あのひのであい
この先に皇帝がいる。魔力のない私でもイェカの顔を見ればすぐに分かった。
私は気を引き締めつつも、心はどこか落ち着いていた。
それは彼がいるから?
仲間ふたりが背中を守ってくれているから?
みんなの顔が思い浮かぶ。今ここにいない人たちの顔も。
自然と手に力が入る。その入れ様は柄の模様が掌に残るほどだ。
それでも私は力を緩めず、日が差し込む長い廊下を進んでいく。赤い絨毯が敷かれた上を軽快な足音を立てながら――――
何もない広間だ。二人の戦士がいた広間と同じ様式だが、何もない。
ここにいるのは、背を向け中央で佇む一人の男性。
何もないその部屋で感じるのは寂しさ、孤独――――その小さな背中がそう見えた。
だけど私たちが一歩その広間へ踏み込むと、一瞬で空気が変わる。彼を中心に渦巻く悪意は体全体に重くのしかかってくる。
小さく見えた背中が幻影のように消え、ありのままの姿を見せる。そしてその主がゆっくりと振り返った。
「待っていたぞ。我の下へ来る気になったか」
皇帝は私を確認した後、イェカを一瞥した。そして警戒心を露わにし、ただならぬ雰囲気を醸し出す。
(白い髪だと…?)
私たちはなるべく時間を稼がなくてはならない。戦うよりもまずは…。
「私は、私たちは戦争を、あなたを止めるために来たの!」
それを聞いた皇帝は心底蔑むような目つきで私を見ている。
その顔は鼻に皺を寄せ歯をむき出しにして威嚇するケモノのようで、気品ある身分の者とは思えないものだった。
「くだらんな。我が我である以上この戦いは止まらん!」
いつでも抜けるよう剣の柄に手を添える。抜刀術の構えのように見える。
どういう意味だろう?言葉の意味を考えるが分からない。
「…あなたは一体何を考えているの?どうして私を…」
その質問には答えない。だけど彼は刹那の苦悶を見せる。剣を抜きかけた手がわずかに震えていた。
この時気づいていれば結果は変わったのだろうか。彼らの心の闇に…。
「これ以上時を無駄にするのは我の思うところではない」
そう言って迷わず剣を抜き、
「その男を殺し、我が魔力でキサマを従わせるとしよう」
イェカに突き付けた。
本来の目的のためだけに作られた――装飾もないその無骨な剣は、切っ先を光らせイェカを睨んでいた。
皇帝はこちらの話に耳を傾ける気など全くないようだ。その剣と共に赤き瞳に秘めた害意をぶつけている。
イェカはそれを平然と見ていた――――
『イェカ様!貴方様のために服を用意しましたわ!』
女王様が用意したのはみなも着用しているもの。場に似つかわしくない恰好で現れたイェカのために彼女自らわざわざ用意したものだ。
しかし彼はそれをやんわりと断る。女王様はそれすらも顔を蕩けさせ受け入れていたのだが、周りは違う。周囲の重臣や兵士はそれを見て凍り付いていた。
殺伐とした空気が辺りを満たし始める中、彼は今同様悠々たる態度だった。
一体どのような生を送ってきたのだろう。そう考えてしまうほど今の彼は、気負いも震えもなく自然体で立っていた。
イェカは自らが用意した刃渡りが1尺ほどの短剣を両手に構える。右利きなのか左側を前にして腰付近で逆手で持っていた
その姿は様になっていた。何かしらの経験があるようだが今は問うてる場合ではない。
「ナタカは後ろに」
もう、イェカに任せるしかない。私は後ろに下がり、戦いの行方を見守った。
「ふッ!!」
皇帝が魔力の剣を使い、離れた場所から攻撃を仕掛けてくる。魔力と金属がぶつかる音が響く。自分は短剣を交差させ、なんとかそれを防いだ。
しかし皇帝の剣は止まることを知らない。切り上げ、斜めに振り下ろし、薙ぎ払う―――様々な角度の魔力の斬撃が飛んでくる。防ぐだけで手一杯で、その場を動くことすら出来なかった。
皇帝は武器の差を生かし、距離をとって戦うつもりのようだ。何とか防いでいるものの、自分は防戦一方だ。
(実戦経験の差が出ているのか…。けど、このくらいなら!)
攻撃を防ぎながらも意識を集中し、魔力を高める。身を守るため身に付けた技能だ。
自分の左目が金色に変わり、体から魔力が溢れてくるのを感じる。
「やはりキサマが王国の次期国王か」
その目の憎悪が増し、一段と険しく睨みつけてくる。
皇帝は自分を見ただけで、気づいていたようだ。
だけど、それは違う。
「自分の道は自分で決める。それは誰にも邪魔させない!」
ナタカの方をチラリと見る。
君に会わなければ、こんなことは思わず今でも逃げ回っていたかもしれない。
初めてだった。顔が熱くなる感覚は。
初めての感覚だった。頬の筋肉が緩むのは。
初めて笑った気がした。初めて心が安らいだ。
この世が初めて眩しく見えたんだ――――君の笑顔と一緒に。
君に救われた。…あの子たちも。
(…ありがとう)
自分が皇帝を止め、直接言おう。
だから、負けるわけにはいかない!
皇帝と同じように魔力の剣を生成し、反撃に移る。皇帝の一振りに対し、二刀の刃で対抗するも相殺される。だが今度は防戦一方とはならなかった。間を抜けた魔力が皇帝まで届いていた。
耳をつんざく音が鳴りやまない。魔力の刃がぶつかり合い、火花のように光が散る。
だが、互いに攻撃を防ぎ、決め手に欠けているため、膠着する。
「王にならない者が王に勝てると思うな!」
皇帝は長く形成していた魔力の剣を短くした。威力重視にしたのだ。
短くなった分、踏み込んで振るう一振りは、二刀の刃をも容易く切り裂く。一撃一撃が骨に響くほど重く、体力を奪われる。その動きが鈍くなった隙を狙われた。
今まで生きながらえてきた経験が無意識に体を動かしていた。
皇帝の一振りで自分の体が吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。眼前で交差していた腕が力を奪われだらりと下がる。
「ぐっ?!」
背中に痛みが走る。その痛みに顔を歪めるも、何とか踏ん張る。顔を上げると一瞬ぼやけていた視界が正常に戻った。
ナタカの姿が目に入った。祈る様に両手を組み、心配そうに自分を見ている。
(心配させちゃダメだろ…。笑顔で聞いてほしいんだろ!)
自分に檄を入れ、奮い立たせる。
こんなことが出来るようになったのも彼女のおかげだ。生存本能じゃない。気持ちでだ。
「ホントは自分が自分でなくなりそうな感じがするから嫌なんだけど」
再度意識を集中し魔力を高める。先程よりも深く深く自分の中へと入っていく。
静かな暗闇の中で一人膝を抱えうずくまっている男の子。それに手を差し伸べる。
互いの手が重なった時、想いも重なる。
――力を!彼女の願いをかなえるための魔力ちからを!
色を失っていた右の目も金色へと変わっていく。魔力が炎のように燃え上がっている。
「さぁ、もう一回やろうか?皇帝!」
背中に羽が生えているかのように身体が軽い。遮るものが何もない。皇帝の動きが止まって見える。
皇帝も自分の魔力が予想外だったのだろう、冷静さを失っているようだ。自分の動きに翻弄されている。
自分はガンガンに攻め立てる。魔力負けすることもなく、手数の多さで自分が有利!今度は皇帝の方が防戦一方になっていた。
二刀同時に振り下ろされた魔力の刃を、皇帝は両の手で剣を支え防いでいる。それが自身の視界を奪い、一瞬イェカの姿を見失っていた。皇帝が目を見開き気づいた時には、彼はすでに背後に回っていて、慌てて振り返るも――――
「ぐあ?!」
皇帝は壁に叩きつけられ膝をついていた。壁に出来たヒビと窪みがその衝撃の大きさを物語っていた。
自分はナタカの方を振り向き、握り拳を挙げる。
「おのれ…、おのれぇぇええええ!!」
今度は皇帝が苦痛の表情を浮かべていた。食いしばった口元から血が垂れている。
「キサマも…キサマも!同じ…同じなのだ!―――我が滅す…!滅すぅううううう!!!」
手負いなれど、その憎悪は増していくばかりだった。
皇帝が剣をついて立ち上がろうとした時、聞き覚えのない声が響き渡った。
「もうお止めください!!!」




