人の向かう先
トカゲの視界を欺くのは簡単だった。奴らは目がよくない。
暗視装置を使っていたとしても視界不良が避けられない以上、適切な準備をし、適切な戦術を用いれば、闇は俺達に味方する。
『エージェント・イオ、貴方は狡猾なジャッカルであり、抜け目ないフクロウです』
「(敵は)」
『動体、熱源、共に確認出来ず。敵性物体も同様です』
楽なシチュエーションだった。
暗闇で罠を仕掛けて待ち構え、一息に致命的な攻撃を加える。
ハーティーの用いた指向性爆薬で酷い有様になっているトカゲも居るが、痛みを感じる間も無かったとしたら、寧ろ慈悲と言えるだろう。
「一先ずこの階は綺麗になった」
イオは宣言通りに同階層のウィードラン部隊を全滅させた。一匹も逃がさなかった。
闇の中の閉所戦闘でイオに敵う者は真実存在しない。当然逃げられる者も。
「敵の臭いはない。セルフチェック」
「ハーティー、チェック完了」
「ブーマー、完了してる」
「ゲレロ、問題ない」
各員注意を払いながらもセルフチェックに入る。
戦闘に次ぐ戦闘、アドレナリンの過剰分泌で負傷に気付かなくなる事も多い。
装備やアーマーの確認は、茹だった頭を冷やす有効な手段だ。
「イオ、マジで、今回ばかりは……お前が女神様に見えるぜ。感謝してる」
「お前程の男でも、死は恐ろしいか?」
「恐がってる余裕は無い。死にたい訳でも無い」
「そうか。俺もお前を死なせたくない」
ブーマーは肩を竦めて見せる。
イオはそれを尻目にゲレロ2へと近付いた。
彼女は射殺されたゲレロ1、ザジ曹長の傍に跪き、その目を閉じさせた所だった。
「ザジ……、畜生、ザジ……」
歯を食い縛って嗚咽を漏らしている。
イオは彼女の背後で少しだけ黙考し、肩に触れた。
「ゲレロ2、敵がこれだけとは限らない。
既にここは敵の制圧下だ。増援が来る前にどうするかを決めなければ」
「分かってる……。でも……済まない、あと十秒で良い……。お願いだ……」
イオは頷いて、パックスを呼んだ。
「パックス、敵は片付けた」
『そうだろうなって思ってました』
「……ザジ曹長は、間に合わなかった」
がこ、がこ、と何かにぶつかる音がする。パックスが転んだようだ。
『……直ぐに行きます』
「駄目だ。俺達が迎えに行くまで待て」
通信を終えればゲレロ2が立ち上がっていた。
「悪い、待たせた。
……感謝する、イオ軍曹。お前の事はよく聞いている。
ゲレロ2、ケイトだ。階級は特務少尉」
「特務? まぁ良い。ユアリス准将にアンタを護衛しろと言われてきた」
「護衛? それだけか? 作戦の詳細は?」
「アンタ達より先に突入した作戦部隊が消息不明だと言う事だけ」
「……そうか」
ゲレロ2は何事か考え込んだ後、ゲレロ1の認識票を回収して首に掛ける。
「重要な作戦だ。浸透して来たウィードラン部隊を纏めて始末できるかも知れない」
「……大掛かりな爆破工作か? 特務階級だと言ったな。司令部直下部隊じゃ無いようだが?」
ハーティーが口を挟んできた。どことなく、ゲレロチームに不可解な感覚を抱いているようだ。
「無駄話をするつもりは無いが、作戦については教えよう。
オクサヌーンの地下網、水道網両方のメインストリームを破壊し、地盤沈下を引き起こす」
「友軍ごと?」
「落すのは外周だけだ。もう敵しかいない」
「そんな大掛かりな仕掛けを施す余裕は無かったと思うが」
「逆だ。もともとそれを想定しつつ、オクサヌーンのインフラは整備された」
成程。
長い事生存権を賭けた戦争をやってる人類は考える事がえげつない。
オクサヌーンは元から自爆作戦を考慮して開発された都市だったようだ。
「何故司令部から破壊できるようにしておかなかった。こんな苦労をせずに済んだ筈だ」
「これは“危険な切り札”だ。ネットワークに組み込む訳にはいかないと、上層部は判断した」
ブーマーが陽気な声を上げる。が、痛むらしい、脇腹を押さえていた。
「あー、クソ。最高だな。カラフ方面軍もたまには良い作戦を考え付くじゃないか」
「敵はオクサヌーンのインフラの再利用を狙っている。ここを落とした後にどんな作戦を練ってるか知らないが、かなりの時間を稼げる」
「敵を殺すのと、拠点の再利用を防ぐのと、一石二鳥って訳だ」
イオはハーティーに向かって笑みを作って見せた。
「良かったなハーティー。この作戦を成功させればもう2、3個くらいは勲章が追加されるぞ」
「カラフを脱出した市民に石を投げられたりしないか不安だ」
ゲレロ2、ケイトは溜息を吐いた。
「……気楽な奴らだ。羨ましい」
――
パックスをメンテナンスハッチから引っ張り出した時、彼はまたもや顔をクシャクシャにしていた。
「あの、ケイト少尉」
「ザジの事ならもう良い。私達だって覚悟はしてきた」
下手糞な敬礼を、パックスはしてみせた。スカルフェイスの裏側でゲレロ2は力なく笑う。
チームは下層に向かう階段を小走りに駆け下りていく。
「で、この後具体的にはどうすれば良い」
「浄水施設最下層に隠されたコントロールブロックがある。
そこで特殊な認証キーを使用して中枢システムにアクセスする」
「どうにも半信半疑だな。オクサヌーンは広大だ、浄水管理施設一つでどうにか出来る物なのか?」
「一つじゃない。複数の作戦部隊がユアリス准将の命令で我々と同様の任務を遂行した。
彼等の半分は生還しなかった。絶対に失敗できない」
ゲレロ2は先頭切って突き進む。ついさっきあれ程激昂していた人物とは思えない冷静さだ。
「ライトを消せ。敵の気配だ」
「気配? ……さっきも思ったが臭いだの気配だの、もう少し具体的に言えないのか」
「敵が居る。何処に居るかはこれから探る。……これで満足か?」
地下7階に到達した時、イオの感覚は敵の存在を感知した。
嫌そうに言ったのはゲレロ2だ。堪らずブーマーが笑い声を上げる。
「無駄だぜゲレロ。理屈じゃないんだ、コイツの戦いのセンスは。
だが俺の知る限りコイツは……敵を出し抜いた事はあってもその逆は無い」
イオがゲレロ2の肩を捕まえて前に出る。
「俺が先頭を行く。良いと言うまで発砲するなよ。
ハーティー、パックスを頼む。俺も少し無茶をする必要があるだろう」
「慣れてるさ。貴方の無茶はいつもの事だ」
上層でイオ達が暴れた事は敵も気付いていた。敵は狭い管理施設内部に可能な限りの装備と兵器を展開し、イオ達を待ち受けていた。
パックスだけ脱出させる事も考えたが、周囲の状況は混沌としており、敵の存在も不明瞭だ。イオの目の届く範囲が一番安全だ。
やる事は変わらない。可能な限り密やかに行動し、先手を取り、丁寧に殺していく。
警戒態勢にある敵は即座に気付いた。イオは構わなかった。使える物は何でも使った。
強行突破に強行突破を重ね、敵の装備と弾薬を奪い、驚く程の速さで敵を追い詰めていく。
たったの五名。内一人は戦闘に耐えない少年兵だ。それだけの戦力で数倍以上の敵戦力を圧倒する。
火薬とプラズマの破裂。発砲音が連なって肉声などまともに通らない。
砕ける施設構造体と増えて行くウィードランの死体。
木端微塵に砕けたとあるトカゲの血飛沫が壁を汚し、ゲレロ2は満足げに哄笑する。
「ハハハ! 見たか、あれ! トカゲどもの血が、壁によく映える……!
あのクソどもの死と火薬が、私達を強くする!」
「お前は病気だな、ゲレロ!」
ゲレロ2に舌打ちするブーマーだが、彼だって爆発を愛していた。この場にウィードランの死を喜ばない奴は一人もいない。
「敵側面を取るぞ! ハーティー、付いて来い!」
「カバーアップ! 有利な逃げ場が無い、グレネードに注意しろ!」
「パックス! 頭を出すな! 死ぬぞ!」
殺して、殺して、殺した。誤解を恐れず言うなら戦いは楽しい。仲間が死ぬから嫌なだけで、撃ち合いにはスリルがあり、敵の隙、弱点を突くのは得も言えぬ快感だ。
誤解? 誰の誤解を恐れるのか。俺達は戦争をしてる。
ウィードランを殺すのは、シタルスキアの人類種にとってこの上ない美徳だ。
激しい攻撃の末にイオ達はとうとう敵を全滅させた。
連絡の途絶えた作戦部隊はやはり殺されていたようで、粗大ゴミのように乱雑に積み重ねられた彼等の死体を、イオ達は発見した。
「トカゲどもはこちらの作戦に勘付いている筈だ。だから詳細を知りたくて俺達を拷問した」
痛む脇腹を抑えながらブーマーが陽気に笑う。戦いの高揚に酔ったゲレロ2が楽し気に嘲る。
「こいつらは管理ルームを漁っていたようだが見当違いさ。……こっちだ」
ゲレロ2の案内した先は一見物置のようだった。中に入れば工具の並べられた棚と貨物用の小さなエレベーターしかない。
そのエレベーターに入ったゲレロ2は古臭いコントロールパネルの下についていた小窓を叩き割り、奥に隠されていた何らかの入力端末を引き出す。
狭いエレベーターの中にぎゅうぎゅう詰めになり、更に下に降りる。表示パネルには何も写されていない。存在しない階層だ。
エレベーターから降りた先は、ウサギ小屋のような粗末な部屋だった。埃被ったロッカールームのような有様で、しかしそこに設置された端末にはこの設備の全てが詰まっていた。
「通信封鎖が解除されている」
インターフェースの青白い光に照らされながらゲレロ2は言う。
「いつだ? 戦闘中か?」
「そんなの分からない。だが、敵の増援が来るかも」
「急げ。キーは?」
ゲレロ2はアーマーのサイドポケットから小指程のプレートを取り出す。
チョコレートだと言われたら信じて齧ってしまいそうな見た目だ。
それを接続した時、ゴブレットが宙を泳ぐ。
『不審なデータ接続を確認』
「(何が不審なんだ?)」
ゴブレットは沈黙する。常で無い彼女の態度。
イオは操作を続けるゲレロ2を睨む。
「ゲレロ、お前今、何をやってる?」
「何がだ? 今忙しい。質問なら後にしてくれないか」
ゴブレットがイオの隣に寄り添う。
『……上層貯水設備のろ過システムが無効化されました。
水質浄化薬剤のタンクが起動しています。
これは先程ゲレロが述べた、大規模破壊作戦には不要な操作です』
イオのうなじがびりびりと痺れた。猛烈に嫌な予感だ。
先程見つけた作戦部隊はかなりの数が居た。皆殺しにされていたが。
ユアリスの言う重要な作戦が、本当に今やっているようなゲレロ2の操作だけで済むなら、あれ程の戦力は必要ない。
悪目立ちするだけだ。現に、ウィードランに察知され攻撃を受けている。初めから極少数の精鋭だけで遂行すべきだった。
イオはうなじを抑える。アーマー強化繊維の下に激しい血流を感じる。
「何を操作した! 言え、ゲレロ!」
「どうしたんだ、軍曹。何を焦ってる」
不穏な気配にハーティーが止めに入る。
「ゲレロはろ過システムを止めた。その上で、何らかの薬剤が貯水池に投入されている。
いや、薬剤?」
『先程発見した作戦部隊から回収したデータを解読しました。
浄化薬剤タンクの中身を入れ替えたようです。
推測は可能ですが、これは……人類が大きな危険に晒される事を……』
ゲレロを押し退け、端末を操作しようとするも、彼女はイオに抵抗した。
イオはゲレロを押し倒し、両手を抑え込んでハンドガンを突き付ける。
ブーマーが止めに入ろうとするのを一喝。
「端末を止めろ!」
「何故だ?!」
「良いからやれ! 俺とコイツ、どちらに賭ける?!」
イオを制止しようとしたブーマーはそれを止めた。パックスは不安そうにイオとゲレロの間で視線を彷徨わせている。
「ゲレロ、タンクの中身は」
「どいてくれ。私達が遅くなるほど、友軍が危険に晒される」
「カラフ・ウィルスか」
「何だと?!」
ハーティーが慌てて端末に飛び付く。
浄水施設の機能に干渉しようとしたが、既にタンクの放出作業は止まらない。
「クソ、止まれ……! 止まれ、このポンコツ!」
馬鹿が!
操作を諦めたハーティーは絶叫と共にゲレロに銃を向ける。ブーマーは舌打ちした。
「ゲレロ、お前、今の話マジかよ」
「……任務だ。……任務だ、私達の!」
「ヨルドビークやカミッシュトンがどうなったか知らねぇのか!
俺達は友軍や市民を撃ったんだぞ!」
「ウィードランに勝つ為に必要ならば何だってやるさ!
危機感が無いんだお前達には! この期に及んで!
凶暴なトカゲどもが更に薄汚くなるだけだ! 私達はカラフを捨てるんだ! 何も困りはしない!」
イオは激昂した。常に心がけていたクールさ、クレバーさなど吹き飛んでいた。
「カラフを守って死んでいった連中に同じ事が言えるか!」
力任せにハンドガンを放り投げる。床に跳ね返って転がる。
イオはよろめいてゲレロ2から離れ、尻餅を突いた。ヘルメットを解除して転がす。
目と、蟀谷と、頬を掻き毟った。戦いで汚れたグローブが顔を黒く汚す。
ゴブレットが慰める様に寄り添う。
『エージェント・イオ』
「畜生……」
『エージェント・イオ、人類は、自らの意思で破滅に向かおうとしています』
「畜生!」
呼吸すら止まるような沈黙が満ちた。