ケアリヴ難民キャンプ
『アルタンカーク艦長、シヴドラドだ』
「こちら、イオ・200」
『ダイヤモンドフレーム、貴官らの奮戦に敬意を表す』
その初老の男は、通信ウィンドウの向こう側で最敬礼をとる。
周囲に残された兵士達が集まって来ていた。彼等に表情は無かった。
「3552は無事か? クルーク少尉はどうしてる」
『何も心配は要らない。少尉は過労から失神してしまったが、命に別状はない。
子供達も、その他も、我々の命に代えてもアウダーに送り届ける。必ず』
「感謝する」
何処からかトカゲの雄叫びが響いて来た。そう遠くない。
船の脱出完了は、兵士達の張り詰めていた緊張の糸を切った。
疲労の極限にある彼等を支える物は、もう何も無い。
ウィードランは間近に迫りつつあった。
「アルタンカーク、最後に……」
イオは兵士達を見渡した。
彼等は何も言わない。すべて受け入れていた。
「……艦砲射撃を要請する。オクサヌーン・ポートの機能を破壊してくれ。
ウィードランにくれてやるには惜しい」
『…………良いのだな』
「元からそう命令されていたんじゃないのか?」
シヴドラドは目を伏せ、沈黙した。
『……全砲塔射撃用意。攻撃目標、作戦要項アルファ。
何か、言い残す事はあるか?』
イオは、もう一度兵士達を見渡した。
彼等はやはり何も言わなった。
ならばと、呆けた頭で考えて、漸く一言だけ捻り出す。
「人類の夜明けを、共に」
兵士達はそれに続いた。
「共に」
「夜明けを共に」
「人類の夜明けを、共に」
シヴドラドも、それに応えた。
『砲撃開始。情報班、彼等の姿をアーカイブへ追加しろ。
せめてそれだけでも、アウダーへ連れて帰ろう。他の多くの記録と共に』
轟音と風切り音。酷くシャープなそれ。
まず初めに湾港管制施設に着弾。爆炎が上がる。
一瞬で炎が立ち昇り、貨物搬送用のマグネットクレーンが薙ぎ倒される。
次いで接舷部位。イオ達から僅かに40mほどの位置が爆ぜ、最早大型船は侵入出来ないだろう。
「アルタンカーク、感謝する。要請は以上だ。通信終わり」
次々と降り注ぐ砲弾。破壊されていく港。
破壊の雨の中を、まるで散歩するように歩く。
装備をチェック。レイヴンも、SOD7も大分痛んでいるが、使えない事は無い。
「ゴブレット」
『はい、イオ』
「お前の全てが好きって訳じゃ無いが、……まぁ、こういうのも悪くないな」
『光栄です』
至近弾。飛礫が襲う。イオは気にもしない。
その後姿を兵士達は敬礼で送る。彼等は残るつもりでいるようだ。
「脱出する。俺達の戦いはまだ続く」
『脳機能補正、肉体強化、高度戦闘支援準備完了。
ブルー・ゴブレットは複数の脱出ルートを提案出来ます。
貴方に勝利を』
全てが鉄と炎に呑みこまれていく。
イオは走り出した。
――
――シタルスキア統一歴266年。7月12日、PM01:00
――アウダー大陸西海岸、ケアリヴ難民キャンプ
記録ユニット、人工精霊『ブルー・ゴブレット』
ナタリー・ヴィッカーは声も無かった。覚悟はしていたのに。
カラフは奪われ、沢山死んだ。ナタリーの恩人も。
端末に記録された画像を追っていく。
クルーク達3552と、カーライル達戦闘工兵、そしてイオが居る。
色んな表情をしている。険しかったり、苦しかったり、笑っていたり、寝ていたり。
肌寒い風の吹き付けるアウダー西部沿岸には、カラフからの脱出者を受け入れる為の大規模キャンプが作られていた。
そこでは皆飢えていて、未来に怯えていて、不安に押し潰されそうになっている。
メディアは彼等に飛び付いた。ナタリーもその中の一人だった。
ほんの数日前までは暗殺される危険性から碌に外も歩けない有様だったが、ヴィットー・クーランジェ元議長の庇護によって漸くどうにかなった。
そして、彼女はより凄惨な物を目にする事になった。
座り込んでいた砂浜から立ち上がる。眩しい青海の遥か遠く、鈍色の雲が見えた。
照り付ける太陽は程よく熱く、しかし風は冷たい。
ナタリーは潮風で乱れ、べたつく赤い髪を直しながら後ろを向く。
「ナターシャ、一人で行動するのはまだ危ないですよ」
穏やかな顔をした女が立っていた。アップに纏めた黒髪が美しい。シーヴァと言う。
クーランジェから派遣されたナタリーの護衛だった。ヴィットーと言う男はイオ・200に義理立てしているようで、彼が死んだ今もナタリーの為にあれこれと差配してくれている。
彼女はオクサヌーンでイオとヴィットーの顔つなぎをした事もあると言う。
化粧や服装の微妙な加減で印象や見た目の年齢をがらりと変える事が出来る、スパイみたいな女だ。
「気が付くと、視線が海に行ってしまって」
「気持ちは分かります。イオ・200と行動を共にした貴女なら尚更でしょう」
戻りましょう。
風で乱れる髪を抑えながら、シーヴァは言った。
海岸から古ぼけた道路を挟んでキャンプはある。
周囲には何も無く、最寄りの都市までは12㎞。キャンプ自体の規模は20平方㎞にも及んだが、それでもキャパシティが足りず、今尚増築が進められていた。
様々な人が居た。民間人のみでなく、軍人も。
カラフから脱出した少年兵達もここに。軍は彼等を持て余していて、扱いは雑だった。
突貫工事で作られた各種手続きを行う為の詰所。警備の兵士達がナタリーに敬礼する。
初めは何故そんな態度を取るのか分からなかった。聞けば、彼等は「貴女は軍曹の戦友だ」と言う。
今やアウダーで彼の名とその戦果を知らない者は居ない。このケアリヴ海岸の難民キャンプでならば尚更だ。
ナタリーは特別扱いを受けていた。それはプラスに働く事もあり、その逆もあった。
「ドレース」
「あぁナタリー! ちょっと手伝ってくれ!」
入ってすぐの場所には小さなバスケットコートが作られていた。ちゃんとゴールポストもある。
ナタリーの相方であるカメラマンのドレースは、避難民の子供達を相手にバスケットをしているようだが、どうも運動不足の彼には荷が重い。
ちらり、辺りを見渡してもメディア関係者は居ない。
それはそうだ。彼等は苦痛に震え、悲壮感に打ちひしがれる難民達の姿を撮影したいのだから、こういった“ガス抜き”スペースには近寄らなかった。
「ナタリー?」
「ナタリーだ! ねぇ、こっち来てよ!」
ナタリーは子供に手を引かれ、コート脇の椅子まで連れていかれる。
「イオ軍曹の事、教えて!」
「あら、昨日も言ったでしょ? 彼の事は軍の重大機密なの」
「でも聞いたよ! 色んな、その、作戦とかに関わらない事なら大丈夫だって!」
「仕方ないわね」
ナタリーは語って聞かせた。
彼のいつもの仕草。口調。その勇敢さと真面目さ、責任感の強さ。
しかし戦いの場になると一転し、皮肉屋である事。
「パパが、言うんだ。パパはね、コルウェでイオ軍曹と一緒に戦って、助けて貰ったんだって!
『あの人みたいになれ』って。もしパパが死んじゃったとしても、パパの代わりに家族や仲間を守れる男になれって。シタルスキアの為に戦える男になれって」
「そうね、良い事だわ」
でも彼がそれを望むだろうか。
戦争は大人がやる、といつか言っていた。戦争は子供の物じゃ無いと。
戦いなどこの子達にさせるべきではない。我々の責任はどこに行ったのだろうか?
――イオ、貴方の伝説は、人々を戦いに駆り立てる
「もう、行くわ。また遊びましょう。
ドレースならバスケットでも何でも付き合わせて良いからね?」
「な、ナタリー、僕はもうへとへとなんだけど」
ナタリーはドレースの肩を叩いてその場を去る。
移動の為の無人車は整備されていたが、ナタリーはシーヴァとキャンプの中を歩いた。元より目的地はそう遠くない。
色々な所に顔を出した。兵士達は歓迎してくれる。ナタリーの強みだ。
普通のメディアが立ち入れない場所でも、彼等は融通を効かせてくれる。
途中、3552のパクストン・コルニーニ、ショーティネス・ハウザーに出会う。
彼等は難民護衛の兵士達に混ざって訓練に参加していた。
「早く、大人にならなきゃいけないんです」
パックスは走って、腕立て、走ってスクワット、走って……もう何でもいい。
何かに追い立てられるように、只管に自分を苛め抜く。
「鍛えて食えばでかく、強くなれる。今度は俺達が仲間を守る。トカゲなんてぶっ潰してやる。
イオ軍曹や、カーライル伍長達がそうしてくれたように」
背の低さを気にしていたショーティはそう言う。自分の弱さを嘆いている暇は彼等には無いのだ。
食料は足りていなかったが3552には優先的に配備されていた。それは依怙贔屓と変わりなかったが、彼等は受け入れた。
くれると言うなら貰っておく。逃亡生活によって身に着けたある種の図々しさを、遺憾なく発揮して。
「彼の望みは」
「分かってますよ!」
パックスは泣いていた。泣く事しか出来ない自分が大嫌いだった。
「生きろって!」
周囲で見守る兵士達は目を伏せている。
「でも、生き方くらい自分で決めさせて貰います!」
20キロのウェイトを担いだまま体力練成。ナタリーには止められなかった。
「隊の仲間だって皆頑張ってる! クルーク少尉だって、あのままじゃ終わらない!
絶対にもう一度、俺達は……!」
クルーク・マッギャバン。
ナタリーは次の目的地を目指した。
クルーク・マッギャバンは塞ぎ込んでいる。当然だった。
最後の最後に、隊の仲間は彼女を除け者にした。嘘を吐いて騙した。
イオがオクサヌーンに残ったと彼女が気付いた時、その心境はどれ程の物だったろうか。
彼女に与えられたテントの入り口には専属の護衛が付いている。
昼夜を問わず押し掛ける取材記者達がその理由だ。今も、ほら。
「今日も取材はさせて貰えないのか」
「一体いつになったら?」
ナタリーは激しく苛立った。時間をずらせば良かった。
護衛の兵士達は頑として彼等を通さない。
彼等の横を擦り抜けて、兵士の前へ。
「グレッグ、こんにちは。クーリィはどんな調子?」
「ミス・ナタリー、ようこそ。一応、許可証を。日時も記録させて貰います。
少尉殿はいつも通りです。……この煩い連中が居なくなれば多少はマシになると思うんですがね」
グレッグの持つツールで生体スキャンと記録が行われる。
「いつも通りですが、目的は面会ですね?
ルールの順守を宜しくお願いします。取材に類する会話の禁止。クルーク少尉の持つ“守秘義務”に配慮して頂く事」
「OKよグレッグ。いつも通りね」
背後からの雑音に顔を歪めないよう、必死に引き締める。
「また奴だけ特別扱いか」
「何だ知らないのか? フレッチャーのあの記者、イオ軍曹の“コレ”なのさ」
「だからVIPとも顔パスって?」
グレッグが不快感を露わにしながらも宥めようとしてくる。
「あー、ミス・ナタリー。連中には、俺の同僚が後で礼儀を教えておきます。
安心してください。このキャンプの中で自分達がどのように思われているか、しっかり認識させておきますので」
「グレッグ、そんな風に気遣ってくれなくても」
しまった、耳栓をもってくれば良かった。ナタリーはその時後悔した。
「しかし入り口を兵士に護らせ、個人用のテントか。
クルーク・マッギャバン少尉ってのは余程のお姫様なんだな」
「事実そうだろ。悲劇のお姫様さ。少尉だけじゃない。どいつもこいつも……。
だから俺はこのキャンプが嫌なんだ。皆不幸に酔っぱらってる。自己陶酔の極みだ」
ナタリーはくるりと向き直って記者達に突進した。
カラフではイオの後ろをついて回ったぐらいの肉体派だ。安全な連合軍本拠大陸で小ネタを追いかけ回していたフニャチン共に負けはしない。
一人突き飛ばして転倒させるともう一人を
……どうこうするまでもなく、一人の大柄な兵士がその頭を引っ掴んでいた。
「よう、オイ、どこの局だ?」
「お、あ、は、離せ」
「このエンブレムが見えるか? ん?」
「シンクレア・アサルトチーム……!」
「そうだ。作戦IDブーマー、お前らを俺達の特設スタジオに招待してやる。
連合軍最精鋭の中でもとびきりのタフガイどもに取材させてやる。感謝しろ」
兵士はヘルメットに包まれた頭部をナタリーに向け、肩を竦めて見せると、そのまま記者達を引き摺って行く。
あわや大騒ぎになり掛けたテント前は静寂を取り戻した。
――彼等に睨まれたい人間は、メディアの中にも居ないわね。
シタルスキアの市民に、今最も支持されているスペシャルフォースが彼等だ。
「……何の騒ぎか」
テントの前垂れを開いて少女が顔を出す。金色の、表情の無い、青褪めたお姫様。
クルーク・マッギャバン。
ナタリーは取り敢えず、微笑んで見せる。
「……ナターシャ、また、来てくれたんだな」
「クーリィ、元気?」
「入ってくれ。歓迎する。ミシェルも来てるんだ」