箱を開いたのは我々だ
「そうだ、脱出口七カ所は閉鎖した。だがそれ以外に処理しなければならない箇所は多い」
『ウィードランに察知される可能性が……。いえ、既に巡行ファイアフライに見つかっていると考えるべきです!』
「承知の上だ。レイダー1は先に帰還させる。グリフが爆薬を準備していたな?」
『搬入口の爆破処理を? 十分な量とは言えません!』
肉片と粘液塗れになりながら三人はバンカーの外へ転がり出た。
ヴィマーの部下が、用意していた除染装置で強力な薬剤を吹きかけて来る。
「息を止めておけ。吸い込めば肺が壊死するくらいには強力な薬剤だ」
ずんぐりとした対BC装備を着込んだ部下達は手早くイオやリーパーの装備を剥がして行く。
「おい、リトル・レディは」
「駄目だ、処分する。……型遅れの端末だ。何が拙い?」
「その端末の中身が今回の作戦目的だ。入念に除染した後、持ち帰る」
不思議そうに尋ねて来る隊員。ヴィマーが重苦しい溜息と共に説明する。
リトル・レディを除き、最後には一纏めにして焼却処分。脱がされた服の代わりに投げ渡された薄い毛布を身体に巻き付け、リーパーは呻いた。
「クソ、奴等まだ叫んでやがる」
今しがたロックした出入口からは未だに地響きのような音が聞こえて来る。
怪物達が扉に突進している。
「爆破処理は任せる。私は別の個所に回る」
「はい、いいえ、少佐」
二人掛かりで棺桶程もあるサイズのボックスを運んできた隊員達が言った。
「帰還命令が出ています。回収物の保全を最優先に」
「……分かった。爆破の後はプラン通りに」
会話は最小限。ヴィマーに先導され、或いはその部下達に追い遣られるようにコンドルに乗り込む。
即座に離陸した。急速に地面が遠のき、何人もの兵士達が慌ただしく作業に掛かるのが見えた。
明らかに作戦開始時よりも多い。
「増援が到着していたのか。何故突入させなかった?」
「あの特殊なシチュエーションでは足手纏いになるだけだ」
「お優しい事で。トカゲどもは気付いているだろうね。彼等は皆殺しになる」
「死ぬまで戦えとは命令していない」
「奴らは置き去りか?」
「頃合いを見て撤退させる。私は人命の……無駄遣いが好きではない」
なら良い。いや、良いとは言えないか。ウィルスの流出は大きな脅威を齎す。封じ込めたいが、ウィードランの存在がある以上サロル・バンカーに対応部隊を張り付かせる訳には行かない。
治療薬はある。効果的に作用するのも確認している。緻密な計画と共にそれを用いればウィルスには対抗できる。
ただし、ウィードランさえ居なければ。
「予備端末の準備が出来た。お前が持ち帰ったデータを共有して貰う」
「……良いぞ、繋げ」
リンクしたコンドル内の予備端末に、リトル・レディのデータをコピーさせる。ゴブレットがドレスの裾を翻してイオの前で踊った。
『ヴィマー部隊のデータを回収します。このアクションが露見する可能性はありません』
「(……気の利く奴だ)」
端末の操作を終え、ヴィマーが倒れ込むように椅子に座った。
ヴィマーも、リーパーも、作戦所要時間自体はそう長くも無いが、疲労困憊だった。無理も無い。
目的は果たした。しかし代償の大きさは予想も着かない。それが彼等を打ちのめしていた。
「イオ軍曹、以前は取材拒否されたが……」
「ふん」
「今後はそうはいかない。貴官の責任とは言わないが、閉じられた箱を開いたのは我々だ。
我々は共犯者だ。ウィルスの封じ込めに失敗した場合、貴官らに協力してもらう事もあるだろう。
当然だが、“お願い”をしているつもりは無い」
ゴブレットがイオに寄り添いながら言った。
『……特殊な暗号化ファイルを解読しました。ヴィマー・アムルタスにはエージェント・イオの殺害指令が下っています。
警戒してください』
へぇ、成程ね。イオは皮肉気に笑った。
「良いのか少佐。機密保持の為に俺を殺さなくても」
何故かヴィマーも笑った。疲れ果てた様な笑い方だった。
「この状態で貴官と……そこのサーベルタイガーを殺せる自信は無い」
リーパーを一睨み。
良い判断だ幽霊野郎。面白くも無さそうにリーパーは言った。
「それにクーランジェ元議長はまだ貴官を死なせたくない筈だ」
「大した政治屋だ」
「私は兵士だけをやっている訳には行かない」
コンドルは敵の警戒網を擦り抜け、オクサヌーンに向かって飛び続ける。
――
『最悪では無い、と、ブルー・ゴブレットは評価します』
青い光の庭。いつもの様に様々なデータが視界の中を流れて行く。
何かの動画ファイル。誰かのバストアップ写真。テキストデータ。名簿。理解不能な評価項目一覧。
「ふぅん? 最悪では無い、か」
『カラフ・ウィルスの事を知りたがっているのは我々だけではありません。
ウィードランにとっても最上位優先対象の筈です』
「だろうな」
『バンカーの閉鎖に成功しても、或いはそれ以前に我々がバンカーに侵入せずとも、いずれウィードランが情報を求めて同じ事をしたでしょう。
ウィルスの流出は必然でした』
「情報が得られただけマシ、と言いたい訳か」
憂鬱だった。作戦を成功させた達成感は微塵も無かった。
少し感情移入し過ぎている。自覚はあった。だが、歯止めが効かない。
こうして、いつまでも語り掛けて来るこの青い女神様がいるから。
イオは、ユウセイに戻っても、シタルスキアの事ばかり考えている。
「もしかして慰めてるのか?」
『その通りです。ブルー・ゴブレットは人類種存続の為、貴方を支えます』
「そういう時は“貴方が心配です”とでも言っておけば良いのさ。
あんまり多くを説明されると白けちまう」
イオは手で目元を覆う。無意味な行動だった。視覚情報が遮断された分、より多くのデータが脳味噌に流れ込んでくる。
ゴブレットが直ぐ傍に近付いてくるのが分かった。所詮データの流動でしかないのに、不思議と気分が楽になった。
『エージェント・イオ、ブルー・ゴブレットは貴方に愛されたいのです。
我々はコンビです。人類に夜明けを齎すは我ら。
私は貴方を極めて重要なユニットと評価していますが、貴方にとって私はそうではありません。
観測外世界での数ある作戦行動の内の一つ、その中の現地支援ユニットでしかない』
「その言い回しも、俺を研究した結果か?」
『カラフ・ウィルスは既に人類の制御を離れました。
回収したデータの精査は未完了ですが、異常な進化を遂げ、既存の理論を越えた存在となっています。
ヨルドビークを壊滅させた種とは別物と言えるでしょう』
手をどけた。黄金の瞳で覗き込んでくるゴブレット。
どう話を繋げたいのか。
『ウィルスは既に多くの人命を奪っています。
多くの感染者は理性を失い、肉体組織を崩壊させ、かつての父や母、恋人や友人、兄弟や子供に襲い掛かりました。
これは人類種にとって、或いは死よりも辛く恐ろしい事態の筈です。
そしてこれからはもっと恐ろしい事が起きます』
「何が言いたい、さっきから」
『ヴィマー・アムルタスは事実を述べました。
エージェント・イオ、貴方の責任ではありません。
ですが、“箱を開いたのは我々”です』
「ゴブレット!」
黄金の瞳の中に無数のデータが踊っているのが分かった。青い燐光の中で、青い女神は殊更に輝いている。
『より長く、より多く、より精密で、尚且つ私の演算を超える介入を。人類種を救うにはその積み重ねしかありません。
箱を開いた者の一人として、戦ってください』
イオは理解した。慰めは言葉の半分でしかない。
コイツは俺の罪悪感を煽ろうとしている。
馬鹿な。たかがゲームのいきさつ一つに、何をマジになるかよ。
馬鹿が。その一言が何故か吐き出せなかった。
イオは大きな、大きな溜息を吐いた。
「……良いだろう。俺もこの世界の行く末が気になって仕方ない気分なんだ」
ゴブレットはにこりと微笑んだ。無機質な、いつもの笑い方だ。
『音楽でも、流しましょう』
イオは暫く青い光の庭をたゆたった。
――
以前の廃屋。汚水の流れるその上の汚らしい場所に、イオは再び訪れた。
ヴィットーのエージェントが通信機の準備を終え、すまし顔で待っている。
「イオ軍曹、クーランジェ議長の望みを果たしてくれたと聞いています。
私個人としても、御礼を申し上げます」
丁寧な敬礼を終え、その女は通信機を起動させる。
『ミスタ・イオ、大変な……大変な作戦だったと聞いている。
だが、成功させてくれた。私は君に感謝しているよ』
「問題が無い訳じゃ無い。ウィルスが流出した可能性がある」
『それは私も気にしている。だが人間は、“何でも”は出来ないのだ。
次善の策を取るしかない。そして、私達は私達の目的を果たさなければ』
厳めしい顔をして見せるヴィットー。
『必要な物は揃ったよ。状況は私の予想通りになっている。少し怖いくらいにね』
「船団はいつ到着する?」
『カラフへの航路を守る空海軍の努力にもよる。
あぁ……これには私も驚いているんだが、君が鹵獲したガルダ。
アレが現在5機、海路を封鎖しようと激しい攻撃を加えているんだ』
「知ってる。トカゲの航空戦力が海に張り付いているからこそ、カラフ方面軍は何とか戦えている」
『本職の軍人ならば当然だったね、すまない。
何にせよ、約束は果たす』
「支援者を助けるのが義務だったな」
『私も政治に携わる者だからね』
「俺への殺害命令を撤回させてくれたのも?」
一瞬、ヴィットーは沈黙した。演技かどうかは分からなかい。
雄弁な男だ。優しいだけの人物には見えなかった。
『私達は更に協力しあえると思っている』
「ストレートになったな」
『今回の作戦にはシンクレア・アサルトチームも参加したとか』
「情報を渡した。誤魔化しの効く相手じゃない」
『ヨルドビークの出身者だそうだね。気持ちは理解出来る。協力したいとも思う。
だがこのスキャンダルはカラフの人々の避難完了までは隠し通さねばならない』
「それがアンタと対立者との取引って訳だ」
『混乱を抑える為だよ。足元も覚束ない状態では戦えないだろう』
イオは目を細めた。何だかこの男との会話の遣り方が分かって来た気がした。
アドベンチャーパートも中々楽しい。自分がクールな駆け引きを乗りこなしている気分になれる。
「何故シンクレアがあの場に現れた? タイミングが良すぎる。
誰がこの話を知っていた? ……アンタだ、クーランジェ議長」
『……まぁ、そうだね。
これは知られても問題ない私個人の理由だから教えよう。
ウィルスの情報はリークしたい。だが私がそれをする訳には行かないのさ』
我儘な奴だな。
「スキャンダルはバラしたい。だが自分が悪役にはなりたくない。
その癖リークの時期はコントロールしたい。……少し都合が良すぎるんじゃないか」
『それに関しては言い訳しない。私は恥知らずな男だ。だが必要な事だ』
「支援者の為に、か?」
『全ての市民の為だよ。
イオ軍曹、スペシャルフォースの兵士達は誇り高い。私の言葉には耳を貸さないだろう。
説得できるのは作戦を共にし、深い信頼関係を築いた君だけだ』
「……応じなかった場合は?」
『それはそれで仕方ない事だ。それに合わせて対応するしかない』
暗い凄みを感じた。大きく、妖しい何かの片鱗を。
つい最近同じような事を言っている奴が居た。ヴィットーの言う“作戦を共にした”男だ。
「彼女は俺の友人だ。出来ればアンタと揉めるような事になりたくないな」
『それは……恐ろしいね』
ヴィットーは受け流す様に笑った。
――
「イオ、検査入院はどうだっだ? アタシの方は最悪だった」
「俺の感想も似たようなモンだ」
狭苦しい部屋にサーベルタイガーが押し込められていた。
彼女はタンクトップ姿で腕立て伏せに励んでいた。
「データを持ってきてくれたんだろう?」
流れる汗を拭いながら手を差し出してくる。
イオは記録媒体を渡した。
「……これがあれば」
リーパーは黙考した後、それをデスクに放り出してウェアを着込み、再びトレーニングに戻る。
「元気な奴だな」
「不安なんだ」
「不安?」
「考えが纏まらないのさ。……身体を動かしてると気が紛れる」
イオはリーパーの椅子に腰を下ろす。彼女はそれをちらりと見て、何も言わずトレーニングを続ける。
「最初は真実を知りたかった。時間が経つと仇を討ちたくなった。
死んでも構わないと思ってた。だがその結果がアレさ」
汗が鎖骨を流れてきらりと光る。リーパーは歯を食い縛り、呻いた。
「クソッタレ。切り替えなきゃならないね」
イオは暫くリーパーを見詰める。
彼女はトレーニングに区切りを付けると、高カロリードリンクのボトルを投げ渡してくる。
「船団の手配に必要だったんだろ? アンタは」
「そうだ」
「言いたい事は分かってる。アンタには借りがある。それにそうでなくても迂闊には動けない。
ヨルドビークをあんな風にした奴らを地獄に突き落とす為には、入念な準備が必要だ。
……少なくともカラフからの撤退が完了するまで、何もしないと約束するさ」
良い女だな、コイツ。
「チャージャーは何と言ってる?」
「まだ何も。と言うか、ソイツを精査しなきゃ何も出来ないだろう。
問題はその余裕があるかだが……」
「チャージャーは……」
イオは以前のスコーディー・プルでの作戦を思い出した。
ウィルスに感染したトカゲの死体。チャージャーはあの時既に何かを知っていた。
少なくともウィルスがウィードランの兵器で無い事は、間違いなく。
「リーパー、お前にサロル・バンカーの事を教えたのはチャージャーか?」
「そうだけど、それが?」
「奴は他に何か言ってたか?」
「いや、特に何も。……なんだ? チャージャーに何かあるのかい?」
「違うさ。余りにもタイミングが良すぎたからな」
イオは適当に誤魔化した。
チャージャーのスタンスは分かりかねるが、奴も全てを知っている訳では無いらしい。
でなければリーパーを出撃させたりはしない。
ゲーム的な言い方をすれば、奴がウィルスの黒幕……或いはそれと繋がっている可能性は低くなった。
幸運だと思った。敵対するには勿体無い男だ。
黙り込んでいるとリーパーがベッドに身を投げる。
ブロンドの髪が広がって、輝く糸のようになった。
「イオ、アタシもアンタも、余計なモンを背負い込んじまったね」
「ビビってるのか」
「正直、押し潰されそうになる」
「らしくないぜ」
「自分でもそう思う」
リーパーは拳を差し出して来た。
「……頼むよ、イオ」
「あぁ。……人類の夜明けを共に」
「夜明けを共に」
イオはそれに拳を打ち付けて、リーパーの部屋を立ち去った。
アクションなのに会話文ばっかりになっちゃった。