ハーティー・グッドマン
どんどん死んでいく。知ってる奴も、知らない奴も。
ウィードランの攻撃は苛烈さを増していく。地盤沈下作戦によって求めていた物の大半を破壊されたトカゲの軍団は怒りに燃えているようだ。
唯一残された港の機能は奴等だって欲しい筈だが、手加減と言った物を一切見せない。
“必要経費”と割り切っているのか、或いは何もかもどうでも良くなったのか。
兵士達が命を捧げて僅かな時間を稼ぎ、イオはその陰で奇襲攻撃を重ねる。
それの繰り返し。
しかしトカゲどもは決して諦めない。怯む事も無い。
段々と、打てる手立てが無くなって来る。それでも悪足掻きを続ける。
殺して、殺して、殺した。ついて行く者達は言葉も無い。
悲鳴無く、雄叫びも無い。麻痺し切った感覚。表情も虚ろな彼等は正しく亡霊の如き有様だ。
「ロンデス通りの煙突パン屋。真赤な靴のあの娘がキュート」
ジャンプユニットで飛び上がったボロアパートの屋上。
先行していた猟兵チームが遠視ユニットを覗き込みながらイオを待っていた。
「おいらの稼ぎじゃ花も送れない。それでもあの娘はにっこり笑顔」
屋上の変電機に凭れ掛かる猟兵がぶつぶつと言っている。
耳を澄ませてみればどうやらそれは歌らしい。
その猟兵はイオに一枚の硬い質感の布を差し出して来た。
熱や電磁波、遠視装置のピックアップ機能を無効化する特殊素材の偽装マントだ。
いや、フード付きのケープかクロークか。アーマーの上から着込む事を想定され、かなり大きい。
「スカウトチームのヘソクリだとさ……。代わりに使ってやらなきゃな……」
それを頭から被る。猟兵は通りに向き直りながら未だぶつぶつと歌っている。
「帰ればあの娘が待っている。帰ればあの娘が待っている」
イオはその様子には触れず、遠視ユニットにかぶりついている猟兵に聞いた。
「敵は」
「全て、計画通りに」
大口径狙撃ライフルが用意されていた。マルチシチュエーションランチャーも。
そして攻撃ポイントはここだけではない。
「ラストスタンドだ。後少しで船が港を離れる。それまで徹底抗戦を行う」
「もう弾も残り少ない」
「敵から武器を奪え」
「…………アンタは、どうしてそこまで戦える?」
北から南まで約16kmの防衛ライン、9ヶ所の防御陣地を駆け巡り、奇襲、陽動、反撃、何でもこなしてのけた。打ち付ける敵の波を跳ね返し、或いは押し留め、船に近付けさせなかった。
口にするのは簡単だが、イオについていける者はタフガイ揃いの選抜猟兵達の中にすら居なかった。
活力剤でも補えない程に消耗し離脱する者、或いは重傷を負い、もっと悪ければ死んだ者。
ハーティーもイオの行った戦闘全てに参加している訳では無い。
ボロボロの肉体に、活力剤と回復剤を過剰投与して無理矢理走り続けるゾンビーユニット。
今や兵士達はイオが人間だなどと信じてはいない。そんな事気にするのも億劫な程打ちのめされているから、誰も口にしないだけだ。
猟兵からぽろりと漏れたその質問から、彼にまだ人間性と思考能力が残っている事が窺えた。
「極限状態に晒された人間はどのようにケアしようと長くは保たない。
つまり、逆説的にアンタは人間じゃない」
「だったらなんだ?」
イオは自前の遠視装置を取り出し、遠方の敵を確認しながら冷たい声音で返す。
「例え俺達が、トカゲの技術によって生まれた“人間未満”だったとしても。
それでもすべき事は変わらない」
見た事も無いドローンを連れたトカゲの斥候部隊が見える。
散々味方を吹き飛ばされて、漸く爆薬の恐ろしさを学習したらしい。トラップが無いか入念にチェックしつつ、後続を誘導している。
「俺が怖いか」
「怖いね。……誰も彼も、アンタが一言「ついてこい」と言えば、あの世に向かって突っ走る。
生き残るのはアンタと運の良い何人かだけで、大体の奴はそのままくたばる」
「そうかもな」
「アンタは死神だ」
「じゃぁ。お前はついてこないのか?
それでも構わない。だがもう、誰も逃げられはしないんだ」
その猟兵は遠視ユニットをツールポーチにしまう。
やはり、うつろな目をしている。
「行くさ。俺も、もう疲れた」
数をすり減らした猟兵チームが戦闘態勢に移る。
ぶつぶつと歌っていたあの兵士は、ライフルスコープを覗き込みながらまだ歌っていた。
「早くあの娘を迎えに行こう。ユナティの海風になって、早くあの娘を迎えに行こう。
わーお、わーお、わおわおわー。わーお、わーお、わおわおわー」
イオは屋上から飛んだ。
「選抜猟兵、攻撃開始。ハーティー、敵カウンター部隊のリアクションに合わせて挟撃しろ」
そしてまた、猟兵チームは炸裂する火薬と鉛の雨の中で敵を殺した。
その命と引き換えに。
時に瓦礫に、時に泥に、時に戦友たちの死体の中に紛れ。
音も影も無く死角に入り込み、苦しみに喘ぎながら、血走った目で、呼吸すら殺して命を奪う。亡霊の名に相応しい有様。
人もトカゲも恐れる死神を先頭に、死と混乱を撒き散らして。
そして最後には何も残らない。しかしさしもの亡霊達も一つ、また一つと欠けて行き。
帰り着いたのはイオとハーティーだけ。
これまで誰も彼もが命を捧げた様に、彼等もそうした。それだけだった。
二人は、猟兵達のタグを集めていた。遺体は持っては帰れないから。
――
攻撃に費やせるリソースは既に無かった。
車両やドローンどころか弾の一発すら惜しい状況だ。
港とそのアクセスルートを強力に守っていた迎撃システムや、ディフェンダー発生装置もまともに機能しなくなった。
ウィードランは意気揚々と押し寄せてくる。
『誠に、誠にすまないが支援砲撃を終了し、……ヴァローヴェーリンは出航する!
各員、カラフの同胞達に、敬礼!』
人と物でぎゅうぎゅう詰めになったヴァローヴェーリン。甲板で海兵達が敬礼する。
港でへたりこむ兵士達は泣きそうな顔でそれを見ている。
敗残兵の集団の中、将校が叫んだ。
「さっさと、さっさと行けぇ! トモス部隊の砲撃が来る!
逃げろ! もう誰一人として死なせるな!」
洋上2kmの位置でアルタンカークは砲撃を続けていた。
オクサヌーンポートを迂回した敵ファイアフライ・スウォームの攻撃を跳ね返しながら、誰もが険しい顔で踏み止まる者達の事を思う。
そしてイオは更なる奇襲攻撃を完了させた直後だった。
太腿を撃ち抜かれたハーティーを引き摺り、味方が儚い抵抗を続ける防御陣地に転がり込む。
「船はもう出航したか!」
乱暴に緊急処置ジェルを塗りたくり、包帯と止血システムを巻き付けながらハーティー。
どこか呆けたような顔をした兵士が答える。
「ヴァローヴェーリンが出発した。任務完了だ」
その場にいる者は顔を見合わせた。
やっと、終わった。張り詰めていた物が切れた。
艦載ディフェンダー発生装置は大型の強力な物で、トモスの集中砲火を浴びたりしない限りは破れない。
「……後退命令を」
後退、と言っても既にここは港から500mの所だ。
とっくに敵トモスは防衛目標を射程に収めていて、それの注意を逸らすためにイオ達猟兵チームは奇襲を繰り返していたのだから。
ビルとビルの谷間、狭隘なサブストリート。今も絶え間ない銃声と爆発音が聞こえてくる。
工兵部隊の設置した長さ6m、三段構えのシールドはスクラップ寸前で、この防御陣地も陥落間近だ。
――もう、良いんじゃないか
誰かが言った。疲れ果てた兵士達の総意だった。
逃げ場はない。攻める力も守る力も残っていない。
その防御陣地の指揮官はイオの顔を見ながらずるずるとへたり込む。
「これより……これよりは、各員の判断に任せる。
全て終わった。お前達は義務を果たした。最後くらい好きにしろ。
戦うのも逃げるのも、自由にしていい。……こんな状況に追い込んでおいて無責任だとは思うがな」
兵士達は上手く反応出来ないでいた。困惑では当然無かった。肉体と精神の限界、感覚の麻痺だ。
一人、銃を放り出し、隠し持っていたウィスキーの蓋を開ける。
「乾杯。シタルスキアに」
直ぐ近くでは今も鉛弾やエネルギー弾がシールドに撃ち込まれ、鈍い音を立てているのに。
誰も咎めなかった。当然、イオとハーティーも。
無理も無かった。ハーティーですら満足気な笑みと共に頷き、これから訪れる運命を受け入れていた。
イオは尋ねる。
「現在の最上位指揮者は?」
「……さぁな。とっくの昔に指揮系統なんて滅茶苦茶だ。ヴァローヴェーリンの指揮に対応可能な部隊が現場判断で連携していたに過ぎない」
「そうか。じゃぁ、もうなんでも良いって事だな」
言いながらハーティーの太腿を確かめる。
緊急処置ジェルが効果を発揮していない。彼の表情はともかく、顔色は酷く悪い。
「(ゴブレット、ハーティーは)」
『許容量を超える回復剤、及び活性剤の投与を短期間の内に繰り返した為、ハーティー・グッドマンの肉体は限界を迎えています』
「(無理に付き合わせてしまったか)」
塗布された処置ジェルの中でハーティーの血が結晶のように幾つもの塊を作っている。血は、じきにジェルを押し流してしまうだろう。
止血システムのお陰で辛うじて失血死は免れているが、時間の問題だ。
「傷口を焼く。少し待て」
「止めてくれ。結構な大穴が開いてる。焼いてどうにかなるような物じゃない」
これ以上、痛い思いをしたくないからな。
ハーティーは冗談めかして笑う。
「……俺は港へ向かう。ついてくるか?」
「ここまで貴方についてきたんだ。置いてけぼりは無しだ」
兵士が一人、どこか遠くを見やりながら聞いてきた。
「まだ戦うのか、死神」
「さぁな」
「……もう少し、この防御陣地を維持しといてやる。さよならだ」
500m。疲れ果てた身体にはちょっとした距離だ。
敵の攻勢も鬱陶しい。
やかましく飛び交っていた通信が極端に少なくなった。
あれほど怒号と悲鳴で満ち溢れていたというのに。
戦場音楽が奇妙に遠い。イオはハーティーに肩を貸し、重たい足取りで港までのストリートを歩く。
のたり、のたりと、最後の、500m。
「ハーティー、用意周到なユアリスの事だ。
港を破壊する準備くらいはしてあるんじゃないか?」
「貴方は最後の最後まで戦いの話ばかりだな。
……秘密作戦の類だから詳細までは知らないが、確かにそういう話はある」
「プランは?」
「別に、何も。最後の船が離れた時点で港を吹っ飛ばすって話だったが……。
今そうなってないって事は、何か失敗したんだろう」
ハーティーの息が荒い。
互いに血と泥に塗れ、それは噴き出す汗で汚らしく広がり、視線は定まらない。
足を引き摺り歩く。遠く背後で弾ける火薬の音がする。ドラムを叩いているようにも聞こえる。
鉄の音楽から遠ざかるように、もう何も残っていない筈の港を目指す。
「う、ぐぅぅっ」
苦悶の声を上げるハーティーの、彼の流す血が赤い足跡に、赤い道になる。
最後に残った活性剤をツールに装填し、首に叩き込む。彼は不快感に顔を歪める。
「海が見たい」
「もう目の前だ、ハーティー」
「夕陽が映えて、美しいだろうな」
今更になってイオも、耐え難い脱力感に膝を折り掛けていた。
でも、もう少し歩いていたい。
「18歳の時に、両親が死んで」
「……昔の話か?」
「俺は、不良って奴だった。どうしようもないクズだったな」
ハーティーはぼんやりと語り始めた。
恐らく遺言になる。イオは彼を支えて歩きながら続きを待つ。
「でもその8カ月後に、子供が生まれたんだ」
「それは……」
「人生が変わった。嘘じゃない。俺はやり直そうと思った。絶対に、そうしなきゃならないと」
ハーティーは唸り声を上げながら歩く。少しだけ、速度が上がる。
「何も無い俺に、軍は最後のチャンスを与えてくれた。俺は我武者羅にやった。軍は応えてくれた」
「そうか……」
「でも、リックは死んだ。妻は、カリーナは離れて行った」
イオはハーティーの顔を見ないようにした。
名誉ある男なら、見られたくない筈だと思った。
「俺にはここしか居場所が無かった。軍以外じゃ、生きていけない」
大きなT字路を曲がれば潮風が吹き付けて来た。最早爆炎、砲声も遠い。
「海が見えたぞ、ハーティー」
ハーティーはへたり込む。イオは肩を貸すのを止め、彼を背負った。
「……詰まらない話を聞かせたかな」
「いや、お前の事を聞かせてくれて嬉しい。
だが、何故今?」
「何だか、貴方とずっと一緒に居た様な気がして。
もう何年も一緒に居るような……」
「確かにそうだな。ほんの少しの間、共に戦っただけの筈なのに」
戦いは人間の感覚を狂わせる。死の危険に幾度となく立ち向かう者達の一日は、24時間ではない。
もっとずっと濃密で、その中で生まれた物は、きっと強固だ。
例えほんの僅かな時間だったとしても。
「そうしたら、貴方に何も話していないのが、何だか不思議な気がしたんだ」
イオは笑った。
港には疲れ果てた兵士達の姿がまばらに見える。
皆、思い思いに最後の時に備えている。或いは戦闘準備を、或いは神に祈り、或いは友や家族に思いを馳せ。
彼等はイオに気付くと立ち上がり、背を伸ばし、敬礼した。
泣く者も居た。答礼する余裕は無かった。
波の打ち付ける場所、船の接舷ポイントまで辿り着く。
「やっぱり、美しいな」
太陽が落ちかけている。橙色の太陽が海面に跳ね返り、目が痛むほどに眩しい。
「カリーナは、夕陽のように美しい女だった」
「お前の妻に会ったら伝えて置く」
「“元”、妻だ」
イオはハーティーを降ろし、寝かせた。もう目も見えていないのか。
その隣に腰掛ける。波の音がする。
「ハーティー、俺はカーバー・ベイの出身で、多分お前よりも酷い人間だった」
そう、なのか?
彼の声はか細い。
「そうなんだ。だが俺も、お前と同じように……」
ふと、イオはハーティーの顔を見詰める。
手を翳す。
呼吸が無い。
「…………ハーティー。
ありがとう、ハーティー。
お前と共に戦えて、光栄だった」
イオは半開きのままのハーティーの目を閉じさせた。
リトル・レディを起動する。
「アルタンカーク、聞こえるか」