かべ
【魔具研究所】
その名の通り魔具を研究する施設。
現在、魔具は様々な用途で使われており、日常、戦場と場を選ばないことから全ての人に重宝されている。
しかしその効果が増えたのは丁度10代前の女王の時である。
その時代の賢魔が偶然発見したことから、他にも効果が望めるのではないかと、この施設の建設が決まった。
それから今の代に至るまでにいくつもの成果がこの施設から生まれた。
帝国には無く王国独自のものだが、戦争が終わった今、再びここに来る彼の国の者も多い。
「――使われだしたばかりの頃は、冷熱と調理器具としての刃物の3つしか用途が無かったのよぉ」
先程の件で一旦中断していた説明を、ショトさんが再度初めからしてくれる。
端の方―――入り口から見れば最奥にある施設だそうで、長い説明を最初からしても問題はなかった。
何より、話をしている方が私と彼女の気が紛れて丁度いいと考えた。
「刃物も魔具に入るんですね」
「大きく分ければ、ね。武器以外は魔具って扱いで良いと思うわぁ。おチビちゃんは怒るかもしれないけど」
それなら止めておこうと心に誓う。
魔具に関しては軒並みならぬ想いが彼女にはある。
それは私にも似たようなものが――――
空の左手を見る。
ショトさんは話に夢中でこちらを見ていないようだ。
「更に大きく変わったのが3代前ね。一気に増えて生活がかなり変わったわぁ」
年数ではなく代と彼女らが言うのは、女王様主体の考えのためだ。
この世界の基準は女王様といっても過言ではない。
それほど女王様の存在が民に根強く浸透し心酔させている。
しかし私にはピンと来ないため、首を傾げてしまう。
「…そうねぇ。大体80年ほど前かしらねぇ。3代前が30年近いかしら?」
ショトさんでも正確には覚えていないようだ。
というのも、在位期間は個々によって異なるそうで、最短で3年、最長は――――私の口からは言えませんね。
年数で記録を残すことは無いそうなのでなおさら、ですね。
ちなみに最短はナディ様のおばあ様だそうで、最長は私がこの世界に来る前に記念式典があったとかで、ショトさんは記憶していたそうです。
そんな慕われている方だから自由に放浪できているんでしょうね…。
薄暗さを感じ、夜の訪れの確認と――――彼女の行方を求めて空に視線を向けようとしたが、煉瓦模様の壁に阻まれる。
いつの間にか廊下の景観が変わっていて、左右の壁が近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
外側の壁の向こう側は研究所だそうだ。
城壁と外壁との隙間に無理やり建てられたそうで施設は扇形になっているとのことだ。
ショトさんが手をその様に動かして教えてくれた。
壁には蝋燭立てのような金属が取り付けられており、先に火のついた木切れが確認できる。
それでも薄暗い廊下に、一歩を踏み出す足が重い。
しかし話に夢中のショトさんに気付かれてはまずいと、喉を鳴らして気を引き締める。
そう頭で思っても、照明が切れかけた地下道を歩いているような感覚で体が強張る。
そのせいか、ショトさんとの間隔を徐々に狭めていった。
「ここよぉ」
ショトさんが何の疑問も持たない開きで辿り着けたのはよかった。
もう少し遠ければ、彼女が襲い掛かってきていたかもしれないから。
「どうしたのぉ?」
彼女の声でハッとし、距離を開ける。
だが彼女が気づいた様子はない。
これが間合いの見切り――というやつです。
「?」
いつまでもこうしているとショトさんがいろいろと勘づいてしまうので、急いで扉に向き直る。
「ここまでありがとうございます」
「お礼は体で良いのよ?」
ここだけ他とは違う金属の扉。その上下に横に伸びる金属も見られることから、ここは引き戸のようだ。
彼女を無視して取っ手に手を掛けようと伸ばすが――――
ドゴォオオオオオン!!
と、凄まじい轟音と地震のような揺れを感じ、手を引っ込める。
その発生源は目の前に部屋だとすぐに分かる。
大変なことが起きている。誰でもそう思うだろう。
取っ手を握り開けようとする。
焦っていたためかなりの力が入っていたはずだが、
「お、お、お――重い?!」
扉が全く動かない。
引き戸と見せかけて――押しても引いても駄目だった。
肩で息をしているとおかしな状況に気付く。
こういう時、二人で取っ手を握っているはずでは、と。
もしかしてと体を向けると、ショトさんは腕を胸の下で組んで呆れた顔をしていた。
案内し終わったその場所から一歩も動かずに。
「あ、あの…ショトさん?」
「ここが世に知れ渡った最初の功績――――何か知っているかしら?」
突然何を言っているんだろうと、困惑とこの状況が頭の中をごちゃごちゃとかき回していく。
その整理が追いつかないでいると、後ろから咳払いが聞こえてきた。
「うぅ…今のはまずかったわー。壁が無ければ即死だったわねー」
私では全く動かなかった扉がガラッと軽い音を立て開き、中から間の抜けた声と共に女性が姿を現した。
「だ、大丈夫ですか?!誰か呼びますか?!」
慌てて近寄り彼女の背に優しく触れる。
まだ少し咳をしていたが大きな怪我はないようだ。
「ありがとねー。いつものことだからー」
全く緊迫感がない。彼女の言うように日常茶飯事なのだろうか?
気が抜けてしまう声のおかげか、やっと冷静になったようで今気づく。
(この人の髪…彼女と一緒。もしかして…?)
仕事のできる女性――古めかしい考えを持っているためか髪の短い彼女をそう捉える。
彼女も落ち着いたようでその若々しい顔をこちらに向ける。
「…ごめんなさいねー。今日はちょっとやりすぎちゃったみたいで――――」
先程遭遇した女性とは違い皺のない目元がピクリと動く。
こちらを見てパッチリと開いたかと思えば、何度も何度も瞬きをしていた。
その後、下から上へさらに下と、何往復もじっくりと観察されてしまった。
「もしかしてもしかしてー?あなたがナタカちゃん?」
いきなりのちゃん付け。この世界で初めて名前に様以外の敬称を聞いたかもしれない。
(彼女とは性格が似ても似つかない。それに私と同じくらいの背がある。お姉さん、でしょうか?)
髪の色=血液型と同じ説が早くも破綻する。
血液型も必ずそうとはいえないので例外といえば例外かもしれないが。
「そうです。私が――――」
やや躊躇する。
一瞬本名を言おうとしていた。
それで更なる戸惑いを感じる。
しかし彼女は肯定とだけ捉えていた。
「やっぱりそうなのねー!クマたんから毎日聞いていたのー。―――クマたーん?」
(クマ…たん?!何故そこでたん?!)
3番目に聞いた敬称がまさかのたん。それに頭を刺激される。
(クキョさんが必殺技をたんって言ったのって彼女の影響?!いやそんな…、でも――――)
整理しても整理しても情報がどんどん舞い込んでくる。
頭から蒸気が出ているような錯覚を覚える。
「おカーさん!たんは止めてって言った!」
この幼さの残る声は…。
いつもはペタペタと鳴らす足音が今は怒りを表している。
「クマさん!お久しぶりです!お元気でしたか?」
彼女の姿を確認した脳が正確な情報を言葉に乗せる。
私からすれば一日ぶりということになるのだが、彼女にとってはそうではないのだから。
腰を下ろして両手を広げる。
以前のように鳩尾に突っ込んできたら困る。そう思って準備して待っていたのだが―――
クマさんが止まっている。一時停止したようにピタッと。
「…クマさん?どうかしましたか?」
「どうしたのー?クマたーん?」
あれだけ反応していた『たん』も耳に届いていない。
彼女にしか分からない計算式でもあるのだろうか。その瞳の揺れが何かを調べているようにも見えた。
私たちが揃って首を傾げた間にそれを終えたのか、クマさんが動き出したかと思えば、瞬時におカーさんと呼んだ彼女の背に隠れる。
それには見覚えがあった。
(初めて会った時の…どうして――――)
何かが胸を痛める。
その痛みがまた頭をかき乱す。
「クマさん!私です!ナタカです!ほら、この服。この髪…!」
服と髪を掴んで彼女に見せる。
けど彼女は頭部を僅かに見せるだけで出てこようとはしない。
「――そ、そんな…」
がっくり膝が抜け視界がぼやけていく。
そのためか、走馬灯のように彼女との思い出が頭に流れている。
抑えきれない感情が溢れ出ようとしていた。
おカーさんもどうしていいのか分からないようでおろおろと狼狽えていた。
沈黙が鎮座していた。
それを破ったのは他でもない彼女。
「…違う。違う。ナタカじゃ、ない」
「え?」
顔を上げる。彼女が顔を覗かせているのが分かる。
その目は敵意に満ちていた――――
「ナタカ、なら、アレは、連れてこない!他にも、何か、違う!」
クマさんの鼻がぴくぴく動いて匂いを嗅いでいるような仕草を見せる。
(犬、ですか?もしかして、猫の方?3日も会わなければ飼い主でも忘れられてしまうって聞いたことがありますが…)
もしかして、と口を押える。
(話し方が微妙に違っている?その違いがクマさんには分かってる?――――それにアレって…)
アレの姿を探す。
おカーさんが出てきたときにはすでに見えない位置に移動していたのは知っていた。が、今はそこにもいない。
来た方を見れば、その背が遠くに映る。
(いつもだったらクマさんに絡むのに何故?)
こちらの視線に気づいたようでショトさんが振り返る。
その口が何かぱくぱくと動いている。
『また明日ねぇ?約束忘れちゃダメよぉ?』
読唇術ができるわけではないが、そう言っているのは分かってしまった。
(うぅ、どうしてあんな約束を…)
彼女は満足気な笑みを見せた後、自室兼仕事場へと戻って行ったようだ。
いろいろなことが起こりすぎている。
頭がもう限界を迎えようとしていたが、まだ何も解決していない。
クマさんの目はまだあの眠そうな目にはなっていない。
私を敵の一味と認識したままだ。
(使いたくはなかった。使いたくはなかったけど、これ以上はもう――――)
頭が爆発寸前。試験期間でもこうはならない。
背に腹は代えられない。彼女に私を思い出してもらうためにも――――
おカーさんに向き直る。その背には娘がいる。
もしかしたら、遺伝で母にも伝わるのかもしれないが、それは止む無し。
真剣な表情をしているであろう、私を見て彼女は目を泳がせていた。
(刃物も魔具に入るんですね。なるほど、武器以外は魔具と――――なるほどなるほど)
「?!」
娘の頭だけぴくっと動いた。
それを見て勝手に口角が上がる。本当の私がしたことがない顔が出てくる。
(クマたんは今日も可愛いな。ちっちゃ可愛い。クマたん可愛いよ、クマたん)
「ちょっとー?!いたい?!いたいわー?!クマたん、離してー?!」
クマたんの握る手に相当の力が入っているようでおカーさんは体を捩っている。
(ごめんなさい。少しだけ辛抱してください…!)
謝罪はするが心は鬼にする。
彼女の小刻みな震えを見た感じ、もう一押しというところだろうか。
(やっぱりクマたんとは違うなー。大人なショトさんとは違うってことかなー)
声に出していればひどい棒だっただろう。
しかしそこまでは伝わらないはず。
これ以上は自分もつらいので様子を見守ることにしたが、それは必要なかったみたいだ。
「そ、そ、そ――――」
この瞬間、私の悪い顔が完成した。
「そんな餌にワタシが釣られ…クマーーーーーーーーー!!!!」
両手を上げて顔を真っ赤にしてクマさんが突撃してくる。
私はそんな彼女を両手でがっしりと捕まえる。
暴れる彼女を何とか押さえ込みながら頬ずりをする。
「私は私ですよ。クマさん」
そのままの体勢で彼女の頭に手を伸ばして優しく撫でる。
すると暴れていた手から力が抜け、首の後ろへ回される。
再びその手に力が加わった時にはいつものクマさんの顔に戻っていた。
娘のそんな様子を見た母は顔を背ける。
その頬には濡れた跡があった。
サブタイ被った?!
……まぁ時代が違うしええやろ。
いいですよね?泣




