もうしご
『ごめんね。嘘を吐いて。私が言ったこと、忘れてなんて勝手を許して』
突然の二回目の別れ。母としてきた人の嘘とは何のことか、小さな彼女にはたった一つしか浮かばなかった。全部と言ってくれた方が楽だった。
『お母さんとお父さんは一緒には暮らせなくなったの。それでね、――にはお母さんとお父さん、どちらと暮らしたいか、自分で決めてほしいの。――の自由に』
そうして選択したあの日のこと、彼女は覚えていないけれど片隅には住まわせていた。それは場面場面で閃光のように過り去る。
彼女は高校生になった。昔なら結婚できる年にもなった。だけど古傷は癒えていない。
「これはどういうことなの?」
子供一人に大人三人で詰め寄る。緊急事態だから止む無し、シスも約束の反故はもうできないから、大人側の主として問い質す。その子の性格から早々解は出るだろうと強めに言っていたが、彼は口を閉ざしている。早急に行動しなければならない問題であれば時間はかけられない。子供の成長と共にシスも勉強した。シスは優しく困った風にと路線を変更した。
「どうして窓が外れて。ヒメコは?黙っていないで話してくれませんかアキ?」
孤児院の窓は自我を捻じ曲げてしまった子達の脱出経路の一つだった。その子たちが街に与えた悪評はこれまで散々あった通り、経営が危うくなるまでに悪化したら、孤児の居場所を守るためとして窓を補強していた。それがよく見れば枠や硝子面が破損していた。
「ごめんなさい。ヒメコはレブンを迎えに行っただけだよ。だから窓はぼくが直します」
シスは怒っていない。いつものように、いつも以上に心配している。あきもそれが分かっているから素直に話した。
「ということはお城に?そんな。ナタカさんには」
完治してないのもあって足にくるくらい頭がふらついた。そんなシスを見たことがなかったあきは小さな体で支柱となる。
「ヒメコはすぐ帰ってくるよ。いつも通りだよシスさん。ぼくが一緒じゃないだけ」
寂しそうに言うものだからあきを抱き締める。シスは目を閉じ彼が言うことを、二人が何事もなく帰ってくることを祈った。ナタカへ謝罪と子らの無事を託しながら。
「この部屋あんたが確認したんでしょ?」
「ああ。二人いた。で、そっちの三人。もう一人いるって聞いてたから他を探しに行ったんだよ。誰かの確認が遅いからな」
「う。いや、だって。いきなり、あんな、言われたら」
女はぶつぶつ、いらっしゃいとかご主人とか、逼迫して頭がおかしくなったか、少しは可愛いところがあるじゃないか。急にいじらしい、話しかけられなかったら見惚れてしまうではありませんか。
「シスさんの知っている人だったんですね。ごめんなさい。ぼくはてっきり」
あきが頭を下げて謝る。その後の目が、穢れた目では合わせづらくて男は女を見た。女はまだ何か言っている。かわいい。
「それよりヒメコ。どうしてそんな。かわいいばかりの、向こう見ずではあったけどあの子は普通の」
「シスさん、ヒメコならダイジョウブだよ。レブンを連れて帰ってくる。二人で必ず帰ってくるよ。おねえちゃんもいるんだったら三人だね」
「ダイジョウブって、私のマリョクガンは、あ」
子供達には話していなかったことをべらべらと、動転まで治りきってない。そしてあきも自分が知っているということを、自身の力のことも含めて隠しているから、欺くみたいに笑っている。第三者としましては、なあなあで片付くなら乗っかるのが、置かれている自分たちの立場だ。
「キシがその面で言うんだ。そのヒメコって子はダイジョウブだろう。オレたちはいつでも逃げれるようにするだけだ」
「きし?ぼくはアキですが?」
男は撫でるのでもなくアキの頭に手を乗せる。大人の大きな手、その重さはアキには理解できなかった。
「まとまってた方がいいだろう。オマエは三人を連れてきてくれ。オレはもう一回見てくる。さっきんとこな。こんな部屋より広い方が子供にはいい」
部屋を出て行く男を女は追いかける。男の自信が謎であった。
「ホントに?」
「ああ。兵士が倒れてた。全員な。当分は起きないだろう」
「ウソ?」
「オマエここにいた頃置いてあるの見たことあるか?兵士を倒せる武器になりそうなものだ。それくらいの子供ってことだ」
子供だから、そんなもの何の言い訳にもならない。魔力が全てなのだから。現実を突き付けられるのも慣れた。だからだろうな、架空だとしても男は信じていた。
『なにか来る。やだ。来ないで』
『ヒメコはぼくが、レブンがいなくても。ぼくが、ぼくが!』
所詮は作られたお話だった。けど離れないし捨てもしない。彼女の存在がお話を信じさせる。よりにもよってあの女を。
「守られるばかりがヒメじゃないってことか」
「なに?」
「あるなら持ってきてくれって。オレにも使えるやつな。そんなのがあれば」
子供の頃どこの誰だかに聞かされたキシとヒメのお話。男の方が女をとか、一般的でなかったのか自分以外知らないから答え合わせもできず、聞いていたのとは別物で世の中のまんまだが、これはこれで悪くないのだろうと、城がある方角を向くとそう思えた。
静かだ。この壁の素材は歴史も音も吸収してしまうのか。それならこの泣き虫はどこで鳴いている?
色のない世界。これは古い記憶、田舎の畦道。手で目元を押さえることもしない気丈な子供。ぽつりぽつり、雨音は彼女の足元にのみ落ちる。
「あんまりだ。あんまりだよ」
守りたかった二つの笑顔が消えた。もしかしたら他の五人も。こんなことまで真似しなくてもいいのに。
人の愚かな歴史を学んでいたのに私は何やっていたのか。静かなのは、もしかしたらまだ始まっていないんじゃ?戻ればまだ。けどそうしたら私は。
「うあ。あうぁ。うあぁあぁああ」
私はあの子たちの笑顔を守りたかっただけなのに。嘘ついたからってこの仕打ちはひどいよ。心に棘が刺さったような、抜けない棘が。痛い、痛いよ。
「たすけてよぉ。父様、兄様。こんなひどいこと、教えてもらってないよぉ」
胸が痛いのはどれだけ走った?王都を二、三周するくらいか?コ・ネコ屋、孤児院まで?公園までか?気分を変えての川沿いか?小学校までの往復路か?近所の田中さんの家までか?
限界だった。足が動かなくなった。壁に手をつかないと立っていられない。座ったら、一人では立ち上がれないのに鳴き止まない。唇にまで垂れる鼻を吸い上げるために顔が上がった時だった。
ふと窓を見た。外と中の微妙な明暗差で窓にくっきりひどい顔が映り込んでいる。窓はこの世界では立派な鏡だ。鏡は嘘も隠し事もしないからありのままを正しく、泣きじゃくった子供ような顔を大人がしているのだ。なおも止まらないからもっとひどくなるのだろう。
臆面を晒したままで良いのか?敵に、レイセに合わせられるか?彼女ならどうする?あの人なら、クキョなら恥も外聞もかなぐるだろう。豪快に笑って。
自分から目を逸らした先に他よりも大きな扉がある。揺蕩い、滲んで取っ手の位置が分からない。
「くそったれ」
変に静かだ。同じ階では壮絶な喧嘩が繰り広げられているだろうに。赤いのもそうでない液体も飛び散って。汚れて、汚さない人間もいて。自分の手はどちらだろう。
彼女がその静けさに一石を投じると両頬は赤く染まっていた。
他とは一風変わった部屋。やたら高い窓の近くに机が置いてあってそれ以外何も無しと、必要な物以外置かない、同じでありながらどこか独特の空気を感じさせる。主の本質が反映されているとでもいうのか、部屋の中にも敷かれた絨毯はその為の違いだろうか。留守のようなしじまとあっては、ナタカに部屋の印象はない。
「ようこそ私の部屋へ。なにを伏せって、なにかお困りごとですかな?このキナムトが相談に乗りましょう。もっとも、素晴らしき魔力があればその必要はないでしょうが」
「どうして」
「どうして?私は真理を述べただけですが?ご理解頂けない?ではお引き取り願い、ここは礼すら欠くお前の来るところでは」
「どうしてここにいるんです、レイセさん」
机の横にレイセが立っている。暗がりの中でも青い髪、そして虚ろな顔。彼女にしては豊かな表情じゃないか。ご機嫌斜めなようでナタカの問いを俯くだけにとめている。
「ふん。マレンを破ってここに来たか?それとも他を宛行い見捨ててきたか?まあいい。元よりこの場を催したかった。よく来たな、女」
不機嫌極まりないのはキナムトである。計画の概要は協力者によるもの。でなければ誰が魔力を持たない女を神聖なる部屋に入れるものか。無視を返すよりも即刻追い出してやりたい。
「どうしたかね?彼女との問答は終わりかね?それなら貴重な話はどうだ?」
「アティスさんもクマさんも戦っているのに隊長がさぼるんですか」
「この地もかつてはマモノに支配されていた。だが素晴らしき魔力に目覚めた人によって取り戻された。それをどうして脆弱な奴らにも与えた?その結果マモノが再び脅威になっているというではないか。あの程度が脅威などと弱きものの世迷事。迷った人間など導くこともない。寛大がすぎたのだ。増え続ける貧弱虚弱衰弱劣弱。誰かが管理せねばならない時がきている。優れた人間のみが子を残すべきではないかね。例えば私と彼女とがね」
キナムトがレイセの顎に触れる。柔らかいようでその本質は欲望塗れ。外仕事をしない綺麗ながら、男の汚い手だ。盛り上がるのも欲望か。
「私が!聞いているんですよレイセさん!あなたの部下でしょ私は!どうしてここにいる!最強ではなかったか!のほほんと言い逃れしてみせろ!」
視界にはレイセとキナムトの両方が入っている。彼の存在をないものとして扱っていたが、誰にも触られていないような肌を汚されては、澄んだ空のような髪まで汚染されるなら、静かだった怒りも暴発する。
「国を恒久的に存続させる結論を聞いて戦うかね?野蛮とはお前のことだ」
ナタカは睨むのみ。誰を対象にしていようとその目が別人と重なれば、キナムトもマグを眼前にてひけらかす。
「私が見せてやろうというのだ。その最強の力を、間違った使い方を私が正してな」
じゃーじで擦り引いた涙は別の線を左右に大きく描く。僅かながら明暗にも波があり、明の時、小山がいくつも現れる。それはキナムトを中心として横に広がっている。まるで狂信にたかる信者だ。
「ああ彼らか。貴き力を持つ者によって正しく使われた方が幸せだろう?さしで戦う、私も礼儀は知っている。彼らに手出しはさせんよ。必要もない」
どうだか。帯剣している人間もいるじゃないか。試合であったなら、戦いならいつでも簡単に破棄される口約束なぞ信用できない。けれど戦うなら構わない。
「では始めようか。ああこう言うんだったかね?はじめと」
口だけの傍観、数少ない観客。説得に手古摺っていた、こんなにも早く再戦するとは夢にも思わないというやつだ。夢であってほしかった。けど戦いならば、刀を握る感触が直に伝わってくるから私は。
「何故だ?どうしたことだこれは?」
案外も大きく外れていけば意外を越え、キナムトは驚愕しかなかった。我慢ならぬことでも浮き出ていた。過去、相談役として隊長戦も観覧した。当時のマソウの突きでさえ彼は追えなかった。遥かに上回る速度、彼には槍の長さも変わっていないように見えるそれが当たらない。マグは作動しているから、レイセが攻撃していないのではない。この音は鋭く突かれる空気の悲鳴だ。ならば何故あの女の悲鳴は聞こえてこないのか。
(遅い)
三歳で両親の離婚、五歳で祖母との死別を経たナタカでも、弟の豹変に姉妹による突き放しは十七の若さでは耐えられなかった。だけど体に覚え込まされ、遺伝子にも組み込まれた戦いへの執念が彼女を本来へと取り戻させる。技の記憶が体を精神を引っ張って繋げている。
(これが最強の槍捌きか?これがか?は。足りない。足りない!)
この程度のために二人は。
「可愛い部下が泣いているぞ、レイセ!」
こんなお粗末では不慮の事故も起こらない。反面もしも当たったらという想像がナタカを元気にさせる。
「これはなんだ?」
腹の底から響く地鳴り、特に足元に集中して伝播する。戦いが始まってすぐ、初手の悪寒から体がおかしくなりだした。魔力は正常だ。そうでなければマソウは戦えない。
(今は命令を出しているだけだ。私があそこに立っているのではない。直接切り合うなど女どもにやらせればいいのだ。私は後ろから見ているだけでいい。演習はそうやって勝ち続けて、あの小娘が歪み落ちる瞬間を)
しかしこれが十七歳の顔か?戦う鬼、機械。この変貌が無節操な怒りだとしたらただの無差別加害者で終わるところ、怒りの対象が置き換わっていた。
(こんな半端に勝ってもしょうもない。勝負にならない。つまらない決着。こんな終わり望んでない)
点の中心として動くだけ、まるで砲台。それならまだキョジンの方が手強い。対処できない相手にこれまでは槍怠放題だったのだろうが、大会時でも既に当たる気はしていなかった。最初の一突きから私には見えていた。槍の絡繰りは分かった。手のうちは晒してしまえば、こちらは手の平でころころよ。
(なんて貧弱な。不規則を生み出そうとする変化だとしても)
軸のしっかりしていない細い枝で突くように、突きの軌道が真っすぐから枝垂れている。長尺の槍ならば自重により起こる原理ではあろうが、彼女の槍ならば魔力で伸ばす槍ならば起こらない現象。魔力で伸ばす、聞こえほど簡単ではないだろう。それと狙った点を正確に突く技量、開幕のあの一突きはそんなに腑抜けていなかった。
(操られて?私が今戦っているのはあの男?それで最強が素人に?こんな不愉快な戦いそうそうない。早期に、けど)
一気に勝負を決めたいところだが直感が邪魔をする。もっと戦いたいという欲望じゃない。彼女は若くとも戦闘になれば自若、泰然として挑むよう躾けられた。
(私が守る)
槍も薙刀も似たようなもの、主体の突きを躱しながら前へ進む。刀と槍どちらが有利かは間合いによる。常に得物が自由に立ち回れる距離で戦うことができれば、実力によっていくらでも覆るということだ。
「何故当たらないのだ?!」
レイセは負を払った場面に遭遇している。あの時のようには魔力が見えていないので、まずは注意を逸らす。当たっても斬れないだろうから、胸部を積極的に打つ。天才の刀ならばと多少の無茶も通す。
「この間合いはこちらの番!私の剣を受けてみろ!巻き打ち!」
手に痺れが走る。元の長さに戻した槍で受けた。レイセの記憶がナタカの剣を危険と判断してか、攻防の切り替えがそれだけ瞬時であった。
(巻き落としたのに槍で、今のを受けた?防御が速い。棒術の心得も?あの男にそんなことが?この動きはレイセさんには見せていないはずだ。私が感じたのはこれか。ならばこれで)
事前の構えはとらない。突きを躱す動作の流れの中に技に入る動きを盛り込む。これぞこの技の真髄、真骨頂。
「流し斬り!」
これはクーザ戦のおさらいを含む。レイセは魔力の流れが見える。武器の軌道が手に取るように分かる。それは相手の魔力が強ければ強いほど。イェカでは勝てないとしたナディの理由である。
ならば何故ナタカの技は止められたのか?披露の有無、流し斬りも巻き打ちも止められておいて関係があるとは言えない。
今一度と仕掛けようとはしなかった。ナタカは努めて冷静であった。一度戦った相手には負けない、そんな甘えを許さない、彼女はレイセは自分と同じであると認めたのだ。
(なるほど、そういうこと)
マソウとマフの戦いは幾度となくあった。それこそレイセが隊長戦を辞退してまでアクラを避けるほどに。
初戦は瞬息、アクラは何もできずに終わった。彼女は相手がどんな見た目であっても侮らない。それなのに最強を譲渡してしまった。陥落はしたが彼女とて自らの魔力にてマフを戴いたもの。伸びる槍の対策として一点防御を会得した。マーツを一点に何層にも重ね展開するのだ。狙いの箇所を経験で補い、そうして何戦目かで反撃に出ることができた。近寄ってしまえば槍は斧には勝てない。細い柄ではマフ級の防御魔力でもなければ斧の怒濤は耐えられないのだ。
だが勝者は常にレイセであった。彼女が最強なのは防御においてもマフを上回るからである。今しがたの防御魔力の話とは別、マフのように受け止めるのではなく受け流す、彼女の能力と努力によって裏付けられる独自の防御法。この防御を突破しなくては、異質なクキョでもレイセには勝てなかった。彼女は未だ傷知らずなのである。
「ふ、ははは。そうだ、そうだとも!魔力に劣るものが勝るものに勝てるはずがないのだ!そう決まっているのだよ、昔からな!」
キナムトはまだ魔力だけで考えている。それ故に既に終わっているはずの勝負が決着しないことに、余分に頭を使った。彼の元本職の経験が積み重なる醜態を良しとしないのだ。
(会ったことはないが優れていたという男の力を模した、このマグならば下等な。いやあれは人間ですらないのだ。くくく、私のマソウなら動かずとも貫ける)
明かりがないから万全を期せずとも隠せようが、キナムトは事前に絨毯の下にマグを設置していた。部屋全体に効果があるよう満遍なく。後ろ手に、組むは優位性を保つためとしながら発動させた。
(何?周りの人達座り込んで?何かの作戦?レイセさんの動きも鈍くなった?)
重力のマグを使ってナタカの動きを封じ込めようとする。彼女は発動の瞬間、違和感で止まっただけだったのに、回避が楽になったことに逆に不審を抱き攻勢に出られない。キナムト側の立場なら結果良しのはずであったが。
「動ける?何故動ける?!私は確かに」
マグの輝きが発動を保証する。効果範囲内に手を伸ばせば負荷もかかった。魔力の加減となると繊細、周りをきょろきょろすればこれ以上の魔力は必要ないことも、けれど他にどう理解すればいいか、ナタカにあたふたしていると勘違いされかねない、確認動作を続けている。
しかし助かった。貧血のようによろめいたおかげで体は止まった。最も事態は好転したのではない。
(補助でこれか。衰え、いや!これこそが、この魔力こそが)
最強を操る。自分にかかる負担は少なくはない。かといって、魔力を抜くわけにもいかない。ねじ伏せてこそ、今回こそナディに認めさせなければならないのだ。
(この女なら、魔力の少ないこいつなら)
キナムトの目線が上へと繋がる。照明どころか何もない天井だ。高い分、槍を避けながらのナタカでは見向きもしないだろう。彼は密かにほくそ笑んだ。恥辱はあの一回で十分なのだ。
(私と同等の見切り能力がある。そう置けば。来るか)
分析が終了した。レイセの力の見積もり。策の有無。攻撃に移っても何も問題はない。
(来い来い来い。奴は必ず来る。マソウを止め私を切るために必ず。どうやってもできないことを、ムダをする。それが女だ)
キナムトの願望通りナタカが攻める。彼女からはレイセとキナムトが一直線に並んだ。猪の如く猛進するだけと加速する。
(来たあ!これで終わりよ!)
ぬるっと天井から頭が出ていた。まだかまだかとその時を待っていた。その時が来た時、彼女は復讐心に憑りつかれるままに落下した。キナムトは歓喜の声を喉奥に待機させていた。
「はははは!バカ、め?」
トクマの落下地点にナタカがいない。それなのにトクマが何故また剣を振るったのか、やっとのことで切っ先に追いつけばそこにナタカがいるではないか。キナムトは歓喜どころか声さえ失った。無言で剣を操るのはトクマもである。
「止めにしませんか?」
丸まった剣はそういうことか。鞭みたいに伸ばして切断される。捕まればだ。究極は空気すら己が肉体とする。槍の絡繰りを事前に知っていなかったとしても、殺意が強すぎて不意の意味が全くない。あなたの存在はあなたの兄から教えてもらったようなもの。形見を持ち出して、私を仇とするなら能力を活かせ。
「あなた達兄妹は何がしたいんですか?敵の敵は敵ですか?敵は容赦できそうにありませんよ?」
仮面の下で何を考えているかなんてどうでもいい。邪魔をするなら真っ二つに斬ってやる。隠したい可愛らしいお顔とご対面だ。
刀で実行の意思をちらつかせたら槍が飛んできた。結局こうなる。ニ対一、それならそれでいい。二人で足りるというのなら。
「ふくしゅうしたいなら、算数からやり直せ!」
「なんだ?なんなのだ、あの女は?!」
最初のわなわなとは意味合いが違う。体が恐れを感じている。最強の戦いを見ても震えなかった体がはっきりとした、内なる心までも怯えを認めさせようと躍動している。
そのために半歩引いた。その事実がキナムトの敗北を目覚めさせる。たった一回の人生の敗北を。
「最強、マソウは最強なのだ!」
連続した突きの雨、時々鞭。雨宿りは必要ないとナタカは雨の中を突き進む。彼女の力量もあろうが、トクマはレイセの槍を気にしながらで集中した攻撃が出せない。まともな連携になっていないのだ。一対一のようであったが、あくまでも疑似である。
「まずは。ちっ」
弱い方からとトクマをどうにか戦闘不能にと動くも、槍が上手く助ける。偶々でもこうも邪魔されては相手にしない方が得策と考える。攻撃の瞬間だけ狙われなければいい。大将首を守る金を取る。桂馬は後でいい。
「お前たちも!お前たちも行け!」
キナムトの号令と同時に静観していた観客が蠢き、数人が群れから飛び出した。それ以外はわらわらとレイセを守る防壁に、雨除けにもなっている。
「剣も持たずに。舐めるな!」
戦わせるためでなく素早い動きを封じるため数を使う。単純ではあるが戦いは数という見方もある。この場での策としては、いや策と呼べるものだったのか、迂闊な持ち駒全投入だ。元より戦うつもりで片付けさせていたがここまでは想定しなかった。キナムトは魔力を振り回すことに躍起になっていた。
「付け焼刃でも通用しないんだから捕まるわけないでしょう。正しく使う?笑わせてくれる。彼女を何一つ知らない人間が」
「言うか!私は誰よりも!早く黙らせろ!」
ナタカを捕まえることだけに執着しキナムトは信者のみを操る。否信者しかと、操作できないほど視野を狭めていた。過去に妄執して、ナタカもぐにゃりとした黒い塊が点々と動いているようにしか見えていない。
(両手で指示を出しているような、あれは指輪か?それで数に限りがある?あれを斬れば?)
大勢いたとてナタカに一度にかかってくるのはせいぜい三人。標的が速いせいで突進した先にいるのは味方、同士討ちで潰れる。駄目だとなるとすぐに次を補充する、指揮者に策がないものだからいつまで経ってもナタカを捕まえられない。彼女一人が逃げる逆鬼ごっこ、干戚のようでもある。
(無駄に多い。層が厚い。最後にはレイセさんが必ず立ちふさがるだろう。先に彼女を)
しかしナタカにも数を減らす手段がない。重なり倒れても上から立ち上がってくる。数の暴力、健常なら先にキナムトの魔力が尽きるであろうが、彼女の体力との勝負にもつれ込んでいた。そして彼女にはかつての故障があった。
(く、遠い。っ?!帯刀するための紐が引っかかって?!きつく縛っていたのが仇に)
ここまでの肉体精神両方の疲れもあった。鞘を踏む間抜けはせずとも、不意に感じた刺激、大人数の乱闘による絨毯のずれ、いくつもの偶然があって、信者の一人に抱き着かれた。
「よくやった!そのままその女を捕まえていろ。ふ、ふふふ。お前の願い叶えてやる。感謝するのだな」
油の切れていた人形が動き出す。復讐をさせてやるとトクマが剣を光らせる。首に巻き付けるつもりだ。
(不覚なんて。う、力が強い。こんなにしっかりと密着された状態では護身も)
背に回った両手ががちがちに固定されている。腰を落として持ち上げられないようにもしている。他と揃いの白服、やや年を取った顔、元兵士だろうか。ナタカが身を捩っても力で押そうとしても、暴れに暴れてもびくともしない。縦横無尽だった動きが完全に止まった。
(柄で叩く、刀を突き立てる。いや駄目だそんなこと。この人も操られてるだけなんだ。悪いのはあの男一人。けど)
視線を上げれば不気味な黒影がいる。黒黒黒、自身も含めて黒は不吉の象徴か。だがまとうが出走するにはまだまだ早い。人形の動きが悪い。
「どうした!やれ!そいつはお前の主を討った女だぞ!やれ!やるのだ!」
キナムトの手にあるマグが悪しく輝く。ぎちぎち体が軋んでいるような動作ながら着実に剣が上がる。猶予はあったがナタカは捕縛を抜け出せそうにない。姉のようには最後の手段が、本当の最後だとしても使えるか。
(敵を前にして散ることは許されない。私はあの槍を斬るんだ)
みっともなく足搔いてここまで来たのだ。目的を果たさずしておめおめ誰に会える?守りたい人がいる。ずっと一緒にいたい人もできた。それで足搔くのをやめたら一人に逆戻りだ。命を終わらせない。
「離して!私はみんなを、レイセさんを救うんだ!離せぇえええ!」
懸命に暴れても両手は剥がれなかった。絶対に離さない、女性の強い意志すら感じられた。決して外さない、迫ってくるトクマに、キナムトの用心深さが気持ち悪く投影されている。
「これで終わりだ。終わってしまえば何のことは」
いつも勝利の終わりを見届けない。結果は始まる前から分かっている。だから彼は目を離そうとした。ただその移動中に映り込んでしまった。ここにいるはずのない人間がトクマに飛び込んでいく様を。
「あなたは」
「コイツはオレが」
押し倒して抑え込んでいるのもまた黒ずくめである。手首を床に押し付けて剣を使わせない。下が暴れ狂えば上下が入れ替わり、次の下が暴れればと回転しながら壁際へ、大会ならば場外だ。同じ恰好で武器が手放されれば見分けがつかないのもあって、ナタカは彼を再度信じ、キナムトは二人の騒動を遠巻きにしていた。
「裏切る?この私をか?キサマ!帝国に用無しと捨てられ拾ってやった私への恩はどうした!恩を知らぬほど愚かか!それならキサマも私が使ってやる!」
管が沸き上がるキナムトは相手にされず二人の世界に。ここでも繰り広げられるは兄妹による喧嘩であった。
「何故だ何故!仮面に仕込んだ」
「小物らしい。小物らしいからそうなるのです。うっすい、剥がれてますよ。化けの皮と先人はよく言ったものです」
敵への強がりが下手を打った。敵憎しが先走り、見透かしと言葉の意味外からの愚弄が刃となる。
「この私ですら。ええいなら!最強によって消えろ!誉とするがいい!」
レイセの矛先がナタカの左胸を捉えている。その直線上にはナタカを捕まえて離さない女性がいる。その上で猶命令が下された。
(クキョさん、私はあなたに会ってない。クキョさん)
ナタカは大きく開く。開かれた視界が青い線で一杯に埋まっていった。




