むかしとかこ、みらいとさきへ
遅れたので直AGE
その知らせを聞いたのは赤が黒に侵食され始め、別の意味で息を切らせていた時だった。
思いの外遅くなってしまい帰りを急いでいたところ、呼び止めてきた門番さんから魔研で事故が起きたと聞かされた。
その内容は上手く事が運んで浮かれていた私の呼吸を完全に止め、一瞬にして大半の頁を白く塗り潰す。
しかし全頁白紙の本にすぐさま黒く字が浮かび上がり、その勢いは埋め尽くさんとばかりに対象を別のものに書き換えていく。
わたしのせい?
わたしが魔法を教えたから?
またわたしが人の生を奪う…?
どの頁を開いても自傷しか見つからなかった。
どうやってそこまで辿り着いたのか分からない。
案内してくれた兵士さんを虚ろな目で見送り、扉に背を預けている少女に視線を向ける。
私と同じ目をした彼女は大粒の涙をためたまま、こちらを視界へを入れるがそれは風景の一部にしかならない。
誰に何に向けてか、口がぱくぱくと動くが言葉にはならず、また下を向き床を濡らすばかり。
かける言葉が無いとはまさにこのこと。
自責の念に駆られ呆然とするも、足は勝手に前へと進む。
そうだ、逃げてはいけない。
言葉にできないのならせめて、目を逸らすことだけは許されない。
波のごとく押し寄せてくる文字を文字通り振り払い目に活力を取り戻す。
胸に手を当てたまま私が近くまで寄ると、彼女は扉を譲る。
こちらを見ることはしない。
震える体が自分を責めていた。
静かに扉を開ける。
頭に過るのは幼少の頃焼き付けた、白い布で顔を覆われ横たわる『はは』の姿。
瞑目しあの優しい光を見せることのない顔を前に、子供ながらに初めて死というものを理解した瞬間。
あの時も突然だった。
心の隙間を埋めようと竹刀を振っていた親子の傷を癒すため、一人体に鞭打った末のことだった。
「ナタカちゃん、来てくれたのねー」
思えばそのおっとりとした喋り方もどこか似ていた。
「ごめんねー、ちょっと失敗しちゃった」
目を閉じればその声が聞こえてくるようで。
「もー、考え事をしてたら扉を叩くのを忘れるなんてねー」
怖いところもあったけど、その何でも許してくれそうな笑顔を見れば私は何度でも立ち上がれたんです。
「全部…全部私が悪いんです!」
「んー?ナタカちゃんは悪いとこないわよー?」
「私が魔法なんて…魔法なんて……!」
「それはそうねー。もうちょっと具体的だったら良かったかしらー?」
「クマさんにどう謝ればいいのか…!」
「悪いのはクマたんよー。いえ、私もねー」
「……最後だから私を許してくれるんですか。そんな…そんなのって…!」
「そうね、これが最後。今後は姉妹仲良くしてもらわないとー」
「クママさん…」
「ナタカちゃん…」
手を取り合い見つめ合って最後の別れをする。
ころころと表情を変化させたり、頬に指をあてたりと様々な動きを見せる……よく動く虚像だ。
温かい……私にも魔力が伝わっているのだろうか。
「いい加減誰か突っ込め」
「え、何今の素敵に耳が癒されるかっこいい声」
不可解な面持ちでその出所を探すも、この部屋にいるのは椅子に座ったいつもの顔のシヨタさんと…同じくいつもの顔の…クママさん。
おかしい…確かに真剣子ちゃんに出てきた敵役『天使不王』の声役、『在処あぢ氏』さんの声が聞こえてきたのに。
「………」
何かおかしい。
私は一体ここに何をしに来たのでしょう?
頭の中が書いては消し書いては消しと執筆作業のように繰り返された結果、何かおかしな空気になっていたような?
事故があった。
案内された先に涙するクマさんがいた。
部屋に入ると笑顔のクママさんがいた。
仏様のような笑みの彼女と手を取り合っている今現在の私。
私が想像していた展開通りだとするならば、私は恐怖の一部を克服できたということ。
それを確かめるためにも問うことにする。
「クママさんはご存命であらせられますか?」
「……難しい言葉は分からないけど、多分ナタカちゃんが思っていることと一緒かしらー?しばらくは自分で歩けないけどねー…きゃ?!」
手を引き寄せて彼女を抱き締めた私は頭も心も綺麗に流すかのように。
「良かった……良かった…」
溢れる思いを口に感情にと素直に出した。
「彼が大失敗してくれて助かったわー。失敗だったら私死んじゃってたかもしれないわー」
クママさんは責めているのか感謝しているのか、頭を掻くシヨタさんは複雑そうな表情を浮かべている。
シヨタさんが珍しく大失敗した結果、小さな爆発で済んだため、背中を打って痛める程度で済んだのだという。
何故大だったから助かったのか、その辺りは詳しく説明を受けても何のことやらさっぱりだった。
「さっきも言ったように悪いのはいきなり入ろうとした私なんだけどねー」
ケロッとした顔というのはこういう顔のことを言うのだろうか。
ドリーさんとまではいかないが笑い飛ばして事を収束させようとするクママさんにこの世界の女性の強さを垣間見る。
そんな彼女の顔が曇るのはここにいない娘のためか。
「クマたん、呼んでくれる?」
それとも何かを決意したためかはこの時点では私には分からない。
ただその関係は変わっていくことだけは分かっていた…。
クマさんはなかなかこの部屋に入ろうとしなかった。
手を繋いでようやく、といった感じで母の前に立つ。
いつかの失うことへの恐怖、彼女の震えからそれを思い出した。
「ごめんね、子離れできない親で…」
「……子離れって、何?ワタシは、ずっと、一人、だった」
クマさんの震えは怒りへと変換されてしまったかのように、言葉には刺々しさが混ざる。
しかしそれは昔を責めているのではなく、先のためにクママさんに知ってほしいと暴露しているかのようだ。
その重みは衝撃の事実、ではなくクママさんにも分かっていたようで、表情を変えずにただ黙って娘の話に耳を傾ける。
「一人、家に、いて、ヨウマイン、出ても、ずっと、一人。それを、変えて、くれたのが、クキョ…」
クマさんも一人だったんだ…。全然知らなかった…。
ずっと親子一緒だと思っていた。
でも…私と違って離れていて、そして私と同じく一人だった…。
クマさんはそれ以上は何も言えなくなり、部屋に静寂が訪れようとしていたが、それを拒んだのはクママさんだった。
「クマたん、ごめんね、おカーさんが悪かったわ」
娘の告白にではない、それなら何に対しての謝罪か、クママさんは笑みをこぼして口にしたが、どこか無理しているようにもとれた。
クマさんは何か言いたそうに口を動かすも一言目がなかなか出ずに、そのまま口をつぐむ。
私には分かる。
今までが壊れることが怖いのだ。
だから口を閉ざす。
そして先を壊す。
その勇気を持てないがために。
見れば必要ないとクママさんの目は言っているが、私は手助けすることを決め手に力を込めた。
クマさんは反応して目尻を下げたままこちらを見上げるが、私は見向きもせずただ手を握るだけ。
私よりも強いおネーさんだからこれで十分なんです。
「……どうして、おカーさんが、謝るの?」
何故それを選んだのか、その言葉は自分を追い詰めると知っていても出さざるを得なかったのか、いやクマさんは知っているからこそ自ら終わりにしようとしていた。
「悪いのは、ワタシ。マグなのに、おトーさん、おカーさんの、ケンマの、まねごとを、して。何度も、何度も、失敗して、おカーさん、歩けなくして…」
普段よりも言葉は途切れ途切れに、けれどそれは彼女の言うきゃら設定ではなくて、自分の気持ちを整理するように一言一言の思いを込めて。
「ワタシは、返したかった。いろいろなことを、まとめて、みんなに。でも、ワタシは、マグ。他を、知らない。こうすることが、正しいって。それしか、知らない…」
どうして彼女が魔具の道を選んだのか、私は知らない。
だけど両親が賢魔であること、クキョさんの例、この世の普通を知ればそれは自ずと知れる。
クマさんが二人と同じように賢魔になりたかった想いが伝わってくる。
そうだったならみんなの役に立てるのにと。
「……分かっているなら良いわ。そうあなたはマグ。ケンマのように創造は出来ない」
クママさんが吐き捨てるように言うと、クマさんはビクッと体を震わせ、そのまま涙と共に止まることは無かった。
そして最後に彼女も謝罪を口にする。
「ごめ、んなさ……マグに、生まれて…ケンマじゃ、なく、て……ごめんなさ、い…」
感情を殺しながらそれでも全く殺せずに、今まで言わなかったことを口にする。
それは違いますよ、クマさん。
私は道場の一人娘でした。
それも古くからの風習がある男が代々継いできた家の、です。
それでも父様は私を跡継ぎにしようとしていました。
分かりますかクマさん、その親の想いが。
私は遅すぎましたけど、クマさんはまだ間に合うんですよ。
これは私が口を挟むことではない。
でも支えにはなりたい、私は我儘妹だから。
震える手まで落ちてしまわないようにしっかりと受け止めていた。
「あなたは何かしらー?」
一時の沈黙の後、クママさんはいつもの口調、いつもの顔でクマさんに問いかける。
その意味が分かりかねぬのか、彼女は重そうに頭を上げる。
「マグはマグの扱いに長ける者、ケンマは創造を力に持つ者。マグに創造は出来ない。そして、ケンマもマグの扱いは普通の人と変わらない…」
クママさんはこの世の常を語る。
そう、誰もが知っていることだ。
けど、クマさんの反応は違った。
「本当にごめんなさい。もっと早く言うべきだったわ。けどね……親子で仕事をするのって楽しいから。その楽しさに甘えっちゃってたわー」
クマさんは濡れた目を丸くしながらも、クママさんをしっかりと捉え、過去を振り返る母と未来を見る。
「ケンマは街を出ることは余りないわ。特に私達は。けどあなたはマグ。街を出て識ることが出来るの。それを私たちに伝えてほしいの」
娘の目尻には涙が溜まっているがもう零れることは無い。
それを確かめたクママさんは同じことを、けれどその表情は増し増しで問う。
「もう一度聞くわ。あなたは何かしらー?」
同じものを見る二つの目線は直線で繋がる。
もうそれは曲がることは無いのだと母は知っている。
「ワタシは、マグ。女王様を、守る、たいちょうの、部下。兵士」
「そう、あなたはあなたのできることを。そしてあのクマのように世を識りなさい」
繋がった手から力が返ってくる。
私はその意味を問おうと表情は崩さずにクマさんに向けた。
「ナタカ、ワタシは、何を、すれば、いい?」
ごしごしと乱暴に涙を拭き取って、爛々と輝く瞳をしていつものきゃら設定で問い掛けてくる。
昔と変わらないんだけど……けどやっぱりどこか違っていて。
けどどこか同じとこもあって。
「たいちょうは、あれの、世話を、している。あの、おばさんも。つまり、隊の、今の、任務。あれを、治す。どんな、手段で、あっても!」
私が知っている中で一番いい顔をするクマさんにようやく心が緩む。
それは表情に表れ、私は考えていることをすべて伝えた。
すると、彼女は貯め込んだ息を一挙に鼻から出す。
やる気が溢れ過ぎている顔に嫌な予感がした。
私は…もう夜ですから明日にしましょうと、私の震える手を引っ張っていく彼女を止めれずに、苦笑どころか泣き出しそうになるのであった。
「ありがとうね、シヨタ。何も言わず私に任せてくれて…」
「……」
「そう言ってくれるの――――え?」
二人そろってきょとんとした顔をし視線を向けた扉の外側から、直前とは違う子供たちの騒がしい声が聞こえてくる。
一つは照れを隠しつつ罵倒し、一つは泣きの混ざった声で必死になって謝っている。
それが分かると二人は可笑しくて仕方がない様子。
「…あの子に任せておけば大丈夫。これにて、子離れ完了ー!」
そう言って目を細めるが、どこか寂しそうにずっと扉を見つめていた。




