サロル地下壕
太い身体を持つ弦楽器の重低音のような。洞穴を打つ風のような。
壁を通しての唸り声と言うのはこういう風に聞こえるんだな、とイオは思った。
シャッタードアを叩く音。理性を失った絶叫。イオのパッシブスキル“飢えたジャッカル”はそれに加えて荒々しい息遣いや湿った足音、汚らしく嘔吐する音までも伝えてくる。
『マイワス・アビゴー小隊、メリル・ノルデンが記録、き、き、記録する。
まず初めに、今亡き、ち、ち、父と母に、し、し、謝罪する』
イオは酷い吃音の女が硬い表情で話す音声データを操作した。
バックグラウンド再生ってこれで良いのか? 薄暗いデータルーム。イオは自身の端末、リトル・レディにデータを移し替えながら通信を開いた。
『イオ! 何をやってる! 目的の物は?!』
「今良い所なんだ。少し静かにしてくれ」
『良い所?! 化け物どもに囲まれて、御自慢のモノでも扱いてんのか!
感染変異体が全部アンタの居るデータルームを目指してる! このままじゃ食い殺されるよ!』
「退避ルートは確保してある。リーパー、俺は大丈夫だ」
『だと良いがな! ……もう直ぐチェックポイントの封鎖が完了する、速く戻れ!』
がなり立てるのはリーパーだ。
『さ、さ、最初から違和感はあった。こ、このウィルス対策、ち、チームは……。
通常有り得ない、い、異様な想定を、し、していた。
ウィルスのそ、存在は極秘と、い、言っていた。わ、わ、私は意味を取り違えていた』
データルームの外から聞こえる唸り声や衝突音は次第に大きく、多くなっていく。
シャットダウンされていた監視カメラを再起動した。部屋の外、広めの通路から扉までを映すカバーする監視カメラには、数えるのも馬鹿らしくなる程の異形の群れが映っている。
人もトカゲも居る。充血し切った目。何かの粘液で濡れた肌。個体によっては腕が折れたり、欠損していたりする。
黄ばんだ歯を剥き出しに、崩れかかった体に異様な力を漲らせ、頻りに扉へ突進を繰り返す。
そこに理性は無い。人間や、或いはトカゲであった時の意識など。
「良いぜメリル。さぁ話してくれ」
『敵反応、増加。60体を越えました』
「まぁ慌てるなよ」
この“サロル地下壕”は平面距離だけで6㎞を超す巨大な地下要塞だ。
それが三層も。その中を高々60やそこらのゾンビが走り回っていたからって何だっていうんだ?
イオはキャスター付きの椅子にどっかりと座り込み、レイヴンの残弾を確かめた。
そのままセルフチェック。装備は少し消耗しているが、全力戦闘可能な状態にある。
『け、け、結論から言う。ウィルスは……ウィードラン由来の、も、物だ……。
だがそれを、それを、わ、わ、態々墓穴から掘りだして来たのは、に、に、人間だ』
『暗号化されたデータファイルを検出』
「メリルの物だろう。抜き取れ」
『ち、父よ、母よ、ご、ご、御免なさい。私は、私は、と、とんでもない事に、手を貸してしまいました。
私はそれに、き、気付けた筈なのに。私は、私は』
女の鳴き声。スピーカーからは嗚咽ばかりが聞こえる。
『みんな、みんな、地獄に落ちろ。わ、わ、私達の身体も魂も、焼き尽くされて灰になれ。
何より、誰より、ジョンソン・マクシーマの亡霊ども』
――
サロル地下壕は既に係争地から外れている。オクサヌーンを攻め立てるウィードランは占領を終えた地域に余り注意を払わない。
持てる戦力の大半を戦線に注ぎ込んで人類をカラフから追い出そうとしている。
ウィードランにとって必要な資源の回収部隊、及び極少数の二線級部隊が後方を巡回し、そしてそれは当然のように大した戦力を有していなかった。だからこそ3552は生還出来た。
つまり、極少数の兵員ならばウィードランの後方に浸透するのは決して難しくない。
――と言う設定らしい。ガルダにエネルギー兵器をぶち込まれないんなら何だってOKだ。
力尽くで奪っておいて何だが、ガルダは脅威だ。アレが出てくると連合軍将兵の戦死率が跳ねあがる。
それはストーリーに関わったユニークキャラクター達だって同じだ。
後方浸透任務、何のことは無い。ガルダよりゾンビの相手してる方がマシだ。
……ホラーは苦手だが。
イオは宛がわれた宿舎で黙々と準備を整えていた。一介の軍曹の癖に個室などまるで将校のような待遇だが、誰も彼もこの男を持て余していた。今更だ。
クルークが訪ねて来る。彼女はイオのベッドに散らばる各種装備に苦い顔をした。
「軍曹、作戦なのか」
「すまない少尉。機密だ」
「またシンクレアの?」
「違う」
クルークはマガジンに装填される前の小銃弾を乱暴に払うとスペースを作る。
そこに小さな尻を滑り込ませて不満顔。
「……目的は?」
「だから、機密なんだ」
「違う軍曹、貴官のだ。貴官は今どんなタスクを消化している?
ここ最近あちこちをフラフラしているそうだな。カーライル伍長が教えてくれたぞ。
ユアリス准将が貴官に任務を与えたがるとは思えない。シンクレア絡みでないなら……
軍曹、何が目的だ」
イオは誤魔化す様にクルークに手を伸ばす。金の癖毛を丁寧に撫ぜた。
クルークは目を閉じてされるがまま。
『エージェント・イオ、クルーク・マッギャバンとの情報共有を推奨します』
「(何? どうして今更)」
『これ以上蚊帳の外に置けば、彼女は独自に調査を始めるでしょう。
ナタリー・ヴィッカーのような対処が必要になります』
イオはクルークから手を放し、言葉を選んだ。
「……各戦線の少年兵達がどういう状況にあるか、知っているか?」
「……? カラフ大陸撤退戦略は佳境だ。二線級以下の部隊は戦闘部隊の邪魔になる。
既に大多数が大陸を離れている……筈だが……」
「違うのさ、少尉。子供達は取り残されつつある」
クルークは目を真ん丸に見開く。
「それは……詳しく聞いて良いのか?」
「知りたくないのか?」
「済まない、要領を得ない聞き方だった。教えてくれ」
説明に困る事は無かった。何度も、複数の相手と、同じ内容で密議を重ねて来たのだから。
室内の監視機器の類は無効化、或いは欺瞞を施してある。会話の内容が漏れる事は無い。
全て話し終えた時、クルークはまず枕を投げ付けて来た。
「何故私に黙っていた!」
跳ねて落ちる固い枕。イオは椅子の背凭れに身体を預けたまま黙る。
「そんな事が許される筈がない。カラフ方面軍は……責任を放棄しようとしている!
いや、シタルスキア連合軍が!」
憤りを露わにするクルーク。全く予想どおりの反応だ。
彼女は跳ねる様にベッドから立ち上がり、しかし唇を噛んで座り直した。
「……まだ取り返せる。軍曹が言っている事が本当ならば。
……シンクレアとの協働は全て取引の類だったんだな?
次は何だ。船を動かす為に何が必要だ?」
「元ヴァイエンヌ州議会長、クーランジェを動かす為にとある極秘研究の資料を必要としている」
「研究資料? 何のだ? 今正に失陥しようとしている大陸で」
「カラフ・ウィルス。以前立ち寄ったサロル・バンカーにその秘密が残されている」
クルークはまた立ち上がった。座ったままのイオににじり寄り、恐ろしい顔で見下ろしてくる。
「軍曹……いや、分かった。もう良い。そのような事情を抱えていて、貴官が止まる筈も無い」
「少尉、隊を落ち着かせておいてくれ。問題無くアウダーに渡れるように」
「良いだろう軍曹、貴官がそのように言うのなら、私にだって考えがある」
「どう言う意味だ?」
「その賢い頭で考えてみればどうだ? 私だって好きにやらせてもらう」
そのまま部屋を出ようとするクルーク。イオは咄嗟に彼女の手を捕まえた。
「離せ軍曹」
「少し落ち着いてくれ少尉」
どうすんだコレ。完全に逆効果だぞ。
『彼女のケアを怠ったのが原因かと』
「(今更そういう言い方するか?)」
クルークはイオの手を振り払う。イオは言い募る。
「ナターシャは軍の不都合な情報を知り過ぎた。だから今身を隠している」
「それも貴官の手引きか?」
「……そうだ。少尉、迂闊な真似はするな。今、3552は監視されている」
今までこのクルークと言うキャラが激発する事はそれなりにあった。
極限状況下、強いストレスに晒され続けた彼女は色んな顔を見せてくれた。
だが、最後の最後には、彼女は冷静な指揮官としての思考を捨てなかった。
このミドルスクールの生徒にしか見えない少女が、どんな大人よりも冷静で、タフだった。
だからイオは言葉を重ねた。隊を見捨てて感情に身を任せる人物ではない。
「私を馬鹿にするなよ。……チャラにしてやる、軍曹。今までよくもまぁ私を除け者にしてくれた物だが、許してやる。
あぁいいとも、約束してやる。私は冷静だ。隊を危険に晒すなど有り得ない。
残念だ軍曹、お前は私を信用してくれていると思っていたが、勘違いだったか」
「信用しているから話した」
「遅すぎだ馬鹿者!」
クルークは扉を乱暴に開け放つと、切なげに言った。
「――そうさ、そうだよな。私は子供だものな、軍曹」
閉じられる扉。イオは頭を掻く。
『彼女の理性を信じましょう』
「(それで良いのか? ……いや、お前が言うなら大丈夫なんだろうな)」
ゴブレットの目的はクルークの生還だ。
それを忘れるとは思えない。これ以上何をしろとも言わないのならば、ゴブレットには相応の計算があるのだろう。
――
「こういう展開を予想しなかった訳では無い」
「……俺とは意見が異なる」
「そうだったか。……貴官が噂通りの実力を発揮してくれるならばどういう意見を持っていようと構いはしない」
ヴィマー・アムルタス少佐。彼は明確な所属を語らなかった。
今こうしてイオの前で最新式のアーマーに身を包む彼は、以前出会った時より幾らか大柄に見える。
フィールドワークジャケットが体の線を隠していただけでかなり鍛え込まれているようだ。
「正直、意外だな」
イオはコンドルの中で装備の最終確認を続けるヴィマー、そしてその部下達を眺める。
「カラフ・ウィルスの詳細など、アンタ達は隠したがると思っていた」
「……それについて深く話し合う必要性を感じない。
互いに互いの腹の内など知らずに居た方が、我々はスムーズに協力しあえる筈だ」
ウィードラン後方への浸透、及びサロル地下壕の調査。
それはヴィマー率いるアンノウンフォースのバックアップを受けての物になった。
――
ヴィマー部隊の有するコンドルはチャージャーの使用していたコンドル同様のステルス機能を備えていた。透明化だ。
ゴブレットの解析では装甲材を特殊で脆弱な物に変更せねばならず、兵装キャパシティもステルス機能の為に割く必要がある為、通常のコンドルよりも戦闘力は格段に落ちる。
しかし敵の目を欺けるメリットはデメリットを明らかに上回った。
「変装してた時とはやはり印象が違うな」
イオはヴィマーの反応を引き出そうと、移動中のコンドルの中で少しばかり挑発してみた。
「貴官も普段の様子とは大分違う」
「普段、ね。盗聴機をダメにしちまって悪いな。……普段の俺はどう見える?」
「その士気の高さは評価できる。……任務放棄は目に余るが」
「広報任務の事か。現場判断の優先だ」
「軍人の仕事は命令に従う事だ」
「俺がアドバイスを求めているように見えたか? 悪いな、勘違いだ」
「その物言いも、だな。普段の貴官は少なくとも階級に敬意を払っている。例えどんな相手であっても」
ヴィマーは言いながらヘルメットバイザーを開放し、タバコに火をつける。
お喋りが好きなら付き合ってやる、と前置きしてからの一言。
「ナタリー・ヴィッカーを脱出させたな?」
イオは目を細めた。ナタリーは今、ヴィットーによって保護されている。
ヴィマーもヴィットーに要請されてこの作戦に参加した筈だ。しかしこの様子を見るに、ヴィットーはナタリーの事を秘密にしているらしい。
ヴィマーが現れた時は裏で繋がっていたかと焦った物だが……彼等も決して仲良しこよしと言う訳じゃないようだ。
「それに関しては良い。貴官が自身の発言に責任を持ってくれるならば。
念の為に言っておくが、我々には情報操作、印象操作の準備がある。加えて言えば、ナタリー・ヴィッカーの家族構成やその居住地の情報も把握している」
彼女が不都合な情報を漏らしても対抗策があると言いたい訳か。報復の準備も。
「態々脅しをかけるって事はその対抗策も万全じゃ無いらしい」
「貴官と敵対したい訳では無いと言っただろう。我々の誠意を分かってくれ。
どれ程逃げ隠れしても必ず探し出す。私に、君の友人を殺させるな」
「もしそうなった時、俺が何をするつもりかは教えた筈だな」
ハハハ。意図して笑って見せる。ヴィマーも笑みを見せた。ピリピリとした緊張感が肌を刺す。
暫く睨み合っていると、コンドルのパイロットと何事か話し合っていた隊員がハンドサインを送って来た。
「……不毛な争いはここまでにしよう。仕事の時間だ」
ヴィマーがタバコの火を握り潰し、携帯灰皿に放り込んだ。
――
サロル地下壕へは夜陰に乗じての接近となった。
付近は森、ぐるりと回って反対側は禿山になっている。ヴィマー部隊はその禿山にコンドルを着陸させ、迷彩柄のシートを被せて偽装を施した。
『熱、及び一部の電磁波を遮断する特殊素材です』
「(ほぉ、俺も欲しいな、それ)」
作業を終えたヴィマー部隊は地下壕の隠された入り口付近に散開する。
三名が周辺警戒及び退路の確保を行い、一人がヘリの管理をする。
そしてヴィマーがイオの隣に立った。
「ここからは、貴官と私だけだ」
「奇妙な話だな」
「何が?」
「お前達は独自に動かせるステルス機と実働隊員を持ってる。
俺がいなくても調査の手段はあった筈だ」
「貴官にはそう見えるのか」
ヴィマーはどことなく不満そうだった。
近距離専用に銃身を切り詰めたカスタムレイヴンをスリングで背負い、入り口にアクセスする。
「彼等は戦闘要員と言える程の練度ではない。少なくとも、私には認められない。
貴官は決してよい軍人とは言えないが戦う力はある」
「部下に対して酷い言い草だ」
「……何処も人材不足と言う訳だ。戦争中だからな」
唐突に、視界の中を青い女神が泳いだ。
『エージェント・イオ、シンクレアに我々の動きを察知されていたようです』
「……なんだと?」
『リーパーからテキストデータが』
イオはヴィマーに“待て”のハンドサイン。リトル・レディを覗き込む。
『今何処にいる。アンタと、アンタの追ってる情報に用がある』
それのみ。文章は極めて簡潔だった。
「ヴィマー少佐、尾行されたな」
「何を言ってる」
『熱源、動体反応接近。シンクレア・アサルトチーム、特殊仕様のコンドルです』
イオは空を見上げた。
「お客さんだ。良かったな、一応友軍らしい」
ローター音が高速で近付いてくる。ヴィマーは舌打ちと共に通信端末に吠えた。
「何かが近付いている。状況を報せろ」
『アンノウン接近、詳細は不明。反応は未知の物……いえ、アウダーで使用されるスペシャルフォースの偽装信号に似ています』
「馬鹿め、即応も出来んか」
紫電を迸らせ、ステルスを解除するコンドルが一機。開け放たれるスライドドア。
見覚えのあるアーマーが顔を出す。その兵士は少しの間地表を眺めると、イオの姿を確認したか降下してきた。
ジャンプユニットから圧縮空気が放出される。銃を構えようとするヴィマーをイオが制す。
リーパーだ。彼女の降下を見届けたシンクレアのコンドルは即座に離脱していく。
「リーパー……お前が来たって事は、状況は複雑らしいな」
リーパーはカラフ・ウィルスで地獄と化したヨルドビークの出身だ。
カラフ・ウィルスの詳細を秘匿しようとしている(らしい)チャージャーが、例えイオの動きを察知していたとしてリーパーを派遣する筈がない。
もし、ウィルスが人類の兵器で、その事実を知ったら。
リーパーがどういう行動に出るか。彼女は決して短絡的な人物ではないが、だからと言って黙っている程大人しい女でも無かった。
「軍曹、お前は、アタシの味方だよな?」
リーパーは何故か動揺しているようだった。声が震えていた。
「内容にもよる。例えば、ブーマーの隠し持ってるポルノムービーの話題とかであれば、お前の味方は出来ない」
「軍曹、アタシは今……自分で言うのも可笑しいが冷静じゃない。
お前の馬鹿話には付き合えない。ハッキリ答えてくれ。
……カラフ・ウィルスとは、一体何なんだ?」
イオは肩を竦めた。
「それを今から確かめる所さ。お前も行くだろう?」
リーパーは大きく深呼吸するとイオとヴィマーを突き飛ばしてサロル・バンカーの秘匿された出入口に向かった。
シンクレアの特殊な端末には電子制御の扉をハックする機能があった筈だ。
例え一人でも、行くだろう。
「ヴィマー少佐、リーパーを止めるのは無理だ」
「だからと言って、不安要素を抱え込めと?」
「この場で奴を撃つか? 敵勢力圏のど真ん中で? あのサーベルタイガーみたいな女と戦うって?
その時は、俺もお前を撃つ。……どうだ? 難しい計算じゃ無い筈だ」
「数を、数えて置く。貴官が私を脅迫した回数を、だ。覚えて置けよ、我々は執念深い」
「そりゃ良い。親近感が湧く」
ヴィマーは頭を振って歩き始めた。
生きて帰って来たぞー!
再度出張の前に投降だー!