じゅぎょう
広間に出て魔研とは反対方向に歩きだす。
クマさん親子と別れて魔書院へ行くためだ。
クママさんの助けもあって、クマさんの説得には成功した。
夜は戻ってくるという条件付きで。
(行きたくはないけど、どうしても必要なことなんです。それに約束もありますし)
ため息が出た。
それでも後悔までは出ていかない。
(気が重い…。クマさん、必ず帰りますから、無事に戻れるよう祈っててください…)
扉の前で息を整える。
落ち着いたところで扉に手を近づける。
コンと1回叩いただけで扉が勝手に開いた。
「遅かったわねぇ。待ってたわよぉ?」
言葉通りですね。
おそらく顔を近づけて耳を澄ましていたのだろう。
その顔は我慢している顔。叩く前に開けて飛び掛かろうとしていたんではないだろうか?
後退りそうになる体を鍛えられた体幹で支える。
その反動を生かして頭を下げる。
「ごめんなさい!寝坊しちゃって…」
「いいのよぉ?おチビちゃんいるからそうなると思ってたわぁ」
お見通しのようです。
彼女の前では浅知恵だったようだ。
「さぁ入ってぇ。昨日のつ・づ・き、しましょ?」
その声が私を後悔させるんですが?
「うっ…」
急いで来たため、胃の中のものが上がってくるような感覚に襲われる。
(さすがに食べ過ぎた……)
それでお腹も摩ってしまった。
「どうした……の……」
ショトさんの顔が凍り付く。
その視線の先にはポコッと出た私のお腹があった。
「わ、わ……ワタシ以外と子を為したの?!」
肩を激しく揺さぶってきた。
「あ、やめ、きもちわ、うっ、やめ、は、はく…?!」
何とか吐かずに済みました。
昨日同様、離れて座る。
遅くなってしまった分、悪いとは思っているので昨日よりは狭める。
あれはもう私ではどうしようも出来ない…。
あにさまなら見切れるのかな?
「えっと、それでは―――」
「約束が先よ!」
言葉が強い。
何を言っても譲らないような顔だ。
この辺もクマさんとそっくりだ。
大きなため息をつくと、昨日のことを思い出してしまった――――
『…そうだ、文字!私読めないので、教えてください!』
ショトさんから逃れるため、目に入った書に活路を見出し即実行に移した。
『残念ねぇ。ここでは読める人はあまりいないの!それに書ける人も。だから無理して覚えなくていいのよぉ!』
『…そ、そんな…』
彼女の手が下の方へと伸びていく。
このままじゃ私の…。
初めては……、く――――
『く?!』
くって何?!あ、じゃないの?!
いやいや、気が動転しているだけ…。
クキョさんの………、クキョさん?
――――そうだ!
『文字、文字ですよ!』
『ケンマだって、マガクにだって読み書き出来ない人いるのよぉ?必要ないわ――』
『…私の世界の文字、教えます!』
クキョさんは知らないことに興味を持つ人だった。
そんな彼女の知識の大半はショトさんのもの。
それなら、と思って言ったまでは良かった。
その後のことを考えてないのがいけなかった…。
『始めるにはもう遅いですから、明日!明日必ず教えますから!』
『…約束よぉ?アナタなら守るでしょうけど?や・く・そ・く、よ?』
あの顔は卑怯だ。
煽るようなことされたら絶対に守る…。
「それで?字の書けないアナタが、どうやって、教えてくれるのかしらぁ?」
「…へ?」
この時の顔はかなりの間抜け面だったのではないかと思う。
――――ああ?!しまった?!
この世界では字を書くのにも魔力がいるんだった?!
「これは、もうしょうがないわよねぇ…?」
彼女がじわじわと距離を詰めてきながら、襟口を広げている。
まさかこうなると知ってて…?!
「約束だったもの。破ったらどうなるか、分かるわよねぇ?」
肩で服を留めた。
ホントに同じ服ですか?!そんな伸びないでしょう?!
更に強調された深い谷間が現れた。
まずい…!
えっと、何か…。どうにかして、文字を教える方法を…!
間違いなく、要求されるのは体。
彼女もそのつもりで、手をワキワキと動かしている。
そうだ、指!
「背中文字当て、という遊びがあります!それで教えます!」
彼女の動きが止まった。
とりあえず寿命が延びた。
「それはどういったものかしら?」
この世界にはないようだ。
先程の話からすれば納得である。
「えっと、ですね…」
彼女の興奮が収まるよう、時間を稼ぎながら説明した。
「なるほどねぇ。世が違えば遊びも異なるのねぇ」
目論見通りショトさんは落ち着いた。
これで約束も果たせて万事解決!
「でも、これは文字の形を覚えてからの遊びではないかしら?ワタシは別に良いけどぉ?」
…あ。
「そうだわぁ!アナタ、文字を覚えたいのよねぇ?それを使ってワタシが教えてあげるわぁ!」
…あ、ああっ。
彼女がペロっと唇を舐めた。
彼女の癖の一つ。
何を言っても返ってくる。
このままでは同じことの繰り返し。いずれは私の方が負ける?!
なにか、なにか…。
忘れていることがある。それはなに?
それは…。
「めいど、という言葉を知っているかしらぁ?お姉さんに任せてくれれば、そこに連れて行ってあげるわぁ!」
めいど?
冥土のこと?そんな風にこっちでは使う…の……。
めいど!?
そうだ!めいど服!
「ま、待ってください!いらない布と紙、ありませんか!?」
世界が違えば、やはり違うこともあるんです。
燭台に溜まっている木の炭と灰を頂戴し、砕いた後、水を加えよく混ぜる。
それを布に浸みこませれば…。
この世界でも文字が書ける簡易筆記具の完成です!
そして更に更に…。
芯として危なくない程度に先を尖らせてもらった木を包めば…より硬筆らしく使えるのです!
そんな筆記具から描いた絵であんなものを作っちゃう服屋さんはやっぱりすごいと思います…。
よく記憶が無い中、これを思いついたものです。
クキョさんもすごく感心してましたし。
どうですか、とショトさんに見せびらかす。
クキョさんと同じ反応をしてくれるだろうと確信していた。
「…そうね……。すごいわね…………」
すごいガッカリしてる?!
わざとらしく大きなため息までついて。
約束云々かんぬんより、完全に私の体目当てでしたよね?!
手が床につきそうなほど肩を落としている。
誇張ではなく本当にそうなりそうなほど。
「あの、文字は…?」
文字を教えるくらいなら人の生き死にには影響ないだろうと思い、約束を守りたい気持ちもあって声を掛けた。
「そうね!そうしましょお!」
何という切り替えの早さ…。これは見習いたい…。
対面に座って、ナタカの語学講座開始です!
(※元は普通の高校生です。言語学者ではありません)
「私の国だけでも、平仮名、片仮名、漢字とありまして、全部はさすがに無理だと思うので、平仮名の方をお教えしたいと思います」
素材は分からないが向こうのものと質感が変わらない紙に、『あ』の第一画目を書き始める。
「国ごとに違うのは昨日も聞いたけど、そこから更に増えるのね。覚えなきゃいけない人は大変ねぇ」
「えっと、向こうでは皆覚えるのが当たり前で…」
「そうなのぉ?!文字が日常に含まれるのねぇ…」
ショトさんでも驚く声を上げるんですね。
文化的衝撃ってことでしょうか。
「こっちで必要ないっていうのは…?」
「アナタにしたお話にしろ、ほとんどは親から聞くのよぉ。それも何回も何回も。だから自然に覚えるの」
書ではなく伝聞で、必要なことは親から学ぶってことですね。
「文字の読み書きは、この世で生きていく上で必要なことでもないしねぇ」
ここで46字、紙に書き終えた。
それをショトさんに見せる。
「こういうのには疎いんだけど、綺麗な形というのは分かるわ」
ショトさんは文字をなぞる様に指で触れていた。
(ふふ。あにさまに達筆だね、と褒められたことがあるのです)
「やっぱり違うのねぇ。空いているところもあるけど、この配列には意味があるのかしら?」
彼女の指に墨が黒くついてしまっているが全く気にしていない。
異世界の文字に夢中のようだ。
「これは横が母音が同じなんですよ。あ、か、と同じ音で終わるでしょう?空きはまた違う時にでも」
「ぼいんねぇ…初めて聞くわぁ。あ、か…文字は違えど音は同じなのね。なんか不思議ねぇ?」
「そうですね。だから話してても違和感は無いのでしょうね」
書いた文字の発音を教える。
ショトさんは私の後に続いて発声していた。
「一文字で一音はこちらと変わらないのねぇ」
「そうなんです?漢字だと違ってくるんですけど…」
「一種類しかないから、覚えるのはこちらの方が楽かしら。魔力もあるしねぇ」
そうだ、魔力…。
「…何かあったのかしら?もしかして、それも聞きに来たの?」
私の顔は分かりやすいのだろうか。
ワタシに話してみてと優しく言ってくるのはずるいですよ。
話そうかやめようか、その迷いが消えた。
「実は…」
一旦、斬り!




