地底湖
『スネーク・アイが阻害されています。有効距離、12メートル』
「(十分だ、ゴブレット)」
『突入シチュエーション、スタンバイ。
肉体、神経補強、感覚補正、スタンバイ・
高度戦闘支援、開始します』
イオとハーティーは施設非常口の左右に分かれて準備する。
「ハーティー、敵の気配はない。少なくとも付近には居ない。
俺が前だ。ついてこい」
「いつでも良い」
ハーティーが答えた瞬間、イオは音と気配を殺し、非常口を開いた。
レイヴンを可能な限り引き寄せて構え、腋を閉め、肘を閉じ、猫背気味に身体を丸める。
室内での接近戦を意識したコンパクトな射撃姿勢だ。周辺の死角に鋭く銃口を向け、次、更に次と不安要素を殺していく。
施設内は酷く埃っぽい。非常灯のみが通路を照らしており、薄暗かった。
外から聞こえる水の音以外に聞こえる物は無く、その水の音も酷く遠い。至る所に防音材が用いられているようだ。
音が届かないというならば、気配を殺す助けになる。
敵の接近を察知し損ねる可能性も高まるが。
「クリア」
「カバーアップ。貴方の後ろにいるからな」
「ライトは使うな、戦闘が避けられないとしたら、可能な限り先手を取りたい」
足音を殺しながら、しかしするすると滑るような小走り。
装備が擦れ合う音にすら注意を払いつつ前進する。
「パックス、事情は後で聞く。今は動くなよ。そのまま隠れてろ」
『了解です、軍曹』
パックスに事情を確かめる余裕は無かった。
彼は今地下四階、エンジニア詰め所のツール倉庫に隠れているらしい。
イオ達が使用したエレベーターは地下六階までの直通だ。
感覚を尖らせながら階段を登る。
「銃声……」
「確かか?」
その音は酷く遠かったが確かに聞こえた。ハーティーには聞こえなかったようだが、彼も嘘を吐く理由は無いと納得した。
しかし戦闘と言った様子ではない。銃声は一発のみ。後はしんと静まり返っている。
「パックス、無事だな?」
『何も異常は』
「今、銃声がした。もう直ぐ着くが、油断するな」
地下四階、ここまで問題は起こっていない。幾つか曲がり角を超え、パックスの潜むエンジニア詰め所に面する通路に出た。
「少し待て、この先は行き止まりだ。念の為に監視ツールを設置する。
貴方も手伝ってくれ」
そう言ってハーティーは小さなパトランプと言った外見のツールを投げ渡してきた。艶消しのモスグリーンに塗られている。握り込めばギリギリ掌に収まる程度のサイズだ。
頭頂部が窪んでおり、そこに黒い球体がはまっている。レーザーセンサーと思われた。
『動体を検出する監視レーザー露光装置です』
「(似たような物をどこかで見たな)」
『ヨルドビーク地下研究所で』
「(思い出した。トカゲの卵だ。アレより大分小さいが)」
くるりとセンサーを一回転させて眺めた後、ハーティーとは十メートル程離れた壁面にセンサー底部、吸着面を叩きつける。
センサータイプの設定が必要らしく、イオの指先がアバターサポートで軽快に動き始めた。
ペットボトルの蓋を開閉するようにセンサーヘッドを左右に二回ずつ回し、露出した内部のキーパッドで何事か入力すると、ヘッドを閉じる。
『小動物サイズ以上の動体を検出可能です』
エンジニア詰め所は通路の突き当りにある。他の部屋は封鎖されているようで固く閉じられていた。
何か来るとしたら一本道を真直ぐしかない。ハーティーの仕掛けたセンサーが無力化されても、隙を生ぜぬ二段構えと言う奴だ。
「(スネーク・アイ)」
『了解。スネーク・アイ、起動』
イオは用心を重ねてエンジニア詰め所内の索敵を行った。
熱源ならば、分かる。そしてそれは前方に一つしかない。
イオは開閉スイッチに触れた。
「パックス、待たせたな」
銃を下ろして呼び掛ける。乱雑に物が散らばる部屋の奥、倉庫の扉が開いた。
「……ぐ、軍曹ぉ~!」
飛び出してきたパックスはぐちゃぐちゃで、半泣きだった。
――
「ブーマーやザジ曹長達が危険です」
「待て……ブーマーだと? それはシンクレアのブーマーか? どうしてアイツがここにいる。
そもそも何故お前が」
パックスは頭からつま先まで泥や埃で汚れていた。何かの破片が刺さった様で、額から出血している。
「あぁ、えっと……移動しながら説明します。今は急がないと」
イオとハーティーは顔を見合わせた。
何にせよブーマーと、後はザジとやらが危ないと言うなら急ぐべきだ。
「俺が案内します」
「どこへ?」
「さっき戦いがあった所です。地下二階の福利厚生ルーム」
「後ろに居ろ。俺の傍を離れるな。良いか? 絶対に、だ」
ハーティーは監視ツールを回収する。
「設置して三分で回収する事になるとは」
「元々あそこに長居する気は無かった」
「にしても、何故少年兵がここに? 何かの罠じゃないだろうな」
「罠?」
「ウィードランが獲物を嬲るのは奴らがクソだからだが、それだけって訳でも無い。
俺達は仲間を見捨てない。奴らは友軍を生け捕りにして、俺達を誘き出そうとする事が有る」
先頭をイオ、その後ろにパックスが続き、背後を警戒しながらハーティー。
「罠……って事は無いと思うんです。でも、同じくらい最悪です」
パックスはこうなった経緯を語り始める。とは言っても彼も混乱の只中を転げまわって偶然ここに行き着いたに過ぎなかった。
「3552は乗船待機でしたけど、順番はずっと後だったんです。
他に怪我した人や、臨時徴集の特技兵の人達を乗せなきゃいけなかったから」
積み上げられたバリケードを飛び越える。弾痕がある。
反対側にはウィードランが設置したと思しきディフェンダー発生装置があった。こちらは破壊されている。
戦闘の痕跡。乾きかけの血だまりがあるが、死体は無い。
「その内戦いが始まって、最初はイオ軍曹の部隊の活躍が通信で届いてたんです。
でも3552の近くにトカゲの部隊が降下してきたらしくて」
「3552はオクサヌーン外周にいたのか? 何故だ」
「その、3552だけ贔屓してるのがバレるから、外聞が悪いとか言ってる少佐が居ました」
「子供を危険な場所に残す方がよっぽど外聞が悪い」
吐き捨てる様にハーティー。
「多分、他の皆は上手く撤退したと思うんですけど」
「お前は?」
「トイレに行っててはぐれたんです。
何もかも滅茶苦茶で、その時ブーマーに助けて貰いました」
「で、何故ここに」
「ブーマーはザジって曹長と一緒に居たんです。作戦中だけど、置いて行けないから付いて来いって。
周囲は凄く混乱してて、あのまま放り出されたら死んでたと思います」
「それで同行したのか、パックス。
3552も気になる。そんな混乱に巻き込まれたとしたら、無事とは思えない」
イオは足を止め、パックスの肩を掴んで無理矢理こちらを向かせた。
パックスは身を竦める。イオの雰囲気が複雑な感情を綯交ぜにした物であり、その中に怒りが混じっていたからだ。
イオは何と言うべきか迷い、結局言葉少なく伝えた。
「………………お前が無事で良かった」
心底から、そう思っていた。共に戦った訳ではない。常にパックスや少年兵達は、イオやアバター・イオにとって庇護対象だった。
しかしイオの戦う理由だ。共に敵の勢力下を1000kmも踏破した。世話を焼いたし、逆に気を使われることもあった。時に兄弟の様に接した。
下らないジョークでぎこちなく笑い合ったり、ショーティやミシェルなど厄介な子供達と一緒に整列させて、クルークと共に叱った事もある。
思い入れが強過ぎた。
「(これは、俺の記憶じゃないな)」
今更か。俺は俺が何なのか分からなくなっている。
鏡の中の自分と馬鹿げた問答をした。自分でない自分の言葉を受け入れたあの時から、自己の境界線がより一層あやふやになった。
この客観視が、最後の抵抗なのかもしれない。
だがそれも、そう、今更だ。どうしても守りたかった。
「行くぞ」
「……も、もう直ぐです」
地下二階に到達した時、正確にはその手前からだが、イオは敵の気配を感じ取っていた。
「敵が居る。呼吸の音も漏らすな。見つかるのは拙い。
ブーマー達がどうなっているかまだ分からない」
フロアを哨戒している部隊が居る。注意深く進めば監視装置と思しき物も発見出来た。
敵はここに居座るつもりで拠点化を進めているようだ。
違和感があった。外では激しい戦闘が続いていると言うのに。
『機能停止。ウィードランに気付かれる可能性はありません』
邪魔な物を静かに片付けながら進む。闇に潜み、光を誤魔化しながら。
幸いにして敵の数はそう多くない。巡回しているトカゲ達はさして警戒もしておらず、その気になれば一挙に排除出来そうだ。
だが、状況が分からない以上そうもいかない。
「総数20前後か、大した数じゃない。サイプスは打ち止めらしいな」
「このシチュエーションで十倍の相手を大した数じゃないと言えるのか?」
「奴らを殺せるようなトラップは余ってるか? 狡猾に戦えば、暗闇が俺達に味方する」
福利厚生の為のレクリエーションルームは他の部屋と比べてもかなり広い。
テニスコート三つ分のスペースで、天井の高さも10メートル近くある。
――どうだこのクソッタレ! やってみろ!
中からブーマーの罵声が聞こえた。話せる状態にあると言う事は尋問を受けている。
拷問されていたら悲鳴しか上がらないだろう
ザジと言う奴がどうなっているかは知らないが、救出しなければならない。
イオはハーティーと分かれ、メンテナンスハッチの一つを出来るだけ静かにこじ開けた。
モグラの通り道かと思う程狭いダクトはレクリエーションルームの天井裏に通じている。ゴブレットが過不足なくナビゲートしてくれる。
イオは穴を潜る前に、お目当ての物を見付けた。分電盤だ。
『ルーム内ライトの給電ケーブルを確認しました。
分電盤をダウンさせても直ぐに補助装置が働きますが、ケーブルを切れば暗闇を保てます』
「(お前の方でコントロールできないのか?)」
『一度施設中枢にアクセスすれば可能です』
そんな時間は無い。イオはパックスに大ぶりのナイフを渡す。
ケーブルは直径20㎜と少し太いが、切ろうと思えば切れる筈だ。
「合図したら切れ。絶縁処置はしてある」
「軍曹は?」
「頭上を取る」
『こちらハーティー、突入後の展開を考えてトラップをあるだけ仕掛けた。
準備は完了している。敵哨戒部隊が戻る前に頼むぞ』
イオがダクトを通り抜けるまで30秒と掛からない。
天井裏に到達したイオはスネーク・アイを起動し、ブーマーと思しき熱源の頭上を取る。
手を後ろに回し跪いている熱源が並んで二つ。その周辺にはトカゲの特徴的なシルエット。
ゲレロは二人居た筈だ。片方が今も元気にウィードランを罵っているブーマーならば、あと一人はどこか。
まぁ、考える時間が惜しい。敵の数は8。これらを速やかに皆殺しにして、敵残存部隊の攻撃に備えなければならない。
「良いか、パックス。もし何か不測の事態が起きてもそこから出るなよ」
『軍曹、俺もレイヴンは持ってます。……弾はあんまり無いけど。
射撃訓練では俺とショーティが並んで3552トップだったんです』
「ダメだ。救出対象がいる突入は簡単じゃない。お前に銃は撃たせない」
イオは慎重に最寄りの室内照明の基部を探し、固定用のボルトとナットをマルチツールで外す。
天板の一枚を、バレないようほんの僅かにズラして覗き込めば、予想通りブーマー、そしてゲレロと思しき黒いアーマーの兵士が居た。
「どうした?! ごちゃごちゃ言わずに殺せよ! ほらやれ!
ビビったのか? シンクレアが怖いか? 腰抜けの鱗野郎!」
跪かされたまま目の前のトカゲに食って掛かるブーマー。
解除されたヘルメットが傍に転がっている。血痕もある。かなり痛めつけられているようだ。
『聞きたい事、終わっていない。まだ』
「どうして俺がお前に教えると思うんだ?
ウィードランってのはジュニアスクールすら無いんだろう!
義務教育を受け損なった底なしの間抜けじゃなけりゃ、俺に質問なんてしないだろうからな!」
『お前の発言は、伝わっていない。上手く。
侮辱している。分かる。要らない。それは』
イオは少しだけ驚いた。あるだろうなとは思っていたが、ウィードランの指揮官と思しき個体が使っているのは翻訳機か。古臭い形の無線機に見える。
トカゲのシューだかシャーだかの鳴き声をリアルタイムで翻訳するとは中々の代物だ。
「ハーティー、暗視装置の準備は良いか」
『言われるまでも無い』
イオはもう少しだけ観察を続ける。ブーマーの近くには死体が一つ転がっている。
頭部から血を流している。先程の、たった一発の銃声はこれだろう。
アーマーとフェイスマスクの特徴から、ゲレロの片割れと思われた。間に合わなかったか。
状況は分かった。後はタイミングを見計らう。意識を細く、鋭く、そして集中する。
トカゲの指揮官がブーマーに背を向け、翻訳機を弄り始めた。
『これで分かるか。言いたい事が』
先程より自然な文法で翻訳が始まった。
「卵からやり直して来たらどうだ、クソ野郎」
『もう少し調整が要るか』
そして再度、翻訳機を弄り始めた時、イオはパックスに命令した。
「パックス、やれ」
一瞬の間。そして、暗闇に閉ざされる。
『ハーティー、突入する!』
ハーティーが扉を蹴破って突入。狼狽えるトカゲを二体、続けざまに射殺する。
それと同時にイオは天板を蹴飛ばしていた。
『高度戦闘支援開始』
いつもの感覚。ぐにゃりと引き延ばされた世界。
イオは膝立ちの姿勢で真下に向けて射撃姿勢を取り、手当たり次第に撃ち殺した。
一瞬で壊滅するウィードラン部隊。捕虜への誤射の可能性から射線が取れなくなったハーティーが、エネルギーバヨネットを起動して走り出した。
押し倒すようなチャージ。狙い違わず胸部、ど真ん中に突き刺さる銃剣は、直後激しい電流を発した。全身を痙攣させて絶命するウィードラン。
その隙に逃げ出そうとした指揮官個体をイオが射殺し、突入は終了した。
ハーティーは突き殺したウィードランから転がるように離れ、膝立ちの姿勢に起き上がる。
「残敵無し!」
イオは天井裏から飛び降りた。10メートルの高さの衝撃を殺しつつ猫の様に着地する。
「OK、残敵無し。動くなよブーマー、今切ってやる」
「その声……お前、イオか? どうしてここに」
「こっちのセリフだ。……ほら、貸し一つだぞ」
顔を張れ上がらせ、鼻血を零しているブーマー。見苦しい有様だが気遣ってやるような余裕は無い。
背後に回って手枷を外す。意外な事に樹脂製で、切断は容易かった。
つい先ほど射殺したウィードランのライフルを渡してやる。敵性兵器だが、シンクレアのような特殊部隊ならその取扱いを知っていて不思議ではない。
「敵の銃だが、使えるか?」
「暫く前に実技指導を受けたきりだ。だがまぁ、やれるさ」
ブーマーが人類の物とは違うライフルを不慣れな手つきで取り廻す。
その横でもう一人の捕虜が声を上げた。
「こっちも早くしてくれ」
女の声だ。スカルマークのフェイスマスクで顔は分からない。
「直ぐに外してやる。……お前がゲレロか?」
「ゲレロ2だ。救援感謝する」
「ザジってのは」
「……私じゃない、彼女だ」
その視線の先には、拘束されたまま射殺されたゲレロ1の死体があった。
ゲレロ2は解放された両手を握ったり開いたりして感触を確かめる。
かと思えば、逃げ出そうとしてイオに撃ち殺されたトカゲの指揮官を蹴り飛ばした。
「クソ! この、この野郎! クズめ!
皆殺しにしてやる! 薄汚い、汚らしい爬虫類ども!」
五度ほど蹴りつけると満足したのか、最後はその頭部を思いきり踏み抜く。
頭蓋の砕ける音がする。少しばかりショッキングな光景を最後まで見届け、イオはゲレロ2にも銃を投げ渡した。
ゴブレットが警告を発する。
『データ流動増大。フロア哨戒中の敵部隊が集結中』
「満足したか? 時間の無駄遣いをしてくれてありがとよ。……復讐のチャンスだぞ」
「なんだと……?」
怒りに支配されたゲレロ2は殺気交じりの目でイオを睨む。
「イオ軍曹、騒がしくなってきた! 戦闘態勢を!」
が、通路の警戒を続けていたハーティーの怒鳴り声に状況を思い出したようで、即座に戦闘準備に取り掛かった。
「パックス、これからこのフロアの敵を全滅させる。
俺が良いと言うまで出てくるなよ」
間に合ったぜ!