混戦模様
油の燃える臭い。ゴムの焼ける臭い。粘膜を刺すような刺激。
ぐしゃぐしゃになった車から放り出されたイオは酷い虚脱感を感じていた。
ブルー・ゴブレットが視界を泳ぎ、頬を一撫で。
『感覚補正。痛覚を遮断します。腹部の治療を行ってください』
「おいおい……こりゃ不味いな」
『止血処置続行。筋肉を弛緩させます。内臓を傷つけないよう注意しながら異物の除去を』
軍服を貫通して掌大程の金属片が突き刺さっている。腹だ。ゴブレットの視覚サポートでイオの身体を透過し、異物の全体像が表示されている。
幸運にも内臓は避けていて、視界に表示されるバイタルデータに問題は無い。
「(ゴブレット、サポートを)」
『貴方の為に』
様々な情報が青い光と共に浮き上がる。金属片を除去する為の幾つかの選択肢と手順、そして必要物資。
金属片がほぼストレートの素直な形状で良かった。何とか取り除けそうだ。
「イオ軍曹! 無事か!」
「ハーティー軍曹」
頭と鼻から血を流すハーティー・グッドマンは、ハンドガンを構えて周辺警戒を行いつつ、小走りでイオに近づいてくる。
車に積んであったらしいバッグを持っていた。中身は医療用のツール。
「クソ、最悪だ。……応急処置を行う、痛むぞ」
「ハーティー、武器はあるか? 感染者だ」
跪くハーティー。イオは彼の背後、立ち上る黒煙の向こう側に気配を感じた。
啜り泣きのようにも聞こえる唸り声。その気配の主は、自らの喉や頭を掻きむしっている。
ハーティーもどのような状況に陥ったのか直ぐに気付いた。イオを引きずり、物陰に隠れる。
「トランクに装備を積んでいたが車体が歪んで開かない。
友軍と連絡を取らなければ」
「少し時間をくれ。こいつをどうにかする」
「麻酔も無しでか? 馬鹿な真似は」
「近くに居るぞ、ハーティー」
右に左にのたりのたりと安定しない歩み。
血を吐いたか真赤に染まった顎と喉。真赤に充血した目が爛々と光る。
ハーティーは唇を強く噛みながら一つ深呼吸。感染者を射殺した。検問所の兵士だった。
その間にイオはツールバッグから小ぶりの鋏を取り出し、軍服を強引に切り裂いた後、金属片の突き立つ傷口に差し込む。
流石に良い気分はしない。僅かに傷口を広げると、何の戸惑いも無く邪魔者を引き抜く。
「おい止せ!」
「周りを見張れ。奴らの仲間入りはしたくないだろう」
途端に溢れ出す血の塊。イオは舌打ちしながら外傷治療ジェルを出鱈目に塗りたくり、器用に身を捩りながら包帯を巻いた。
ぼろぼろになった軍服の上着を脱ぎ捨てる。
『回復処置を行います。ナノマシン稼働効率最大値。
エージェント・イオ、理論上、貴方は万全の状態です』
「(腹に大穴開いてるのに万全?)」
『ジョークです。しかし、例え万全で無かったとしても我々は勝利する。
傷口の凝固が完了するまで激しい動きは控えて下さい』
「(そうだな、ゴブレット)」
淀みない、実に手慣れた動作だ。顔色一つ変えないイオにハーティーが奇怪な物を見るような目を向ける。
「信じられないな……。貴方のようにタフな男は見た事が無い」
「近くに友軍は?」
「通信に応答が無い。一時的に端末が麻痺している。先程の爆発が原因のようだ」
その時、耳をつんざくサイレンの音が響き渡る。オクサヌーン全域が戦闘態勢へと移行する。
間を置かず複数の爆発音。遠方に立ち上る炎と煙。悲鳴が聞こえる。
「これは事故じゃない。感染者も偶然じゃないだろう。
ウィードランの攻撃だ。イオ軍曹、立てるか」
「問題ない、トランクをこじ開けて武器を確保するぞ」
イオはハンドガンを抜き、物陰から音も無く滑り出た。
周辺にはやはり、ゴムと油の燃える臭いが充満していた。
――
爆発の際に横倒しになった車はタイヤがどこかに吹っ飛んでしまっていた。使えそうにない。
周辺の脅威を排除し、ハーティーと二人掛かりでトランクをこじ開ける。
「クソ、他に手段は無かった。……だが、市民や仲間を撃つ破目になるとは」
「迷っている暇はない」
「警戒を続ける。先に装備を」
ハンドガンをリロードしながら言うハーティー。イオはぐちゃぐちゃになったトランクからコンパクトなアーマーキャリアを引きずり出し、手早く装備した。
「司令部周辺は封鎖される。即応部隊は民間人の救助に取り掛かる筈だ、
……よし、端末の機能が回復したぞ」
「準備OK。ハーティー、お前の番だ」
アタッチメント類の付いていないノーマルのレイヴン。イオは薬室に初弾を送り込むと膝立ちの姿勢になってハーティーをカバーした。
いつもアバター・イオは野戦服を装備していたから今は少し……ラフとでも言えば良いのか。
新鮮な感覚だ。こういうスタイリングも悪くないな。
「その前にこれを。装備受領のリストには無かった筈だが、ラッキーだった」
ハーティーがトランクからメタリックカラーの何かを取り出す。
鉄の棒を交叉させたような×形をしている。先端に向かう程に撓っており、今一何のための物か分からない。
『止血システムです。患部に当ててスイッチを押してください』
ゴブレットに言われるまま器具を操作すると、鉄の棒の先端がイオの腹に巻き付いて強力に絞め付けて来る。
「礼を言う」
ハーティーは頷いて装備を開始する。端末が騒がしく唸り始める。
『こちらオクサヌーン司令代行ガールニン。総員戦闘態勢。
緊急対策マニュアル4-5に従い初動を開始せよ。繰り返す……』
『民間人の中に感染者を確認! ウィルス対策チームをスクランブルさせる! 救助部隊は一時待機だ!』
『ネガティヴ、ふざけるな』
『拒否する。こちら即応部隊第11小隊。少数だがウィードランを確認している。
このままでは市民が殺される』
『防御設備が動いていない、司令部までのルートががら空きだぞ!』
『敵のステルス機を確認。……クソッ、ファイアフライの群れを吐き出しているわ』
「大慌てって感じだな」
『情報収集を続けます。特に重要と思われる物は直ぐに伝えます』
「(3552は?)」
『予定では北部アンネマリー記念公園で体力練成を行っていた筈です』
「(少尉と繋げ)」
『……応答なし。電波障害の為、高強度通信で無ければコンタクト出来ません』
「(お前でも無理なのか?)」
『敵兵器と思われる出力機を破壊すれば可能です』
「(その余裕は無い)」
ゴブレットと遣り取りする内にハーティーが準備を終えた。
彼はイオの腹を気にしているようだ。
「準備完了。だがイオ軍曹、貴方をメディックに診せなければ」
「治療ジェルが上手く効いてる。止血も。心配は要らない」
「その薬は大穴を埋めるような便利な物じゃ無い。激痛の筈だ」
「ま、いつもの事だ。何にせよ、北に向かいたい」
「北に? 理由は?」
「俺のコマンダーと合流する」
「シンクレアか。……あぁいや、まさか3552か?」
ハーティーは先程の検問所の方角を窺っている。いつ感染者が押し寄せて来るか予想も着かない。
「護衛の立場から言えば別の手段を選びたいが、ここでごちゃごちゃ言ってる方が拙いな」
「移動を開始する。周辺の状況は不明だ、油断するな」
最低限の意識共有のみ済ませ、イオはレイヴンを構えながら小走りに前進する。
今回の導入はいつもと一風変わっていたが、何てことは無い。既にイオの意識は張り詰めていた。
敵の奇襲、感染者、窮地の味方、危険なミッションの香りが漂ってくる。
アバター・イオのスキルの発露なのか? この背が燃えるような焦燥と昂揚。そしてそれとは裏腹に力の漲る四肢。腹には大穴が開いているのに。
天賦の肉体と後天的闘争心。まぁそういう事だと思っておこう。つまりいつも通りだ。
「コンタクト」
500メートル先の小さな影を捉える。
明らかに人間の骨格ではない。何より滑る様に車道を走るその俊敏性は人間を越えている。
「ハーティー、トカゲ狩りだ」
「射撃位置に着く! 発砲は任意に!」
――
『スネーク・アイ、稼働限界。リチャージまで120秒』
少数部隊での浸透作戦。今までシンクレアがやって来た事をやり返された格好になる。
どのような手段、どのようなルートかまでは分からないが、これまで見て来たウィードラン達とは一味違う、明らかな精鋭と思われる個体がオクサヌーンに投入されている。
「サイドをカバーしろ!」
友軍の死体が散らばる中で、イオは破壊された車両の下を覗き込んだ。
ここまで何体かのウィードランと遭遇したが手強い。奴らは決して足を止めず、ファイアフライ等の支援機を使って巧みにオクサヌーンの中を駆け抜ける。
寄せては引く波の様にイオに攻め時を掴ませない。
距離100と少し。車両に身を隠すウィードランの足が見える。
イオは一瞬呼吸を止め、即座にそれを撃った。
足首(で良いのか知らないが)の関節を粉々にされて倒れ込むウィードラン。
苦し紛れに放出された二機のファイアフライがハーティー目掛けて飛んでくる。
ハーティーは車両のボンネットに上半身を預け、安定した射撃姿勢を確保した後、その二機を撃ち落とした。
高速で飛翔する物体をこうも容易く。しかも二機。
良いセンスだ。
イオは視界の外で起こる出来事を冷静に把握しながら、這いずって逃げようとするウィードランを射殺する。
「北へのサブストリートをかなり前進した。イオ軍曹、敵は?」
「さてな。のらりくらりとかわされたが、奴等は執念深い。
どういうつもりか知らないがまだまだ隠れてるだろうよ。
別のルートを探すべきかも知れない」
隠れた車両に背を預け、リロードを行う二人。
「言い忘れてたが……済まないハーティー。
俺は指名手配されてるらしいぜ」
「知っている。困難な任務は望む所だ。それに手は打ってある」
ハーティーの腕の端末が騒音を立てた。
『救援要請確認。こちらオクサヌーン防御チーム、サルマティア重装騎兵隊。
準備万全で近くに居る、詳細を送れ』
イオが車体からそろりと顔を出し索敵を行う。ハーティーは汗を拭いながら通信に応えた。
「騎兵隊?」
「伝統って奴さ。未だに馬に乗ってる訳じゃ無い。
……サルマティア、こちら司令部直下作戦部隊所属、ハーティー・グッドマンだ。
現在要人護衛任務中だが、アンネマリー記念公園の南でウィードランに釘付けにされている。
付近の区画では感染者が走り回っているのを確認した。
今直ぐ何がどうなってもおかしくない。救援を頼む」
『要人護衛? ……良いだろう、騎兵隊の到着だ』
何かが近付いてくる。イオはハッキリと感じた。
重たいブーツがコンクリートを打ち、固いアーマーが擦れ合う。
時折聞こえるかしゅ、ぼしゅ、と言う音は圧縮空気が放出される時に起こる物だ。
サルマティア重装騎兵隊はその名に違わぬ重武装だった。
シンクレアが用いる物よりも大きく、重たいアーマー。
大口径の誘導兵器や機関砲を担いでいる者も居る。火力は標準的な戦闘部隊とは比べ物にならなかった。
「あれなら少なくとも感染者にやられる事はなさそうだ」
「歩兵部隊では最大の火力と装甲を持つ部隊だ。彼等が傍に居てくれたのは幸運だ」
高度に訓練された重武装アーマー部隊の戦闘員7名。
イオ達がウィードランと交戦するサブストリートに展開、直ちに制圧を開始する。
『ウォッチポストに反応あり! ……コンタクト!』
『前進制圧! GO! GO! GO!』
イオとハーティーは周辺の建物、特に高所を警戒しながらサルマティアの指揮官と思しきユニットに接近する。
その兵士は崩れた敬礼を一つすると、そのまま硬直した。
アーマー越しのくぐもった声にも驚愕が現れている。
『おいおいおい……! ダイヤモンドフレームに敬礼!
まさかVIPがイオ軍曹とはな! 本当に俺達の救援が必要だったのか?』
「あぁそうだ。……ハーティーだ、助かった。今度一杯奢ってやる。司令部に繋げるか?」
『ネガティヴだ。ウィードランの通信妨害に対抗する為司令部は双方向通信を打ち切った。
俺達に出来るのは上の連中ががなり立てるのを聞き流す事だけさ』
どぉ、と腹の底まで響くような爆発音。巻き上がる瓦礫と粉塵。飛礫がイオ達の所まで押し寄せる。
『兎に角、オクサヌーンは完全に混乱状態だ。“名誉ある”第一連隊の連中が臨時の前線指揮所を立ち上げてる。それまでは俺達で火消しをするしかない』
「ウィードランは狡猾だ。奴らの奇襲はいつも完璧だ。危険だぞ」
『“危ないから帰ります”なんて、ダイヤモンドフレームの前で言えるかよ』
遠くで唸りを上げていた重火器達の咆哮が止まった。
サルマティアの隊員達がジャンプユニットを噴かしながら集結する。
『逃げられた。奴等サボタージュに徹するつもりだ』
『その内皆殺しにしてやる。……喜べお前ら、名誉ある任務だ。ダイヤモンドフレームの護衛だぞ!』
『こりゃ良い、殺し屋イオが加わるとなれば、トカゲどもも自分の身の程を思い出すだろうよ』
イオは肩を竦めた。勝手に盛り上がりやがって。
だが悪い気はしない。
「お前らには悪いが避難するつもりは無いぞ」
『あぁ知ってる。“狩りを楽しむ”って事だろ?』
軽口を叩いた隊員を指揮官が突き飛ばす。
『すまない軍曹、コンバット・ハイって奴だ。悪く思わないでやってくれ』
「俺の目的は指揮官との合流だ。アンネマリー記念公園に向かいたい」
『……成程な。俺達もあそこに興味があった。
お前の所のボス、3552のクルーク・マッギャバンが義勇兵と組んで周辺戦力を糾合してる』
イオは思わず変な顔をした。
少尉、何やってんだ。