子守歌
大型のダクトとは言え人間が通るには狭い。這いずって進む度に肘や足、スリングで引き摺るライフルが床や壁面に接触し、音を立てる。
かん、かん、がこ。ロ型のダクト内は反響しやすく、その音が耳に痛かった。
「イオ、これは何処に繋がってる?」
「十数カ所の部屋と換気用大型ファン、そしてそれのメンテナンスルームに」
「酷く暑い」
「ファンが止まってるからな」
サウナの中に居るようだった。口から取り込む空気が熱い。口腔粘膜で感じる熱と、唇や頬で感じる熱に違いがある。五感リンクが細かすぎる。
汗が頬を伝って顎先から落ちる。拭う手間すら惜しんで、三人は進む。
「ネズミか、モグラか」
「リーパー、何か言ったか?」
「クソッタレって言ったのさ」
「……成程な。俺も同じ気分だ」
ある時を境に、明らかにダクト内を反響する音が変わった。
そこまでは何処かくぐもっていた反響音が明らかに甲高くなった。周囲の構造体の材質が変わったらしい。
違った。これまで壁の中を移動していたのが、どこかの通路の頭上に抜け出て来たようだ。
「……音が変わった。今俺達が這いずってるダクトは、ドリンクサーバールームの頭上を通っている。つまり……」
「つまり?」
イオはダクトの途中、メンテナンスの為のアクセスポイントになっているハッチを見付けた。
ナイフを抜き、その肉厚な先端で小器用にネジを外す。ゆっくり、そっと、ハッチを開いてそこから首を出す。
休憩室と思しき部屋の中には無数の繭。悪臭。肌に纏わりつくような生暖かさ。
そして部屋の中央、或いは隅、或いは通路で蹲り、静止している先程の異形達。暗視機能越し、緑色の視界でもよく分かるその異質さ加減。
「(化け物を肉眼で確認。動かないが、死んでるとは思わない。非活性状態にある理由は分かるか?)」
『詳細は不明。ですが、カロリー消費を抑える為の冬眠状態と考える事が出来ます』
って事はゲームあるある宜しく近付いたら起きるんだろ。
『ブルー・ゴブレットはエージェント・イオに推測を提示出来ます』
「(ふぅん? 推測ね。良いぞ、教えてくれ)」
『ブルー・ゴブレットはバンカー内の意図不明な電磁的出力によって機能を制限されています。
そしてその出力は感染者の密集ポイントに集中しているようです』
「(……そうかい、読めたぞ)」
ホラー……と言うか、こういうモンスターパニックの演出には傾向がある。
まぁそういう事を言い出すとキリが無いので割愛するが、兎に角イオはサブカル的経験からゴブレットが何を言いたいのか悟った。
「(その電磁的出力、とやらで奴らは冬眠状態になってると言いたいんだな。
まぁ、お約束と言えばお約束か。前にもやった事があるな、こういうの)」
『何らかの影響を与えているのは間違いないとブルー・ゴブレットは考えます。
しかしエージェント・イオ、こう言った経験が?』
「(幾らでもあるさ。まぁ、あんまりホラーは好きじゃないが、慣れてる)」
『素晴らしい。
ブルー・ゴブレットは、観測外世界での貴方の作戦行動に興味があります』
「(それはまた今度な)」
イオは目を細め、舌なめずりしながらダクトの中に首を戻す。
「下には繭と化け物どもが居る。ピクリとも動かないが……。
生死を確かめる為に、もう一度アラームを鳴らす気にはなれない」
「データルームは?」
「通路の先、距離50以内。だがマップで確認する限り……ここが最寄りのメンテナンスハッチだ」
「ダクトは直接データルームに繋がっていないのか?」
「データルームの空調は独立してる。正規の入り口以外からは侵入出来ない」
リーパーは頬杖を突きながら溜息を吐く。
「あの汚らしい連中の間を擦り抜けて、データルームまで?」
「ここで待ってろ」
「……! おい、軍曹っ」
イオはハッチから身を投げた。蛇がのたうつようにずるりと。
高さは三メートルと少し。ハッチの縁を強く握り締め、僅かの間ぶらぶら揺れる。
関節から力を抜いて柔らかく着地。音を立てず、イオは肉の繭の只中に降り立った。
「(頼むから、起きるなよ)」
『エージェント・イオ、戦闘支援の準備は完了しています』
「(場合に寄っては派手に暴れるぞ)」
近くでマジマジと眺めれば尚感じる不快感と圧迫感。
粘液に塗れた乳白色の肉塊の群れ。悍ましい物に360°を取り囲まれていると思うと、苦笑いすら出てこない。
しかもそれはこの後の展開によっては全て敵に変わるのだ。
中から繭を破って出てくる元人間達は、それはさぞかし面白い造形をしているに違いなかった。
「無茶だ……! 感染する……!」
リーパーのウィスパーヴォイス。流石に慌てているようだ。
イオは唇に人差し指を当てた。静かにしてろ、と仕草で伝え、目の前で蹲る異形をじっくりと見聞する。
「(……進化、と言う考えで良いのか?)」
『ブルー・ゴブレットはそう捉えています。
ウィルスと言う存在が取る種の繁栄方法としては特異にも見えますが、結果としてカラフ大陸の人類種へ多大な影響力を持つに至りました。
途中、人類種の遺伝子操作が介在した事は間違いありません。
このウィルスがどれ程の危険性を秘めているか予測不可能です。人類種はこれを克服する必要があります。そう、なんとしても』
ゴブレットは常よりも力の籠った声で答えた。イオは怪物の横顔を見詰めながら複雑な気分になる。
身から出た錆であり、その錆に冒されそうになっている。人類はトカゲどもとは別に、ウィルスとも戦わなけりゃならない。
これがどんな物であるかはヨルドビークで思い知った。そしてその新たな力を今、目の当たりにしている。対応を間違えれば人間はこれに滅ぼされるだろう。
「(こりゃぁカラフ撤退の後はゾンビモードだな)」
ゾンビを撃つのはシューティングの中でも古くからある伝統的なジャンルだ。
なんなら俺がゲーム第二章のイントロダクションを考えてやっても良い。
そうだな、出だしは……「かつて、戦争があった」……こんな感じでどうだ?
イオはそこまで考えて、知らず知らずの内に拳を握り込んでいた事に気付いた。
みち、みち、と関節が鳴るほど、そこには力が込められていた。
『エージェント・イオ?』
「(いや、何でもない)」
やはりさっきのは無しだ。俺はこいつらも、カラフ・ウィルスも、反吐が出る程気に入らない。
鼻先が触れる程顔を近付け造り込まれた体の皺の一つ一つまでをも見分する。
結論は出た。『よく見ても、やっぱり気に入らない』
イオは怜悧な目のままナイフを抜くと、一切躊躇せず異形の喉首に突き立てた。
「ばっ、何を……!」
リーパーの上擦った声。イオは振り返りもしない。
突き立てたナイフのグリップを両手で握り締め、そのまま思い切り引いた。
緑色の視界の中、異様に硬い筋繊維とそれに反比例するように脆い皮膚組織がぐしゃぐしゃに散らばって、湿った音を立てる。
皮膚はまるで糸が解けるようにして千切れた。
雑草を丁寧に引き抜くと、根が土を纏って付いてくるように。
怪物の皮膚には細い、植物の根のような糸状の物が無数に生え、そこに肉片を纏わりつかせていた。
「元が人間である以上、首は弱点のままだ。
どれ程の膂力があり、凶暴で、銃弾を恐れなかったとしても。
血を送れなければ脳も身体も動けない」
壊れた蛇口から噴き出す様に、下を向いた化け物の首から異様な粘度の血液と、そして何が何なのか良く分からない固体と液体の中間のような物が噴出する。
「で? 冬眠から覚める様子はあるか?」
『目標沈黙。この個体が喪失した内容物の総量から見ても、死んでいます』
「“殺せる”と証明出来たな」
ナイフに付着した怪物の体液を払う。クソ、と罵る声がする。
イオの常軌を逸した行動を制止する為、リーパー達も飛び降りて来た。
――
「お前の話は分かったが、その電磁波とやらは何処から出力されているんだ?
と言うか、そこまで安易に電磁波とこいつらを結び付けて良い物か」
リーパーはヴィマーが肉の繭の除去を行うのを見ながら吐き捨てる様に言った。
イオは部屋の隅で冬眠状態にある怪物に油断無く銃口を向け、警戒を続ける。
「出力機は既に見つけてある。少佐、そこの左の奴をどかしてくれ」
感染リスクを抑える為、肉の繭を除去するのはヴィマーだけだ。
彼は手際よく指示されたルートを開放する。イオはそこを通り抜けると、デスクの下に転がっていた一抱え程もある機械を手に取った。
「それが? ……既製品じゃないね。エンジニアの手作りって感じだ。
エネルギーの供給は?」
イオは長方形のそれを目線の高さまで持ち上げる。
風体はちょっと洒落た壁掛け時計とでも言った所か。所々内部配線が剥き出しになっており、余程の突貫工事で作られたのか結線や圧着の甘いケーブルがある。
四隅の一角がワンタッチコネクタになっていた。そのメカ本体に対して明らに貧弱であろう給電ケーブルは、肉の繭、或いは怪物の足元を通って壁際まで伸びている。
この出力機、恐ろしい事に個人端末用の充電スポットから電力を得て稼働しているようだ。
「冗談だろ……。このポンコツが、人類を救う大発明って訳かい」
「見た目は関係無い。現場では役目を果せるかどうかが全てだ」
ヴィマーが怪物の粘液を払い、周辺警戒に入る。
常にすまし顔のこの男も謎の出力機には興味を隠し切れていない。
「それで軍曹、その出力機を……例えば電力供給の問題を解消して持ち運ぶ事が出来れば、先程コントロールルームの前で遭遇した奴らを大人しくさせられると思うか?」
「微妙だな」
「……その理由は?」
ゴブレットが泳ぐ。
『エネルギーの確保と消費低減。これらは目的は同一でも全く別の方向性の物です』
「俺が冬眠前の熊だったとして、目の前を食い物がうろちょろしていたら、そいつを食ってから冬眠に入る。
もしもう一度コントロールルームに行かなければならないとしたら、鉛弾を打ち込む方が早い」
「成程、道理だな」
ヴィマーは通路の先と部屋の隅の怪物、交互に視線を遣りながら頷く。
聞きたい事はそれだけだったのか、歩幅小さく慎重に前進し、蹲る怪物に接近した。
ナイフを抜き、怪物の喉首を掻き切る……と言う表現では弱過ぎるか。
刃を埋め込み、肉を掘り返して耕す様に、ヴィマーは怪物の喉を滅茶苦茶にした。
もう一体、通路の先の個体も同様に。
静かに、淀みなく、ヴィマーは行動を終えた。
それは戦いだとか殺しだとかでは無く、作業だ。ヴィマーは優秀な作業員だった
「繭は数が多過ぎる。ウィルス物質をばら撒いて貴官らの感染リスクを上げる事も無い。
先へ進もう」
――
この期に及んでは誰も「ウィルス研究の成果物を」なんて言い出さなかった。
バンカー内部の状況は最低最悪だ。汚らしい怪物と繭に埋め尽くされ、それらは眠りから覚める時を今か今かと待っている。
臭い物に蓋をしただけの、いつ破裂しても可笑しくない膨れ上がった風船がサロル・バンカーの正体だ。
「データルームだ、ロックされてる。電源は生きてるが……」
「プロテクトが厳重だ。これは中々のモンだね」
だがデータだけはどうしても欲しかった。その為にトカゲの目を掻い潜ってここまで来た。
ヴィマーが難しい顔で端末に触れる。
「セキュリティキーが必要だ」
「探す戦力も、時間も無いさ」
「ならば少し別のアプローチで行こう」
淡く発光するヴィマーの端末。
「一度バンカー内の電源をシャットダウンし、順次復帰させる。
私の端末ならばその過程で制御側のセキュリティを誤魔化せる筈だ」
「そりゃ良い。その為には……どうすれば?」
腕組みしていたリーパーが喜色に眉を開くが、その次の瞬間には別の問題に気が付いたか、苦み走った顔になる。
「いや、待てよ。電源を落とすって?
それは……あの出力機は、一体どうなる?」
「……今、電源の復帰は順次と言ったが、もっと正確に言えばデータルームの区画電源を最後に復帰させる必要がある」
イオは鼻で笑った。
「リーパー、電磁波の代わりにお前の子守歌なんてどうだ?」