第八十六話 摩天楼
「ツイタゾ」
「ん……?」
いつの間にか意識を失っていた僕は、肩をゆすられることによってふたたび意識を覚醒させる。目の前にはハルのでっかいモニターがあった。
「オキタカ。ツイタゾ」
ハルはそう言いながら僕の体に何重にも巻き付いていたシートベルトを外していく。
「ああ、そっか……着いたんだ……」
まだ薄っすらとした意識の中、僕もシートベルトを外す。すべてのシートベルトが外れると、ハルは僕の腕をとって無理やり立たせてきた。僕はそれに逆らわずに立ち上がると、一つ大きな伸びをした。
「くぅあ~!」
気のせいかもしれないが、身体が何となく重いような気がする。しかし、おなかが痛いとか目が見えないとかいったような症状は今のところ出現していないので、命の危険はないのだろう。僕は身体のあちこちを伸ばしながらハルに尋ねる。
「どのくらいでここに着いたの?」
「ダイタイ30フンクライダナ」
「30分!?」
「ウン」
ハルの言葉に僕は驚く。1,000キロちょっとを30分って、時速2,000キロ位ってことだろ?ということはマッハ1以上マッハ2以下ってことろか。戦闘機並じゃあないか。そりゃ気絶もするはずだ。そういえばつるぎは大丈夫だろうか。僕は隣に座っているつるぎを見た。すると、つるぎは相変わらず気持ちよさそうに静かな寝息を立てていた。マッハ速度で移動しても安らかに眠ることが出来るつるぎの能力にはほとほと呆れるしかない。僕はそろそろつるぎに起きてもらうために呼びかける。
「おい、つるぎ」
「……」
「起きろ」
肩をゆする。しかし起きない。
「起きろって」
ほっぺをつかんでムニムニする。そして思いっきり頬を引っ張って離す。伸縮性のある頬の肉が元の位置に勢いよく戻る。つるぎは薄っすらと目を開け始めた。
「おはよう、つるぎ。そろそろ起きて」
「うん~?」
「ほら」
僕はさらに追い打ちをかけるように肩を激しくゆする。すると、つるぎの目が完全に開いた。つるぎは僕の顔を見て、自分の置かれている状況に目をやり、口を開いた。
「海斗はSだったのか」
「なぜそうなる!?」
開口一番の予想外の発言に僕は思わず強めに突っ込む。つるぎは身体を揺らしてシートベルトの存在を主張しながら言う。
「Sじゃなかったらこんな縛り上げプレイはしないだろう?それとも、わざと私を縛ってそれを眺め、自分が縛られたいのに叶わないという感覚を楽しむ究極のMか?」
「僕はSでもMでもない!」
「なるほど。ということはSにもMにもなる可能性を秘めているということだな」
「そんな可能性はない」
「まあいい。とりあえずこれをほどいてくれないか?これ以上縛られていたら私がMになってしまう」
「はいはい」
僕はつるぎに言われた通りシートベルトを外していく。そこにハルがやってきた。
「ヤットオメザメダナ」
「やあ、ハル……ハルがいるということはここはどこだ?てっきり私は死んだのかと思っていたが、ハルがいるということは天国ではなさそうだな」
「ソレドウイウイミダ?」
ハルはつるぎの言葉に怒った表情を映す。
「別に君が天国にいけないだろうなと言っているわけではない……ロボットは天国に行けるのかという疑問に私自身が行けないだろうという答えを出したからこその今の発言だ」
「オレハオレタチモテンゴクニイケルトオモッテルケドナ。マアテンゴクガアレバダケド」
顔のディスプレイをいつも通りの表情に戻しながらハルが言う。
「で、ここはどこなのだ?」
シートベルトが全て取れ、立ち上がりながら伸びをするつるぎが尋ねてくる。
「レーレンコウコクダ」
ハルは心なしか嬉しそうに聞こえる声でそう言った。
ハルの案内で僕たちは今までいた地下道に別れを告げ、地上へと向かう階段を上っていた。その階段は先が見えないくらい長かった。僕はこんなに深いところに何の忠告もなくいきなり突き落としたハルを恨みそうになったが、結局は助かったんだし結果オーライだなと思うことにした。長い長い階段を上っている最中に、僕はつるぎに今までつるぎが眠っていた間何があったかを伝えた。
「なるほど……やはり私は死にかけていたわけだ」
「ソウダナ」
「……」
つるぎはそれだけ言うと黙ってしまった。僕たちはそのまま沈黙を保ち続ける。階段を上る足音だけが響き、やがて地下の暗闇へと吸い込まれていく。
「ソロソロダ」
ハルはそう言いながら、階段を駆け上がっていった。そして、扉のようなものを開いた。僕たちも少しだけ早足になりながら階段を上がる。そしてアメリカのゴミ捨て場所の近くにある地下空間とをつなぐ扉のようなドアを勢いよくくぐった。
「うわぁ……」
僕とつるぎのどちらからともなく、そんなため息にも似たなにかが漏れ出る。目の前に広がっていたのは、摩天楼。ワルフラカ帝国で見たどんな建物よりも高いビルが軒を連ねて建っていた。多くのビルの表面にはディスプレイ。そしてそこに映し出されているのは何かの商品の広告だ。地面の方を見てみると、多くのハルと同じタイプのロボットや人間がひしめいていた。それぞれが違う目的を持ちながらもある一定の法則を保って動いている集団。僕たちは今、非常に懐かしい感情に襲われていた。今目の前に広がっている風景は、僕たちが元居た世界の風景の一部によく似ていたからだ。そして、僕たちが知っている社会に似たもう一つ別の社会がそこには存在しているからだ。その社会はもしかしたら僕たちの知っているモノとは全然違うのかもしれないが、それでもそう感じずにはいられないかった。
「これは……」
つるぎは言葉を発したが、後に続く言葉は立ち消えていた。そうなってしまうのも無理はない。僕も、何か言おうと思っているけど何も言葉が出てこないでいる。
「ココガレーレンダイニノトシ・リトスイートダ」
ハルはこの景色を見て呆けている僕たちにそう声をかけるとそのままどこかへと向かってしまう。僕はそれに遅れないように付いて行こうとしたが、つるぎはいまだに立ち尽くしている。
「つるぎ」
僕が一言声をかけると、つるぎはようやく意識をここに戻らせたのか、僕の言葉に反応した。
「あ、ああ……」
そして、二人でハルの後を追った。




