俺達は、人間ですらないのか
簡素な造りの部屋だ。クリーム色の壁にこげ茶色のカーテン。
スペースの大半を占めるベッドと小さな丸机。鏡台の上には質素なライト。
ゴブレットはその向こう側を警戒するように告げてきた。
『警告。隣室に不審なデータの流動を確認。民間には普及していない通信機器です』
「(スネーク・アイ、起動)」
『了解。スネーク・アイを起動』
イオは壁越しに浮かび上がる熱源を睨む。耳に手を当て、頻りに何か操作している。
『集音装置と思われる機材を確認。特殊な規格の通信機を確認』
「(集音装置?)」
『この部屋にはナタリー・ヴィッカーによって無効化されたと思われる盗聴器があります。
集音装置ならばそれを回避できると判断したのでしょう』
厄介だな。ただのストーカーな訳がない。
このまま放置すればナタリー・ヴィッカーは宜しくない結末を迎えるだろう。
余り嬉しいイベントじゃぁない。イオは転がっていた紙とペンを手に取り、乱暴に書き殴った。
「(ゴブレット、監視カメラの類は?)」
『確認できません』
「(一芝居打つ。ナタリー・ヴィッカーを死なせたくない)」
『そう言うと思っていました』
その物言いに笑いながらイオは冷たい声音を作って見せた。
最近はアクションシューティングばかりやっているが、TRPGだってお手の物だ。コツは恥ずかしがらず役に没入する事。
深呼吸だ。バッチリこの重たい世界観を楽しめ、俺。
「ナターシャ、暫く大人しくしてろ」
「……何よ、何が言いたいの」
「お前に出来る事は無い」
「そんな事……!」
顔を上げたナタリーに紙を突き付ける。
――盗み聞きされてる。気付いてない振りをしろ。
彼女は困惑した様子だった。頭を振って必死に酒気を飛ばそうとしている。
「これ以上こそこそ嗅ぎ回ればお前は殺される」
「……それは……その……」
「もう何も考えるな。俺が代わりに考える」
「考えるって……」
イオは更に書き連ねた。
――ガキどもを見捨てるつもりは無い。
ナタリーは顔を綻ばせると自らもペンを取った。
――何か方法が?
――お前の助けがあればやれる。
――何をすれば良い?
――少しの間、目立つな。必要最低限の協力者以外とは連絡を絶て。
イオはナタリーの頬を捕まえて、瞳を覗き込んだ。
「お前を死なせたくない。この件に関わるな。約束しろ」
「……わ、分かった……わ……。約束する……」
「今日はもう寝ろ。顔色が悪い」
――必要に応じて連絡する。重要な遣り取りは端末では行わない。ログを抜かれたら困る。
ナタリーは小さく頷いた。いつになく素直だ。
「イオ、その……」
「なんだ」
「何でもないわ」
最後の筆談。彼女はありがとう、と一文だけを付け加えた。
イオはその紙をくしゃくしゃに丸めるとポケットに突っ込み、ベッドから立ち上がる。
扉を開く前、振り返ってナタリーを見た。
視線が合うと彼女は一つ頷き、それに満足したイオは部屋を出た。
「(ヘイ、ゲームマスター)」
『…………ブルー・ゴブレットは貴方の発言の意味を理解できません』
「(彼女はお前にとって価値のある人間か?)」
オクサヌーンへの脱出を果たした以上、ゴブレットにとってナタリーやその相方のドレースは用済みの存在だ。
この青い女神様は時々酷薄な事を言う。メリットとデメリットの天秤こそが彼女の判断基準だからだ。
「(ナタリーを救うための助言を自発的にくれるとはな)」
『エージェント・イオ、貴方のコンディションを良好に保つ為です。
或いは、貴方が人類種と争うのを未然に防ぐ為に』
「(ふぅん、確かにそうかもな。友人を殺されたら黙ってるつもりは無い)」
『背後を警戒してください』
ゴブレットの言葉に従い、イオは背後に意識をやった。
足音が近づいてくる。大股で、早歩きだ。
先程確認した隣室の熱源の主だった。
「おっとこれは……イオ軍曹!
なんて幸運だ、こんな所でカラフの英雄と会えるなんて!」
白々しくも偶然を装う声にイオは振り返る。
中肉中背の絵に描いたような記者がそこに居た。モスグリーンの地味なジャケットにフィールドワーク用の頑丈なズボン。
首にはカメラを下げ、肩のポケットにはペンとメモ帳が覗いている。
視界に表示された情報にはヴィマー・アムルタス少佐、とある。年齢は38。
イオは眉を顰めた。どういう展開に持って行こうとしているのかは知らないが、ロールプレイにも交渉にもペースと言う物がある。
「少佐殿、話は聞いてたよな?」
ヴィマー少佐は虚を突かれたような表情。何を言っているのか分からないとでも言いたげだ。大した役者だった。
「あー、申し訳ない。誰かと勘違いしていらっしゃるんではないかな?
私とイオ軍曹は初対面の筈だし、私はそもそも軍属でもなんでも……」
「ヴィマー少佐。ナタリー・ヴィッカーは俺の友人だ」
今度こそヴィマーは言葉を詰まらせた。
『心拍数増大。彼は貴方を警戒しています』
そりゃそうだろうよ。
「彼女はもう軍の不都合な話には関わらない。アンタ達はそれで満足しておけば良い」
「……何の事か分からないが、聞くだけ聞いておこうかな」
「俺はトカゲを殺すのが得意だが、人間を殺すのが不得意と言う訳じゃ無い。
もし俺の友人が不当で理不尽な被害を受けたとしたら、軍人だろうが市民だろうが関係ない。年齢にも階級にも斟酌しない。
どこまでも追い掛けて行って、その惨めで薄汚い人生にとどめを差してやる」
「……私を脅しているつもりか?」
ヴィマー少佐とか言うキャラは誤魔化すのは無意味と判断したのかがらりと表情を変える。
無感動で、鋭い目つき。イオの事を警戒しつつ値踏みする目だ。
「リスクを計算すれば俺達は妥協しあえると言っているのさ」
「……我々も対ウィードラン戦争の英雄と敵対したくはない。だが簡単に判断できないな。
君とは手段を変えて深く話し合いたい。ここでは誰に聞かれるか分からない」
「何を話す事が有る? 俺に名前を知られていた事がそんなに気になるか?」
「手厳しいな」
ヴィマーは耳を澄ましているようだった。周囲への警戒。
不意打ちか、或いは民間人への備えか。
「俺は妥協した。厄介な記者に一人、口を噤んでいる事を約束させた。
後はお前……或いはお前達が、彼女を生かしておくリスクを受け入れるだけだ」
「……良いだろう。だが監視は続ける。文句はないだろうな」
「ふん」
イオは背を向けた。
背後からヴィマーの朗らかな声が掛かる。
「軍曹! 是非今度貴方を取材させて頂きたい!
次はもっとフレンドリーな感じで! ははは!」
本当に大した役者だった。
『エージェント・イオ、彼等への攻撃は非推奨です。
軍の戦力維持に大きく寄与する存在です』
「(だろうな。……まぁそう言うなよ、今直ぐ何がどうなるって訳でもない。
それに奴らを黙らせる必要がある時は、その分トカゲどもをもっと殺してお前に貢献してやる。
差し引きでプラスになるなら文句は無いだろ。俺とアイツら、どっちを取る?)」
『貴方です、エージェント・イオ』
間髪入れずに答えたゴブレット。
彼女の天秤の上で、イオの存在は重い。少なくとも今の内は。
「(お前は時々残酷になるからな。俺も色々と考えさせられる)」
『以前伝えた筈です』
ナタリーの宿泊するホテルを出る。
オクサヌーンの街並みは、相も変わらず黒々とした煙を吐き出していた。
『私は人類種を愛しています』
女神様の愛は重たい物だと神話の時代から相場が決まってるんだぞ。
イオはもにゃもにゃした。
『次は、何を?』
「取り立てに行く」
――
一旦ログアウトして休憩を挟み、四時間後。
オクサヌーンの夜。イオは完全武装の状態でミリタリーポートに向かう。
最近のフリーミッションでイオは顔パスに近い。リトル・レディでの形式的なID認証さえ行えば、警備兵達は目的を聞いてくる事すら無い。
“どうせまたトカゲ狩りだろう”とそんな感じだ。そしてそれは別に間違っていない。
貸しのある相手に連絡を取るのは意外に簡単だった。
同時にブルー・ゴブレットの存在なくしてこのゲームを楽しむのは無理だと思わせられる瞬間でもある。
『リーパーの端末にアクセス。通信異常を偽装し、ログを抹消できます』
「良いぞ、頼む」
ヘリのローター音がする。それも複数。
遠方に飛び立つ数機のコンドル。髑髏のエンブレムが見えた。
「リーパー、こちらイオ」
『……? 馬鹿な……。おい軍曹、このコードは共同作戦時に使用される物とも違う。
誰から聞いた?』
「久しぶりだってのに随分なご挨拶だな」
『まさかブーマーか? あの馬鹿……』
「止せ、誤解だ。奴は時々鬱陶しいくらいにフレンドリーだが、機密を漏洩する程馬鹿じゃない」
ウィンドウが投影されるが映像は映らない。
聞こえる声は少し前に生死を共にした相手だ。もっとも彼女はイオを置き去りにしたが。
その負い目に付け込む気だった。
『だが軍曹、態々こんな形で接触してきたって事は……』
「お前は俺に借りがあったよな」
少しの沈黙。只ならぬ様子を察したらしい。
その間にもイオは歩を進める。
『緊急か。今何処に?』
「すぐ傍だ」
多くの兵士達が忙しなく走り回る中を突っ切れば、ヘリポートは直ぐそこだった。
今にも飛び立とうとする一機のコンドル。中から深緑色のアーマーを来た兵士が顔を出す。
「……乗りな、軍曹」
――
リーパーは都合よく単独任務中だったらしい。
コンドルの中に他の隊員の姿は無い。パイロットはイオ達の会話など気にもしていない。
イオは簡潔に話した。
「……成程ね。情報はどこまで精査出来てる?」
「まだ途中だ。だがそう掛からんだろうな」
ブルー・ゴブレットは優秀なナビゲーターだ。少年兵部隊に関しての情報収集を続けていた。
「軍曹、恐らく帰りの船に少年兵達の席は無い」
「そんな事は分かってる」
「まぁ聞け。これはまだ出回ってない話だが、トカゲどもの軍編成に大きな動きがある。
大攻勢の予兆だ。チャージャーの予想では猶予は2週間も無い」
ほぉ、そりゃ大イベントだな。
「オクサヌーンにはアウダー大陸に行きたい民間人がまだまだ沢山居る。
そいつらを脱出させられるかどうかかなり微妙な所だ。
“席が無い”ってのには、切実な理由がある訳だ」
子供とは言え軍属だ。リーパーは無情に言う。民間人と彼等、死ぬべきはどちらか。
背中がざわざわする。奇妙な不快感がある。何故か掌が熱い。
ふぅん、とイオは唸った。大きく深呼吸して不思議な感覚を振り払う。
取り敢えず、リーパーのご高説はどうでも良い。
ガキどもに帰りの席を作ってやる必要がある。方法は……なんだ?
しかし口が勝手に滑り出した。
「リーパー、どんな奴が少年兵として志願するか、知ってるか?」
「……何が言いたい?」
「身寄りが居ないか、居場所が無いか。
休戦期を挟んだとは言え戦争中にただ飯食わせてくれるような奇特な奴はそう居ない。
彼等には、軍しか選択肢が無かった。本来まだ守られているべき年齢の子供達だ」
雷鳴がした。外を見る。黒々とした雲が広がっている。雨が来る。
「お偉方は冷静に判断した。
“彼等をどんなに理不尽に扱っても不満は出ない。”
少年兵達が死んでも遺族年金は要らない。孤児だから。
デモ行進も行われない。誰も真剣に彼等の事を思わない。孤児だから。
誰も悲しまない、誰も損をしない。孤児だから!」
「おい、おい軍曹」
おっと待て待て、なんだこれ。五感のリンクがおかしい。
肩が震える。アバターのコントロールが怪しくなってる。
「もう一度言ってみろよリーパー!
誰が死ぬべきだと? その一言で片づけられて、直ぐに誰もが忘れ去る!
“俺達は、人間ですらないのか!”」
疲れてるのか俺は? 口が、止まらん。俺も大した役者だったか。
『エージェント・イオ、バイタルに異常が』
「(そんな事は分かってる。何とかしてくれ)」
『分泌物質コントロール。身体から力を抜いてください』
「(さっきからずっとそうしようと思ってる)」
身体が勝手に強張るんだ。
……まぁ良い。今はこのドラマティックなストーリーを楽しむとしよう。
アングラゲーにアクシデントは付き物だ。
そう開き直ると、冷や水でも掛けられたかのように思考が冷静さを取り戻す。
「分かった、分かったよ軍曹。分かったからもう怒鳴らないでくれ……。
知ってるだろ? アタシにだってもう家族は居ない。故郷は化け物の街になった。
きっとアタシが死んでもそんな風に扱われる」
「……すまない」
「……アタシは強化兵の事も同胞だと思ってる」
リーパーのヘルメットのバイザーが解放される。
彼女は眉間を揉み解しながら大きな溜息を吐いた。
「……“義務を果たす”、か。アンタのインタビュー映像、見たよ。
名演説だった」
「クソ食らえだ、リーパー」
「アタシも協力する。ある程度の案も出せる。
大仕事になるぞ、チャージャーに話を通そう。
だがまだ足りない。……期待してないが一応聞いておく。
政治家に伝手は?」
イオは何とかいつもの調子を取り戻して肩を竦めた。
「俺はカミユ・クーランジェに貸しがある」
リーパーは頷くと、コックピットのドアを叩いてパイロットに呼び掛けた。
「作戦中止!」
「ん?! 何だって?!」
「作戦中止だ! 進路変更!
喜べ、今日はサービス残業だぞ!」