開けるな。化け物が居る
「隅々までクリアリングする余裕は無い。その必要も。確認は最低限。
悩みを抱えているらしいシンクレア隊員の為に一応聞いておくが、何か質問は?」
「無駄口叩かず仕事をしな、ゴーストオプス。アタシはお前達の事が好きじゃない」
「……ヴィマー少佐。余り油断すべきじゃないと思うぜ」
「承知している。ここはウィードランの勢力圏だ」
ある程度の運搬車両の通行を想定した通路だ。随分と広い。
何かの資料、資材が所々に散乱している。そして弾痕。
そう、戦闘の痕跡がある。大雑把に資料や機材の回収、証拠隠滅が行われたようだが、戦いの名残までは消えていない。
それに以前もここで白トカゲを殺した。遭遇戦に備える必要がある。
「スリーマンセル、先頭はアタシだ。足を引っ張るな」
「リーパー、何を焦ってる。無理をするな」
「……アタシには時間が無い。それに閉鎖された施設だ。何を警戒する必要が?」
「弾痕がある。今日に限って見ないふりするのか?」
リーパーは一度深呼吸して、自身を納得させるように何度も頷いた。
「OKだイオ。……大丈夫、アタシは冷静だ。何としても情報は手に入れる」
「さて、貴官らが思う程の価値があるかな。……この地下墓地に」
思わせ振りな事を言うヴィマーを無視してリーパーは前に出た。
彼女は動揺していたが、銃を構えて前進するその姿に乱れはない。動きが骨の髄まで染み付いているようだ。
キャスター付きの椅子。割れたガラスの破片。血痕。
床や壁にこびり付いた何とも知れない汚れ。倒れた資料棚。拉げた合金製のシャッター。
通路の壁に掛かる何かの表示灯が思い出したように明滅し、存在感を主張している。
暗視装置が詳細に映し出すサロル地下壕内部は正にホラーの導入部と言った感じだ。
恐ろし気な気配。恐怖演出など一つも起こっていないのに、奇妙な緊張感を醸し出す。
「シャッターだ、少し待て」
横倒しになったワークデスクの残骸を軽やかに飛び越え、リーパーは通路の先、閉ざされた防壁に近付く。T字路だ。
こうしてリーパーの“錠前破り”が披露されるのも三度目だ。イオとヴィマーはT字路の左右に展開し、リーパーをカバーした。
『特殊な出力機器が複数個所に設置されているようです。
これより以後、ブルー・ゴブレットの検知機能は大幅に制限されます』
「(スネーク・アイは?)」
『使用する場合、スネーク・アイの有効範囲はおよそ8メートル』
「(使用する場合? 俺は戦闘を想定している。お前は?)」
『貴方がそう思うのであれば、間違いなく戦いが起こるでしょう。
貴方は訓練された軍用犬や監視ドローンよりも早く敵の臭いを察知する』
襲ってくるのがトカゲであれゾンビであれ屋内戦だ。
スネーク・アイの範囲が8メートル、実戦でのハンドガン有効射程距離程もあれば……。
いや、ヨルドビークで見た感染者の群れは遮二無二こちらを追って来た。
あの突進の衝力。小銃弾をばら撒いた所で殺し切れる物ではない。相手が一体や二体なら良いが……。
そんなにぬるいゲームでもないよな。イオは頭を振る。
もっと素早く、遠方の敵を察知出来れば良かったが……。
「ロック解除まで12秒」
「3時方向、異常なし」
リーパーへと律儀に報告するヴィマーに、イオも習う事にした。
「9時方向、異常なし」
果たして錠前破りは問題なく実行された。
問題だったのは扉の向こう側だ。
「ロック解除、前方警か……なんだコレは」
一言で表すならばそれは肉の繭だった。
暗視装置越し、グリーンの視界ではよく分からない。
だがそれは高さ2メートル、横幅1メートル程の卵型で、通路の四方に向かって蜘蛛の糸のような肉の触手を伸ばし、身を支えている。
「(ゴブレット、これは? 何かの蛹か?)」
『その可能性は極めて高いと思われますが、この物体に生命反応はありません』
「(死んでいる?)」
『死んでいます』
「(カラフ・ウィルスの産物か。感染の可能性は?)」
『ウィルス検出。非活性状態ですが、接触は非推奨』
イオは絶句するリーパーとヴィマーの前に出て、バイザーの暗視機能を解除した。
ツールポーチからタクティカルライトを取り出し肉の繭を照らす。300ルーメンの強い光に照らされた肉の繭は乳白色で、強い刺激臭のする粘液を滴らせていた。
「酷い臭いだ。こんな物は見た事が無いね」
「だろうよ。少佐、アンタは?」
「無い。だが、中身が何か……予想は難しくないな」
このサイズ、丁度成人男性一人分と言った所だ。
ヴィマーがナイフを引き抜きつつ繭に近付く。
「触れる気か? アンタが涎を撒き散らして襲い掛かって来たら、容赦する理由は無い」
「アーマーに浸潤するような量ではない。それに、私に限って言えば感染のリスクは無い」
「……成程ね。ふん、兵士や難民達がクソと血反吐を撒き散らしてる中で、アンタらだけは特別扱いって訳か」
吐き捨てるリーパー。ヴィマーの口振り、彼はカラフ・ウィルスへの免疫、或いは対抗手段を持っている事が推測できる。
インフルエンザには予防接種。誰だってそうする。いや、そうしたい筈だ。
軍が治療薬を出し渋る中でその恩恵を受けているヴィマー。リーパーの悪感情も推して知るべし。
ヴィマーはリーパーを無視して繭を構成する物質を削り取り、掌大の保存パックに入れた。電子制御で開口部の開閉を行う無駄にハイテクなパックだ。
「結局これは?」
「……感染者の中に時折異常な変異をする個体が居る。
それらは大体の場合、筋肉の異常な肥大と共に体毛や皮膚組成を崩壊させる」
「それで? 蝶々にでもなるって?」
「さてな。この繭のような状態は未確認だ。
このサンプルで何か分かれば良いが」
「何にせよこれは元人間で間違いないって事か」
中身は取らなくていいのか? といつもの軽口を叩こうかと思ったが、止めて置く。
実際にこれを切り開いて何が出てくるのか知れた物ではない。この世界を精緻に作り込んだ製作者は、気色悪い繭の中身にだって手を抜かないだろう。
「ここで議論するよりも資料を入手した方が早そうだ」
ホラーゲーのとんでもウィルスについて考察なんてすると頭がおかしくなる。
グロテスク演出やモンスターの迫力優先で、物理法則や整合性なんて二の次だ。
エンターテイメントの為にそれらはするりと無視される。
だからイオは、この肉の繭に対して疑問を持つ事を止めた。
「コイツは死んでるようだが中を確認する気にはなれない。
少佐、風邪をひかない自信があるなら、此処を通れるようにして貰いたいんだが」
特に不満を漏らす事も無く、ヴィマーは大振りのナイフで繭を繋ぎ止める触手を切断した。
見た目に反して脆弱であるらしく十秒も経たずして繭は床に転がる。
それを踏み躙りながら前進しようとしたが、あれほど焦燥の様子を見せていたリーパーに動きが無い。
沈黙している彼女。振り返れば、イオをじっと見ているようだった。
「どうしたリーパー。お前が先頭じゃなかったのか?」
「軍曹……アンタは来ない方が良いんじゃないか。
どうやらこの施設、ウィルスのコントロールに失敗して放棄せざるを得なかったんだろう。
ここから奥は子供のおもちゃ箱みたいになってる筈さ。
アンタが死ねばオクサヌーンの士気はガタ落ちになる。それに、もしアンタが化け物になったら……。
共に戦った仲間を撃つのは辛い」
おや、イベント分岐かな。イオはにやりと笑った。
リーパーにもある程度信頼されているようだ。
「ここで逃げた所で、ウィードランと戦い続ける限り常に死の危険と隣り合わせだ。
それに今のは……“自分だけは大丈夫だ”と勘違いした奴の発言だな」
「そうかもね。だがもしアタシが死んだとしても、家族はもう居ない。恋人も。友人も。……ヨルドビークで。
アタシが死んでも困る事は無い。アンタの言葉を借りるなら、“忘れ去られる”だけさ」
ヘルメットバイザー越しの睨み合い。リーパーにはいつものような迫力が無い。
「俺の目的を知らないのか?」
「情報ならアタシが回収してやるよ。それで以前の借りはチャラだ」
「お前が借りを返さずくたばる可能性もある訳だ」
ここまで来てはいそうですかと答えられる筈がない。
「リーパー、センチメンタルな気分に浸るのも良いが、お前だけ行かせるつもりは無い。
妙な自己犠牲は止せ。お前の言葉を借りるなら“共に戦った仲間”だ。
お前を守る」
ミッションを放棄してリーパーが死んだりしたら寝覚めが悪過ぎる。
この殺伐とした世界観のゲームでは貴重なお姉さま枠だぞ。……中身はサーベルタイガーだが。
「……口説いてるのか?」
「複数の意味で、答えはNOだ。で、言いたい事がそれだけなら、もう議論するつもりは無いぞ」
「……ま、アンタがそう言うのは分かってた。
あぁ、何だか頭が冷えた。アンタの能力は知ってる。前は任せるよ」
彼女は銃を降ろし、拳を突き出す。
イオも拳を差し出してそれに合わせた。彼女は一つ頷くと銃を構え直す。
イオは神経を研ぎ澄ませた。
「前進する。この施設内に何が居るにせよ、接近を察知し辛いシチュエーションだ。
油断するな」
「リーパー、了解」
「貴官に任せる」
イオが前衛を務める。
ヴィマーが背後を監視し、リーパーがハンドガンに切り替えつつその肩を掴み、イオに続く。ヴィマーはリーパーに引っ張られるのを頼りに前進する。
リーパーは自分で言う通り冷静になったようだった。嫌いな相手とも協力しあえる程度には、
「幽霊野郎、ヘマをするなよ」
「そちらこそ、ロマンスは別の場所でやってもらいたい物だが」
――
本当に幾許もしない内に思わず背筋に来るような演出と遭遇した。
イオは前進する速度を落とし、そろりそろりと足音を消す。
シャッターだ。この施設に侵入してから何度か目にした区画分断用の非常シャッター。
これまでと違うのは、それに何が何だか分からない物が塗りたくられて汚れている事。
そして太いインクで書き記された文字。
“開けるな。化け物が居る”
「(これ映画か何かのオマージュだろ。どっかで見た事あるぞ)」
『検知範囲内に熱源及び動体はありません』
リーパーが進み出てきた。暗視機能を解除する。
真っ赤な非常灯が薄暗闇をぼんやりと照らしている。リーパーはシャッターを暫く眺めたかと思うと、何事も無かったかのように端末を起動した。
「コントロールルームをまず押さえたい。このバンカーのどこで何をやってたのか分かれば、調査はスムーズに済むだろう。
データを確保し、可能ならば研究の具体的な成果物も」
「化け物がいるらしいぞ。楽しくなってきたな」
「トカゲどもよりタフなのが居たとしたら楽しめるだろうね」
基準はウィードランか、ハードル高いな。
イオはヴィマーと共に周辺警戒を続けながら笑う。
「臭うな」
皮肉は別として、ここまで言葉少なめであったヴィマーが唸るように言った。
先程遭遇した肉の繭から感じた刺激臭が、今や周辺に充満している。
「酷い臭いの“フレッキ・ミートボール”が転がってるだけなら良いんだがね」
「……貴官のジョークには年齢制限を設けた方がよさそうだ」
リーパーの発言に何を想像したか、ヴィマーは更に声を低くした。
「?」
『ウィードランの極一部が行う挑発、或いは示威行為です。
死体をネットで牽引し、人類種の目視可能な位置にネットごと投棄します。
死体の塊が球形、或いは衝撃で楕円形になる事から “ミートボール”と呼ばれています。
フレッキは最初にそれが確認された地方の名前です』
えげつない設定だ。反吐が出る程の。
イオも思わず唸り、頭を振った。やっぱりトカゲはダメだな。皆殺しにしないと。
「トカゲどもの料理の話はもう良い。飯が食えなくなる」
「アンタがそんなナイーブな男だったとはね」
「……ロック解除にそこまで手間取るのなら、俺が変わってやるぞ」
「もう終わる。他のより大分梃子摺らせてくれたが……。
よし、開けるぞ。警戒しろ」
猛烈な臭気に眉を顰めた。開かれたシャッターの向こう側から、生物的な悪臭と生暖かさが溢れ出てくる。
肌に張り付くようですらある。うなじに刺すような緊張感。
何かを感じる。何かが居る。奇妙だ。このシチュエーションがそう感じさせるのか?
危険な何かが直ぐ傍に居る、気がする。ゴブレットは何も言ってこない。
「(ゴブレット)」
『依然として動体、熱源無し』
バイザーの暗視機能では遠方までを見通せない。
イオはこれまでよりも更に慎重に足を進めた。
呼吸を消し、足音を消し、心臓の鼓動までも消していく。
「ここから先、不用意に喋るな。音を立てるな。息も殺せ」
「……何かいるのか?」
「そうだ。何も感じないが、何かいる。勘だ」
「貴官のそれは、よく当たるらしいからな……」
暗闇に分け入るように前進する。施設の雰囲気が急に変わった。
ここまでは如何にも(SFの)軍事拠点然としていたのが、牢獄か、或いは廃病院か。
これみよがしに設置されたオブジェクトの中では道を塞ぐように放置されたストレッチャーなど特に印象的で、お約束とでも言うように何かの液体に塗れ、それがぱりぱりに乾ききっている。
イオは時折立ち止まり、背後のリーパーにハンドサインを送った。
右の通路の先に二つ。左の小部屋の中に一つ。
更に進んだ曲がり角の壁に折り重なるように三つ。その先、滅茶苦茶に引き裂かれたソファーの上に一つ。
肉の繭。汚らしい粘液にしっとりと濡れ、てらてらと光っている。
「(ゴブレット、本当に死んでいるのか?)」
『生体反応はありません』
そんな訳無いだろ、こんなシチュエーションで。
うなじを刺されるような感覚はどんどん強くなっていた。