こころ
「どうしてここに?!」
その声の主の方を向くと、それは帝国女王ドール様だった。だが彼女を救い出したと思われる王国兵の姿はどこにも見えなかった。
ドール様の呼吸は荒く、監禁されていた部屋からここまで急いで来たのだと分かる。私が羨む胸を上下させ、落ち着かせようと手を当てている。
張り詰めた表情でも美しく感じる顔に宿る、青の瞳の輝きは決意の表れだろうか。一点だけを見据えていた。
「なんとか、間に合ったのかな?」
遅れてレイセさんとクマさんが到着する。クマさんは手をレイセさんに引かれていて足元がおぼつかない。
「よかった!二人とも無事で!」
二人の姿に安堵し、駆け寄る。
どうやら二人は途中で救出部隊と合流したようだ。
シムとの戦いで勝利を収めたのだろう、クマさんはドヤ顔してる。けど、激戦を物語るかのように顔は汚れ足はガクガク震えていた。
そこへ平然と行われる悪魔の所業。
「クマ、負けちゃったんだよ。ちょっと前で降ろしたんだけどね。それまで背負ってて成長を感じたよ。ハハッ」
「?!んーっ!」
クマさんは腕を振り回して殴ろうとしていたが、レイセさんに片手一本で頭を押さえられていた。ハハハとレイセさんは表情を変えず笑い、クマさんは顔を真っ赤にして怒っていた。
私はそんな二人に両手を広げて近づき、そのまま抱き着いた。
「…ホントに良かった。信じてた。信じてたけど…良かった……」
目を閉じ、溢れ出す涙を必死にこらえる。二人に回した手に力を入れ、体を震わせる。
二人が揃って私の頭に手を乗せる。それに気づき、顔を上げた。
クマさんはにっこり微笑み、レイセさんは雰囲気だけ笑顔だった。私も自然に笑っていた。
「…さぁ、あとは事を見守ろうか」
目を向けると、ドール様がまるで天女のような笑みでこちらを見つめており、私たちの視線に気づくと深々とお辞儀をした。
ありがとうございます―――彼女がそう言っているように見えた。
私たちもお辞儀で返し、二人を見守る。
彼女はゆっくりと歩みを進め皇帝に近寄っていた。皇帝は剣を支えにしたままぴくりとも動かない。
ドール様は皇帝の傍で腰を下ろし、彼の頬に手を伸ばす。
「これ以上何の意味があるのです…?……私はずっと幸せでした。――いえ、私たちは幸せなのです。あの子もきっと…!」
私たちにも伝わってくる彼女の言葉。偽りのない心。彼女は自身の言葉でその想いを彼に伝える。
だが皇帝は顔を下に向け、その表情は窺い知ることは出来ない。
「…もうよいではありませんか、陛下。このままでは、貴方のこ…」
皇帝は話を遮るようにドール様の手を取り、ゆっくりと立ち上がった。
「……そうだな」
「…!ああ、陛下!」
その言葉を聞いたドール様が、皇帝の胸へ飛び込んだ。彼も左手に力を籠め、抱き寄せていた。
ああ、まるでお話に出てくるような光景!胸キュンしちゃう。
これで戦争が終わる。誰もがそう思っていた。
だが、場に静寂が訪れる。みんな何が起こったのか状況を掴めなかった。
ただ、皇帝の剣から床に落ちる血の音だけが現実を告げていた…。
静かに抜かれる腹部を貫いた剣。支えを失ったドール様の体がゆっくりと倒れていく。その手を差し伸ばしながら。
「…へ、……い、か……。あ、あ……、……ル、………ル…」
伸ばした手が何かを掴むことはなく、地へと落ちた。
『なぜだ?!―――なぜだなぜだなぜだなぜだなぜだ?!すべては私の生まれのせいか?!私が…私がすべて――――』
『貴方のせいじゃない…、貴方のせいじゃないの!だから、自分を責めないで…』
『いや、まだだ!この世がだめなら…!――――魔力を貸してくれ!もはやそれしか!』
『貴方の望みは私の望み。大丈夫。きっと分かってくれるわ』
そう、だからいつまでも優しい貴方でいて、私が何度でも貴方を止めるから――――
ドールの体が光に包まれ、大小様々な光の玉へと変わっていく。それらは物悲し気にゆらゆらと漂った後、雨が土に浸みこむように地へと消えていった。
「フフ、フハハハハ!これで女王の魔力は我が『血』へと還る!」
皇帝から溢れる魔力がその形をとっていく。
体ははちきれんばかりの肉や毛で覆われ、手や足先は鋭利な刃物のように爪を尖らせ、大きく開かれた口からは人の者とは思えない鋭い牙を覗かせている。4つもある赤い眼はここにいる生けるもの全てに害意を向けていた。
「マモノ?!」
昔話で語られている異形のモノ『マモノ』の姿に他ならなかった。魔力ある者たちの目にはそのように映っていた。
皆が言葉を失っていた。あのレイセでさえ表情を変えていた。その異常に気付かないほど、皆の時が止まっていた。
「コレガ王ノ魔力!コレコソガ真ノ王!!」
皇帝から発せられるすさまじい量の魔力で皆が吹き飛ばされる。そしてそのまま壁に叩きつけられた。
体に力が入らず上半身を起こすのがやっとだった。
「フフフ、フハハはははハハハはハハ!!」
他の皆が立ち上がれない中、ナタカ一人だけがその場に立っていた。
(ドール様が消えた…?彼はどうして、ドール様を刺したの?どうして私だけが立っているの?どうして彼は、泣いているの?それに――――)
左胸に右手を当てていたのに気づかぬまま呼吸を繰り返す。
虚ろだった目が照準を合わせ、網膜に映る画をそのまま脳に送る。
みんなには一体何が見えているんだろう?
私には、見える。私にはわかる。皇帝が…、ロディが怒りや憎しみ、悲しみといった負の感情に支配されている彼の姿が。
細かく揺れている黒い影が触手のように多数の手を伸ばし、彼の体を縛っている。巻き付いた手の先端が集中するのは一点――――彼の左胸、心臓辺りだ。
『ナタカ様。彼を…、ロディを救えるのは貴女だけです。どうか…』
ドール様の声が聞こえた気がした。
いや――――姿は見えないけれど、彼女の体に包まれているように感じる。あの時の彼女の温かい手、あのぬくもりを。
私は静かに頷いて、刀を抜き構えた。
「ナタカ!…げろ!」
「………!」
「…!!」
みんなが何か言っている。けど、私の耳には入ってこなかった。
一歩ずつロディに近づいていく。
ロディは私目掛けて剣を振るう。おそらく、魔力の剣を形成しているのだろう。
だけど、私には当たらない。彼とイェカの戦いはずっと見ていた。
それにあの時、クキョさんは言った。魔力の『剣』と。魔力が見えなくても、剣の形を想像し、その元となる剣の動きがはっきりと見えていれば!
だから、私には当たらない。
完全に見切った!
一歩、また一歩と前へ前へと進んでいく。私は止まらない。
耳の傍を風を切る音が通る。しかし耳の中までは届かない。
精神が、心が研ぎ澄まされていく。そんな感覚が私を支配する。
(見える……私にも見える。あれが魔力の剣…!)
私の眼でもハッキリと形を成していた。
手持ちの両刃の剣を、一回りも二回りも大きくした形だ。
そうか、わかった…。今まで私は、魔力がないから見えないんだと思っていた。
けどそうじゃない。見えないんじゃない。見ようとしていなかっただけなんだ。
目で魔力を見るんじゃない…。心で心を見るんだ!
そう、あの夢はそれを…。
そして、私は自分の間合いへと辿り着く。魔力の剣どころか彼が持つ3尺3寸ほどの実剣が届く距離だ。
だが彼は動かなかった。
(かラダ、ウごカナイ?!コレハ、なんダ?!我は何ヲ感じテイル?)
『もういいの。疲れたでしょう。目を閉じて…ゆっくり休みましょう。そうだわ、この歌を…』
(アア、そうダ。あの時も彼女は優しく心まで届く声で…)
赤ん坊を抱くように優しく包み込む光が皇帝の体を捕らえて離さない。
ナタカの目には彼女の姿が見えていた。
(ドール様…)
無意識に手に力が入る。
「…ナタカ、いざ参る!」
履きなれた運動靴で床を蹴り、右足をつま先から踏み込んだ。
全てのものには流れ、というものがある。魔力だってそうだ。前に戦った時は、その流れに逆らって断とうとしていた。だから、刀は弾かれたのだ。流れに乗せて、その流れのままに断つ。それが――――
「心・流し斬り!!」
私とロディが交差する。
彼から切り離された黒い影は霧が晴れるように消えていく。
そして私は、彼の左胸から溢れ出た魔力に包まれた…。
その中で私は聞いた。
「…ありがとう」
『彼女は許してくれるだろうか?――いや…許す許さない、そんな話は出ないだろう。ただ彼女は微笑むだけ。初めて出会った時のように眩しい笑顔を、闇の中を歩いていた私を照らしてくれた、あの――――』
辺り一面真っ白で何もない空間の中、そこにいたのは二人の男女だけ。男は体を震わせていたが、女は何も言わず抱きしめていた。女は赤子にするように優しく抱いていたが、男の肩の震えは止まらなかった。
彼らを囲む白い空間は眩いばかりにその濃さを増していき、二人の姿が急速にぼやけていく。
二人は完全に消える前に互いの手を取って自ら進んでいき、溶け込むように消えていった。
誰もいなくなったその空間は眩しい光を放って消滅した。




