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開幕の笛が鳴る。
田中は、先陣を切って、グラウンドに入場した。
周りから拍手や野次が聞こえる。
緊張で、手が震えていた。
整列し、互いに礼をした。
『聖人』が手を出してきた。
田中は、震える手をおさえつけ、握手をした。
配置につき、騎馬を組んだ。
田中の目線が高くなる。
赤組も、こちらと同じ7組だった。
最初の陣形は、オーソドックスな形にした。
前に3組、その後ろに3組、それぞれ横に並んで、二段に構える。
そして、一番後ろに大将がいる。
赤組も同じ陣形だった。
まずは、正面からぶつかるつもりだ。
縦列にしたり、左右に分けたりは、ぶつかり合いをしてからだ。
真正面から戦える力を見せてはじめて、それが活きてくる。
試合開始の笛が鳴った。
田中は、片手を上げた。
太鼓が鳴り、一段目が、前に出る。
赤組の一段目とぶつかり合った。
もう一度、片手を上げる。
二段目も前に出した。
赤組の二段目も、それに合わせて前に出てくる。
互角だった。どこも崩れない。
合図をし、一度引かせた。
手を横に動かした。
右に4組、左に2組。
左の2組は、足が速い人を馬に選んでいた。
右の4組に対応している赤組の騎馬の、裏をとるため、
縦に並ばせ、相手の後ろに回りこませようとした。
だが向こうも、すぐにそれに対応してくる。
赤組は、こちらの左の2組を止めた上で、
今度は逆に、その2組を押し包もうと動き出してきた。
しかし、それは田中も読んでいる。
膠着状態になった。また、一度引かせる。
ここまでは互いに1組も減っていない。
田中は、少し高揚していた。
もしかしたら、勝てるかもしれない。
『聖人』が、手を上げるのが見えた。
赤組の太鼓の音が響く。
初めて、向こうが先に動き出す。
相手の空気が変わった気がした。
最初と同じ陣形で、今度は赤組から、一段目を出してきた。
こちらも、それに合わせる。
不意に、向こうの二段目の、真ん中の1組だけが、飛び出してきた。
こちらの二段目も無視し、田中の方に迫ってくる。
田中は、押し包むチャンスだと思った。
合図を出し、こちらの二段目を反転させる。
これで、田中が相手の騎馬を押さえている間に、後ろから首を獲れる。
だが、田中と当たる直前、その騎馬は向きを変え、横に駆け去った。
田中は前を見た。
赤組の二段目の残りが、
ぶつかり合ってるこちらの一段目の、裏をとっている。
しまった。
最初からこれが狙いだったのか。
急いで太鼓を鳴らし、引かせたが、1組、首を獲られた。
残り6組になった。
赤組が、6組を横一列に並べる。
田中は、とりあえず、5組を横一列に並べた。
どうする。
自分も前に出るべきか。
赤組の太鼓が鳴る。
そのままぶつかった。
向こうには、余っている1組がある。
こちらの一番左が、1対2の状況になった。
田中は、赤組の太鼓が鳴った瞬間に、
前に飛び出していたが、迷った分だけ出遅れていた。
田中の目の前で、味方の首が獲られた。
残り5組だ。
相手は1組も欠けていない。
一枚一枚、剥がされている。
最初は、ただ、こちらの力を見ていただけなのだろう。
遊ばれていた、ということなのか。
後ろで指揮をしているとよくわかる。
大将としての器がまるで違った。
判断が正確で、迷いがない。
だから、騎馬の一組一組が、持っている以上の力を出すのだろう。
田中は、噴き出してくる汗を拭った。
何も思いつかない。
田中は特に考えも無いまま、4組を二つに分け、二段に構えた。
赤組の太鼓が鳴った。
次は何をしてくるのか。
自分が何をしても、裏目に出る気がした。
俺は、どうすればいい。
相手が一斉に動き出した。
縦一列に並び、そのまま突っ込んでくる。
こちらの4組が、右と左に分断された。
そして、相手は3組と3組の二手に分かれ、
分断させたこちらの騎馬を、横に押し出していく。
田中の目の前が、空いた。
いや、空けさせられた。
『聖人』がいた。
縦列の一番後ろにいたのか。
目があった。
肌に粟が立つ。
『聖人』がもの凄い勢いで、襲いかかってくる。
高橋が、相手をかき分け、なんとか戻ろうとしているのが見えた。
だが、到底間に合いそうもない。
視線を戻した。『聖人』が、目の前にいた。
あ。
焦るあまり、田中は、前のめりになった。
そこからは、ゆっくりに、見えた。
『聖人』の姿勢は、全くぶれがない。
手が伸びてきた。
田中の頭に手が届く。
そして、首を、獲られた。
田中は、地に降りた。
整列し、礼をして、退場する。
退場したすぐのところで、
散らばらないで、みんな、なんとなく残っていた。
田中はうつむいていた。
合わせる顔がない。
振り絞るように、小さく、
「ごめん」
と言った。
責めてくるような人は、誰もいなかった。
「しょうがない、しょうがない」
「やっぱ、強かったな」
「惜しかったよ」
中には、何も言わず、肩を叩いてきた人もいた。
「おい、どうした高橋」
誰かが言って、みんな、高橋を見た。
高橋は泣いていた。
うつむいているので、顔は見えない。
しかし、肩が震えていて、涙が地に落ちている。
みんなに注目された高橋は、袖で涙を拭い、
「ごめん、ごめん」
と言って、なんでもないように装うとしたが、
すぐに、目に涙が溜まっていった。
呼吸が荒くなっている。
みんな駆け寄った。
「なに泣いてんだよ」
笑いながら声をかけるものもいた。
「どうした高橋」
と言いながら、冗談で、肩を揺さぶるものもいた。
無言で、後ろから抱きしめるものもいた。
つられて、泣き出すものも、何人かいた。
田中は、高橋の横にいき、肩を抱きながら、
「ごめん。俺のせいで負けた」
と声をかけた。
高橋は、首を横に振った。
泣きながら、何度も首を横に振った。
そして、一言一言、絞り出すように言った。
「大将、引き受けてくれて、ありがとう。
お前が、いたから、バラバラにならずに、やってこれたよ」
胸をついた。
目頭が熱くなる。
みんなが見ている。
その思いが、涙を流すことを許さなかった。
こんな時まで周りの目を気にする、自分が恨めしかった。
お前には泣く資格などないのだ。
そう自分に言い聞かせた。
田中は、みんなと別れて、体育館裏に行き、そこで腰を下ろした。
無様に負けた。
まあ、しょうがないさ。
相手は『聖人』だ。
勝てっこないよ。
別にいいさ。
公式戦でもなんでもない、
ただの、体育祭の、一つの催しものに過ぎない。
大きく息を吐いた。
長かった。
1ヶ月、いや、人を集めるところから考えれば、2ヶ月か。
終わってみれば、この2ヶ月、この事しか考えてなかった気がする。
高橋みたいに、裏表がない人間もいる。
それは新鮮な驚きだった。
それは、そう認めたというより、そう認めざるを得ないという感じだった。
あの態度は、そう考えないと説明がつかない。
高橋は、本気で悔しがり、本気で一生懸命にやっていた。
田中は、誰かに、見栄を張るためにやっている。
だから、他の人も、多かれ少なかれそうなんだと思っていた。
そのはずだと、信じていた。
高橋は、誰かに、いい格好を見せるためじゃなく、
ただ、そう思ったから、そうしている。
それが、今ならはっきりとわかった。
自分に、嘘をつかないやつもいる。
自分に、言い訳しないやつもいる。
田中は、さっきの試合を思い出した。
負けた。
それも、あまりに呆気なく。
こうしたいと思ってノートに書いていた事は、ほとんど何も出来なかった。
いや、させてもらえなかった。
しょうがない。才能がないし。
もともと騎馬戦なんて、惰性でやってるだけだ。
プロになるわけじゃないし。
趣味みたいなもんだ。
こうなることなんて、わかってたことじゃないか。
不意に、首を獲られた時の光景が、頭に浮かんできた。
前のめりになってしまった、あの時。
『聖人』の手が伸びてきた、あの時。
田中は、自分の拳を、地面に叩きつけた。
何度も何度も、拳を地面に叩きつけた。
小石がめり込み、うっすらと血が出ていたが、
構わず、拳を叩きつけた。
だが、あの時の光景が、頭から離れない。
『聖人』の顔、『聖人』の手。
叫び声を上げたくなり、手を自分の口に押し込んだ。
気づくと、涙が、頬を伝っていた。
田中は、声が漏れぬよう、手を噛みながら、泣いた。
自分の中で、何かが、のたうちまわっている。
抑えつけていた感情が、頭の中にこだました。
なにも出来なかった。
なにも、なにも、なにも、なにも!
何一つとして出来なかった。
何のために、ノートを作ったのだ。
何のために、練習したのだ。練習させたのだ。
無様に負けたくなかったんじゃないのか。
どうして、もっと冷静になれなかった。
焦らなかったら、誰かが戻ってきて体勢を立て直せたかもしれない。
いや、逆に勝てたかもしれない。
大将自らが出てきていたのだ。
確実に勝てると思われたのか。
その程度だと、値踏みをされたのか。
悔しかった。
悔しかった。悔しかった。悔しかった。
達観したと思っても、それは達観したフリでしかなかった。
その事に、田中は今更ながら気づいた。
自分に、見栄は張れない。
自分は、誤魔化せない。騙せない。
みんなあれだけ、練習に付き合ってくれたのに。
高橋も、あれだけやってくれたのに。
なぜ、最初から諦めてしまったんだ。
なぜ、途中で勝負を投げてしまったんだ。
戦う前から負けていたら、勝てるはずがない。
田中は、泣きながら、奥歯を強く噛みしめ、
もう一度、拳を叩きつけた。
だが、それでもなお、負けの味は、苦く残ったままだった。