第八十三話 脱出・煙の後
白い煙は徐々に範囲を拡大していき、やがてすべての視界を奪うまでに広がった。僕は何事かと思い、この白い煙の発生源を探しつつ、目の前の翼の住人に対する警戒は怠らない。重い足を引きずりながらどうにか視界を確保しようとするが、白い煙が無い空間がなくどうしていいかわからなかった。すると目の前で突然強風が起こる。翼の住人の放ったであろう汎用系第三位魔法「風拾突払」によって発生した突風が白い煙を外へと押し出す。一瞬だけその空間の煙がなくなって翼の住人の姿が見えた。しかし、それは一瞬の出来事で、再びその空間に白い煙が満たされていく。僕はその姿がどこにあったかを頼りにもう一度警戒しなおす。先ほどは「風拾突払」だったが、今度はどんな魔法が放たれるかわからない。満身創痍で視界も遮られているという極限状態の中、僕は白い煙の中に静かにたたずんでいる。すると、どこからか何かを引きずるような音が聞こえてきた。その音のする方向をよく見ると、二人の人影があった。いや、正確には一人と一体の影だ。一体の影のシルエットを僕は見たことがあった。頭部が四角で身長はそれほどない、いかにもロボティックな姿。ハルが何かを引きずりながらこちらに向かってきている。僕もハルの方へと向かおうとする。すると、後ろから魔力が動く気配。僕は「白壁洞牟」を二重展開し、攻撃を防ぐ。放たれた魔法は輝きを伴いながらまっすぐに僕の方を狙ってきた。しかし、僕が用意していた二枚の金属の壁によってその光線は阻まれる。僕は今のうちにと思い、ハルの元へと急ぐ。
「ハル!」
僕はなるべく小声でハルに話しかけた。ハルはすぐに僕の声に反応する。
「カイト!ハヤクツルギヲハコブノヲテツダッテクレ!」
「え?」
ハルの引きずっている物体を見ると、それは血だらけになったつるぎの姿だった。そのつるぎの身体にはところどころ注射器のようなものが刺さっている。
「つ、つるぎ!?」
僕は思わず大声で叫んでしまう。すると、再び魔力の流れが変わる。そして、もう一方から、別の人の気配。
「バカ!ツルギハダイジョウブダカラサッサトツルギヲオブッテニゲルゾ!」
ハルも周りの気配に気が付いたらしく、慌てたように言う。すると、上空から大量の殺気を感じた。僕は急いでつるぎを抱えると、その殺気から逃げる。間一髪のところでマストロヤンニの振り下ろした大剣の軌道から外れる。そこに今度は「焔魔青激高殉」の青い炎が襲い掛かる。僕とつるぎ、ハル、マストロヤンニをいっぺんに丸呑みにしようとしているかのような大きい炎がぱっくりと口を開く。僕は「白壁洞牟」を展開しながら後方へと逃れる。ハルも僕の近くに来て壁の後ろに回り込んだ。マストロヤンニは自身の身長ほどもある大剣の腹部分でその炎の攻撃を受けている。
「イマノウチダ!」
ハルが僕を先導しながら白い煙の中を移動していく。僕はつるぎを両腕で抱えながらそれについていく。背後から一人と一体の気配がするが、無視して走り続ける。
「ココダ!」
ハルが叫ぶ。示した場所には奥に闇が広がっている穴があった。
「シッカリカカエテチャクチシロヨ!」
ハルが僕に向かってそう言うと、その穴に向かって僕を押した。
「え、ちょま」
抗議の言葉を言い終わらないうちに、身体が下へと落ちていく。永遠にも似た時間を僕とつるぎが落ちていく。こんなに長く感じる落下時間は二回目だ。僕はぐったりしているつるぎを少しだけ強く抱きしめる。ずっと一緒に居たいのは、僕も同じだ。
「ソロソロダゾ!」
上からハルの言葉が聞こえてくる。僕は汎用系第一位魔法「明明光」で暗闇に光を差す。すると、本当にもう少しで地面らしきものに到着するのだろうということがわかった。僕は最後の力を振り絞って、汎用系第五位魔法「空糸操天門楊」を僕とつるぎ、そしてハルにかける。すると、今まで自由落下運動を続けていた僕たち三人の身体がゆっくりと止まっていく。そして、地面よりも30センチメートルほど上空で完全に身体が停止する。僕が魔力供給を止めると、再び重力が僕たちを引っ張った。僕は静かに着地する。
「ヤッパマホウハベンリダナ」
ハルがそうしみじみと呟いた。
」逃げられたか「
「そのようだな」
白い煙の中、何の変哲もない地面に立ちながらマストロヤンニと天使の片割れがそんな会話する。
」追えばいいじゃん「
首元から太く鋭い氷を生やしながら、半分首が折れたもう片方の天使が歩いてやって来た。
」貴様の方はどうだった?全員殺したか?「
」いいや。ほんの少し身体を強制停止させられていた間に逃げられた「
」ほう……貴様ほどの者が逃げられるか「
」まだまだ他にも強い人間がいるってことだよ「
首元から氷を生やした天使は嬉しそうにそう言うと、その氷を首の力でへし折り、首をもとの位置に戻す。
」そうではない!逃げられたということは、我らの姿を見たものが生き残っており、我らの出来る行動が少なくなってしまったということをとがめたのだ!それがわからんのか、コウカ!「
怒ったように天使が言う。
」あー、そういうこと。もっとわかりやすく言ってくれないとわかんないよ。ただでさえヒーサの言ってることはわけわかんないんだから「
からかうような口調で天使は返す。そして、コウカと呼ばれたその天使は地面に向かって光系第四位魔法「規光櫂脱」による光線を放った。光線の先に現れたのは、先ほどまで見えていなかった穴だった。
」追う?「
コウカがヒーサとマストロヤンニに尋ねた瞬間、三人に雷系第三位魔法「鳴雷甲迅」によって発生した電撃が三つ放たれた。三人はそれぞれその電撃を躱すと、電撃を放った主を一斉に見る。電撃を放った主は建物の屋根の上に立っていた。三人はそれぞれ、いつの間にか現れた人間に対して警戒する。
「今、アナタたちに追われてしまっては少し困ったことになるので、止めさせてもらいました」
非常に落ち着いた、友好的な声で電撃の主が言う。
」あ、そう。じゃあ死ね「
コウカが光系最終位魔法「上津役光延紋」を屋根の上の男に向かって放とうとした。しかし、それが実際に放たれることはなかった。コウカが魔法を放とうとした瞬間、三人と屋根の上の男の間に、すさまじいスパークが生じた。それは、屋根の上の男が放った雷系最終位魔法「天即神滅雷園」による雷が、コウカの放とうとした魔法を消滅させ、すさまじい光を放ったからだった。光はすぐに周囲に飛び散り、再び明暗の静けさが舞い戻ってくる。
「申し訳ない。私はまだ死ねないのですよ」
先ほどと同じように、落ち着いた声で屋根の上の男が言う。
」引くぞ「
それを受けてヒーサが短く言う。マストロヤンニはすでに大剣を背中にしまっていた。
」いや、まだだ!「
コウカは再び魔法を放とうとしたが、それをヒーサが制止する。
」ここで争うのは無益だ。我らの任務が何かを忘れるな「
ヒーサがコウカに向かってそう言い放つ。コウカは何も言わなかった。ヒーサは神変系最終位魔法「陣天神使光」を発動。紫がかった光を放つ魔法陣が三人の足元から上がっていく。その姿を屋根の男はただ黙って見ていた。そして、三人が完全にどこかへと消えていくと、屋根の男が呟く。
「やはり君は良い魔法を放ちますね、カイト君……彼なら君の研究を高めてくれるかもしれませんね、ハル」
そして、ただ白い煙だけが残る空間にほんの一瞬一筋の雷が屋根の男に落ちる。その後、その空間には本当に白い煙のみが立ち込めるだけになった。




