あたりまえ
「ん…なにか聞こえる?どこからだ…?」
不意に聞こえてきた怪しげな声に反応し、その出所を探す兵士。
身長の半分ほどしかない短槍を握る手に力が入る。
「あぁ……はぁ」
とある部屋の中には普段は一人の人間しかいないのだが、そこから荒い呼吸が聞こえてくる。
それは部屋の外にまで漏れていた。
兵士らにも扉の文字は読めない。読めないがその形は覚えている。
「ああ?!ここは…!」
その激しい息遣いは通り掛かった兵士たちにも聞こえており、彼女らは体を震わせ扉を避けるように窓際へと移動し足早に去っていった。
「はぁはぁ…今日も……激しかったわねぇ…」
大きな胸を揺らし息を整えているショトさん。
私はそれを光なき眼で見ていた。
(この人は一人暴走して一人満足して何を言っているんだろう…)
心の中で、声を出してツッコミたい衝動が生まれる。もう一人の私。
別人格というわけではないのだろうけど、記憶を失う前後で違いが大きすぎてどうもそう考えてしまう。
どちらも自然に出てくるんですけどね。
二つの戸惑いを感じながら彼女が落ち着くのを待った。
「それで…話というには何かしら?…彼女のこと?」
ショトさんと社会的距離を取り木の椅子に腰掛ける。その距離、およそ14尺。
人と話すには不自然な距離感に彼女も不満気な顔を見せていた。
というのも、彼女には私も驚く力がある。
私でも見切れないほどの謎の素早さだ。
気づいた時には背後に回っているその速さは、あのクーザを上回るほどではないだろうか。
5割増したこの間合いならば、見切れるだろうと予想してのことだ。
彼女の一挙手一投足に気を配りながら、話を始める。
「それもあるんですけど…。――――私決めたんです。ここで生きていくって。だから――――」
「ワタシと一緒になりたいと?」
どうしてそうなる?無限に繰り返されるのこれ?
――――ああ、まただ。以前までの私には無かったこの感じ…。
目から宿っていた光が消えていく。
その目はショトさんの方を向いていたが、映像は霞んで見えた。
「――――ごめんなさいね。最近ちょっと、ね…」
その声で目が正常に戻る。先程4半刻もかかったのに比べたらかなり早い。
「大丈夫…ですか?今日は止めましょうか?」
ショトさんは目頭を押さえている。声にもあくびが混じっていた。
注意して彼女を見ると、服や髪の毛に埃がついている。
「ちょっと焦ってるのかしら、ね?何も変わらない彼女を見ていると、何のための力なのかって。――――前に話したわよね?」
―――女王以外の人間が書いた書を魔力量関係なしに読むことが出来る能力。
言い換えれば、この国で彼女以上の知識を持つ者は王族しかいない。
そんな彼女が友人すら助けられないのだ。
でも、そうじゃないんですよ――――
「…クマさんも頑張ってるって聞きました。部下に私の面倒を投げたレイセさんだって…。私も、何が出来るって訳じゃないですけど」
一人じゃないんですよ、と付け加えて笑顔を見せた。
ショトさんの瞳がキラキラ輝いていた。
分かってくれたようだ。
「…………………一緒に暮らしましょう」
「………………」
ああ、そうか…2度あることは――――
慣れてきたのだろう。瞬時に目から光が失われる。
繰り返されるということは笑いだけではなく恐怖も生み出すのだと、この時初めて知った。
「はぁはぁ……激しかったわねぇ」
荒い息をついている彼女――――と私。
初めてだった。あにさま以外の人と――――
「でも、やっぱり納得は…。最初からなければ違う世界になっていたのかもしれませんけど、それはたらればの話で…あ、でも!押し付けようという考えではなくて」
こんなに熱く議論したのは。
まだ論破されたわけではないので諦めず食い下がる。
ショトさんは余裕の笑みともとれる顔をしている。いや――――
「いいわよぉ?もっとお話ししましょぉ?」
唇をペロっと舐めた。
彼女は楽しんでいるようだ。
「アナタだけよぉ?ワタシを楽しませてくれるのはぁ?」
街を案内してくれた時の呆気に取られていたショトさんの顔は覚えている。
今の彼女の顔はその時と同じ――話し始めた時とは違う反応を見せる。
あの時の私を知っているから、彼女はすぐに受け入れたのだろう。
「安心したわぁ、変わってなくて。でも…たられば、ねぇ。アナタがそう言うのねぇ。あの時とは違うということかしら?」
「…あれは違う私です。いえ。違いますね。ショトさんや、クキョさんのおかげです」
私は手のひらを向け、突き出す。彼女が両手を広げ飛び掛かってこようとしたからだ。
「いけずねぇ。ワタシはどちらも好きなのだけれど。…話が逸れちゃったわね。続けましょう?」
「…はい」
ショトさんは椅子に座り直す。
しかし私は彼女に対する警戒の目は解かなかった。
そんな危険を冒してでも、私が彼女に会いたかった理由、それは――――
私の世界の当り前とこの世界の当り前の違いを知るためだった。
記憶のなかった私はそれまで、違う国だから、という理由で受け入れていた。
しかし今は違う。
世界が違うと認識してしまったのだから。
ならば、その違いを知るということは、この世界のことを知るということ。
ここの住人になるのなら、必要のない迷惑をかけるべきではない。
一般教養を学ぶためにここに来たのです!
決して議論をするために来たのでは――――
「アナタが帰ってくるまで、2か月と10日…。久しぶりに心躍るわぁ」
彼女は窓の外を見ている。
その目からその時間の短さを知った。
「……1月が30日でしたか?覚えやすくていいですね」
彼女の気を紛らわすため、確認を兼ねて話を振った。
この世界では1月が30日と固定で決まっており、元の世界とは違い10か月で1年となる。
週という数え方はなく、1日の時間も数字で表すことなく、いい加減なものだ。
朝と夜は必ず来る。
明るくなるとともに一日が始まり、暗くなればその日が終わる、ということだ。
雨や曇りだったら、とこれに関しても話し合った。
朝と夜では魔力の感じ方が違うから問題ないそうだ。
…そうなると空の明暗は関係ないのではないだろうか?
他のことでもそうだが、この世界は存外いい加減なものだ。
それを決めたのは初代女王――――今はほとんどの人間が知らないとショトさんは言う。
暦や法など、今の世で当たり前となっているのは建国時に作られたのだと、彼女は楽しそうに語って聞かせてくれた。
「ショトさんも誕生日覚えてないんですよね…?」
彼女は一瞬きょとんとするも、笑顔で頷いた。
その刹那に見せた顔は、私がクキョさんの誕生日を聞いた時と変わらないものだった。
誕生日を祝うのは王女様のみ。それも女王となって、子が生まれてくるまで。
他の人間は自らの生まれた日を無関心に過ごすらしい。
その代わり王女様は全ての人から盛大に祝福される。
誕生日が近づくとしばらくお祭り騒ぎが始まるとか。
後日聞いた話では、ドール様が結婚されてからはナディ様にとっては辛い日々だったようだ。
「アナタはいつかしらぁ?しっかり覚えておくから教えてくれないかしらぁ?」
心に刻みつける―――そういうつもりで彼女は胸を押さえているのだろうか。
嫌な予感がするのと、数えの違いでそのままの日付を言っていいのか迷っていると、
「ダメ、かしら?もしかして、彼女に最初に教えたいのかしらぁ?」
その顔はにんまりとした笑みを浮かべ、意味ありげな視線を送ってきていた。
「ご、5月5日です。…………私の国では子どもの日と言われていますが、本来は男の子のための日です」
「…そう、覚えておくわね」
彼女の滅多にしない真面目な顔が見ることができた。
私たちは背もたれに背を預け、同時に息をついた。
(この空気、ちょっと…思い出しちゃうな)
彼女と目が合わない。
自分から極力避けてきたことではあるんだけど。
何かないかと、さりげなく顔を動かすと、一冊の本の表紙に書かれた数字に似た形の文字が目に入った。
「そういえば、どうして言葉が通じるんでしょうね?」
彼女と目が合う。
「それは…どういうことかしら?」
クキョさんと同じだ。目が光った…。
「私の世界では、その…国ごとに違った言語があったりして…。だから世界が違うのに、どうしてかなぁと。彫られた文字も読めませんし…あっ」
前のめりな彼女に対して、圧を感じて椅子ごと後ろに倒れそうになってしまった。
「それって不便じゃないかしら?どうやって伝えるの?交流はないの?」
彼女の興味は完全に移ったようだ。
これについてもしばらく話をしていた。
全ての話を終えるころには、この部屋は赤く染まっていた。
修正が終わるまでですが、週に一つはあげたいですね?
…がんばります。




