第七十八話 凪のシュロツィア
神聖ミギヒナタの二体と一人を探すために、僕たちはとりあえず火災があったあの宿へと向かった。
「やはり私のあの言葉は正しかっただろう?」
若干のドヤ顔をしながらつるぎが僕に向かってそう言ってきた。
「いや、まあそうだけどさ。なんか釈然としないんだよなぁ……」
「ふふふ。女はにおいでわかるものなのだよ。素直に負けを認めろ」
「うーん……」
そんな話をしていると僕たちは現場にたどり着いた。先ほどまでは大勢いた野次馬たちも、今ではいなくなっている。通りの静けさと焼けて半壊している建物の姿が妙にマッチしていて哀愁を醸し出している。幸い、宿屋に隣接していた建物はすべて無事で、壁に黒いすすが付着してしまったこと以外には大した被害はなさそうだった。おじさんの証言によれば、おそらく二体と一人は今僕たちがここに来るときに使っていた表の大通りからではなく、裏の細い道から逃げていったらしい。僕たちはその証言を頼りに裏の道を探すことにした。何か手掛かりになるようなものがないか、些細なことでも見逃すまいと目を皿にしながら裏路地を丹念に捜し歩く。
「うん……?これは……?」
しばらくしてつるぎが何かを発見したようだった。僕はつるぎに近寄って尋ねる。
「何か見つかったの?」
「うむ。羽のようなものなのだが、これは得体のしれない生物の持つ翼から落ちたものなのか、それともただ単にここら辺に生息する鳥の羽なのか……判断できないな」
「ともかく、ようやくこの道でモノらしいものを見つけたね」
「うむ……そう、そこなのだ」
「え?何?どこ?」
「ここの通りがきれいすぎるとは思わないか?」
「う~ん、言われてみれば確かに?」
「ようやくこの羽を見つけたくらいで、あとは本当に何も落ちていなかった。ということはだ」
「ということは?」
「二体と一人が自分たちの行方を悟られないようにするために、わざわざこの通りをすべて綺麗ににしながら逃走したか、あるいはここをそもそも使っていないか、に絞れそうな気がしないか?」
「でも、おじさんは裏通りに行ったって言ってただろう?」
「あのおじさんが言っていたのは、正確には『裏通りに続いている裏口のドアを開けて閉める音が聞こえた』だ。つまり、二体と一人がこの裏通りを歩いて、もしくは走って逃走したかどうかはわからないのだ。二体には翼が生えていたのだろう?だったら一人を抱えて空を飛ぶこともできるのではないか?」
「まあ、確かに。言われてみれば、翼があるんだから何も地上だけが逃げ道ってわけではないよね」
「だろう?」
「でも、もしそうだとすると、どこに行ったのか追えなくない?」
「うむ。そうだな」
「そうだなって……じゃあ、見つけられないじゃんか」
「まあ、飛んで逃げたと正確に決まったわけではない。このまま信じて逃げた痕跡を探そう」
「……はいよ」
僕たちは裏路地に何か痕跡が残っていないか探すのを再開した。
「ここは……いったいどこなんだろうな……」
僕たちはしばらくの間互いに無言で裏路地に何かないかと探していた。つるぎの言葉が聞こえたので、僕も下を向くのを止め顔を上げる。すると、宿屋の裏路地とはまたずいぶんと雰囲気が変わった、薄暗くどんよりした空気を漂わせている道が先に続いていた。人気が全くせず日の光も少ししか入ってこないこの通りは、四方を建物に囲まれており風通しも悪そうだった。
「こんなところに続いてたんだね、あの道」
僕はつるぎに向かってそう言う。つるぎがそれに答える。
「ああ。あの道が東に進んでいたからここはきっとタンゼマ地区とネプルス地区の境くらいか、ネプルス地区だろうな。それにしてもジトッとした雰囲気をしているな」
つるぎがそう言うと、どこからか知らない人間の声がした。
「あら~、良いじゃない、この雰囲気。誰もいなくて涼しくって。まあ、日の光が少ないのが残念だけど」
僕たちはいっせいに声のした方向、つまり後ろを向く。するとそこには、赤いローブに身を包んだ背の高い女性が立っていた。一見するとローブに隠れてよくわからないが、時折ちらりと見えるその激しく主張する胸とお尻がはちきれんばかりに布にくるまれている。胸元には渦巻きをあしらったバッジが飾られていた。モデル体型とはこの人のようなことを言うのだろうなと思うくらいの美しいプロポーションをしているその女性の背後には、無数の人影が。
「ねえ、ライ―シュ。本当にこの小娘にやられたの?」
女性がそう言うと、背後から大きな男がぬっと現れた。
「はい。間違いねぇです、ミナレ様」
「だらしがないわね。こんなのに負けるなんて……あの坊やにもやられたの?」
「いえ。アイツは知りません」
「ふーん、そう。でも、見るからにあの小娘の仲間っぽそうね……」
ミナレと呼ばれたその女性は、少し残念そうに僕のことをまじまじと見てくる。
「ね、ねえ、つるぎ。知り合い?」
僕は小声でつるぎに聞く。
「知り合いではないが、知ってはいるな。ほら、前に話しただろう?変な輩に絡まれたって。たぶん、その時のお礼をしに来たんじゃないのか?」
「ないのかって、困るでしょ。今そんな時間ないのに」
「じゃあ、逃げるか」
つるぎはすぐに踵を返すとすぐに全速力でその場から離れだした。
「ちょ、待ってよ!」
僕も急いで走り出す。すぐに後ろから
「追え!お前たち!」
というミナレの声が聞こえてくる。後ろを見ると、魔法を発動しようとしている魔術師と剣を持つ戦士が大量に襲ってきていた。僕は汎用系第三位魔法「緑壁籠諏」を発動し、とりあえず魔法の射線をふさいでおく。
「あちらさん、すごい戦う気満々みたいだけど!?」
僕は走りながらつるぎに向かって言う。つるぎはペースを崩さないまま口を開く。
「私にはない!もしあってもこんな狭いところでは不利だ!」
そしてさらに走るスピードを上げた。僕も頑張ってそれについていく。敵は相変わらず僕たちのことを追いかけてくる。たまに魔法が飛んでくるが、何とか「緑壁籠諏」で防ぐ。しばらくすると、目の前に開けた場所が現れた。
「海斗!しょうがないから迎え撃つぞ!」
つるぎはそう言って、走っていた体に急ブレーキをかけ体の向きを変える。そして愛刀・神切の柄を強く握る。ワンテンポ遅れて僕も走るのを止め身体を反転させる。そして迎撃のための魔法を用意する。二秒後に大勢の男たちがこの開けた場所に流れ込んできた。僕はそれに向けて汎用系第四位魔法「矢轟雨臨」を発動。大量に放たれた矢が男たちに向かって放たれる。男たちの目の前に通路を覆うほど大きな水の壁が現れた。その壁は僕の放った矢をことごとく吸収していく。すべての矢を吸収し終わった水の壁は、ほどなくして重力に従いすべて地面へと吸い込まれた。これほど巨大な水の壁を一瞬で発生させることが出来るのは最高位レベルの魔術師しかいない。見ると、ミナレが僕たちに向かって笑顔を向けていた。そして瞬時にそれを鬼の形相へと変化させ、部下たちに向かって吠える。
「行きな、お前たち!」
命令されて一斉に動き始める男たち。僕はそれらに向かって汎用系第三位魔法「斬矢凡」を連続で放つ。つるぎが僕の放った矢の間を縫うように進んでいき、迫りくる男たちを刃を鞘から抜くことなくみねうちでなぎ倒していく。
「はあぁ!」
大の男二人を一振りで薙ぎ払いながら右足で切りかかってきた男を蹴り上げる。つるぎの背後から襲い掛かっていた男に向かって僕は「斬矢凡」を放つ。男はそれをすんでのところで避けたが、つるぎの突きを避けることが出来ず、腹にまともに喰らってしまう。吹き飛ばされた男に巻き込まれてもう一人も倒れる。次から次へとつるぎに襲い掛かってくる男たち。僕は再びつるぎに加勢しようとしたところで、それを水によって止められてしまった。ミナレが水をまるで鞭のように操り、僕を足止めしたのだった。僕はミナレに向き直り、間合いを取る。ミナレはまるで獲物を狩る直前の肉食動物のような舌なめずりをした後、水の鞭をしならせてきた。意外にも伸びの良いその鞭は僕がギリギリ避けられない距離まで詰めてくる。僕は何とか避けようと顔をそらしたが、頬を切り裂かれてしまった。僕はそれを気にせずにさらに距離をとる。そして、どうしたものか思案する。すると、ミナレが話しかけてきた。
「坊や。悪いことは言わないから、アタシと戦うのはよした方が良いわよ。坊やの相棒にはウチの面子に泥を塗ったことに対するちょっとしたお礼をするだけ。おとなしくしてたら殺さずに済むからサ」
「へ、信用できないね」
「あら、そう?大人の言うことは聞いておくものよ、坊や?」
ミナレは水の鞭をしならせ地面にたたきつける。石畳が破裂し、地面が深くえぐれる。ミナレは諭すような顔でもう一度口を開く。
「大人の言うことは聞いておくものよ?」
僕がそれに対する返事をしようとした途端、僕たちがこの広場に来たのとは反対側から声が聞こえた。
「見つけたぞ!」
僕はその声に反応して振り返る。そこには円の中にクロスした二つの翼が描かれた神聖ミギヒナタの国旗があしらってある服を着た、いかにも兵隊のような軍団の姿があった。




