第九十三話 束の間の不安
僕とつるぎがハルの強化を受けてから一週間近くが経過した。レーレン公国に来てから約二週間ほどが経っていた。二週間滞在しているとは言えども僕たちは、この国では、特に都市部では珍しい有機体すなわち人間なので、街をぶらついたりとかいう楽しいことは一切せず、ハルの研究所に籠っているか、図書館に忍び込んで日記を読むかしていた。研究所の中は僕たちが見たことのないような機械がたくさんあったが、そのほとんどが何に使うかわからないようなものばかりだった。僕とつるぎはこの国の最先端ゲームだという陣取りゲームにも飽きてしまい、ハルが魔法の研究をしている部屋にある魔導書を読むようになっていた。
「つるぎは魔導書を読んでて面白いの?」
「うむ。読み物としてはすごく良いものだと思うぞ。私はそんなに魔法を扱えないから、どれが使えそうな魔法だろうかとかいう視点を持ち合わせてない。だからそんなことは気にせずこんな魔法もあるのだなぁという感覚で読んでいる。これから先はあの天使のように、魔法を使う敵も出てくるだろうし、読んでおいて損はないしな」
「なるほどね」
「それに今後、この前のように私と海斗がバラバラで戦わなくてはならなくなったときに、治癒系の魔法をすぐに受けることが出来ないというような状況が発生してくると思う。そのためにも、簡単な治癒系魔法位は出来るようになっておかなければならないと思っていたしな」
「そうなんだ」
意外だ。そんなことを考えていたなんて。でもまあ確かに簡単な治癒魔法は僕の不安を少しでも軽くするためにも是非とも覚えてもらいたくはある。
「うむ。まあ、簡単なものでどうにかなるような戦いがこれから先にあるかどうかといわれれば微妙なところだがな」
「うん。まあでも、確かに覚えておいた方がいいかもね。僕の対応が遅れてつるぎに死なれちゃったら困るし」
「だろう?……海斗は何を読んでいるのだ?」
「ああ、僕は、新しい魔法を一から作り上げるにはどうしたらいいかなっていうのを思っててさ。魔法を創造するための手引書みたいなのを読んでるよ」
「魔法を創造するのにも手引書があるのか」
「うん。昔の魔術師って偉大だね。でも、これに書いてあることすべてをこなすことは、そもそも99%の魔術師には無理だから、いろいろな要素をここから抽出して新しく、新しい魔法を創造するための方法がないか考えてるところ」
「なるほどな……やはり魔法は難しそうだ。そういえば、なんで新しい魔法を作ろうと思ったのだ?」
「ああ、なんか、この国に来てから、いろいろな科学技術があるなって言うのを思い出してさ。それで、その中でも僕たちの世界でも実現できていなかった科学技術みたいなのを魔法で再現出来たらすごい魔法になりそうだと思ったんだ」
「実現できていない科学?例えばどんなのだ?」
「例えば今僕が考えてるのは、完全にコントロールできるブラックホールの発生だったりとか、放射線を発生させない小規模な核爆発、つまり、核爆発と同じくらいの威力を持った小っちゃい爆発の発生とか、そういうの」
他にもいろいろと出来そうなものを考えている。今放てる既存の魔法と掛け合わせてそういうものが出来ないかということや、逆に全く科学に関係ない魔法の開発なんていうのも探ってみたりはしているのだ。
「なるほど……出来そうなのか?」
「今のところ無理だろうね。僕があの天使たちと戦ったときに最高位魔法を放った一瞬のゾーン状態がずっと続けばできるかもしれないけど……というか、よく考えてみれば僕、魔法で空も飛べないし、やっぱり無理そうだなぁ」
「そういえばそうだな。君だけじゃなく、魔術師が空を飛んでいるところを見たことがない」
「うん。だけど、あの天使たちが乗り込んでくるときに使っていた転移魔法みたいなものも一応この世界に存在しているから、どうにかすればどうにかできるんじゃないかと思ってる」
僕の予想だと、おそらくあの天使たちが使っていたワープ系の魔法は神変系の魔法だと思う。人間で神変系の魔法を使えるのは過去に数人しかいなかったという話をどこかの本で読んだことがある。全くのおとぎ話の世界だと思っていたけど、実際に目の前で使っているところを見ると、その恐ろしさがわかる。しかもそれを敵が使用しているだなんて考えたくもない。
「では、まずは空を飛ぶところからだな」
「そうだね。つるぎの方はどうなの?あの強化の後」
「私の方は、一応成功したといえるくらいの結果は出ているぞ。しかし、これで神を殺せるかと言われれば、まだ自信がないな」
「でも、一応成功はしてるんだ」
「うむ。身体のキレは確実に良くなった。剣の振りも確かに早くなったよ」
「良かったじゃん」
「うむ。まあな」
そして、僕たちの間にはしばらくの間沈黙が続いた。
「なあ、海斗」
つるぎが沈黙を破り、再び口を開く。僕の右手に彼女の左手が添えられる。
「何?」
「私たちは本当に元の世界に帰れるのだろうか?」
「どうしたのいきなり」
つるぎはいつになくしおらしい言葉を発していた。
「この国の基礎を作った三人の転移人は結局、元の世界に戻ることをあきらめて、元の世界に限りなく近い世界を作ろうとした。そして志半ばで死んだ。この国は彼らの望んだような国とは少し違った形に発展していった」
「……そうだね」
確かに、この世界に僕たちよりも先に転移していた日下部さん、新村さん、三浦さんたち三人は自分たちがすんでいた世界に帰ることをあきらめ、自分たちがすんでいた世界とそっくりの世界を作ろうと努力していた。そのために、この国はほかのどの国にもない科学という武器を手に入れた唯一の国となった。
「私たちは……私たちは、どうなるのだろう」
「……」
「……」
再び沈黙が続く。僕たちは、元の世界に帰ることを目標としていて、それらが果たされない案なんことを考えてこなかった。当たり前だ。だけど、その不安が全くなかったかと言われれば嘘になる。今つるぎが口にしたような心配は、僕にだってある。だけど……
「でもまあ、世界を変えるよりは自分たちを変える方が何倍も簡単だし、実際に僕たちは自分たちを変えてここまで来てる。それは確実だ。だから、やんわり期待するしかないんじゃない?」
僕は少し明るい感じでつるぎに言う。過度な期待は大きな失望を生むだけだが、畏れだけでも意味がない。
「……うん……」
「大丈夫だよ。少なくとも、僕たちはずっと一緒だ」
僕は右手に重ねられたつるぎの左手を強く握る。
「海斗……」
そして僕は、つるぎの唇に自身の唇をそっと重ねた。
「ね」
何が、ね、なのかはわからないが、とりあえずそう言っておく。
「うん」
たぶんつるぎのその返事も、つるぎ自身はよくわかっていないだろう。だけど、それで良いのだと、そう思うことにした。そんなとき、ハルの声が遠くから聞こえた。
「オイカイトツルギタイヘンダ!」




