あのひのぬくもり
私たちは前だけを見て走り続けた。そして先程と同じような広間に出た。
その中央には、大剣を背負い腕を組んで、静かに何かを待っている女性がいた。クーザと同じ黒の服を身に纏い、甲冑のような防具を手足につけている。
おそらく、クキョさんと同じ魔剣。そして彼女から感じるのは敵意。戦いは避けられないだろう。
瞑想でもしていたのだろうか、彼女が目を開く。
「我が名はシム!貴様らはこれより先、一歩も進めぬと思え!!」
デカい声…。
クマさんも両手で耳をふさいでいた。
だがその声はただ大きいだけではなく、空気をびりびりと震わせていた。それを通して彼女の気迫と強さが伝わってくる。
ここは自分が、とイェカが前に出ようとするが、クマさんがそれを手で制す。
「ワタシに、任せて」
私はすぐさま頷く。私の反応を見たイェカは驚いた顔でこちらを見ていた。
クマさんは魔具。直接の戦闘は向かないからだ。
シムも不快感を露わにする。武器を持ってないクマさんを見て、察したのだろう。眉を顰めキッと睨みつける。
「貴様…、私を舐めているのか!」
「そんなの、いいから。イェカ、ナタカを、お願い」
彼女の空気を震わす怒声をクマさんは軽く流す。これも日々の生活あってのことかもしれない。
イェカはこぶしを握り、力強く頷く。
「ああ、ナタカは自分が守るよ!」
私はちょっと頬が赤くなってかもしれない。そんなこと言われて照れないのは難しい…。
しかし、クマさんは首を横に振り、
「違う、そうじゃない。ナタカ、魔力ない。だから、イェカが、解説」
イェカに向かって、グッと親指を立てた。その顔は何故か自慢げだ。
言われた方のイェカは困惑している。私とクマさんを交互に見ていた。
私は、こんなときに、と頭を抱えた。
「たいちょうが、言ったとおり、だから。ちゃんと、見てて、ね」
最後の呟きは誰に向けてなのか、それは私だけに向けられた言葉ではなかった。
「…もういいか?」
シムは律義に待っていた。彼女の性格なのだろう。
クマは袋に手を入れる、彼女なりの構えだ。
よく見ると体のあちこちから青と緑の光が漏れている。服の衣嚢に忍ばせたマグを発動しているようだ。
「はぁああああああ!」
石畳にひびが入るほど強く踏みつけ、シムはクマへと一気に飛び掛かった。その勢いを加えた重い斬撃を放つ気なのだろう。
それを防ぐため、クマはすぐさま自身の前にマグを設置し、それに魔力を送って四方形の魔力の壁を発動させた。しかし、シムのその両手から繰り出された一撃で壁が破られてしまう。縦に真っ二つに割れた壁は小さな光の集まりとなって霧散した。
シムの攻撃は止まらない。両手で縦に叩きつけたかと思えばすぐさま片手で横に払う。その両刃の剣を手の延長のように扱い、斬撃を放つ。クマはそれを、後ろに下がりながら魔力の壁で防ぐ。
同じようなやり取りが繰り返された。シムは攻め続け、クマはその度に壁を発動させて防いでいた。
壁が消え光となる度に、それがシムの視界を遮るのか、クマはちらちらと足元を見ていた。おそらくシムの脚力で割れた石畳を気にしているのだろう。
そして、シムは攻めあぐねたのか、それとも一呼吸置くためか…、一旦距離を取った。
「なかなか、やるではないか。だが、防ぐだけでは私には勝てないぞ?」
そうだ、クマはまだ一度も攻撃していない。肩で息をし、防ぐだけで精一杯のように見えた。
シムの方は準備運動にもならないといった感じで首を鳴らし、さらには大剣を床に突き立て腕を組む。その姿はお前では相手にならないと見下しているようであった。
しかしクマの顔からは余裕しか感じられない。不敵な笑みを浮かべ、彼女には負けないと信じているようだ。
「…気づかないもんだね。マケンは、みんな、一緒、なのかな」
「なんだと?」
クマが再度魔力を送ると、二人を囲むように円状に魔力の壁ができた。
彼女は、シムを誘導しながらマグを設置していたのだ。
今までの攻撃を防いでいた壁とは違い、2階建ての高さはあろうかという天井付近までの高さがある。それはまるで二人を囲む檻のようだった。
「今!」
ナタカはその言葉の意味を理解したようだ。
「クマちゃん!…また後でね!」
そして、奥へと走っていく。
自分も慌てて追いかけた。
クマは頬を膨らませて、
「むぅ…、ちゃん付けは、やめてって、言った」
二人が去った後を目で追った。
だけどその不満げな表情はすぐに崩れ、ナタカに応えるようににっこりと微笑んでいた。
「別れは終わったか?」
クマは顔を引き締め、振り向く。
またもシムは待っていた。戦う者への彼女なりの礼儀だ。
大剣の柄を強く握り、今までの態度を改めるように、自らが鍛え上げた構えを取る。それはクマを兵士として認めた証だった。
「仲間を進ませるために自らを犠牲にするとは…その心意気やよし!だが貴様は逃げ場を失った。勝機はない!」
確かに魔力の壁に囲まれているせいで、先ほどよりもかなり狭くなっている。
それに魔具もかなりの数を使っていて、体力面でも余裕のあるシムとは違い、息が荒く乱れだしていた。
だがそれでも、クマの顔からは笑みがこぼれた。
「ホント、気づかないんだね?もう、準備は、終わってるのに」
「な?!」
クマが魔力を送ると、壁の中に強い重力が発生した。
壁を発動させる魔具と一緒に設置していたのだ。
二人は耐え切れず、膝をつく。
「ぐぅぅぅ!これは陛下と同じ…!」
「…ふ、ふふ。動けないでしょ?」
皇帝から受けた魔力から発想し、研究して生まれた成果の一つだ。睡眠欲の強い彼女が三日三晩寝ずに両親と共に作り上げたそれは、まさに皇帝と同じ力だった。
「だが、貴様も動けないはず!」
その通りだ。本来なら相手一人だけを閉じ込めてから使う予定のものだ。
だがシムの攻撃の激しさ故、こうせざるを得なかった。
「ここからは、ワタシと、アナタの、我慢比べ」
そう言って、魔力送る。すると、突き立てた大剣を支えにしていたシムの手が滑り落ち、床へ着く。
「ああっ?!魔力が抜ける?!」
クマが設置していた魔具は二つだけではなかった。もう一つ、設置していたのだ。
フウマの能力を研究して作られた、外部から強制的に魔力を奪う魔具。対皇帝用に作られたものだ。
「だが!私の方が魔力は上!先に力尽きるのは貴様だ!」
その効力は壁の中、全体に―――クマにも影響を与えていた。当然彼女は知っている。だが彼女は自棄になったわけでも賭けに出たわけもない。
彼女の頭にあるのはあの日の記憶。
(ワタシは…負けない…)
身体能力を上げていた二つの光は今にも消えそうだった。だがクマの瞳は色濃く輝いていた。
「クキョは、言っていた。感情のまま、感情のままに、身を、任せろ、と…」
「――?何を言っている?」
「…ワタシは、負けない!
必ず、勝って、クキョに…、また頭を撫でてもらうんだからぁああ!!!」
魔力の壁が消え、中で発動していた二つの効果も消えた。
そして、ゆっくりと立ち上がる一つの人影があった。
ゆらゆらと揺れる橙色の長い髪…。
「ふふ、ふははは!私の勝ちだ!」
立っていたのはシムの方だった。大剣を杖代わりに使いつつも、その気勢は失われていなかった。
一方クマの方は命に別状はなかったが、一人では起きられないほど消耗していた。
シムは大剣を引きずりながら、ゆっくりとクマに近づいていく。そして残る魔力を使い大剣を持ち上げた。
「貴様に敬意を払い、その首、いただくッ!」
シムの大剣はクマの首に狙いを定め、鋭く光る。
クマは悔しさのあまりぎりっと歯を食いしばる。そして覚悟を決めたかのように目を閉じた。
(ごめん、ね…。たいちょう…ナタカ……、クキョ…。でも、ワタシ…がんば…た……)
だが、その牙が向くことはなかった。
シムの両肩からは血が噴き出していたのだ。
「部下の面倒を見るのは隊長の役目、てね」
いつの間に追いついていたのか、レイセの槍が彼女の肩をとらえていた。
その衝撃で体が後ろへよろけ、大剣と共に膝が地へ突く。
シムは歯を食いしばり大剣を支えに立ち上がろうと試みるが…。
「ぐっ…、ぐぅぅ!!わ、私は敗れるわけには!陛下を…陛下をお守りするのが私のぉ!!」
「無理しない方が良いよ?傷が治ったら、ちゃんと私が戦ってあげるからさ」
そう言って、槍の柄を使い、シムを気絶させた。
レイセはクマに駆け寄り、抱きかかえた。そして、頭を優しくなでる。
「よくやったね」
「ん」
クマは袋から魔具を取りだし、レイセに差し出した。
その意味が分かったのか、レイセは頷き、それを受け取る。そして、クマをゆっくりと降ろした後、シムに近づいて行った。
その魔具は止血用だったのだ。傷を癒すことは出来ないが、布やひもで縛る様に血を魔力で止めることが出来る。
レイセはシムの肩の出血を止め、再びクマに駆け寄る。
「クマも負けず嫌いだねぇ?」
クマはプイっと顔をそらした。
ハハハと、レイセは笑いながらクマを背負う。
「ん。行こ!」
ナタカとイェカを追って、二人も前へと進んだ。




