第八十一話 マストロヤンニ
「っなあぁ!」
私はマストロヤンニの一撃によって吹き飛ばされたが、何とか空中で体勢を立て直し着地する。そして、着地の際に使った膝の反動を利用して一気にマストロヤンニとの間合いを詰め、首めがけて刀を横なぎに一閃。マストロヤンニは上体をそらすのみで私の攻撃をかわす。その刃は虚空を切り刻むだけにとどまった。マストロヤンニが右足を上げる。私はがら空きになった己の胴体をマストロヤンニの右足から守るために自身の両足を無理やり引き上げ足の裏でガードする。直後に足の裏に衝撃。昔小学校で流行っていた、階段から何歩で降りられるか挑戦するという謎の遊びの際に私が挑戦した、全段飛ばしの時に感じた足裏の衝撃の何倍もの痛みが体全体を駆け巡る。低軌道で吹き飛ばされた私は先ほどのようにうまく着地することが出来ず、背中から地面と接地する。マストロヤンニは不思議そうな、そしてどこか懐かしそうな顔をしながら口を開いた。
「……ガルティアーゾ式か?」
私は立ち上がりながら刀を構えなおし、まっすぐマストロヤンニを見つめながら言う。
「そういう貴様は、ギルツィオーネの弟、マストロヤンニか?」
私の言葉を聞いて、ニヤリと顔を歪ませるマストロヤンニ。
「そうかそうか……お前たち、ガルティアーゾにいたのか……なるほどな。それならその体術も納得だ……しかも私の正体を知っていると見える。なら、剣士同士の戦いであれば、普段は使わないようにしているのだが、お前は特別だ」
マストロヤンニが揺れる。私は間合いを十分に取っていたが、さらに警戒を強めた。そして、いきなり私の頬が切り裂かれる。
「な」
私が動揺したことによって生み出された一瞬の隙間を、マストロヤンニは見逃さなかった。少しだけ解かれた警戒を狙っていたかのようなスピードでマストロヤンニは私に肉薄してくる。
「ぎぃ!」
神切が折れてしまうのではないかと思うほどの金属音があたりに響く。刀と大剣がこすれ合ったことによって軽い火花が生じる。私はマストロヤンニの力の流れに逆らわず、流すようにして力を受ける。しかし、完全には受け流せなかった。まるで大人が赤子を空中に放り投げるような、そんな感覚で私はマストロヤンニに身体を浮かされた。このままでは確実に大剣の餌食になることはわかっているので、私はリーチの長い神切のその刃先を使って大剣をひっかけ、無理やり身体を空中から地面へと引き戻す。そして地面を蹴って距離をとる。マストロヤンニはそんな私を無理に追おうとはしなかった。しかし、その顔には笑顔が張り付いたままだ。私が着地をすると、なにか水たまりのようなものを踏んだかのような、水の跳ねる音がした。そしてそれに続いたのは激痛。痛みを感じた足を見ると、そこにはアニゴベで見たことのある、毒の沼がそこにあった。私はすぐに闇系第四位魔法「沼毒酸見城」によって出現した毒の沼から出る。シュウシュウと音を立てながら、私の皮膚が強酸によって焼かれていく。履いていたズボンはもちろん溶かされていた。せっかくの美脚が台無しだとか思う余裕もないほどに痛みが襲ってくる。一番最初に襲ってくる皮膚に対しての刺激だけならまだ何とか耐えられただろう。しかし、皮下組織を溶かしてもなお侵蝕してくる強酸の液体は、私の筋肉までをも蝕んだ。
「がぁあ!?」
私は思わず叫び声をあげる。いつもなら海斗が治癒系魔法によって私の怪我をすぐに直してくれるのだが、海斗は訳の分からない翼の生物と戦っている最中だ。この痛みは自分の力で処理するしか方法はない。
「だ、だっつもうってこんな痛みなのか……?だとしたら美脚モデルは命を削りすぎだろ……」
私は私に冗談を言うことによって、痛みを何とか頭の中から消そうと努力する。私はさらに言葉を紡ぐ。
「もしこの痛みを知っているのだとしたら、『ファイト・クラブ』のタイラーは酷なことを言うな……底に一歩近づけ、か……今近づいているのは底ではなく死だな。いや、そこは死か?」
だいぶ痛みがなくなってきた。いつの間にかシュウシュウという音もなくなっていた。目の前に大剣が迫る。私はいつもより少しだけ早くその大剣の軌道から逃れた。空振りしているマストロヤンニの腕を蹴り、距離をとる。今度は足元に気を付けながら。しかし、幸いなことに先ほどのような毒の沼のトラップは設置されていなかった。
「っらあ!」
私は叫びながらマストロヤンニに切りかかる。マストロヤンニはそれを大剣で受け止める。後ろに飛びながらなるべく大剣を下げるようにして切り逃げる。そして、それによって生じたほんの一瞬のスキを突くように私は刀をマストロヤンニに向かって突きあげた。しかし、それはマストロヤンニの脅威の肉体によって瞬時に引き上げられた大剣の腹部分でガードされてしまう。私はすぐに突き出した剣を引き戻したが、それより早くマストロヤンニの右足が私の腹を蹴り上げる。
「ごば!」
自分の身体の中からめきゃという嫌な音を聞きながら、私は後ろに吹き飛んだ。無様な姿で地面にたたきつけらたあと、私は何とか立ち上がろうと刀を立てて身体を支えながら全身に力を籠める。いつの間にか口からダラダラと血が流れていた。いつ吐き出されたものなのか、自分の血であるはずなのに、わからなかった。生まれたての小鹿のように膝をがくがくと震わせながら、私はそれでも立ち上がる。息を吸い込むたびにしょっぱい鉄の味が口の中に広がる。ぼたぼたと粘性の赤黒い液体が私の口から下に向かって流れていく。その血液の温かさを首に感じることによって、私はまだ意識を保っていた。腹に力が入らない。腕となけなしの背筋、足の力で何とか立つことが出来ているこの私を、マストロヤンニはただ眺めていた。私は口の中にたまった血を吐き出して、マストロヤンニに向かって言う。
「なに……を……眺めてい……いるのだ……」
すると、マストロヤンニは驚いたような顔をした。
「まだしゃべることが出来るほどの力があるのか。末恐ろしい気力だな」
マストロヤンニは大剣を肩に担ぐと少しずつ私に向かって歩いてきた。ああ、ここで私は死ぬのだな。私がそう思ったとき、辺りが白い煙によって包まれ始めた。




