オクサヌーン・ダウン
少年兵達は投げ遣りで、漠然とした不安を抱えているようだった。
彼らだって現状に違和感を覚えている筈だ。どれだけ自分達が危険な状態にいるのかも。
しかし彼らは命令に従うしかない。純粋過ぎたし、発言力も無かった。
『俺が隊長になったのって、クジ引きなんです。
最初は士官学校を出た少尉……殿が来るって聞いてたんですけど。
何だか、なし崩しに』
一人、そう言った。
彼らの配置も扱いも指揮系統も全て適当だった。最低限主軍の邪魔さえしなければそれでいいと言う意図が透けて見えていたし、それが互いに取って最良の状態だった。
クルーク・マッギャバンのようなケースはやはり稀らしい。少年兵部隊は日々言われるままに雑用をこなし、しかし誰も彼らに対し責任を持たない。
それで良かった筈だ。前線の兵士達は彼らに銃を撃たせる事はしなかった。当然だ。彼等は守られていた。
問題はカラフの情勢がここに至り、誰も彼らの事を気にする余裕が無い事。
『俺は聞いたんだ。2200小隊はスプリングモーナス防御陣地に取り残されて全滅した。
他の奴らは皆撤退してたのに、あいつらだけは置き去りにされたんだ。
幾ら俺達が邪魔だからって、そんなのアリかよ』
『違う、もっと悪い。
誰も覚えていなかったんだ、2200の事なんて』
どうかな。イオは奥歯を噛み締めた。
世の中と言う奴は、時として本当に不思議な事が起きる。
100人の内、1人でも冷静であり、己の責任を果たせば回避出来たような事態が、平然と。
100人中100人が冷静さを失い、泥まみれになりながら血反吐を吐いているのが今のカラフだ。
誰が、どれだけ死んでも、皆一頻り悲しんだ後、何事も無かったかのように同じ事を繰り返す。
最後には慰霊碑が建てられ、人々はそれで死者達に報いる事が出来たと安堵する。
――自己満足に過ぎない。
彼等はどこへ行く? 彼等の遺品は誰が受け取る? 彼等の名を誰が覚えていてくれる?
顔も知らない誰かの下した命令に従って、散々苦しみ抜いた後、ただ死ぬのか?
当り前のように、何一つ幸福を感じる事無く、ただ死ぬのか?
握りしめた手が熱かった。唐突に肩を叩かれる。
「軍曹、どうした?」
「あぁ、いや」
「顔が怖いぞ」
ふと、我に返った。
血の気が失せる程に強く握り締めていた手をゆっくり解く。
指先が僅かに震えている。イオは苦笑した。
感情移入し過ぎた。ロールプレイも程々にしなければ。
「安心しろ、何も問題はない」
正直、このイベントに対しどういうアクションを取れば良いのか戸惑っていたが、するりと言葉が出てきた。
「ウチの少尉殿は中々の修羅場を潜ってる。それに、3552が脱出する為のプランは全て彼女が考えた。
アウダーではお前達の受け入れ準備も進んでいる。全て計画通りだ」
幾つもの通信ウィンドウ。少年少女達の強張っていた顔が、俄かに解れる。
メディアに祭り上げられたヒーロー像も中々役に立つ。自信満々に断言すれば、彼等は無条件にイオを信じた。
「少尉と俺達に任せとけ。何と言っても、夜逃げや脱走は正に得意分野だ」
「くくく、それに関しては不本意ながらその通りだと言わざるを得ない」
自信満々、の演技をしたクルーク。
「指揮官各位、入念な準備を頼むぞ。通信機未配備の隊にもサロモア義勇兵団が設備を投入してくれる。いずれこの戦術勉強会は恐るべき規模になるだろう。
……私が上手い遣り方を考えてやる。夜陰に紛れ、混乱を乗りこなし、カラフから脱出する方法を」
――
イオに出頭命令が来た。オクサヌーン司令部下士官詰所だ。
ユアリス麾下の幕僚であるらしい佐官はブリーフィング用のホログラム・デスクを起動させながら言った。
「軍曹、お前はどうやら指名手配を受けている」
うん? イオは眉を跳ね上げた。
ホログラム・デスクにオクサヌーン周辺の地形情報と戦力の配置、簡易な敵の分布図が表示される。
「現在、我が軍とウィードランの間で大規模な戦闘は起きていない。
散発的なスカーミッシュに終始している。
そこで鹵獲された敵の端末や、各種データに、お前の写真があった」
「トカゲどもに撮影を許可した覚えはありませんがね」
「だろうな。……だが奴らはお前に興味津々だ。
先日の大規模反攻作戦、そしてそれより以前、シンクレアと協同している姿。
ウィードランはお前の情報を集めている。これは間違いない」
これを見ろ、と続けざまに情報を表示する佐官。
「コルウェ市街、最後の掃討戦の最中と思われる写真だ。
お前の顔がよーく写っている。どうやらこれが一番写りが良かったらしいな。鹵獲した端末の中には全てこのデータと共に画一的なテキストデータが入っていた。
解析チームからの報告では……」
「俺を殺せと?」
「そうだ。トカゲどもの言語的ニュアンスの差異など知らないが……、お前を殺した者には『至上の名誉』と、あー、なんだ? 今一つ分からん翻訳だが『星になる為の智慧』が与えられるそうだ」
至上の名誉と……星になる為の智慧?
何の事やらさっぱりだ。敵性言語とは言え訳が分からなすぎる。その翻訳は正しいのか?
イオが目を細めているとその佐官はホログラムを消した。
「現在我々はお前の戦死を危惧している。全く馬鹿々々しい事だが」
「何が言いたいのか良く分かりませんが」
「お前は有名になり過ぎた。このギリギリの状態のオクサヌーン……“英雄”の死は兵士達、市民達のモラルを低下させる。看過できないレベルで」
「やはり記者会見などすべきではなかった」
「その程度の事、やろうがやるまいが誤差に過ぎん。
……アウダーに退避した方面軍上層部は、さっさとお前を後方に遷せと催促してきている。
生きたダイヤモンドフレーム。その肩書きはお前が思うよりもずっと重たい」
「それはリソースの無駄遣いでしょう」
「同感だ。だから、悪いが軍曹、もしお前が死んだ時は大々的な国葬とし、戦意高揚に寄与して貰うぞ」
「好きにしろよ、精々派手にな」
上位の者に対する礼を失した言葉を、その佐官は聞かなかった事にした。
――
「取り残された市民の回収作戦が立案された。生きているかどうかも分からないが」
黒いアーマーの肩、火にくべられた髑髏のエンブレム。
シンクレア・アサルトチーム分遣隊は今も四方八方に散り、特殊作戦に従事している。
「何故また急に?」
「我々がオクサヌーンのサブポートを開放したからだ。
救援船団の追加派遣は、市民の目にはどう映ると思う?」
「……まぁ良い。俺もピクニックに参加して良いか?」
「お前にはお前の仕事がある筈だ」
シンクレアの為に設置された仮設食堂。チャージャーは机に放置されていたヘルメットを掴むと立ち上がる。
「逃げ遅れた市民は分かっているだけで2000万人以上。情報が整理されればまだまだ膨れ上がる。
その内どれ程が生きている物やら。そもそもカラフ全域をカバーするのは不可能だ。
トカゲは人間を見付ければ喜んで皮を剥ぐし、カラフ・ウィルスに感染した者も多数いるだろう。
我々のこれは、“不毛な努力”に過ぎない」
イオは水の入ったコップを、軋むほど強く握り締める。
「リーパーの前で言わない方が良いだろうな」
「奴は冷静だ。すべき事を弁えている」
「……チャージャー、以前も聞いたかな。お前、カラフ・ウィルスの何を知ってる?」
「現状、開示されている情報以外の事は答えられない。
……もう良いな。我々のチームがどれ程の成果を上げられるかは分からないが、何にせよオクサヌーン・サブポートを使わせてもらう。お前達はそのどさくさに少年兵達を紛れ込ませればいい」
「感謝する。作戦が楽になるぜ」
では、出撃する。
いや、待て。
「質問を変える」
イオはそのまま立ち去ろうとするチャージャーに強い声音で言った。
「カラフ・ウィルスをどう思う?」
「滅ぼしてやる。生み出した者達もろともに」
イオはまずは満足、と頷いた。
――
フリーミッションの伝手は失われた。どうやらイベントも最終段階か。
「(ゴブレット、敵はいつ動く?)」
『データが不足しています。演算は正確な物にはなりません。
オクサヌーン司令部は一週間後に敵の大攻勢があると予想しています』
「(お前は?)」
『五日後。早ければ四日後に』
「(束の間の平和か)」
山籠りにはちと早かったか。
司令部前に小さな車が停まっていた。専属の運転手がイオに手を振っている。
あの佐官が言っていたように、イオは今やVIP扱いだ。都合の良い物だ。
反抗的な厄介者と思っているのは間違いないだろうに。
イオは車に乗り、景色が流れていくのを眺める。
運転手は陽気に話し掛けて来る。
「イオ軍曹、貴方のドライバーを務められて光栄だ」
「そうか。そう言って貰えると多少、気が楽になる」
「自分は護衛も兼ねてる。ハーティー・グッドマン軍曹だ。宜しく頼む」
「同じ階級か。勤続年数もアンタの方が長そうだ」
「それだけじゃない。自分はカラフで2年、フロントラインに居た。一度も帰郷していない。
救命、爆発物、上級射撃のクラスも持ってる。ここ暫くはより困難な任務に志願した」
「俺の護衛がそうか?」
「そうじゃない。QRFやサボタージュ任務」
「分野が違うように思うが」
「自惚れに聞こえるだろうが、自分には多様な適性があったらしい。
最近は要人警護まで回って来るようになった。今回みたいにな」
自分語りが好きな奴だ。放っておけばベッドに入るまで延々と御喋りに付き合わされそうだ。
浅黒い肌にスキンヘッド。鍛えられた身体はイオのそれより明らかに太い。
くっきりと彫りの深い顔立ちには豹のような迫力がある。
「まぁ、貴方の功績に比べれば全部霞んでしまうが」
「帰郷していないと言ったな。カラフ出身じゃないのか」
「出身は南カラリア、アダーセル地方。……南半球だ。まぁ、知らないか」
「悪いな」
「構わない。生まれが何処だろうと、ウィードランと戦うのは変わらない」
男臭く笑って見せるハーティー。イオもつられて笑った。
「もう直ぐ着くが、妙だな。渋滞だ。
もう人もそんなに残っては居ないだろうに」
検問所前で渋滞が起きていて、ハーティーは首を傾げた。
「何か揉めてるぞ」
兵士達が取っ組み合いの喧嘩をしている。出血もしているようだ。
争いはかなり激しい。まるで理性を失ったように揉み合っている。
イオの背筋が粟立った。
「ハーティー、慌てずに聞いてくれ。以前、ああいう奴を見た事が有る」
「うん?」
「感染者だ」
「……? ……なにっ?!」
イオ達の視線の先で、兵士が同僚の首筋に食らい付いた。
「くそったれ!」
ハーティーの判断は速い。ハンドルを切りつつ即座に車をバックさせる。
幸いにして後続車は居ない。
「ウィルス非常事態対策マニュアルに従い、指定の施設に向かう!」
どうやらイベント発生か。今回のダイヴが無駄にならなくて良かった。
イオは振り返り、遠くなっていく検問所を見る。兵士達は未だに激しく揉み合っていた。
「……かなりいるな」
検問所周辺を疾走する人影が無数に見える。イオの優れた視力はそれらが歯茎までを剥き出しにし、涎を撒き散らしているのを捉えた。
6、7、8、どんどん増えている。
『エージェント・イオ』
ゴブレットが視界の中を泳ぐ。
『異常な電磁出力を検知。敵兵器と思われます』
「ハーティー、車を止めろ!」
車が小さなアパートの横を走り抜けようとした時、大爆発が起こった。