5歩目
「わぁ、すごーい!」
遠くで少年がはしゃいでいるのが聞こえる。
母親がそれを宥めている声もまた、微かに聞こえてくる。そんな声は言うなれば副旋律
じゃあ、主旋律は―――
ガタン、と大きく車両が揺れる。
私は驚いて頭上で慌て始めたラヴを宥め、吹き抜けの窓を見る。
向こうに広がるのは一面の青、遥か彼方では薄い天色と群青色が混じって見える。
そんな景色、今日は絶好の海上列車日和と言えた。
「いい景色ねぇ」
窓際に肘を着いてほうけていた私に声をかけてきたのは、向かいに座っていた一人の老婆。多分、ゴブリン
私はそうですね、と短く返事し、また景色に視線を移した。
「貴女、1人? もしかして、旅の方?」
小さく頷いた。景色は海のまま
「そう……私の子もね、商人をやってていろんな町や村を行ったり来たりしてるの」
確かに、旅の中で出会う商人はゴブリンとハーフリングがほとんどだ。
だから何だって話だけども
「それでね、やっぱり心配だからたまには顔を見せに帰ってきてほしいのよ。でもね、あの子ったら雪が降り始めても全然帰ってこないの」
雲行きが怪しくなってきた。
このゴブリンの老婆に限った話ではないが、お年寄りというのは一度スイッチが入ると延々喋り出すと相場が決まっている。
まぁ、壮大な景色を見て、波の音と車輪の音に耳を済ませているとそんな事もとても小さな事、様々な音が重なる音楽の副旋律の一つに聞こえてくる。
「そうそう、貴女アメいる? 私、沢山持って来ちゃって」
そう言って老婆は小さなカバンの中身をガサゴソ言わせて、数個アメを取り出して渡してきた。
短く礼を言い、早速一つ口に入れる。
舌で暫く遊んでいると口の中がすっかり甘い味で染まった。
「あの子も、このアメが好きでねぇ……ドラゴンの唾液で造られたって言われてるんだけどね―――」
ぶっ、と私はアメを海めがけて噴き出してしまった。
「ま、実際は砂糖なんだけどね。まぁ、売り文句は大きく、目立つようにしないといけないってあの子も言ってたしねぇ……あら、大丈夫?」
私が咳き込んでいたのを見かねて老婆は水筒を差し出してきた。
私はまた礼を言い、水筒に口をつける……前に、バレないようそっと臭いを嗅いで、変な臭いがしないか確認してからそっと水を口に入れた。
「……ねぇ、貴女もしかして、ヒト?」
「そうです」
短く答える
気がつけば海の音を聞く余裕がなくなっていた。
「あら、それは……ごめんなさいね、変な事聞いて」
「いいえ、別に」
老婆はそう言っても何度かごめんなさいね、ごめんなさいねと連呼してくる。
ヒトであると言うと、何処で、相手が誰であってもこういう反応をされる。
だからまぁ、いい加減慣れた。
「そう、ヒト……まだ居たのねぇ。随分前からぱったり見なくなったけど」
「前って、どれくらい?」
別に何気ない、ちょっとした質問のつもりだった。けど、ゴブリンの老婆はとても真剣な表情になって辺りをキョロキョロ見渡してから、そっと顔を寄せて耳打ちしてきた。
それはおよそ1000年前、まだこの世にヒトが溢れかえっていた時代。
昔からつまらない事で争いを起こす事に定評があった種族、ヒト。
彼らは何度もヒトどうしで戦争を起こし、殺し合い、そして生きてきた。
しかし、カミサマはそんな種の存在を許さなかった。
ある日、海が大きな氾濫を起こし地表に住む多くの生き物や建物を丸ごと一掃してしまったという。
ヒト以外の種族は何とか生き残り、それ以来いわゆる「人外」が世の中の中枢を担うようになり、入れ替わるようにヒトの姿はまるっきり消えてしまった。と、いうのが今の世にまかり通る通説―――らしい。
「初めて聞きました」
「あらそうなの? まぁ、昔のお話だしねぇ……でもね、私貴女以外のヒト、何度か見た事あるのよ。確か、貴女とおんなじ、「旅ヒト」だったわ」
旅ヒト?私は首を傾げる
そんな私を見て老婆はクスリと笑い、優しい声で教えてくれた。
「貴女のようなヒトの事」
老婆は頑張ってね。と握手を求め、それに私が応えるとそれっきり会話は無くなった。
海の音が耳を差す。
窓から覗く景色は、さっきとは全然違って見えた。
今度、身分を聞かれたら「旅ヒト」と答えよう。そう考える、列車日和だった
列車は出会い