カラフ・ウィルス
「シェルターの扉はそこそこ頑丈です。破られる事は恐らく無いでしょう」
地上に通じる階段を降りて来たノイマン上等兵が言った。
彼の相棒であるヘックスが付け加える。
「だが出入口は此処だけだ。あんな風にうろつかれちゃ出られませんな」
そう言いながら外に停めてある装甲車のカメラとリンクした個人端末を示す。
そこにはこの街の住人達のなれの果てが写っていた。
目を真っ赤に充血させ、口から涎とも胃液ともつかない物を撒き散らしながら歩く人々が。
彼等は頻りに唸り声をあげ、時折身悶える様にして肩を震わせている。
「詰まり我々は……往年のモンスターパニックムービー宜しく閉じ込められた訳だ」
クルーク・マッギャバンは野良犬の様に笑った。
彼女に動揺の色は無い……少なくとも表面上は。指揮官が余裕を保っていれば部下達も少しは安心できる。
…………それが長い逃避行の末、心身共に消耗した少年兵で無ければ、だが。
「隊長、お、俺達……」
パックスが太い眉をハの字にさせながら言う。声が震えている。
周囲の少年少女達も顔を引き攣らせていた。無理も無かった。
殺意を漲らせたトカゲの化け物どもからどうにかこうにか逃げ隠れしつつ、漸く辿り着いたシェルターだ。
あと少しで味方と合流出来る。生き延びられるとハッキリした希望を抱いた瞬間に“コレ”なのだから。
クルークはぬるいコーヒーの入った紙コップを呷る。
一息に呑み干してくしゃり。なんて事は無い、と平然とした態度だった。
「状況は良くない。が、これまでと比べてどうだ?」
「どうって言われても……」
「全く哀しい事に外で我々を待ち受けるのは同国人だ。本来我々が保護すべき民間人なのだ。彼等に襲われるなど正に悪夢だろう。
……だが彼等は銃を持っている訳でも無ければ、歩行戦車を操る訳でもない。我々を爆薬で吹っ飛ばす事も無ければ、獲物の生皮を剥いで木から吊るすような真似もしない。
そして我々は彼等と戦わねばならない訳では無い。ウィードランどもとは大違いだ」
げふ、とげっぷを一つ。コーヒーを一気飲みしたせいだ。
「失敬、品が無かったな。
つまり私の言いたい事は、諸君らは特に何も気にする必要は無いと言う事だ。
飯を食って寝ろ。ここから先は友軍とトカゲどもの係争地だ。少しでも身体を休めて置け。
脱出の為の方法は私が考える」
以上、解散。クルークは手をひらひら振った。
少年兵達の不安が解消された訳では無かったが、クルークにはここまで彼等を導いて来た実績があった。
パックスに促され少年少女達はシェルターの思い思いの場所に散らばっていく。
一先ず、酷い動揺は見られなかった。
「伍長達は隊員を安心させてやってくれ。軍曹はこっちへ。
フレッチャーTVの方々は遠慮して頂きたい」
クルークはイオをシェルターの倉庫に引きずり込んだ途端に余裕ぶった態度をかなぐり捨てた。
「……」
「……少尉」
「……大問題だ!」
「分かってる」
「入り口は完全に塞がれた!」
「いつまでもそうとは限らない。その内ふらりと何処かへ行くかも」
「長々と待つ余裕は無い。このままでは本当にカラフに取り残される」
がたん、と隣室から大きな物音。少女の呻き声。
先程の感染者を縛って転がしてあるのだ。
「私は軍曹の様に楽観的にはなれない。もし奴らがずっとシェルターの出入り口にたむろしていたら?」
「……手荒な真似をする必要がある」
「あの数だぞ。下手をすれば二百、三百……いや、街の規模を考えれば数千と居るかもしれない。
……それに民間人を撃てば隊員達のメンタルがどうなるか」
「少尉が自分自身で言ったように、作戦を考えるしかないぞ」
「簡単に言ってくれる」
クルークは苛立たし気に水の入った資材ボックスを蹴っ飛ばした。先程は平然としていたが、隊を率いる身の彼女は常に多大なストレスに晒されている。
「どうしてこんなに問題ばかり起こる、どうして我々ばかりが……!」
「少尉」
イオの視界の隅で水色の女神が無表情に言う。
『エージェント・イオ、クルーク・マッギャバンをケアしてください』
「(分かってる。今やってる)」
『スピーチはお得意の筈です』
クルークは次第にヒートアップしてきた。
折角梳った金の髪を掻き乱しながら唇を噛んでいる。
「あと少しなんだ。あと少しで味方と合流出来るのに」
「少尉、冷静に」
「分かってるよそんな事は! 今作戦を考えている所だ! 愚痴くらい言わせろ!」
「大声を出すと兵が不安がる」
「軍曹、私はな!」
イオはクルークの肩に手を置いた。
こんな状況でも無ければキスシーンに見える。イオはクルークの瞳を睨み付けながらゆっくり言った。
「少尉、どうって事は無い。俺とアンタと、そしてカーライル伍長達でここまで隊を守って来た。
ここまでヤバい事だらけだった。プラズマナイフをケツに突っ込まれそうになった事もある。
だが俺達は切り抜けた。偶然でも、幸運でもない。実力だ。
今回もそうするだけだ。アンタが作戦を立て、俺達が実行する。
俺は少しもビビってない。アンタはどうだ?」
クルークは大きく深呼吸した。何度も。
イオは手を離す。
「…………すまなかった軍曹。良く分かった」
そこに先程までの焦燥は無かった。
惨いシチュエーションだよな、とイオは思う。
大の大人だってヒステリックになるだろうこんな状況で、彼女は少年兵達の命を背負いながら必死に力を尽くしているのだ。
こんなチビ助が、だ。
燃えて来たぜ。こういうキャラは助けてやんないとな。
「……どうすれば良いと思う。選択肢は多くない」
「俺が囮になるのが一番確実だろうな」
クルークは歯を食い縛った。
「…………何だよ、少尉」
軍帽を深く被り直し、彼女はか細く言う。
「軍曹、好きな物はあるか?」
「……ゲームだ」
「ゲーム……? そう来るとは思わなかった」
ゲーマーがゲームの中で好物を聞かれてもな。
ゲームとしか言いようがない。
「他には無いか? タバコなんかは」
「特には」
「ウィスキーの件は済まないな。いずれ必ず貴官に与える」
「実は酒もあまり」
「そうだったか、……では女は?」
クルークは目を合わせようとしなかった。
「…………こんな貧相な身体で満足出来れば、だが。良いんだぞ軍曹。
貴官の働きに報いたいが…………やれる物はこれくらいしかない」
「少尉」
トン、と軽く突き放してイオ。
「俺の好みはダイナマイトボディのお姉さんだ」
ずど、クルークの容赦ない右ストレート。
鳩尾に減り込むも、イオは平然としている。
「貴官は階級に対する敬意と女性の扱いを学ぶべきだな」
「……そうかもな」
「いや、だが、まぁ……。少し楽になった。感謝しておこう」
「なら結構。作戦を頼む。準備はしておく」
そのままイオはクルークが何か言う前に踵を返した。
『エージェント・イオ、お見事です。クルーク・マッギャバンのコンディションは持ち直しました』
そりゃよかった。ミッションクリアの暁にはご褒美を頼むよ。
女神様にはサムズアップを返しておく。ロールプレイもここまで来れば感嘆物である。
背を向けたイオのそれは、クルークには静かな激励に見えた。
倉庫の外ではカーライルが銃の整備を行っており、彼はイオの顔を見るなり言った。
「軍曹がロリコンじゃなくて良かった」
「…………伍長」
「おっと、冗談です。
……だが軍曹、アンタと働けて光栄だ。こっちは冗談じゃない」
「大袈裟だな」
大袈裟なもんか、とカーライルはレイヴンを組み立て始める。
「……孤立無援、武器も弾薬も足りず、そもそも隊の半数以上が戦闘に堪えない状況で……。
軍曹は冷静さを保ってらっしゃる。タフガイだ」
イオは何も言わなかった。
ゲームだから平気なだけで、イオだってこんな状況に追い込まれたらまともで居られないだろう。
「俺やヘックス、ノイマンは六年ほどの付き合いでしてね、連中と一緒に散々戦争のえげつない部分を味わって来たつもりでしたが……。今回のこれはその中でも上位に入る。
俺達だって本当はおかしくなりそうだ。ガキどもを守ってやらなきゃいけないから、何とか踏ん張ってるだけです」
隊の中には、既にPTSDになってる奴も居ます。
カーライルはそう言いながら頭を振る。
「だが軍曹は……何と言うか、兎に角尊敬しますよ。
俺達はアンタに賭けた。何としても、ガキどもを生かして帰してやりましょう」
一回りも年が離れた伍長はイオに敬礼した。
「…………むーん」
思わず渋い顔。
ゲームの中でくらいクールなイケメンを演じたいだけである。
現実での彼は女性との距離の測り方が不得手な童貞だ。
――
イオとクルークとカーライル。三人は端末に表示される装甲車車載カメラの映像を検証する。
「やはり多いな」
「逃げるだけならやりようはある」
「奴らは意外と素早いようです」
「何とかする」
厳しい顔のカーライル。
まるで気にした様子の無いイオ。空中に投影されたマップを頭に叩き込む。
「また借りが増えちまいますね」
「我々全員、な。
軍曹、私は恩知らずではない。溜まったツケを支払えるよう、必ず生きて戻れ」
「答えはYESだ」
気取った返事にクルークとカーライルは満足したようだ。
これまで一度もイオは彼等の期待を裏切らなかった。常に望まれた以上の戦果を上げた。
今度もそうするだけだ。ミッションをこなし、ステージクリア。一人の犠牲も無くこのモンスターシティを抜け出す。
クリアランク的な奴があるんならトリプルAランク間違い無しって奴だ。
「情報をおさらいする。フレッチャーTV取材班が収集してくれた情報を見る限り、カラフ・ウィルスに感染した彼等は……酷く凶暴で厄介だ。
ウィルスは噛まれたりなどは勿論、血液、体液、吐瀉物を取り込んだ場合に感染が確認されている」
乱暴な走り書きがのたうつメモ用紙を見ながらクルークは言う。
「注意すべき点として、感染者の全てに筋力の増加が見られる」
「さっきの民間人もそんな感じでしたね」
「反対に知覚力は低下する傾向にあるようだ。この状況では気休め程度にもならないが、覚えて置け」
クルークは言い終えると野良犬の様に笑った。いつもの笑い方だ。
「笑えるな。結局碌な情報は無かった」
「作戦は?」
「正直、作戦と呼ぶのもおこがましいが」
空中に投影されたマップを指差すクルーク。
隊の現在位置が示される。
「イオ軍曹がシェルター前の感染者集団を誘き寄せ、引き離す。その隙に我々は脱出する」
壁に凭れ掛かってブリーフィングを聞いていたヘックスが口を挟んだ。
「軍曹一人でってのは……やっぱり無茶なんでは?」
「これまでの道程で、一度だって無茶でない戦闘があったか?」
事もなげに答えるクルークはいつもの調子を取り戻している。
ぴ、と電子音がしてとある地点がピックアップされる。
メインストリートに位置する古城のような古臭い建物だ。
「合流ポイントAはここ、表通りのホテル前だ。何事も無く逃げられるなんて望みは持つな」
「“何事”かあった時は?」
「ポイントBへ向かえ。東へ2ブロック進んだ所にあるミドルスクールだ。
途中に入り組んだ市街地がある。軍曹ならば追手を撒けるだろう。
……が、小隊の移動リスクを減らす為に囮役として多少大騒ぎしてもらう必要がある」
「そこもダメだった場合は?」
クルークは軍帽を深く被り直した。
「プランBだ。下水を通って街の外まで出ろ。
だが恐らく下水路は入り組んでいるだろう。地図も無い。
…………その場合、我々は街の東十二キロのポイントにあるガソリンスタンドで待機するが……」
「了解した。もしもの時は置いて行け。こちらは何とかする」
その場の誰もが、何とも言えない表情をした。沈黙が満ちた。
「……生還する宛てはあるんだろうな?」
「俺には幸運の女神様が付いてる」
ブルー・ゴブレットは今もイオの視界の隅で無表情を貫いていた。
『最大限の作戦支援を行います』
「(心強いぜ)」
クルークがマップを拡大表示して締め括る。
「始めるぞ」
――
シェルターから出て階段を昇り、イオはクールに挨拶した。
「good afternoon?」
血走った眼と汚れきった身体。荒い息を吐きしきりに肩を揺する彼等。
成程これはよいゾンビムービーである。どれ程時を重ねても王道ホラーと言う物は無くならないんだな。
イオは手に持っていた鍋と鉄蓋をシンバルのように叩いた。
「ヘイヘイヘーイ!」
こういう玩具あったよな。猿の人形がシンバルを鳴らしまくる奴が。
今のイオは正しくそれである。けたたましい音が響き渡り、“彼等”は直ぐに反応した。
「調子はどうだ紳士淑女諸君! 俺がお前らのレクリエーションに付き合ってやる!」
瓦礫を蹴って飛ぶイオ。その後を獣のように追い始める感染者達。
壮絶な鬼ごっこの始まりである。
『軍曹、全てそちらを追い掛けて行った! 搭乗と積み込みを開始する!』
「急ぐ必要は無いぜ。こっちは暫く楽しんでる」
瓦礫を乗り越え壁をよじ登り、階段を転がり落ちて車を飛び越える。
廃墟と化したモンスタータウンで縦横無尽のパルクールだ。
なんだか爽快な気分だな。
イオは首だけで振り返り、血反吐を撒き散らしながら追い掛けてくる無数の感染者達に笑い掛けた。
――
雲霞の如く……と言うと少し言い過ぎか。イオは壁をよじ登りながら思った。
数メートル下では正気を失った人間達がイオの足に食らい付こうと必死に飛び跳ねている。
無数に居た。アリの群れが食い物に群がる様に、彼等はどこからでも現れた。
『エージェント・イオ、コンディションが低下しています』
「散々走り回った挙句ロッククライミングだからな」
『暫く停止してください。ナノマシンの再調整を行います』
感染者を誘き出す為にあちらこちらを行ったり来たりした後だ。疲れもする。
青い女神様、ブルー・ゴブレットの要請に従い、イオは壁面の大きなでっぱりに腰掛ける。
今、イオがよじ登ろうとしている表通りのホテルは古城をモチーフにしたクラシックなデザインだ。
当初の合流予定ポイントだが……。
「この分じゃ無理だな」
これだけ感染者が集まっていたら合流は不可能だ。隊を危険に晒す事になる。
一度引き離す事も出来なくはないだろうがリスキーだ。ま、そういうプレイも面白いっちゃ面白いけど。
『体内ナノマシンの調整完了』
「もう良いのか」
『完全ではありませんが、現状ではこれ以上のパフォーマンスは望めません』
イオの体内のナノマシンは冷凍睡眠以前に一度損傷し、不完全な状態にある、らしい。
プレイ前のフレーバーテキストにもそんな事が書いてあった。補助脳だとかなんだとか。
ブルー・ゴブレットはそれを可能な限り修復したが、ナノマシンに蓄積されていたデータの喪失はどうにもならなかったそうだ。
その為イオが積極的に戦闘経験を得る事を推奨していた。
『今後更にバージョンアップを進めます』
「そりゃ良い。さて、登るか」
イオは更にホテルの壁を登り始める。内部は感染者が溢れ、それを閉じ込める為に出入口が封鎖されていた。
ホテルの屋上で荒れ果てた街並みを眺めていると、クルーク・マッギャバンから通信が入る。
『軍曹、すまない、スケジュールが大幅に遅延している』
合流予定時刻は過ぎていた。
『感染者の回避に手間取ってしまった』
「作戦には想定外の事態が付き物だ」
『そちらは既に合流ポイントに居るのか?』
「あぁ、だが……」
イオは眼下を見下ろす。先程よりも更に増えている。
視線を一度切っても容易に離れて行かない所を見るに……気配とでも言うべき物を感じ取っているのか。
それともそういった習性なのか。何にせよ合流困難と言う状況に変わりはない。
「少尉、こちらには来るな。感染者が多過ぎる」
『……了解した。ポイントAは破棄。ポイントBに移動する』
「そちらは今どこに?」
『軍曹から北に三キロ程の位置だ。移動している。感染者の数は多くない。振り切れる』
「好都合だ。タスク更新に伴い、感染者の誘引を再開するぞ」
『? 分かった。だが軍曹、無理はしないでくれ』
イオは端末を操作しながらブルー・ゴブレットに命令する。
「(ゴブレット、やれ)」
『イグニション』
途端、一キロほど離れた位置のガソリンスタンドが大爆発を起こした。
轟音、振動、真っ黒な煙が噴き上がる。
鬼ごっこの途中でブルー・ゴブレットに細工させたのだ。
『うわっ、軍曹! 無理をするなと言ったばかりだぞ!』
「奴らは音に集まる。少尉達のルートは多少安全になるだろう。以上、通信終わり」
『軍そ』
通信終了。下を見ればホテル前に群がっていた感染者達もガソリンスタンドの方へと誘引されている。
ただでさえ荒れ果てた街の景観を更に損ねてしまったが、まぁ無意味では無かった。
これで少し楽になりそうだ。鬼ごっこを再開しようとイオが屋上の縁に手を掛けた時、再び端末に通信が入る。
クルークではない。3552で使用されるコードとは全く別の物だ。
「ふん? 新しいイベントかね」
端末を弾いて応答する。聞こえて来たのは女の声だ。
『どうやら派手にやったらしいね。アンタの仕掛けだろ?』
「……誰だ? この街に生き残りが居たのか。……誰だか知らないが、ひょっとして迷惑を掛けちまったか」
『いや、別にそうでもない。イオ軍曹、アンタの事は聞いている』
「そうかよ。俺はアンタの事など知らん」
ノイズ交じりの通信。女の声は憔悴しているようにも聞こえる。
『……こちらはシンクレア・アサルトチーム・ナンバー4。作戦コードはリーパーだ。
イオ軍曹、支援を要請する』
シンクレア。この前の連中か。
「それはジョークで言っているのか? こちらの事情は知っている筈だ。支援が欲しいのは俺達だ」
『頼む軍曹、重大な任務なんだ。話だけでも聞いてくれよ』
「手短に宜しく」
イオは出発を後らせることにした。縁に腰掛け先を促す。
『これは機密にあたる、口外は避けてくれ。
私はこの街にあるカラフ・ウィルスの研究データを回収しにきた』
「研究データ? こんな……最前線を通り越したような場所で研究を?」
『研究チームはそれが絶対に必要だと考えたらしい。実際に成果も上がってた。
だが……トラブルが起こった。チームは全滅した』
「トラブル」
『最後のデータ受信で彼等が治療薬のプロトタイプを完成させた事が確認された。
どうしてもそれが必要なんだ。……これはカラフ大陸だけの問題じゃない。シタルスキアの未来に関わる』
イオは肩を竦めながら質問した。
「どうして俺なんかの助けが必要なんだ? アンタらは特殊部隊なんだろう。万全の支援を受けられる筈だ」
『ウィードランにこちらの動きを察知されたのさ。私達は奴等や感染者達と交戦し、壊滅状態だ』
「生き残りは?」
『私だけ』
どこか投槍な返答だった。仲間を失ったからか。
『撤退する事は出来ない。治療薬は、鱗付きどもには勿体無い。必ず持ち帰る』
「俺に態々頼むって事はアンタには増援も無いって事か」
『無いのは時間だ。既に救援部隊がこちらに向かっている筈だがとても間に合わない。
私も時間稼ぎはしたけど長くはもたないだろう」
頼む。そう、リーパーは言った。
『チャージャーが言っていた。使える男だと』
「アンタの都合の良い様に、か?」
心にもない軽口だった。これがゲーム内の進行イベントなのだとしたら拒否も何も無い。
『エージェント・イオ、ウィルスの治療手段は人類種の存続に関わります。
ミッション更新。治療薬を回収してください』
「(OKだ)」
ブルー・ゴブレットからGOサインが出た。ならば尚の事、やるだけだ。
何かクリア報酬があれば良いんだが。
『軍曹、アンタ達が酷い状況に置かれてるのは知ってるんだ。でも』
「もう良い。状況は分かった、アンタを手伝おう。合流ポイントを指定してくれ」
手早く情報を交換する。リーパーの声に、僅かに力が戻った。
『ありがとう、軍曹』
イオは通信を遮断し、再びクルークに繋いだ。
「少尉」
『軍曹、こちらは取り込み中だ! 手短に!』
「プランBだ。俺の事は置いて行け」
『……何? 何だと?! 何があった!』
「トラブルさ」
クルークはがなり立てる。
『状況を知らせろっ』
「ポイントBを破棄。街の外で合流しよう」
『それは貴官が危機的状況にあると言う事か?』
「いや、街の様子を見るに、やはりポイントBでの合流は危険だと判断した」
単純に3552を脱出させるだけなら装甲車を突っ走らせる方が安全だ。
クルークやカーライル達にその覚悟があれば、感染者達を踏み潰しながら突破する事が出来るだろう。
『まさか死ぬ気ではないだろうな』
「そんなつもりはないが、何故そう思った」
『本当か? 私に適当な事を言ったら許さないぞ』
『少尉、このルートはヤバい! 指示を!』
『少し待て! 何とか切り抜けろ! ……軍曹、本当に戻って来るんだな?』
「答えはYESだ」
クルークは大きく溜息を吐く。
『……はぁ……分かった』
『少尉、突っ込みます、捕まって!』
『ルートを変更する! プランBだ!』
『は? 軍曹を置いて行くと?』
『彼自身の要請だ!』
『……クソッタレ!』
カーライルの怒声。イオは頭を掻く。
「忙しそうだな。通信終わるぞ」
通信終了。イオは今度こそ移動を再開した。
――
奇しくもイオは事前に計画していたプランBの通りに下水路へと潜り込む事になった。
シンクレアチームのリーパーは合流ポイントに程近いマンホールを指定したのである。
研究チームの拠点は地下に置かれていたらしい。この街の有様を見れば妥当な判断だと思えた。
下水と言うと汚物に満ちた汚らしい陰鬱な場所を想像しがちだが……。
この下水路は正にそれだった。黴臭さと腐敗臭。淀んだ空気。
イオはほぉ、と感心しながら周囲を見渡す。このゲーム、こういった薄暗い雰囲気の所もよく作り込んである。
「イオ軍曹、支援に感謝する」
リーパーはマンホールを降りて直ぐの位置で待ち構えていた。
以前出会ったチャージャー達が装備していたのと同型のSFチックなアーマー。
肩の部分には小型のライトが装着されていて、それがイオを照らす。光が強い。
「眩しい」
イオがそう言うとリーパーはライトの角度を変え、足元を照らす様にした。
「頼んでおいて何だが、本当に来てくれるとは思って無かったよ。
……一応聞いておくが、撮影機器の類は持ってないよな?」
言いつつ、リーパーはヘルメットのバイザーを解除した。
顔面を保護する部分が折り畳まれて収納され、顔が露わになる。
気の強そうな目、キリと吊り上がった眉。ブロンドの美人だ。
「俺の作戦目的には、人類を存続させる事も含まれてる。ウィルスは邪魔だ」
「それは……また、何と言うか……崇高な使命だね。まぁ良い。嬉しいよ、同志に会えて」
「因みにゾンビ映画を見るのは好きだが、実際に体験したい訳じゃ無い」
「ふっ、同感だ」
ゴブレットが茶々を入れる。
『彼等は一般に定義されるゾンビとは大きく異なる存在です』
「(そんな事は分かってる)」
リーパーはイオに向かって直立不動になり、右こぶしを胸に当てて見せた。
敬礼らしかった。
「軍曹、これは本当に重要な任務だ。何としても治療薬を回収する。
例え何が起ころうとも、だ」
「ほぉ」
「私は命を懸けてる。場合によってはアンタにも……死んでもらうよ。覚悟は決めておいてくれ」
「その時は俺の代わりに、お前達が3552の面倒を見ろよ」
事もなげに答えたイオにリーパーは何を感じたのか。
小さく微笑んだ後、ヘルメットを操作してバイザーを展開する。
「詳細は移動しながら説明する。こっちだ」
リーパーは油断なく小銃を構えながら薄暗い下水路を先導し始めた。
――
下水路には所々人間の死体が転がっていた。射殺された感染者達だ。
何処から入り込んできたのやら。
「ウィルスの感染拡大や鱗付きどもとの戦闘から避難する為、相当数の住人が下水路に降りた。
彼等は殆ど生き残れなかったようだね」
通路は分かれ道が多く、アップダウンも激しい。リーパーはその中を迷いなく進む。
「この街、何て名前だったかな」
「ヨルドビークだ。カラフ大陸の主要道路からちょっと離れていて、他所と比べたら田舎臭かったが……住民は良い奴ばかりだったよ」
「此処に詳しいのか?」
「私の故郷さ。シンクレアの選抜試験を受けるまでは此処にいた」
イオは慰める事も、根掘り葉掘り聞く事もしなかった。
その態度をどう受け取ったか、少なくともリーパーのAIは好感を示した。
足音を消しながら更に進む。汚水の流れる音が二人の気配を消してくれる。
とあるメンテナンスドアに差し掛かった時リーパーはライトを消した。
「暗視装置はあるね?」
イオは無言でバイザー型のナイトビジョンを起動する。
視界が緑色に染まり、その中でリーパーの友軍識別用信号がチカチカと点滅を繰り返している。
「OK。ここから先は敵と遭遇する可能性がある。注意してくれ」
「研究施設はこの先か」
「1㎞も無い。急げば直ぐだ」
「……敵は既に施設を占拠してるのか」
「数時間前交戦した時にシステムをロックしてから逃げて来た。簡単にはアクセスできない筈さ」
そうか、と素気なく返事しながらイオは手に持つレイヴンの状態を確認する。
このゲームはいつだって気を抜いてはいけない。油断は必ず自身に跳ね返って来る。それも最悪のタイミングで。
それを、イオは以前プレイ中にレイヴンの重要パーツの脱落と言う事故によって学んだ。
「チェックOK。行こう」
「音を出すなよ。発砲もギリギリまで控えろ。サプレッサーは完璧に音を消してくれる訳じゃ無い」
イオのレイヴンには新たに消音機が装着されていた。リーパーが移動の途中渡してきた物だ。
全長が長くなるのでイオの好みではないが……。
これによってアドバンテージが得られるのなら使う他無い。
「もし私がくたばった時は、私の端末を使って施設のシステムを掌握してくれ。
アンタの端末は……リトル・レディ? なんてこった、とんでもない骨董品だ」
「3552小隊は物資不足でね」
「……仕方ないか。員数外扱いの少年兵部隊だ」
「兎に角、出来る限りの事はする」
「分かった。それだけ聞ければ満足だ」
リーパーはメンテナンスドアのロックを慎重に解除し、密やかにその中へと滑り込んだ。