怪物狩り
「敵分布を大雑把に纏める」
イオはブルー・ゴブレットが収集した情報の展開を躊躇わなかった。
個人が、短時間で収集可能な情報の限界を軽々と超えていたような気がするが、一々そんな事を気にしている余裕は無い。誰にも。
「俺の仮定はこじつけや妄想と言われても仕方ない部分がある。だが俺はこれがリスクの低減になると確信している。
『出力機は敵行動を制限する為に設置された人類種側の機材である』
『電源の遮断と共に感染者は行動を活発化させる』
この二点をまず共通の認識としたい」
リーパーとヴィマーは自らの端末に送り付けられた敵分布情報に驚いたようだった。
「凄いな、この短時間によく此処まで」
「監視カメラの目が届かない部分もある。過信するな」
「作戦は?」
「作戦なんて物じゃ無い。行動の再確認だ」
リーパーがマップの複数個所を指差しながら言った。
「ヴィマー、アンタはコントロールルームへ。自分から言い出した仕事だ、しくじるな。
イオはデータルーム前で待機。扉が開き次第、中へ。
アタシは万一に備えてこの区画へのアクセスポイントを遮断する。化け物に取り囲まれるのは嫌だろ?
移動はダクトを使って行え」
「袋のネズミとならねば良いがな」
「マップデータが正しければ、そうはならないさ」
三人とも、自分のすべき事は分かっていた。言葉少なく最終確認を取り、即座に行動に移る。
「脱出ルートは予備プランを含め3パターンを想定する。
ダクトを使用しコントロールルームから来た道を戻るか、イオの調査した敵分布を避けて迂回するか、或いは強行突破だ。
出来ればコントロールルームから帰りたいね。後二つは不安要素が多い」
「作戦行動に移る。油断するな。この瞬間から全力戦闘を想定しろ」
「ヴィマー、了解。コントロールルームに戻り次第、連絡する」
三人の端末をリンクさせ、時刻を統一する。一般戦闘部隊と、アウダーの誇るスペシャルフォースと、表沙汰になる事の無いブラックオプス。通常有り得ない混成部隊がとうとう端末リンクまで行った。
ヴィマーはメンテナンスハッチに飛び付き狭苦しいネズミの穴へと消えて行く。
リーパーはレイヴンを油断なく構え通路の先へ。
イオはゴブレットへと話し掛けた。
「結局、トカゲより人間の方がヤバいのかもな」
『どういった意図の発言でしょう』
「人間である以上ミスを犯す。コイツを操ろうとした事が、操れると勘違いした事がそうだろうよ。
シタルスキアはこれを克服出来るかな。ウィルスに滅ぼされなきゃ良いが」
『人類種の滅びを回避する為に、我々はいます』
「お前が幾ら優れていたとしても、“死にたがりを治療できる医者”になれるか?」
イオは肉の繭の群れを眺めた。そして首を抉られた怪物を。
身から出た錆。先程脳裏を過ぎった言葉が再びちらつく。
「まぁ、全ては手に入れる情報次第か。
ウィルスがこれ以上厄介な物で無い事を祈るぜ。もう十分驚いた」
ただ、取引材料として必要なだけだった。それだけの筈だった。
認識はしていたつもりだ。人から理性を奪い、凶暴な獣にしてしまうウィルス。
認識は甘かった。ウィードランと言う強力な生存競争相手が居たせいで問題が矮小に見えていた。
コイツは人類を滅ぼし得る。
――ただのゲーム、の筈なのに。この焦燥感は何だ。
不思議な……寂しさとでも言うべき感情。焦燥と共にある諦念。何故、そう思うのか。
暫く沈黙していた。ブルー・ゴブレットはイオの視界を泳ぎ、いつもの定位置へと戻る。
リーパーから通信。焦った声。
『敵を……チッ、敵確認。凄い数だ』
「リーパー、俺は暇をしてる。手伝いが必要なら言え」
『問題ない。自分の仕事に集中しな。
……クソ、やり過ごせない、発砲する。派手な事になるぞ、戦闘に備えろ』
「死ぬなよ、リーパー」
『アンタもね、イオ』
間を置かず遠方から銃声が聞こえた。耳に痛い程の沈黙が破られる。
発砲は断続的に行われた。レイヴンの物でなく拳銃の音も。リーパーがサイドアームを抜いたらしい。
リロードの暇も無いのか。状況は思ったより悪そうだ。
『こちらヴィマー、ダクト内に問題発生。イオ軍曹、聞こえるか』
「こちらイオ、リーパーが戦闘を開始。こっちもヤバいかもな。……手短に頼む」
『ネズミが居た。感染体と思われる』
「人間やトカゲ以外にも?」
『射殺した。だが正直、状況は不利だ』
「援護が要るか?」
『今からでは間に合わん。バイタルデータを逐一送信する。
俺が死んだらお前が端末を回収し、引き継げ。データルームをこじ開けろ』
「お前が死んだら愛しの妻が泣くぜ」
『……その心配は無用だ。ヴィマー、アウト』
作戦は出だしから躓いた。リーパーとヴィマーはほぼ同時に戦闘に入った。
イオとて、蚊帳の外と言う訳には行かなかった。
『動体接近。銃声に引き寄せられているようです』
「やり過ごせばリーパーが挟み撃ちにされる」
『5、6、依然増加中』
「どうって事は無い」
奴らは不死身の存在ではない。
勢いがあるだけだ。奴らの頭蓋骨と鉛の弾丸、どちらが強いかは明白だ。
『コンタクト、通路前方』
「化け物狩りだ」
イオはレイヴンを引き寄せた。
――
戦闘支援、開始。
その言葉を聞いた瞬間、感覚が鋭くなる。意識が冴え渡る。
暗闇に感じていた圧迫感。閉塞感。それが勘違いだったと分かる。
闇は今、完全にイオの物になった。
ストレッチャーを弾き飛ばしながら突進してくる巨体。激しく左右に揺れる頭部。
遅くなる世界。呼吸が止まる。イオはイオになった。
「ワンダウン」
先頭の一体を何事も無く撃ち殺す。そう、特別な事は何も無かった。
視認できない程の速度で発射される尖った鉛より強い生命体はそうは居ない。綺麗に二発。頭蓋を粉砕し、中身をばら撒かせる。
『突撃の衝力は脅威です』
「ここで止める!」
『後続、来ます』
ダブルタップ。正確な狙い。バイザーの暗視機能の有効外、闇の奥まで見通す。イオには敵の気配が読める。
また一体を射殺する。雄叫びを上げていたその個体は疾走の勢いそのままに転倒し、ぐしゃぐしゃに砕けた頭を地面に擦り付けながらストレッチャーを巻き込んで吹き飛んだ。
「エネミーダウン! ゴブレット、後方警戒!」
『動体反応なし。熱源なし』
「眠らせてやる、同胞」
歯を食い縛り大きく息を吸い込んだ。敵は更に来る。
大して広くも無い通路だ。そこを一直線に走って来る敵。鴨撃ちに等しい。
だが数が問題だった。先頭の一体を始末する間に後続が距離を詰めて来る。怪物の異常発達した肉体はレイヴンの弾丸に対してある程度の防御力を発揮している。
イオは決して慌てなかった。目を見開き、舌なめずり。
じりじりと詰まる敵との距離。積み上がる怪物の死体。吐き気を催す悪臭と汚濁。
弾倉交換のタイミングでとうとう肉迫された。イオは怪力で以て銃床を叩き付け、その一体の首を圧し折る。
銃を構え直した瞬間ぬめりを感じた。今更だった。命の危機に瀕した今、感染もクソも無い。
最善を尽くす。後の事は後で考えるしかないだろう。
「残存敵数は?!」
次の敵に弾丸をばら撒きながらイオは咆えた。
『後続、払底』
「良い報せだ!」
ゴブレットは良い報せをくれた。押し寄せていた敵の波が途切れたと。
大きく膨れ上がった腕を振り上げる怪物。頭部が狙えない。腹部に何発か撃ち込むが怯んだ様子を見せない。
レイヴンを突き出して受け止め、られなかった。凄まじい力だ。受け流す様に腕を引き、怪物が姿勢を崩した時には、イオはハンドガンを抜いていた。
密着距離。出鱈目に乱射しながら、左腕で顔を覆って怪物の体液から粘膜を守る。
次、最後の一体と思しき個体。たった今射殺した死体を巻き込むように突進してくる。
イオはカメが甲羅に籠るように身を丸め、怪物の足にぶつかって行った。
突進の勢いは凄まじい物だった。百キロを超えると思しき巨体が、バランスを失った途端数メートルも転がっていく程度には。
座り込んだまま丁寧に狙いを付け、ダブルタップ。
敵の波を完全に抑え込んだ。イオはレイヴンを拾い上げ状態をよく確かめた後、付着していた粘液を払った。
「オールクリア」
『オールクリア。お見事です』
「周囲を警戒しろ。可能な限りで良い。
……リーパー、感染体の群れと遭遇し、全て射殺した。そちらはどうなってる?」
リンクした端末の共有通信ウィンドウは激しい銃声とノイズばかりを伝えてくる。
「クソ、ヴィマー少佐、聞こえるか」
『こちらヴィマー、まだ生きてる。電源をダウンさせる準備が整った』
「始めてくれ。リーパーが過重労働に喘いでるようだ。俺は奴の援護に向かう」
『その前に一つ伝えておく。推測の域を出ないが』
イオはマガジンを交換しながら足早に移動を開始する。
「手短に頼むぞ」
『例の出力機の事だ。ざっと見だが、あの継ぎはぎの装置は正規品で無いパワーサプライが使用されているように見えた』
「それで?」
『電源を復帰させる時の起動電流が……』
「省いてくれ、少佐」
『再起動時、あの出力機は使い物にならない可能性がある。
問題に直面しているのなら、時間稼ぎでなく退避を念頭に動け』
「充分だ、少佐。貴重な情報に感謝する」
イオは駆け出した。先程のドリンクルーム、無数の肉の繭の間をすり抜ける。
リーパーからの返答は無い。イオの背筋が冷えていく。
曲がり角を二つ越え、200メートルは走ったか。リーパーが始末したと思しき感染体の死体が無数にある。
そしてその末に、道がシャッターで封鎖されているのを確認した。
一本道だった。リーパーを見逃す筈はない。
「……リーパー、応答しろ! シャッターが下りてるぞ!」
何度目かの呼び掛け。漸く彼女が応じる。
『悪いなイオ、取り込み中だ!』
「シャッターが下りてる!」
『止むに止まれずだ! アクセスポイントの封鎖自体は上手く行ってる!』
「お前は孤立しているんだぞ!」
『雑談には後で付き合ってやる!』
再びの銃声。怪物の吠え声。
リーパーは聞く耳を持たない。
「(ゴブレット、開けろ)」
『敵の浸透が予想されます』
「(全部始末すれば問題ない)」
『リスクを侵す必要は無いと思いますが』
「(俺は奴を助けたい)」
『貴方がそう言うのであれば、ブルー・ゴブレットは従います』
シャッターの端末にアクセスしようとした瞬間、壁を走る赤い光のラインや、壁に掛かる表示灯、警告灯の類が全て消え去った。
電源の遮断。こうなってはシャッターを動かせない。
『妨害電磁波の遮断を確認。ヴィマー・アムルタスが作戦プランを実行したようです』
「クソ! リーパー、敵の増援が予想される! ……生き残れ」
激しい戦闘音楽の切れ間に、リーパーの笑い声が聞こえた。
『任せときなよ』
イオは踵を返す。データルームの前にとんぼ返りだ。
あっちへ行ったりこっちへ行ったり、動物園の熊か何かの様に無駄な動きをしている。
イオは鼻を鳴らした。早速懸念通りの事が起こり始めたぞ。
「少佐、出来るだけ、データルームの開錠を急いでほしい」
『言われずともそのつもりだ。……何かあったか?』
「繭が動いてやがる」
どく、どく、と心臓が脈打つように、肉の繭たちが鳴動していた。