3歩目
「車掌さん、あそこはなんていう町なの
?」
「あー、あそこはベルチだね。人集りの少ない、静かなところさ」
ふぅん、と私は相槌を打ちながら、麻袋からゴソゴソと必要な分の料金を取り出し、車掌に手渡す。
「ありゃ、嬢ちゃん。コレちょっと多いよ?」
車掌さんは眉を上げて硬貨を数枚私に返そうとしてくる。が、私は手でそれを制し、代わりに帽子の中で寝ていたラヴの姿をチラッと見せる。
その顔が見えるか、見えないくらいで
「この子の分」
そう言うと車掌さんは納得してくれたようで、一つ頷いて硬貨を全て懐に仕舞ってドアを開けてくれた。
「じゃ、良い旅を」
「はい」
私はクルマからジャンプして降り、手を振る車掌さんに一礼してその場を後にした。
「さ、行くよラヴ」
「クァ……」
寝ている時に名前を呼ばれた時のラヴの反応はとても可愛い。
何度もやると噛むか、爪で引っ掻くかしてくるので我慢しないといけないのが少し辛いところだ。
次の目的地は車掌さん曰くベルチと呼ばれる小さな町、少し距離があるので細かくは分からないが遠目に見る限り商人などの人通りが多いわけでもなく、町自体もそこまで栄えてるようには見えない。
けど、何も無い町なんてありはしない。あの町にもきっと、あるんだろう
旅を続けたくなるような、何かが
▶▶▶
「わーお」
私がこんな柄にも無い事を言ったのには理由がある。
誰もいない、町に入って暫く。一通り歩いて回ってみたが一切人の姿を見る事が無かった。
まるでゴーストタウン、死んだ町にでも来たかのような気分だ。
「でも、生活のにおいはあるし。人は居ると思うんだよね……」
ラヴの返事は無い。未だ私の帽子の中でモゾモゾ寝ている。
町の内装は至って普通、栄えてるわけでもないが、寂れてる訳でもない。
けど、一つ異様なのがどの建物にも同じようなマークが目立つように描かれているという事。
何か意味があるのだろうが、それを聞く相手もいない。
「どこかで集会でもしてるとか……?」
独り言を言っても、うんともクゥとも返事は無い。そろそろ寂しくなってきた
「おねーちゃんなにしてるの?」
声は私のすぐ隣、細かく言うなら斜め下に居た。死んだ目をした、少年が
「あー……えっ、と」
不意をつかれた事もあって少し言葉が詰まってしまった
少年はそんな私を見て首を傾げてからまた口を開いた。
「おねーちゃん、そとのひと?」
「う、うん、そう。君はここの子?」
そっかぁ。と少年は喜んでいるのかニコニコ笑って呟いた。
ちなみに、少年はヒトじゃない。
この子を見るまでどこの種族が住んでいるのか分からなかったが、やっと分かった。
尖った耳、潰れた鼻、腫れぼったい目
この子はオーガの子だ。
まぁ、だからといって何という事もないのだけど
「皆はどこ?パパとママは?」
私が聞くとオーガの少年は少し離れた建物を指差し、あそこ!と言った。
「みんなあそこで、おいのりしてるの」
「へぇ……そうなんだ」
なるほど、何となく分かった。
少年の指差した建物はさっき通った感じ、いわゆる「教会」と呼ばれる建造物らしく。厳かな見た目と、一枚の大きなステンドグラスが印象深い
つまるところこの町は宗教の町で、生活の軸は全てカミサマの教えに則って廻っていく。そんな感じの所なんだろう
「あれ、じゃあ君は? なんでここにいるの?」
経験から言って、こういう町は決まって子供も参加が義務づけられているはず。酷い所では赤ん坊を背にくくって祈祷を捧げる姿も見た。
もちろん、例外はあるんだろうけど。
……でも、少年の様子を見る限りここもまた「例外」じゃないらしい
「……おねーちゃん、かみさまってほんとうにいるとおもう?」
「んー……さぁ、わかんないや」
私は曖昧に答えるしかない
少年はそんな私を見つめている。
とても真剣で、純粋な目で私の事をジッと見ている。
思わず生唾を飲み込んでしまった。
「ぼくは、かみさましんじないよ。みたことないもん。ままはいるっていうけど、ぼくみたことないもん!」
で、そんな真面目ったらしい顔をしながらこんな事を言うんだから、面白い
私は思わず零れた笑みをそのままに、オーガの少年の目線に合わせるようにしゃがみこんで、少年の手を握った。
「実はね、あたしも見た事無いや」
私たちはお互いの顔を見やって、笑った。
「ネロ!ネロ!貴方こんな所でなにしてるの!? お祈りはどうしたの!?」
「あ、まま。おかえりなさい」
「お、おかえりじゃないわよ!貴方またお祈りに来なかったのね……ほんとに、ほんとにネロ。貴方っていう子は……!」
ねぇ、まま今日の晩御飯は―――。
ネロ、と呼ばれたオーガの少年は頬と背中に鈍い痛みを感じ、母にぶたれ、その勢いで自分の体が地面に叩きつけられるのを理解した。けど、脳はそれを拒否した。
実の親にぶたれたという事実を、体は理解しても頭はそれを全力で拒んだ。
「神への祈りを疎かにするなんて……貴方はもう、今にも神の裁きを受けるでしょう。そして、今度は私が……!このっ、このぉっ!」
母の足が少年の腹に刺さる。
何度も何度も、しかし誰も止めようとしない。人通りは先程に比べ随分増えた。親子のすぐ隣を通り過ぎる者だっている。けど、見ないふり
少年のやめて、やめて。という悲痛な叫びだけが虚しく響く。
「ねぇ、ラヴ」
「クゥ」
つい先程起きてきたラヴが私の肩上で返事を返す。彼の視線は私と同様に、この整然と、厳かに狂った町を見下ろしていた。
「イタズラ、しちゃおっか」
▶▶▶
その夜、町は喧騒に包まれた。
御神体が住まう教会に月明かりが差す頃。その屋根に巨大な化け物が現れたのだ。
彼らは、その美しいまでに凶悪な姿を見てこう思った。アレは「神の使い」或いは神そのものなのでは、と
化け物が天高く轟く雄叫びを一度上げればオーガたちは叫びながら逃げ惑い、中には地面に頭を擦り付け、必死に神へと祈りを捧げる者もいた。
ネロの母親もまたその「一部」であった。涙を流しながらその体を揺すって「にげようよ、まま。まま!」と、懇願する少年を払い除け、何度も何度も神への助けを願い続けた。
さて、偶然か否か一体の化け物はそんな母子に狙いを定め、教会の屋根から大きく跳躍すると、地面が振動するほどの衝撃を伴って母親のすぐ眼前に着地した。
グルルルルルルル…………、化け物の唸り声が響く。4本の足は今にも母親目掛け飛びかかろうと力が込められていて、牙の隙間からはヨダレがぽとぽととこぼれ落ちていた。
「ま、ままぁ!」
しかし、母親はそれでも動かなかった。依然地面に頭を擦り付け、何度も何度も祈りの言葉を呟いている。
そんな母親に痺れを切らしたのか、化け物は後ろ足で地面を蹴り、爪と牙を鋭く光らせ一直線に飛びかかった
「まま!」
物陰に隠れ、その様子を見ていた誰もが目を瞑った。次に目を開ければあの母親の無惨な姿を目にしなくてはならないだろう。
しかし、開けざるを得ない。なぜなら化け物が次に狙うのは自分かもしれないのだから―――が、だ。
視界に映っていたのは全く違う光景だった。
化け物には返り血一つ無く、代わりにあの少年が化け物と母親の間に割って入っていた。
どうやら、少年が化け物に一発入れて攻撃を防いだらしい。
「ネ、ネロ……!?」
「はぁ……はぁ……ご、ごめんねまま。ぼく、やっぱりかみさまなんてしんじらんないよ。だって、みたことないんだもん」
「それに、ままをきずつけようとしたこいつはかみさまでも、かみのつかいっていうのでもない。ただのばけものだよ!」
少年が母親の方に視線を向けたその一瞬を、化け物は見逃さなかった。
ルルァ!
一閃、化け物の爪が横薙ぎに少年の体を引き裂く。はずだった
化け物の攻撃は二度防がれた。今度は母親の拳骨によって
「そう、そうね。ネロ、貴方の言う通り。神様が私の大事な息子を傷付けるはずないもんね……あぁ、懐かしいわこの感じ。そうよね、私はオーガ。祈りより、「コレ」よ」
ゴキゴキ、と音を立てて拳を握る。
つい先程まで頭を垂れていた情けない姿からは想像がつかないほど勇ましい
そこに居たのは紛れもなく「オーガ」
力に生き力に死んだ種族、その剛毅な姿がそこにはあった。
その後、化け物は形勢不利を感じたのかあっさりと逃げ教会とその他建造物に多少の損害を出しただけで、静かな町ベルチの夜は、また静かに更けていった。
▶▶▶
「パン食べる?」
クゥ……とラヴが返事を返してくれるが、いつもより元気は無い。が、それも仕方ない話だろう。
私はパンをいつもより大きめにちぎってラヴに渡す。いつの間にか薄ら空が明るんできはじめた。
振り返ってももう町の姿は見えない
ふぁ、と欠伸が漏れる。
「何処かで寝よっか。ね、ラヴ」
クゥ、ラヴの返事は短い。
今夜は久々に頑張ってもらった。きっと明日も私の帽子の中でお寝坊さんを決め込むつもりなんだろう。
まぁ、それも良いよなぁ。たまには私も夕暮れ時くらいまで居眠りしようかな、そんな事を考えながら歩く。
―――あの町がどうなったか、どうなるか。もう私の知るところではない。
きっと、あの少年の名前も、町の名前でさえ忘れてしまうのだろう。
でも、きっと。あの笑顔だけは忘れないんだろうなぁ、なんて。そんな旅路
まだまだ旅は続く、でも取り敢えず今日のところは―――「おやすみ、ラヴ」
クゥ。ラヴはまだ、パンを食べていた。
こどもにとってのかみさまは、おやですよ