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騎馬戦  作者: kyomukan
7/12

7

最初は、おこぼれにあずかれるかもしれない、

そういう打算から『狂人』に近づいた。


鈴木は、女が好きだ。

それはほとんど、性欲の対象、という意味に於いてだったが、

とにかく、女が好きだった。


朝、ベッドで目を覚ました時と、夜、ベッドの中で眠りに落ちるまでは、

いつも、どうしようもない情欲にかられる。

枕を顔に見立てキスをし、ベッドを体だと思い、腰を押しつけている。


「チューしたい」

「セックスしたい」


そう小さく声を出しながら、ベッドで身悶えるのが、

朝と夜のまどろんでいる間の日課だった。


だが、鈴木は、女子と面と向かって話せない。


自分のことなど、誰も見ていない。

俺を、好きになる人はいない。

そう自分に、強く言い聞かせているので、面と向かって話せない。


それは、見せかけの謙虚さであり、本当に自信が無いのとは違った。

むしろ、プライドは高い。

自分が傷つかないために、自分を守るために、そう言い聞かせている。

心の奥では、モテるはずだと思っていた。

鈴木は、まさしく、過剰な自意識を抱えていた。


卒業した後の、未来の自分に、禁じている事がある。


学生時代、付き合いたかったなあ、などと絶対に思うな。

高校の時、もっと青春したかったなあ、などと決して口に出すな。

お前は、声をかけることさえ、出来ない人間だったんだからな。

いいか、絶対無理だったんだから、それだけは忘れるな。


それを、心に、刻みこませていた。


鈴木が、そこまでこじらせるきっかけになった出来事があった。

プライドを傷つけられ、殻に閉じこもる原因となった出来事があった。


それは、高校1年の時だ。

中学の時に、精通を経験し、性欲を持て余しはじめた、鈴木が、

高校に入学し、まだそれほど経っていない頃のことだった。


中学時代、人と話さず本ばかり読んでいた鈴木は、

高校に入ったら変わろうと思っていた。

いわゆる、高校デビューを、目論んでいた。


仲良くなるために、まず、クラス全員の名前を覚えた。

さらに、誕生日まで覚えた。

また、誰かが間違えたら、無理矢理ツッコんだりして、

積極的に、人と絡んだ。

顔を赤くしながら、一軍とおぼしきグループに、

なんとか、溶け込もうとしていた。


その甲斐あってか、ある女子と、ラインを交換する事ができた。


連絡する用事がなかった鈴木は、一計を案じた。

男友達と間違えたふりをして、ラインを送るのだ。

別に、その女子が特別好きだったわけではない。

見た目も、好みではない。


誰でもいいから、女子とラインをしてみたかった。

そして、その女子と一番仲が良さそうだった、

可愛い子と近づきたいという計算もあった。


作戦は上手くいき、ラインのやり取りは続いた。

ラインの中だけで、だったが、仲良くなった。

好みではなかったその女子が、鈴木は少し、好きになっていた。


そんな時、一軍の男友達から、

その女子が、陰で悪口を言っていると聞いた。

ラインがめっちゃきて、ウザいんだけど。マジ、キモい。

そう言っていると、聞いた。


鈴木は、頭が真っ白になった。


その友達が、嘘をついているのではないかと疑った。

嘘だと、思いたかった。

しかし、そんな人間ではなかったし、

なにより、嘘をつくメリットが、その友達にはない。

その友達は、もっと可愛い人と、付き合っているのだ。


恥ずかしさは、すぐに怒りに変わった。


別にお前が好きなわけじゃねえ。

お前が仲良さそうにしている、もっと可愛い女子と繋がりたかっただけだ。

勘違いすんな、ブス。


好きになっていた自分を騙しながら、そう思った。

もちろん、自分の浅はかな考えのせいで、自分が撒いた種のせいで、

こんなことになった事は、わかっている。

自業自得だ。


だが、そんな自責の念なんかよりも、鈴木が強く思ったのは、

その女子に対する、深い憤りだった。


嗤いものにされた。

八つ裂きに、したい。

首を、捻じ切ってやりたい。


だが、復讐はしなかった。できなかった、と言っていい。

そんな度胸は、鈴木にはなかった。

直接言う勇気も、陰口を叩き返す根性もない。

誰かに相談するのも、恥ずかしくて出来なかった。

悩んでいるのを、知られたくなかった。


だから、気持ちを押し込めた。

吐き出す場所を失った思いは、その形を、必ず歪ませる。


特定の女子に対するものであった怒りは、

全ての女子に対する殺意へと、変わった。


死ねばいい。

女なんて、みんな、死ねばいい。


それでも、鈴木は、どうしようもないほど、セックスがしたかった。

女子に対する憎悪は、より深く、性欲と結びつき、

傷つけられた自尊心は、より醜く、肥大していった。


鈴木は、女子に近づきたいと、死ぬほど願っていたが、

それは叶わない事だと、それは夢物語だと、思い込むようにした。

だから、女子を死ぬほど恨んでいた。憎んでいた。


鈴木は、女子に対して、妄念とも言える、屈折した思いを抱いていたが、

その気持ちに蓋をし、傷は塞がった事にして、時を過ごしていた。


そして、高校3年になった。

初めて、『狂人』と、同じクラスになった。

有名だったから、話した事はなかったが、名前は知っている。


超がつくほどの、イケメン。

大学生もいるバンドの、ボーカルをやっていて、歌がとびきり上手い。

バレンタインでは、チョコが下駄箱から溢れている。


そして、奇行が多い。

授業中に、ふらっといなくなる。

なんでもないときに、涙を流す。

友達と話している最中に、急に怒りだし、机を投げる。

全校集会で、突然笑い出す。


そのくせ、頭はよく、テストは常に上位だった。

ついたあだ名が、『麗しの狂人』。


『狂人』の周りには、常に女子がいた。

見ないようにしても、同じクラスであれば、嫌でも目に入る。


清楚系、ギャル系、可愛い系。

色んなジャンルの美人が、いつも集まって来ていた。

そして、楽しそうに話をしている。


もしかしたら。

鈴木に、ある考えが浮かんだ。

『狂人』と仲良くなれば、ヤレるんじゃないか。

腰巾着のようにおべっかを使えば、おこぼれにあずかれるんじゃないか。


無理だ。また失敗するぞ。

そう思っても、

一度浮かんだその考えは、鈴木の頭から、こびりついて離れない。

ヤレるかもしれない。そう思ったら、

鈴木のものは、哀しいほど、怒張していた。


とりあえず、登校したら、挨拶をするようにした。

最初は、無視された。

机に突っ伏したままだ。

腹が立ったが、挨拶を続けた。

何日目かで、机から顔を上げるようになった。

それから、口を動かすようになり、

ついに、声が返ってくるようになった。


そこから会話をするようになるまで、そんなに時間はかからなかった。

鈴木だけでなく、他の男子とも話しているのを、見かけるようにもなった。


ある日のことだ。

休み時間に、男4人で大富豪をしていた。

女性の好みについての話になった。


「なにカップが好きなの?」

友達の1人が、『狂人』に尋ねた。

「うーん、あんまり大きいと、肩が凝りそうだからなあ」

そう言いながら、『狂人』は、自分の胸に手を当てた。

「いや、自分がどうなりたいかっていう話じゃないんだけど…

えっと、鈴木は?」

「童貞だから、わからん」


底が抜けたように、『狂人』が笑い出した。

それは、心がざわめくような笑い方で、少し怖かった。

手で机を叩きながら、笑い続けている。


鈴木は、少しイラッとして、皮肉混じりに聞いた。

「『狂人』さんは、どうなんですか?ご経験はお有りですか?」


「いらない」

『狂人』が、急に真顔になって、言った。

場が凍る。

「そんな探るような言葉はいらない。聞きたいならちゃんと聞けよ」

鈴木は、何も言えなくなった。

「わかった?」

小さく頷いた。

「わかったのか?」

「わかったよ」

はっきりと、声に出して答えた。


もう、さっきの質問が、できる雰囲気ではなかった。


休み時間の後の授業中、疑問と怒りが渦を巻いた。

なんであんなことで、切れんだよ。

他にも、あんな感じで話してるやつはいるのに。

なんで俺だけ。


それから何日か経った後、『狂人』から、バンドのチケットを貰った。


あまり気乗りはしなかった。

数日前に、理不尽に切れられたから、ということだけではなく、

鈴木は、音楽について、冷めたところがあるからだ。


学生が作るやつなんて、どうせ、色恋についての歌だろう。

世の中に、腐るほど流れている音楽も、

いい曲だと思って歌詞を聞くと、大概、恋愛のことを歌っている。


鈴木は、恋愛を歌った歌が、嫌いだ。

学生生活を描いたドラマも、嫌いだ。


学生時代の色恋沙汰など、

自分にとって、フィクション以外の何物でもない。

御伽噺でしかない。


だが、せっかく貰ったので、重い腰を上げ、行くことにした。


目当ての場所は、駅のすぐ近くにあった。

狭い階段を降りて、地下に行き、ドアを開ける。

そこは、小さいライブハウスだった。

すでに観客がたくさんいて、そのほとんどが女子だ。

鈴木は、後ろの方に陣取った。


演奏が始まった。


前奏が流れる。

なぜだか、熱くなった。

『狂人』が歌い出す。

鳥肌がたった。

上手い、などという、ものではない。


終わった後、しばらく呆然としていた。


まず、曲に痺れた。

血が沸き立つのに、切なさが残る。


歌詞も、衝撃だった。

生きることの哀しみ、苦しみ、辛さ。

人間の根源的な悩みが、歌われていた。

心が、震えた。


後で、曲も歌詞も、『狂人』が作ったと聞いて、

見る目が、変わった。

尊敬の念を抱くようになった。

鈴木は、音源をもらって、何度も聴いた。


もっと、『狂人』のことを知りたいと思った。

そして観察し、わかったことがある。


『狂人』は、時折、恐ろしいほど冷たい目で、女子を見ている。

周りの女子と、親しげに話しながらも、瞳の奥は、笑っていない。

生きることに膿んでいる。そういう風にさえ、見えることがあった。


もう一つ、わかったことがある。


『狂人』に集まる女子は、ヤツのことしか見ていない。

しかも、みんながみんな、自分が好かれていると思っている。

それなのに、『狂人』は、誰のことも見ていない。


その様子は、滑稽だった。


鈴木は、その様子を嗤いながらも、

なぜ、その目を少しでも自分に向けてくれないのか、と思った。

同じ男ではないか。

その嫉妬は、女子に対する憤りを、しっかりと思い出させた。


だが、鈴木は、『狂人』から離れることはしなかった。

『狂人』に、もっと興味が湧いたからだ。


ある日、『狂人』が、体育祭の騎馬戦に参加すると言い出した。


その頃には、鈴木は、クラスの連中から、

女子がやると喧嘩になるからということもあり、

『狂人』の面倒を見る人として、認識されていた。


なんで言い出したかは、聞かなかった。

聞いても、理解できないからだ。

ただ、言い出したら、聞かないことは知っている。


鈴木は、考えた。

考えに、考えた。

どうでもいいことほど、真剣に考えないと、怒ってくるからだ。


思いついたことを、iPadに書き、放課後『狂人』に説明した。

自分では、面白い策だと思ったが、自信はなかった。

だから、最後に付け加えた。


「…で以上だ。

でも、お前がこれをしたくないなら、別にいいけど」



殴られた。


メガネが飛んだ。

上から言葉が降ってくる。

「おべっか使うなって言っただろ!」


いってぇ。

なんだよ。こんだけやってんのに。

誰のためだと思ってんだ。

頭に血が上る。

鈴木は、自分がキレていることを自覚した。


だが、もうどうでもいい。

もうなんか、ぜんぶ、めんどくせえ。


鈴木は、立ち上がり、一歩一歩、近寄った。

拳を、顔面に叩きつける。


『狂人』が、床に転がった。

馬乗りになり、無言で、殴り続ける。

鈴木は、気の済むまで殴った後、ゆっくり立ち上がり、一瞥した。

そして、中指を立て、吐き捨てるように言った。


「死ね」


鈴木は、落ちたメガネを拾い、かけた。

『狂人』が、うずくまったまま、笑い出した。

「あはははは」

その場で、ぐるぐる回りながら、笑い転げている。


本当に、面白そうに笑っていた。

不思議と怖さは感じない。

わかった。

こいつは、ただの馬鹿だ。


『狂人』が、笑っている。

いや、白井が、笑っている。


綺麗な顔だ。

そりゃ、モテるはずだと、わけもなく思った。


それからは、白井が、白井に見えるようになった。

なにを考えているか、相変わらずわからない。

わからないまま、受け入れることが出来るようになった。


しょうがねえなあ。

頭をかきながら、それでも笑いながら。


一度、白井の抱えている闇の、深淵を覗いたことがある。

綺麗な顔の裏にあるものを、垣間見たことがある。


騎馬戦の打ち合わせをするため、白井の家に行った時の事だ。


まず、行ってもいいか聞いたら、白井は珍しく逡巡した。

少し経ってから、いいよと言ったのだ。

いつも返事に迷いがないから、鈴木は、変だなと思った。


貧乏だから呼びたくないのかな、などと思いながら、

鈴木は、教えてもらった住所に向かった。


大きい屋敷が、そこにはあった。

鈴木は、門に設置してある、チャイムを押した。

応答した女性に、名前を告げる。


門が開いた。

庭は広く、玄関まで少し歩いた。


絵に描いたような、立派な家だ。


玄関から、女性が出てきた。

鈴木は、一瞬で目を奪われた。

声が出ない。

妖艶とは、こういう人のことを言うのだろう。

鈴木は、ぼんやりとそう思った。



白井の部屋に入った。

綺麗に片付いていて、余計なものが何もない。

「お姉ちゃんいるんだ」

何の気なしに、鈴木は言った。


「…ママ」

白井が、暗い声で言った。

その声音に驚いて、すぐに白井を見た。

能面のような表情だ。瞳には、何も映っていない。


さっきの女性が、お盆の上に菓子を載せ、部屋にきた。

そのお盆を白井が受け取るとき、白井の手を、女性の手が包んだ。

女性は、息子をじっと見ている。

鈴木は、見てはいけないものを見た気がして、すぐに目を逸らした。

形容しがたい、妙な生々しさが、鈴木の心に残った。


空気が重かった。

鈴木は、長い間、一言も発する事ができなかった。

咳払いして、カバンからiPadを取り出し、用意してきた事だけ話した。


夜になったので、鈴木は帰ることにした。

玄関を出て、門に向かう。

鈴木は振り返り、会釈をした。

女は、息子の横に並んで立ち、その肩に手を置いている。

背後にある大きな家が、牢のように、月明かりで暗く浮かび上がっていた。


騎馬戦に向けて、鈴木は、一つ一つ、仕掛けを詰めていった。


女子と話すのは、問題なかった。

白井に群がる女子は、女であって、女ではない。

そう思っているわけではなかった。

もう、そうとしか、思えないのだ。


だから、どんな事でも言うことができた。


最近、気づいたら、にやけている。

本番が、楽しみで仕方がなかった。

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