第九十八話 疑惑
ワルフラカ帝国はすでに濃い夕暮れに包まれていた。僕たちがレーレン公国に行くきっかけになった戦いの主戦場であったこの広場には、じんわりとした冷たく何となく重苦しい空気が相も変わらずに漂っている。
「さて、と」
広場に掘ってあった穴から這い出た僕はそうつぶやくと、何週間ぶりかのワルフラカ帝国の空気を肺にいっぱい吸い込む。そして一気に吐き出す。何となくレーレン公国の空気と味が違うなあなんて思いながら、僕はつるぎとハルに向かって口を開く。
「これからどうする?」
「オレハチョットキタクニイッテジブンノアジトガダイジョウブカカクニンシテクルゼ」
僕の問いかけにハルがそう答える。
「北区にアジトなんてあったんだ。知らなかった」
「アッタンダゼ。ソコニイロンナドウグヲオイテアルカラカクニンシテクル!」
ハルはそう言うと、アジトがあるというサルビア地区へと向かって行ってしまった。
「どうする?」
僕はつるぎに向かって訪ねる。つるぎは先ほどからあごに手を当てるというベタな思考ポーズをとりながら、何かを考えているようだった。しばらくしてつるぎが口を開いた。
「私が海斗と戦っている天使を切断したのは覚えているよな?」
「え、ああ、うん。もちろん。あの時は本当に助かったよ」
いきなりつるぎが先ほどの戦いについて口にしたので、僕は少し動揺してしまった。つるぎは話を続ける。
「あの時海斗は苦戦していた、よな?それで、早めに方がついていた私が手助けに入って、その天使を一刀両断した……」
「う、うん……」
「おかしいと思わないか?」
「え?」
つるぎのいきなりの質問に面食らってしまう。いったい何いがおかしいのだろうか。僕にはただただあの時助太刀をしに来てくれてありがたかったという感謝の念しかない。
「な、何がおかしいと思ってるの?」
僕はつるぎにそう尋ねる。
「私が、だ」
「……どういうこと?」
「私は私がおかしいと思っている。正確に言えば、私は、天使を一刀両断するほどの力を自分が持っているとは思っていないし、無傷で二体も倒せる力があるとは思っていないということだ」
「でも、倒したのは事実じゃない」
「そうだ。だから、おかしいと思っているのだ。私にそこまでの実力があるとは思えないが、実際にはいとも簡単に倒してしまった。しかも、奇妙なことに私が対峙していた双子の天使は、私に切られた後、痛がっていたのだ」
「痛がっていた?切られたからそれは当然じゃないの?」
「それがそうでもないらしいのだ」
そう言って、つるぎは言葉を切り、意識的な呼吸を数回繰り返した後、今度は先ほどの声のトーンとは打って変わって明るめに話し始めた。
「とりあえず、ここで立ち話というのもなんだから、久しぶりにバッツィーノ食堂でも行くか」
「ああ、良いね」
つるぎのその言葉で僕たちはこの広場を抜け、バッツィーノ食堂へと向かうことにした。
ミジューナのスープが身体全体に染み渡る。アブラナ科のような味のするこの植物のスープは、ここバッツィーノ食堂で毎回最初に出されるスープなのだが、異様にうまい。たぶん、鶏のダシがベースにあるからこそ、このミジューナのダシが効いているのだと思う。このダシたちのハーモニーが僕の舌の上で奏でられる。うまい。うますぎる。だから、僕たちはいつもこのスープをお代わりをしてしまうのだ。
「うむ、うまい!」
つるぎはそう言うと、スプーンを精密機械のような正確さで寸分の狂いもなく口に運びスープを運び入れ始めた。そうして、スープがなくなったころ、つるぎはさっきの話の続きをし始めた。
「えっと……どこまで話したか」
「痛がってたってとこまで」
「ああ、そうか。そう、私に切られて痛がっていたのだ。やつらの話からすれば、普段は切られてもなんともないらしい。しかし、私が切ったら痛いと言っていた」
「うん」
「おかしいと思わないか?」
「まあ、確かに、そう言われればおかしいかなとも思わなくもないけど……でも、つるぎの斬撃がそれだけ鋭かったってこととも取れるんじゃないの?」
「いや、私の剣がいくら早くなったところで、そこまで影響を与えるとは思えない」
あらら、ハルの訓練をバッサリ切る発言。もしハルが聞いていたら泣くだろうな。絶対に。
「とすると、私自身に何かあるのではないかという風に考えるしかないのだ」
「なるほどね。だから、最初の『私は私をおかしいと思っている』発言につながるわけだ」
「その通りだ」
「でも、具体的にはどうおかしいの?」
「それなんだが……」
つるぎが話を始めようとしたところで、僕たちが注文していたメインディッシュの肉が来てしまった。僕たちは一旦話を中断して、目の前の肉にかぶりつくことに専念した。
「で、何がどうおかしいかという話だが」
僕たちの目の前には周りまできれいになった骨が何個か転がっている皿があるのみだった。その皿は、先ほどまで肉にかかっていたソースで本来の色が見えなかったが、テクルをちぎってソースをからめとったおかげで純白を取り戻している。
「うん」
「私が振るう剣は、特別天使たちに効果があるのではないかということだ」
「……ほう」
「私がレーレンに行く前に戦ったマストロヤンニには、私の剣は残念ながらほとんど効果的では無かった。しかし、今回倒したあの天使たちには、効きすぎなのではないかと思うくらいに剣が通った。これは、私の振るう剣が天使たちに効果があるからだと考えられると思ったわけだ」
「なるほどね。それが、私はおかしいんじゃないかと」
「そういうことだ」
「でも、良いんじゃない?天使たちに効くならおかしくても。というか、僕的にはおかしくないと思うけど」
「どういうことだ?」
「天使たちに何か対抗するような能力がつるぎにはたまたまあっただけでしょ。おかしくはないんじゃない?」
「……でも、天使を殺すことに特化した能力を持つ女の子って、なんか嫌じゃないか?」
つるぎは何となく恥ずかしそうにそう聞いてきた。
「別に。嫌じゃないよ」
「……そうか」
つるぎは少しだけニヤケながらそうつぶやくと、顔をいつもの表情に戻して再び口を開いた。
「まあ、海斗はそう思うかもしれないが、私はなんでこんな能力が、まあ仮に能力があるとすればだが、私にあるのか知りたいのだ。だから、とりあえずミギヒナタのバイブルを探そうと思う」
「バイブル?」
「そうだ。ミギヒナタは宗教国家だ。とすれば、教典の一つや二つはあるだろう。その教典に、私の能力に関することが載っている可能性は低くはないと思う」
「まあ、そうかもね」
「というわけで、今後の方針は『私の能力(仮)の秘密を探ろう大作戦!』でよろしく頼む」
「良いよ。特にやることもないし。ただ、いつマストロヤンニたちが現れるかわからないから、単独行動は無しで」
「当然だ」
僕たちはデザートに取り掛かった。




