第九十六話 超酸
錫杖を持つ天使と対峙する。先ほど、二十はいたであろうオートマタの軍勢をたった一つの魔法でもってこの世から消滅させてしまった化け物が自分の目の前に立っていると思うと、震えが止まらない。僕は自分が恐怖一色に塗りつぶされてしまわないうちに、錫杖の天使の対策を考えることにした。闇系魔法に対抗できるような魔法を僕はあまり知らないので、対魔法系の魔法を使ってなんとか攻撃を回避しないといけない。でないと、あのオートマタたちのように、僕の存在も原子も残らず消されてしまう先ほどはなっていた「溶魔獄拾死爛伊弉壊」は、闇系の最終位魔法だ。しかし、あんなに広範囲にあの魔法を瞬時に放つことは、いくら相手が天使だとしても不可能だと考えていいはずだ。となると、相手に最高位の魔法を組み立てる時間をなるべく与えないようにするのが一番いいはずだ。まあ、相手が瞬間的に放てる他の強力な魔法を放ってきたら僕の命はここでおしまいだ。どっちにしろやるしかない。僕は流れるように汎用系第四位魔法「断槍凡鋼」を錫杖の天使に向かって放つ。それが合図となり戦いが動き出した。全長1.7メートルの槍が錫杖の天使の元へ豪速で放たれる。錫杖の天使は闇系第四位魔法「魔時苦酸中」を目の前に展開し、槍を迎え撃つ。そのまま直線的に進んでいった槍は、いわゆる硫酸という液体よりも何倍もの溶解力でもって、飛び込んできた槍を瞬時に溶かし尽くしていく。僕は間髪入れずに汎用系第四位魔法「矢轟雨臨」を発動。無数の槍を放ち、錫杖の天使の前に存在している強力な酸性の液体の壁の突破を試みた。液体の範囲ではない部分に矢が進軍したとき、錫杖の天使は右手を横にスライドさせた。すると、先ほどまで目の前のある一定の範囲だけしか存在していなかった液体が、引き伸ばされていった。そして、先ほどの槍と同じように矢を瞬く間に溶かしていく。大量にあった矢が一瞬にして無に帰されてしまった。僕はめげずに、さらに、横に引き延ばされたことによって総合的な厚みがなくなったその酸性の液体の壁に向かって、もう一度「断槍凡鋼」を放つ。酸の壁が薄くなったので、今度は溶かされてしまう前に槍を通過させられると思ったが、錫杖の天使は、引き伸ばした液体を元に戻して対応してきた。一番最初と同じような状況になってしまったため、当然のように槍は天使には当たらない。僕が「断槍凡鋼」を放ち終わったその直後、錫杖の天使が僕に向かって闇系第五位魔法「古悪露酸中《ウシャス―》」を放ってきた。一つの大きな塊として大砲のようにはなたれらそれを、僕はなんの困難もなく避けた。どうしてこんな避けやすい魔法を放ってきたのだろうと思っていると、その液体の塊が重力に従って地面に落ちた。すると、先ほどまで一つにまとまっていた液体がはじけ飛んだ。そして、僕はその飛沫がこちらに来るのを視界にとらえながら、ようやくどうして錫杖の天使がこの魔法を放ってきたのかを理解した。液体が落ちた地面には、すでにどんどんと溶かされて大きな穴が作られている。僕は向かってくる飛沫をよけきることができないと判断したため汎用系第四位魔法「白壁洞牟」を発動した。地面から金属の壁が出現するが、硫酸の一京倍もの酸を誇る液体の飛沫がかかり、瞬く間に溶けてしまう。僕はとりあえず顔だけは守ろうと、腕を顔の目の前に掲げる。そして、体中に液体がかかったと思った瞬間に、僕は絶叫を上げていた。
「があああああああああああああああああ!!」
あっという間に服を溶かしたその液体は、皮膚をいとも簡単に溶かし、筋肉へと浸透していく。
「ぐあああああああああ????」
僕は闇系の魔法で塩基性の液体を発生させるものを発動しようとしたが、痛すぎて発動できなかった。僕の腕や胴体や足にかかったほんのちょっとの液体が、僕の身体を貫通していく。筋肉をすべて溶かしたその液体は、骨にまで到達し、そして溶かしていく。
「ううううううううううううううううううう!!!!」
足の激痛に耐えられず、僕は膝をついてしまう。腕を見ると、小さく空いた穴の向こう側に存在している地面の色がかすかに見える。この世のすべての痛みを受けているんじゃないかと思うほどの痛みの中、僕はようやく治癒系第三位魔法「痛経鎮寓侃」を発動。鎮痛作用が体中を駆け回る。しかし、まだ地獄のような痛みは続いていた。第三位魔法位ではこの痛みは治まらないし、早く治癒魔法をかけなければそのまま体が溶けてしまうということをわかっているのに頭が働かないでいる。錫杖の天使はただじっと僕のことを見下ろしていた。鎮痛作用が効き、ようやく少しはまともなアタマになったところで、僕は治癒系第四位魔法「麓痛衫幻空」と「傲督癒尽幔」を自分自身に放つ。徐々に痛みがなくなっていくのだが、相変わらず体の穴は広がっていくばかりだった。さらに厄介なことに、僕の身体を溶かしているこの液体が、モノを溶かすたびに毒性のガスを発生させているらしく、のどがひりひりと痛む。僕はこの液体をどうにかしなければいけないと思い、先ほど考えていた塩基性の液体を発生させる魔法を放った。闇系第四位魔法「歩瑠璃血倦」によって発生した液体を、僕は傷口に数滴ずつ垂らしていく。その間に鎮痛の効果が切れだしたのか、痛みがどんどんぶり返してくる。震える手を必死で抑えて傷口に僕の発生させた液体をかけていく。そうしてしばらくして、ようやく傷口が広がるのを防ぐことができた。
「はあ、はあ、はあ……はあ……はあ……」
不規則になていた呼吸を無理やり一定のリズムに戻し、もう一度「麓痛衫幻空」と「傲督癒尽幔」を自分の身体にかける。
「なぁっ……はあ、はあ……」
」よく耐えましたね。人間の癖に「
先ほどまで静観を保っていた錫杖の天使が、膝をついている僕のところに歩きながらやってくる。僕はすぐに攻撃魔法を放とうとしたが、それを止めて、相手の魔法を打ち消す準備をした。
」でもまあ、ここまで耐えてもらって悪いのですが、死んでもらいます「
錫杖の天使はそう言って、僕に向かって右手を掲げた。その瞬間、強大な魔力が僕の肌をひしひしと刺してくる。大量の魔力が錫杖の天使から放出されているのだ。
」さようなら「
その言葉とともに、闇系最終位魔法「溶魔獄拾死爛伊弉壊」が発動された。僕もそのタイミングで雷系最終位魔法「天即皇空雷獄」を発動。原因不明の原子からの身体の崩壊を、自分のすべての原子を支配下に置くことによって食い止める。しばらくして、「溶魔獄拾死爛伊弉壊」が止まった。僕もその少し後に魔法を止める。
」……「
「ぁぁあっはっ……はあ……はあ……」
脳ミソがはちきれそうなほど痛い。巨大な身体的ダメージと、それによる精神的ダメージがもともとあったにもかかわらず、最終位魔法を無理やり使ったために、脳に限界が近づいていた。錫杖の天使はそんな僕を見つめながら、再び手を掲げてくる。今度は錫杖を持つ左手もだ。そして、その手の前に大量の魔法陣が現れた。
」死ね「
冷徹なその言葉とともに、魔法陣が鋭く光った。僕は死を覚悟して、目を閉じた。しかし、すぐに瞼を通過していた光が消える。僕は恐る恐る目を開けてみた。すると、そこには頭がない錫杖の天使が目の前にいた。
「よっと」
そんな声とともに、さらに錫杖の天使の胴体が上半身と下半身に分かれる。その後顔にかすかな風を感じる。しゃらんと錫杖が地面に落ちる音と共に、天使の上半身が地面に落ちる。遅れて黒い粘性のある液体が切断面から噴き出す。上半身が落ちたことによって出来た新たな視界に現れたのは、剣を振り切ったつるぎの姿だった。
「大丈夫か?」
つるぎは神切を鞘へとしまいながら、僕の方へ駆け寄ってくる。
「つ、つるぎ……?」
「そうだぞ。いかにも、私だ」
「ツルギ~!カイト~!」
僕が呆けた顔でつるぎを見ていると、すぐ近くでハルの叫び声が聞こえた。
「ハルが来たようだ……海斗、怪我はないか?」
「う、うん……」
「では行くぞ」
つるぎはそう言って僕の腕をつかむと、つるぎの方へと呆けたままの僕を引っ張りながらハルの方へと向かった。




