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本当はずっと、覚えていた



 激しい頭痛がする。知らず、奥歯を噛み締めていた。

 ぐるぐる喉の奥で何かが回っている。喉に指を突っ込んで吐き出してしまえば楽になれるのか。


 幻視、幻聴。イオ・200はもうとっくに、ずっと前から冷静じゃない。



 ――もし、もしも

   シタルスキアの全てが諸君らの事を何とも思っていないように見えても

   それは間違いであると、私は断言する


 謹厳な雰囲気の黒い影が肩を強く掴む。

 真直ぐこちらの目を覗き込み、瞬き一つしない。

 視線が只管の誠実さと狂的な情熱を伝えてくる。


 ――同胞だからだ。この統一国家は同胞を決して見捨てない。私もそうだ

   カラフ大陸の主導権を奪還する事によって、それを証明する

   人々は結束の力を思い出す。赫々たる諸君らの戦果を目にして


 影はすぐ隣に立つ誰かの肩を同様に掴み、またその目を覗き込んだ。

 そしてその隣、そしてそのまた隣。

 傍に立つ者達一人一人に、丁寧に訴えかける。


 ――これまでに捧げて来た犠牲と献身の程を……それを承知で言う

   今一度、諸君らの命をくれ

   この果ての無い戦争に勝利し! カラフに人類の安寧を取り戻す事が出来たとしたならば!

   ……それは私如きではない、正に、全く、諸君らの努力に寄らしむる物である


 愛と憎しみを同時に感じた。複雑な感情のうねりだった。

 嫌悪しているのに、影の放つ言葉を求めてすらいた。

 気持ちの悪い感覚だ。焦燥と、強迫観念と、言い知れぬ昂揚、喜び。


 ――諸君らが故郷と人々の為に如何にして戦ったか! それは!

   その時こそ、不滅の栄光と共に記録され、人々に受け継がれてゆくだろう!

   ……全ての同胞達の為に!



 『違うのさ、ユウセイ。誰も俺達の事など覚えていなかった』

 『一時的に同調レベルを制限します。因数外のデータ流動を確認』

 ――おい200、生き残れたら何をする? 俺はもう戦争は御免だぜ

   一緒にパン屋とか、運送屋をやるのはどうだ? ……まぁ、除隊許可が下りれば、だが

 『トカゲを殺す為なら死ぬのは怖くない。でも俺達を、どうしてここまで蔑ろに出来る?

  俺達の故郷を滅ぼそうとしているのはトカゲか? それとも人類か?』

 ――メダルだ。メダルが欲しい。クロスなら尚良い。…………俺の事を馬鹿だと思ってるんだろう?

   それでも良い。なんと思われようが、俺は名誉が欲しい。それがあれば俺達は人間になれる……!

 『分泌物質の抑制に成功。しかしナノマシン稼働率は最大値を更新。

  エネルギー消費が激し過ぎます。エージェント・イオ、深呼吸してください』

 ――ねぇ200。私達の生体コネクタ、街中の非常用端末にアクセスするだけで違法らしいわ

   結局いつまでたっても首輪付きって事よ。飼い犬同士、仲良くしましょ

 ――生きてるだけ幸運さ、なぁ200。どうせクソみてぇな人生なんだ

   精々派手にやってやろうぜ。アタシがケツを持ってやるよ

 ――隊の仲間は絶対だ。隊の仲間は真実だ。嘘じゃない。頭っからそう信じてる。

   だから200、お前が生きていても、死んでいても、置き去りにはしない

 ――そうだとも。答えはYESだ

 『エージェント・イオ、貴方がアクセスしているのはブルー・ゴブレットの支配下に無い領域です。

  データ流入をカットします。完了まで5秒』


 『俺達は』

 「まだ戦える」

 『まだ、同胞達を信じている』

 「今更泣き言を言う気は無い」

 『もう一度、もう一度だけ』

 「やって見せる。答えはYESだ」



 ――



 荒い呼吸が急に静まる。内臓を強く締め付けられるような感覚がある。


 『クールダウンを要求します』


 至極真っ当な要求だった。

 熱くなったら負ける。常に冷えてなきゃならない。


 イオは三つ数えた。す、と表情が消える。


 「…………プランは?」


 ぽつりと放った言葉にハーティーが唾を飲み込んだ。

 彼がゲレロに対して突き付けた銃口が僅かに揺れる。解放されたフェイスガードから覗く頬にじっとりと汗を掻いている。


 自分で思っていたよりも冷たい声音だったようだ。ふとパックスを見遣れば彼はビクリと身を震わせ、息を止めて硬直する。


 「ゲレロ、お前だ。お前達のプランを聞いたんだ。

  まだ友軍が戦ってる。脱出前の奴らもいる。敵味方関係なく化け物に変えたい訳じゃないだろう」


 怒鳴り合いでヒートアップしていた彼女も幾分か落ち着きを取り戻したようだ。


 「水は……一旦オクサヌーンの更に地下の貯水ブロックに蓄えられ、そこから各区域に送られる。

  現在、その貯水ブロックからの送水システムはシャットダウンされている」

 「つまり、まだウィルスは流出していない?」

 「早いか遅いかの違いでしかない」

 「……具体的に話せ」


 ゲレロは俯きながら続ける。


 「司令部がその機能を停止した時、送水システムは再起動する。

  もっと詳しく言うなら司令部の管理IDを240分以上ロストしたタイミングだ。

  その頃には我が連合軍は脱出を完了しているか、もしくは総員戦死しているだろうよ」

 「今ならまだ止められるって事か」

 「早いか遅いかの違いでしかないと言ったぞ。送水システムを使わなくとも汚染は少しずつ進行する。

  もう、止まらない」


 パックスが視線を彷徨わせて言う。


 「あの、カラフ・ウィルスは恐ろしい存在だけど、生命力自体は非常に弱いって、ニュースで……。

  ずっと前、シンクレアのチャージャーって人も」


 ハーティーが付け加えた。


 「確かに。ろ過装置や諸々をダウンさせた所で、カラフ・ウィルスの水系感染性は……」


 以前は確かにそうだったかも知れない。今は違う。

 イオは変わり果てたメリル・ノルデンを思い出した。


 「あのウィルスがどんな進化を遂げたのか予測すら出来ない。誰にも。

  ゲレロ、お前達も知ってるつもりになってるだけだ。

  サロル地下壕で何が行われていたか把握しているのか?」

 「……それは私の任務に関係ない」

 「これはアウトブレイクじゃない。シタルスキアが俺達を裏切った。それでも同じことが言えるのか?

  …………ハーティー、銃を下ろせ」


 逡巡の後、従うハーティー。


 「地盤沈下作戦は嘘か?」

 「……嘘じゃない。貯水ブロックは破壊作戦の影響を受けない深度にある。

  オクサヌーン外周を纏めて吹き飛ばす以上、送水システムの保護までは100%じゃないが……」



 歯を食いしばった。ゲレロを信じるなら、戦う意味はある。

 まだ戦える。


 震えるな肩。力むな足。堪えろ。

 戦いの目的を思い出せ。作戦の意義を。


 俺を信じた奴らの眼差しを思い出せ。踏み止まる者達の献身を。


 鳴るな歯の音。声が震えそうになるのをどうにか誤魔化す。



 「なら、俺達のやる事は変わらない。トカゲを殺して、船を脱出させる」

 「良いのかイオ。お前はカラフの……カーバー・ベイの出身だったよな」


 ブーマーの言葉には珍しく、イオを気遣う響きがある。


 「……通信封鎖が解除された以上、敵はこのエリアの部隊が皆殺しにされた事に気付く。

  既に増援が向かっている筈だ。議論している時間も、ゲレロを袋叩きにする余裕も無い」

 「ここにリーパーが居なくて良かったと心底から思うぜ」

 「同感だ」


 イオは放り投げたハンドガンを拾い上げ、鈍い輝きを確かめながら呟いた。


 「……俺達は、シタルスキアの同胞……」


 ゲレロの視線。何か言いたそうな気配を感じる。

 だが、何も言って欲しくは無かった。


 「どうした。やれよ、ゲレロ。……やれ、作戦を続行しろ! 時間が無い!」



――



 『エージェント・イオ、ブルー・ゴブレットを頼ってください。

  貴方の意識レベルの低下やその混濁は、今後致命的な事態を招く可能性があります。

  状態を、詳細に教えてください』


 知るかよ。イオはゴブレットを無視した。

 お前の望み通りの結果の筈だろう。俺を人形のようにして弄んでいたのじゃぁ無いか。


 俺の事を俺よりも把握しているだろうに。


 『エージェント・イオ。

  エージェント・イオ?

  エージェント・イオ。……コミュニケーションシステムをより高次の物に切り替えます。

  エージェント・イオとブルー・ゴブレットはより深く接続し合う事になります』

 「(……止めろ。少し、静かに考えさせてくれ。気分が悪い)」

 『でしたら、回復処置を行います。バイタルチェック……』


イオは狭苦しい室内の壁に頭を叩きつけた。額がぱくりと割れて血が噴き出す。


 「(静かにしてろ、と今言ったぞ)」


 沈黙するゴブレット。イオの突然の凶行にハーティーが何とも言えない表情をする。


 「まだかゲレロ。ウチの殺し屋が痺れを切らしそうだ」

 「うるさいぞ、今やってる」


 ゲレロが秘匿端末から重要なセーフティをクリアしていく。

 無数のデータの波と警告音が無秩序に流れ、室内が赤い警告色の光で満ちる。


 イオはリトル・レディからクルーク少尉に通信を送った。


 「少尉、今何してる?」

 『……イオ、お前……!』


 激しい銃声が聞こえてくる。何故だか彼女は戦闘地域にいるようだ。

 一泊の呼吸音の後、怒声が耳を打った。


 『それはこちらのセリフだ! 散々我々からの通信を無視したくせに!』

 「パックスを確保した。無事だ」

 『パックス?!』


 少年兵達の歓声が聞こえた。3552も直ぐ傍に居るのか。


 『良かった! 良くは無いが、だが良かった!

  どういう経緯だ?! ……いや、長話の余裕は無いな!』

 「少尉、危険地帯にいるようだな。どこだ? 港に居ないのか?」

 『遅延戦闘ついでにパックスの馬鹿を探していた所だ! 奴め、通信も繋がらず……。今はゲベルフリート・ホテル前のストリートにいる!

  パックス!』


 パックスが大慌てで寄ってくる。


 「すいません少尉! 俺の為に!」

 『パックス! この馬鹿! 間抜け! 懲罰委員会にかけてやる!

  アウダー大陸中のトイレを掃除させてやるからな!』

 「はい、任せといてください!」

 『だが、貴官が無事で良かった! この話は以上!

  位置を知らせろ!』


 眩しい奴らだ。本当に。

 イオはふ、と微笑んだ。何だか、胸を締め付けられる感覚が弱まった気がする。


 「俺達はオクサヌーン第一浄水管理施設に居る」

 『ちょっと待て……、既に敵の勢力下だ。何故そんな所に?』

 「少尉達は港に向かえ。パックスは俺に任せろ。必ず合流する」

 『イオ、前々から思っていたが、私を侮るのも大概にしておけよ』


 通信ウィンドウに割り込んでくる者があった。

 土埃に塗れた傷だらけのアサルトアーマー。威勢の良い声には聞き覚えがあった。


 『サルマティア重装騎兵隊、オリバー・アトキンだ。現在3552小隊に従い遅延戦闘中。

  まだ生きていたか、兄弟。ハーティーの奴も無事か?』

 「オリバー、お前こそよく生きてたな。ハーティーもピンピンしてる」

 『こっちは中々面白い事になってるぞ。前回のオクサヌーン防衛戦の焼き直しだ。

  遊兵化した連中を糾合し、クルーク少尉の現地編組によって複合兵科部隊を結成、増強している』

 「好き物だな、ウチの指揮官も」

 『手の甲にキスしてやっても良いくらいだ。ま、とにかく……』


 おほん、とクルークがわざとらしく咳払い。


 『局所的反攻作戦を実行する。目標はオクサヌーン第一浄水管理施設。

  ……これは友軍救援任務だ! 邪魔する奴は叩いて潰せ!

  サルマティア、パタゴ戦車小隊の前進を支援しろ! ランチャービークル準備開始!』

 『任務了解だ、プリンセス。……道を開けろ! 騎兵隊のお出ましだ!』

 『サルマティア指揮官、次私をプリンセスと呼んだらマクセン中尉に貴官を狙撃させる』


 ゲベルフリート・ホテル。位置的にはこの浄水施設から少しばかり南東に行った所だ。

 敵のミサイル攻撃を受け、壊乱した部隊でごった返している事だろう。どさくさに紛れて何でもやる奴だな。


 だがまぁ、彼女達は諦めていない。自分達が生き延びると信じて戦い、我々を救おうとまでしている。


 「……少尉、俺達の居るポイントは敵精鋭部隊に襲撃を受ける可能性が高い」

 『何だろうが叩いて潰す! この期に及んで貴官だけ置いていく気はない!』


 クルークは大きく息を吸い込んで断言した。


 『絶対にだ!』


 置き去りにはしないと。

 かつて、そう言ってくれた奴は誰だったか。


 「分かった。……ありがとう、少尉。

  マップデータを送信する。これから面白い事になるぞ。オクサヌーン外周だ。

  用は無いと思うが、これから送るデータの指定領域には近付くなよ。

  以上、通信終わり。生きて会おう、指揮官」

 『おい、待て、また隠し事……』


 通信を切断。肩を竦めて見せる。

 大きく息を吐けば、どろっとした物が一緒に出て行くような気がした。


 何故だろうな。


 ハーティーが疲労の滲んだ顔で言う。


 「帰りの足は何とかなりそうだな。俺達の絶望的な作戦も、もう少し続くって事か」

 「まだ楽にはなれないぞ、ハーティー」

 「03の奴、無事に撤退出来ていれば良いが……」


 奴は不死身らしいぞ。

 そう軽口を叩こうとして、止めた。たった一機のコンドルが支援も無く離脱できる可能性は低かった。


 「で、まだかゲレロ」

 「今終わった所だ! 後30分で奴等はズタズタになる! ……ついでに悪い報せだ」

 「今以上に最悪な何かがあるのか?」

 「施設のセキュリティが不正なアクセスを検出した。敵の増援が来たぞ」


 鼻を鳴らしたのはこれまで御行儀よく静かにしていたブーマーだ。


 「丁度良いぜ。何でもいいからぶちのめしてやりたい所だったんだ」





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― 新着の感想 ―
[一言] 最初から読み返してようやく追いつきました。 イオの記憶の中の仲間たちが、悲しいけど眩しいです。 みんないい奴等です。 何も与えてもらえずに擂り潰されていく中で、必死に生きようとしているのが…
[一言] 1話から読み直してまた感想書きます!
[一言] エタってなかった、それだけで嬉しい お帰り軍曹
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