くんれん
抜けが多い!
帰宅すると、さっそくクキョさんに裏庭に来るように言われた。そこへ行くのは、これが初めてだった。
そこは私が頭に描いていた裏庭とはかけ離れていた。塀で囲まれている点は同じだが、学校の運動場くらいはありそうな広大さ。しかしそこにあったのは、石畳で作られていると思われる稽古場のみ。
物干し台や盆栽が置かれているこじんまりとした庭を想像していた私にとって、そこは――――なんてもったいない使い方をしているんだ、けしからん!と憤慨するしかなかった。
もしかしてここの手入れかな?ぼーぼーとしてますし。間違いない。
しばらく放置された管理地のように、植物が自由気ままに生い茂ってる様を見てそう確信する。実は食材にしてるのかも、と思ってもいた。
腕まくりをしてやる気を出してみせたが、クキョさんはそんな私をほっといてきょろきょろと見回している。それは裏庭の状態を見ているのではなく、誰かを探しているようだった。
「……おかしいな。ここで待ってろって言ったんだが…」
クキョさんが呟いた後、バンという大きな音と慌てた様子の声が裏庭に響いた。
「す、すみません。水汲みで遅れてしまって…」
勢いよく開かれた家の戸口から現れたのは、昨日洗濯を教えてくれた部下さんだった。手には何やら剣のようなものを持っている。
「オマエだけか?他は?」
「…え?あ、え…その……食事の準備に手間取ってまして…」
彼女の慌てた様子はなにかを誤魔化しているように見えた。それも誰かさんにそっくりに。
「…あの、何が始まるんです?」
彼女に助け舟を、というわけではないが時間をかけると暗くなってしまうので、何かやるなら早く始めたかった。
「…ん?ああ!コイツの相手してもらおうと思ってな。ホントは他のヤツらにも見せたかったんだが…」
ホッと安心していた部下さんの肩を抱き寄せ、目的をそう告げる。
それを聞いた私はというと…、
「私じゃ相手にならないと思うんですが…。その、魔力ないし…」
彼女の言い方だと、実戦形式ということだろう。それならなおさらだ。
悔しいけど、決定的な打撃が与えられないし。それなら寸止めではどうかと言われても、相手が全く通じないと分かっていれば、それは全く意味のないものになる。怖気ず向かってくればいいのだから。それでは稽古になったとしても実戦で役立つのかどうか…。気構えを、ということでしょうか?
私は最もなことを言ったつもりだったが…。
「オマエはコイツの攻撃を避け続けるだけで良い!」
どういうことだろう?それは果たして稽古になるんでしょうか?もしかして私が稽古される側?
戸惑う私をよそに、部下さんはうきうきしながら剣を用意している。
「ん?オマエ、それでいいのか?」
クキョさんが指さしたのは、片刃の剣。3尺程の刃に柄を取り付けただけの単純なもので、特徴はその形―――横から見れば長方形で包丁にも同じものが見られるが、刃の先を正面から見ると、やきうの本塁のような形をしている。クキョさんの大剣をそのまま小さくしたようなものだった。
クキョさんの問いかけに、彼女はハイと笑顔で元気よく答える。
「…オマエが良いんならいいぜ。オマエは準備良いか?」
こっちを見てたので私のことだろう…。なんて分かりにくい。
しかし準備と言われてもこっちは素手だし、服はひらひらしてるから動きにくいし、つっかけだし…。
それを伝えると、クキョさんは家の中へと戻って行った。それを見た部下さんも慌てた様子で彼女の後を追った。
「なんなの?」
一人ポツーンと残される。空を見上げれば、まだまだ青かった。
「オマエに貸してやるよ」
彼女が家から持ってきたもの、それは――――
こ、これはクキョさんが戦闘時に着ていた水着鎧!(とその一式)あとすぱっつ?も…。
これ…つけるの?人が見てないとはいえ恥ずかしいんですけど…。それに…。
試しに、彼女の髪と同じ赤で染められた胸当てを当ててみる。
うん、合わないよね!
(くっ、またも…またもですよ。私の胸をお馬鹿にするのは…)
私から溢れた気迫がクキョさんを引きつった笑みにさせる。そこに憎悪と嫉妬が紛れ込んでいたのは言うまでもない。
「こ、これを…!」
はぁはぁと息を切らせながら戻ってきた部下さんがクキョさんに差し出したものは――――
街の人たちが着てた服と同じデザインの半そで短パン。(やや長め)どうやら訓練着にしているらしい。それとクキョさんのものと同じ防具を持ってきていた。
ということはつまり、正式採用されている防具ということでしょうか?みなさんこんな恥ずかしい恰好で戦うの?
彼女曰く、動きやすい服の上からつけるのが普通で、クキョさんのような着用の仕方は一部の人だけがするものらしい。
それを照れくさそうに鼻の頭を掻きながら聞いているクキョさん。
別に褒めているわけではないと思うんですが?
家の中で着替えた後、(外では着替えませんよ?)クキョさんに教わりながら防具をつける。胸当てがちょっと窮屈に感じた。
初めての優・越・感!これは…いいものですね!
どこからかぎりぎりと歯ぎしりのような音が聞こえる。虫でもいるのかな?
「あの、つっかけでやるんですか?」
「…つっかけ?ああ…!」
私が下を見ているのでクキョさんは気づいたようだ。彼女は足を上げてみせる。
「これで戦闘するんだよ。王国製でな。帝国でも使われているはずだ」
初めて履いた時は戦闘でも使うなんて思わなかったな。確かにすごく足に合ってるけど…。
「それと……ホントにここでやるんです?」
周りと同じように石畳の隙間からは草が生えていた。石がずれてしまっているのか、平坦というわけでもない。かなり悪い足場だ。
この二つの要素が私を不安にさせる。万全な状態ならともかく、これでは―――
「実戦はいつどこでなんて選べない。いかなる状況をも想定するのが大事だ。その為の訓練だ!」
私が実戦することなんてあるんでしょうか?という言葉は飲み切る。
クキョさんが私のために用意してくれたことだ。おそらく私ならできると思ってくれているんだろう。それなら――――
「わかりました。避け続けるだけでいいんですよね?」
それに彼女はニッと白い歯で返してくれた。
「一応これ持っとけ。オマエならこれで十分だろ?」
そう言って渡してきたのは何の変哲もない木の棒。確かに何か持っていた方が格好がつくので、それを受け取る。これで受けきれるかは疑問だが…。
―――と、思っていたら部下さんが刃に何か取り付けている。
思わずそれを指差し、クキョさんに顔を向ける。
「あれは木から出る液…だったか?それを固めたもんだ。衝撃をある程度和らげるって話だな」
ゴムみたいなものだろうか?防具と魔力があっても不測には備えてといったところかな?
「よーし!それじゃそろそろ始めるぞ!」
その声を合図に二人、石畳の上へ。1丈ほど離れて立つ。
私は中段の構えを取り、彼女は片手で剣を持ち横に寝かせている。左側をやや前面に出し、腰もやや落とす。槍の構えに似ているだろうか。
なんだろう…これは?
彼女からは殺気?いや違う?何か分からないけど明確な敵意を感じる。私が何かしたのだろうか?
「本気で当てていいんですよね?」
部下さんの質問にクキョさんは意味ありげな顔をする。
「当てられるなら、な」
それを聞いた彼女はよしと気合を入れた。どうやら表情の意味はわかってなかったみたいだが。
なにも思い当たらないんですけど…ひょっとして、記憶失う前に何かした?
クキョさんが手を上げ私たちを交互に見る。そしてはじめの掛け声とともに腕が風を切った。
私は回避に専念するためその場を動かなかったが、彼女は開始と同時に動き出していた。先手必勝のつもりだろう、勇ましい声を上げ向かって来ているのだが――――
クキョさんと比べると遅い。その差は歴然だ。クキョさんなら既に一撃放った後だ。
彼女が縦に振り下ろした斬撃もクキョさんのそれとは比べるべくもない。
避けてれば良いということなのでしばらく回避に専念しつつも、彼女を観察していた。それくらいの余裕があった。
それで気づいたことがある。彼女は剣を振るう度に体勢を崩していた。振るうべき剣に逆に振り回されていた。
これがショトさんが言っていた、武器の適正と相性ということだろうか?
彼女が使っているのは稽古用の剣ということだ。それならば大きすぎるということは無いはず。それにあの必死な顔――――間違いない。彼女は自分に合っていない剣をあえて使っている。
理由は分からないけど、彼女の本気は伝わった。それなら!
木の棒を中段に構えたまま、彼女との距離を自分から詰めていく。
それを見た彼女が顔を真っ赤にし、ぷるぷると体を震わせ、手にぎゅっと力を込めた。
怒らせる意図はなかったのだが、攻撃が当たらないことから舐められている――そう感じたのかもしれない。
これは稽古だ。実戦ではない。でも実戦では相手の隙を見逃すはずがない。それをこの稽古で彼女に感じてもらう。
彼女が振るう剣を分単位で躱す。あの剣の形、彼女の太刀筋、癖…すべて見た。
「見切った!」
私の圧に押されてか、攻撃しているはずの彼女が後ろに下がっていく。
彼女は気づいているだろうか?戦場であれば、何回命を落としていたかを。
―――理由は分からない。けどッ――――
(なんなのよ、コイツは?!なんでアタシの方が下がってんのよ!?怖くないの?!)
その光景を見てクキョはニッと口角を上げる。その顔からは歓喜、興奮、そして畏怖―――様々な感情が読み取れた。
剣を使いたい…。そう貴女が思うのなら……強く願うのであれば――――
私の心を感じ取ってみせなさい!!
なんだろうこの感覚…。前にも―――そうだ、クキョさんと戦った時にも感じた――――精神が研ぎ澄まされる…ずっと忘れていたこの感覚…。
ああ…戦っているのに気持ちが和らいでいく。
この感覚…気持ちいい!
部下の目には彼女が不敵な笑みを浮かべているように見えているだろう。だがクキョは違った。彼女を見て自分と同じものを感じ取っていた。
部下さんが放った一撃を体を横にずらして避ける。だがいつもと違う状況が、私の足を襲う。
―――?!隙間に足を取られ――――
体勢を崩し、体が後ろに仰け反る。
そこへ彼女がその体ごと突っ込んでくる勢いで、空に掲げた剣を振り下ろそうとしていた。
「もらったああああああ!!」
彼女と同じ言葉を発して――――
大地が揺れたかのような轟音を発し、石畳に溜まった砂が舞い上がる。
ゴホゴホっと咳き込んだ彼女は、目を見開き動きが止まる。
彼女は気づいた。私が立って見下ろしていたことに。目の前に突き付けられた木の棒に。
「ここまでだな」
クキョさんの言葉を聞き、私は竹刀のように納刀した後、一歩下がって一礼する。
それを見た彼女も慌てて立ち上がり、同じように一礼した。
クキョさんが近寄り、ポンと肩を叩く。
「さすがだな」
それに対し私は、
「…どうして、止めなかったんですか?」
その顔は寂しさを隠すように笑っていた。
「……オマエが瞬き一つしてなかったからな。何も問題ないと考えた」
―――なんだ…ちゃんと見られてたんだ。
あの瞬間、私の眼はしっかりと捉えていた。振り下ろされる刃――――彼女と同じようにギラっと輝いた瞳を。
「…で、どうだ?」
クキョさんが何を言いたいのか分からず、首を傾げるしかなかった。
「…わかんねぇならいいよ。オマエにもあるんだから焦らずいこうぜ?」
笑いながら私を見るクキョさんは、パッと切り替わったようにメシメシ言いながら背を向ける。
その彼女を追いかけ、私は顔を輝かせて言った。
「明日から私が稽古してあげれば良いんですね!」
「………あー、それなんだけどよ…」
彼女は裏の戸口に手を掛けたまま、こちらを振り向かない。おかげでその表情は分からない。
だが彼女は何か決めたようにふうと息を吐き、こちらに顔を向けた。
「今日だけにしといてくれ」
彼女の視線の先には――――
四つん這いで暗い影を落としている部下さんがいた。ぶつぶつと何か言っていて、とても声を掛けられる雰囲気ではなかった。
「他のヤツらがいなくてよかったぜ。初めてだからなぁ、あんだけ入ってきたの…」
クキョさんはそう言い残して家の中へと消えた。
私はこれからも孤児院の子供たちのためにお話し頑張ろうと誓うのだった…。
それからというもの、家の中で部下さんとすれ違う度に睨まれるようになりました。




