百長が禁じられていないことを確認していた。
ルールで禁止されていないのなら、
問題なのは、自分の倫理観と罪悪感だけだが、
そんなものは、鈴木には無い。
勝てばいい。
一応、囲んでいる形にして、見せないようにしたのは、
八百長を目の当たりにした傍観者たちが、
馬鹿げた正義感に駆られ、ルールを無視し、
試合を妨害するかもしれない、と思ったからだ。
鈴木は、黒組の練習を見た瞬間に、正攻法で勝つことを諦めた。
あの獣は、数で押し込んでどうにかなる相手ではない。
方法はすぐに思いついた。
色仕掛けだ。
負けてくれれば、デートができると思わせた。
向こうの男たちは、
自分の好きな子が、誘ってきてくれたと思っていただろうが、
仕掛けは、男たちを好きにさせるところから、始まっていた。
男には、好意をよせられてると思うと、好きになってしまう性質がある。
自分に、気があるのかもしれないと思うと、好きになってしまう性質がある。
美人に何度か微笑まれ、ボディタッチを少し受ければ、
勝手に舞い上がり、好きになってしまう。
男とは、そういう哀しい生き物であることを、鈴木はよく知っていた。
頭では、自分と釣り合うはずがない、と思っても、
そのプログラムにはあらがえないのだ。
頭の中は、デートのことでいっぱいだろう。
その男も、それを仕掛けた女子もだ。
だが、女子が妄想しているのは、白井とのデートだった。
鈴木は鼻で笑った。
これで、大将の清水だけだ。
こんなものか。
やろうと思えば、失格にもできた。
試合直前に、腹が痛い、熱が出たなど、適当な理由で抜けさせればいい。
そうすれば、規定人数に満たず、こっちの不戦勝になる。
だから、感謝して欲しいくらいだ。
試合をやってあげてるんだから。
上を見上げ、少し振り向きながら、白井に言った。
「仕上げだ」
「はいよー」
そう言って、白井は、片手を上げた。
惨めに負けていけ。
鈴木は、自分でも気づかぬうちに、にやけていた。
黄組の太鼓が鳴った。
後ろから、小さい声が聞こえた。
「悪いな」
その瞬間、地が崩れ、足が、空を掴んだ。
何が起きたかわからず、
清水は、夢中で、前にある背中にしがみついた。
後ろの馬の二人が、いなくなった。
清水は、呆然としていた。
悪い夢でも見ているのか。
今の状況が信じられなかった。
いや、信じたくなかった。
最初から、妙な気持ち悪さがあった。
初めに3騎を突っ込ませ、
その動きを見ている最中でも、それが消えることはなかった。
むしろ、違和感は大きくなっていった。
泥沼に引きずりこまれていくような、気味の悪さを感じていた。
それでも、陣とさえ呼べない、あの女子たちの群れの、
弱そうなところを見定め、突っ込んだ。
だが、違和感がどうしようもなく大きくなり、
気づいたら、止まっていた。
いつもなら、前の2騎も、同時に止まる。
しかし、奴らはそのまま飲まれていった。
そしたら、あの茶番だ。
あんなことが許されていいのか。
憤慨とも呼べる苛立ちが、清水を襲った。
一騎でも倒してやる。そう思った。
でも今は、一騎ですらない。
ただ、おぶさっているだけだ。
相手が襲ってくる気配はない。
見せ物に、されているのか。
もうどうでもいい。
早く、殺してくれ。
不意に、目線が下がった。
馬が、しゃがんだようだ。
もう降りろ、ということか。
当たり前か。
勝てるわけがない。
清水は、馬から降りようとした。
「いたっ!」
馬が、肩にのせていた清水の手を掴んだ。
爪が食い込んでいる。
馬は、前を見ていた。
彼は、前だけを見ていた。
清水の心に何かが灯った。
このまま終わるのか。
何もしないまま、諦めるのか。
腹から力が湧いてくる。
どうせ、負けるかもしれない。
無駄なあがきだ。
だからどうした。
力の限り闘うのが、男ではないのか。
清水は、落ちないように気をつけながら、
彼の肩に、脚をかけた。
彼は、清水の膝をしっかりと掴み、立ち上がった。
ただの肩車だ。
押されれば、ぐらつくだろう。
もちろん、練習などしたことがない。
しかも相手は、10騎以上残っている。
だが、清水は、かつてないほど、高揚していた。
「行くぞ」
短く声をかけた。
彼は、力強く頷いた。
清水は、雄叫びを上げた。
駆け出す。
女子の群れに飛び込んだ。
体が、どう動けばいいか、はっきりわかる。
遮るものだけ、弾き飛ばした。
いた。
白井の騎馬が見えた。
最後尾にいる。
白井をはっきりと捉えた。
ぶつかる。
その瞬間、白井の馬のメガネが、つぶやく声が聞こえた。
「木を隠すなら森の中」
殺気が肌を打った。
横から、風に襲われた。
鈴木は、応援席で、ぼんやりと腰を下ろしていた。
なんとか、勝った。
念のため用意していた保険が活きた。
白井は弱い。
というより、勝つ気がなかった。
面白ければいい、という感じなのだ。
だから、何かの時のために、護衛を2騎、用意していた。
白井のおこぼれに預かりたい男は、俺だけじゃない。
その中から、8人選抜し、護衛にあてた。
騙せる身長だが、屈強で俊敏なやつ。
メイクをし、すねの毛も剃って、カツラを被せた。
そして、白井のすぐ近くに配置した。
それにしても。
鈴木は身震いした。
清水の、鬼人の如き形相。
今思い出しても、肌に粟がたつ。
女子が、触れれば飛ぶ。
騎馬として残っていたら、負けていただろう。
ギリギリのタイミングで、両側から挟みこみ、押しつぶした。
本当は、さっきの試合で使いたくなかった。
次の試合の組み立て方を、変える必要があるかもしれない。
しかし、頭が上手く回らない。
高揚感と虚脱感が入り混じっている。
とりあえず今は、なにも考えたくなかった。
鈴木は、赤組と青組の試合を、ぼんやりと眺めていた。
もう決着がつきそうだった。
伊藤が、青組の大将の首を獲るのが見えた。