第七十一話 人に魔法を放った時の感覚
エテスアラップと名乗ったその男は再び僕の腕をつかむと、僕を五階まで引きずる。僕はよくわけがわからないまま闘技場とやらに放り込まれた。闘技場のある五階は古代ローマのコロッセウムのような作りをしていて、闘技場を囲むように客席が並べられてある。僕たちのすぐ後ろで、ガヤガヤと見物客が集まって来た。彼らは流れるようにその観客席へと向かっていく。
「さあ、観客もだいぶそろっている。最高位冒険者の魔術師同士の魔法対決と行こうじゃないか」
エテスアラップは僕にそう言うと、間合いを取り始めた。
「えっと、あの。意味わかんないんですけど」
僕は今のところなんでこうなったのか一つも理解できていないので彼にそう言ったが、聞き入れてもらえない。
「じゃあ、誰か試合開始の合図をくれないかな」
エテスアラップがそう言うと、観客席にいた一人の男が名乗りを上げる。
「じゃあ、よろしく」
エテスアラップはにこやかにそう言うと、構えをとった。
「よーい、始め!」
無駄にいい声で戦いの合図が響き渡る。この人、もしかしたら始まりの合図を言うのが慣れてるんじゃないかと疑問に思っていると、僕の右腕に向かって光が放たれた。僕はそれに反応できなくて、右腕にもろに光線を喰らう。
「あっつ!?」
僕は光線を浴びてからようやく自分が相手の魔法を喰らったのだということに気が付いた。右腕を見てみると、光線が当たった部分だけ、服に穴が開いてしまっている。そして、肌が焼けただれている。それを視認すると同時に焼けただれによる痛みが鈍く僕をむしばみ始めた。
「痛ったい!」
僕は急いでエテスアラップとの距離を離すと、汎用系第三位魔法「緑壁籠諏」を三重展開し、光線による攻撃を防ごうとした。しかし、僕が壁を展開するとすぐさまその壁が交戦によって壊されてしまう。僕は右腕に痛みを抱えながらさらに「緑壁籠諏」を展開。そして、一瞬の隙を狙って治癒系第三位魔法「痛経鎮寓侃」を発動。とりあえずやけどによる鈍い痛みを意識からシャットアウトする。傷の方は今すぐどうにかしないといけないレベルではなさそうなので放っておく。というか、放っておかざるを得ない。エテスアラップによってすでに最後の土壁が壊されていた。僕はその場から移動して、光線の狙いが定まらないように動きつつ、汎用系第三位魔法「斬矢凡」を五重に展開し、エテスアラップに向かって放つ。エテスアラップは僕が初めて攻撃を仕掛けたことに対して喜んでいるような表情を見せながら、光線によってすべての矢を跡形もなく消し去る。僕はさらに移動しつつ、次の一手をどうしようか考える。エテスアラップは間違いなく光系魔法の使い手だ。僕はあまり光系魔法には惹かれなかったので詳しいことはよく知らないが、光という地上でもっとも速いモノが今のように超速で展開される魔法での攻撃は、どんなにすごい反射神経の持ち主を持ってしても完全によけきることは不可能だろう。だから、ここで重要になってくるのは相手がどのタイミングでどんな攻撃をしてくるのかということをある程度予測しながら動くということだ。そのために必要なのは光系の魔法にどんなものがあるのかということと、相手の戦い方にどんな癖があるのかということを見抜くことだ。光系の魔法にどんなものがあるのかということは、さっきも言った通り、僕は光系の魔法にあまり惹かれなかったので、今までエテスアラップが放ってきたのが光系第三位魔法「崇雀光琵」だということはかろうじてわかるが、それ以外の魔法はどんなのがあるのかほとんど知らない。次に相手の戦い方の癖だが、ぶっちゃけ大してわからない。わかっているのは、エテスアラップの方は僕を殺してもいいというスタンスでこの戦いをしているのだろうということだけだ。殺してもいいやというスタンスじゃなかったら、いきなりあんな光線なんて打ってこないだろう。だとすると、僕も同じようなスタンスで戦わないと勝てないような気がする。だけど、何となく踏ん切りがつかない。光線が僕に向かって放たれる。僕はそれをあらかじめ決めていた方向に向かってジャンプすることによって回避した。さらに連続で光線を放ってくるので、僕は「緑壁籠諏」を目の前に発動させ何とか自分い光線が当たることを防ぐ。「斬矢凡」でもって反撃するが、先ほどと同じようにエテスアラップに届く前にすべて撃ち落されてしまう。
「キミの実力はそんなものなのかい?だったら期待はずれだなぁ」
相変わらずのニコニコ顔でエテスアラップがそう言う。それに合わせるように観客席から僕に向かってヤジが飛ぶ。引っ込めだのがっかりだの、みんな好きかって言ってくれている。
「おい、坊主!死ぬ気でやれや!」
僕が立っていた所の近くの観客席からおじさんの声がする。僕が振り向くと、さらにおじさんが言う。
「俺はここで一番の治癒系の使い手なんだ。死ななかったらどうにかしてやるから、死ぬ気で突っ込め!」
おじさんがそう言うと、その周りにいた人たちも口々に「そうだそうだ!」「コイツはマジで治癒系で一番だから心配すんなよ!」「いけいけ!」と叫ぶ。
「残念だけど、キミ、最高位の資格無いよ。何かの間違いなんじゃない?最高位って言うから面白いかと思ったんだけどなぁ」
エテスアラップは右手を掲げながらさらに口を開く。上位魔法を発動するつもりらしい。どうやら本当にこの戦いを終わらせるつもりのようだ。僕はエテスアラップや観客になんだかすごくイライラしてきた。勝手に戦おうとか言ってきておいて、自分の期待していたような展開にならなかったらつまらないと言うのはまあ、まだいい。それだけでは飽き足らずにエテスアラップは僕に最高位冒険者の資格がないとまで言い切った。それは、僕に対する侮辱だけでなく、つるぎに対する侮辱でもあるし、癪だけどギルツィオーネに対する侮辱でもある。それは僕にとって、到底許せるもんではない。さらに言えば、好きなだけヤジを飛ばしてくる観客にも腹が立つ。僕の気も知らないで勝手に戦わせられているのに、弱いだなんだとヤジって本当にムカつく。僕はさっきのおっさんの言葉を思い出した。確か、死ななければどうとでもなると言っていたはずだよな。ということは、殺さなければ大丈夫ということだよな?人に向けて本気で魔法を放ったことはなかったけど、ここで負けてしまったらつるぎにも迷惑が掛かってしまう。それだけは避けなければならない。僕はそう思いながら、とりあえずエテスアラップを半殺しにする決意をした。
「じゃ、終わりだね」
余裕の笑みを浮かべながら、エテスアラップは上位の魔法を放とうとする。僕はすかさず対魔法系第四位魔法の「入入邪雰思」を発動。エテスアラップの魔法発動の瞬間に僕の魔法打消し魔法が発動する。エテスアラップの右腕に集まっていた多くの光が一瞬にしてはじけ飛び、辺りが一瞬真っ白に染まる。
「なに!?」
エテスアラップは魔法発動が失敗したことに対して驚いているのかそう声を上げていた。真っ白な世界の中、僕はその声の下方向に向かって、汎用系第四位魔法「矢轟雨臨」を発動。とりあえず声のした方向に大量に矢を発射すれば当たる可能性があるだろうというなんとも淡い期待を込めながら大量の矢を発射。光は観客席の方まで届いたのか次々に悲鳴が聞こえる。続いて
「くっ」
という声が聞こえてきた。だんだんと世界に色が戻り始めてくる。僕は何度も高速で瞬きをして通常の視界を早く取り戻そうとした。目がようやく回復すると、そこには何か所かに矢が刺さっているエテスアラップの姿があった。その顔には怒りの表情。僕に魔法を打ち消された挙句、傷つけられたのだから無理はないだろう。しかし、エテスアラップはすぐに笑顔を取り戻し口を開く。
「いやあ、驚いたよ。すごいすごい!なんだ、もっと早く実力を……」
僕はためらわずにペラペラとしゃべっているエテスアラップに向かって汎用系第四位魔法「断槍凡鋼」を放つ。僕の右掌の上に発生した全長1.7メートルの巨大な槍が空気を切り裂いてエテスアラップへと襲い掛かる。
「っむん!?」
エテスアラップは何とかよけようと体をひねるが、そのタイミングが少し遅かったのか槍がエテスアラップの左肩を切り裂く。切り裂かれた方から鮮血が飛び散り、床を少しだけ赤く染めた。槍はそのまま観客席へと向かい、壁に突き刺さる。僕はさらに「断槍凡鋼」を展開し、今度は胴体に当たるように発射した。エテスアラップは高出力の光線によって槍を消しつくそうとする。僕はその間にエテスアラップとの距離を詰める。何とか消し尽くしたらしいエテスアラップの目の前に僕はこぶしを握って現れる。そして、右腕を思いっきり振った。エテスアラップは僕のこぶしを避けたが、さらに追撃した右足に対する反応が遅れる。僕は足を振りぬき相手の上半身の左側を蹴り上げた。もろに蹴りを喰らいふらつくエテスアラップ。僕はそこに回し蹴りを放つ。
「ぐふっぅ」
という声とともに吹き飛ぶエテスアラップ。ここでもガルティアーゾで受けた訓練が役に立った。魔術師相手には肉弾戦が効果的だと身をもって教えてくれたアルモンドに感謝。壁際まで後退したエテスアラップは、僕に向かって「崇雀光琵」を三本同時に放ってくる。「緑壁籠諏」を展開したが、完全に土壁が出来る前に光線によって壊されてしまう。僕は身体をひねったが、今度は左腕を思いっきり焼かれてしまう。
「んぬぅ!?」
思わず声が漏れだす。服と肉の焼けるにおいがする。自分の身体なのに何となく良い匂いがした。それを聞いて好機と思ったのかエテスアラップはさらに追撃しようとするが、僕の方が一足先に魔法を発動する。汎用系第二位魔法の「鋼蜘糸蛛」によって、エテスアラップの右腕が壁に磔される。それにエテスアラップが戸惑った瞬間、僕は全身を磔にするために汎用系第四位魔法「鋼磔糸蓑白」の上位魔法、汎用系第五位魔法「鋼磔茨蓑赤」を発動。壁にエテスアラップの身体を完全に磔状態にし、身動きをとれなくする。
「ぐっ!うっ!」
エテスアラップは何とか光線で焼き切ろうとするが、身動きを取ろるたびに金属の棘が体に刺さり、魔法が使えない。「鋼磔糸蓑白」と違い、絶えず痛みを与えるこの金属製の糸を発生させる「鋼磔茨蓑赤」は、集中力を必要とする魔術師にとって最悪の相手と言えるだろう。半殺しにすることを決めていた僕は、とりあえず腹部に「断槍凡鋼」を叩き込んだ。その瞬間、エテスアラップの口から血が吐き出される。その血液の雫が僕の頬に少しかかる。少しして、僕は部族の戦闘化粧のように、妙に温かくぬらっとしたその液体を頬に引き延ばす。先ほどまで僕への怒号で騒がしかった観客からはところどころから悲鳴が上がっている。僕はエテスアラップの胴体を貫いている槍をたたいて振動を与えた。すると、先ほどまで下を向いていたエテスアラップの顔が持ち上がり、苦悶の表情を浮かべる。そして、口から血を流しながらしゃべる。
「か……これ、で、勘弁し……てくれ……」
僕はなおも槍をはたきながら笑顔で返す。
「ええ!?勝負しようって無理やり僕をここに連れてきたのはあなたでしょう?最高位冒険者の魔術師同士の戦いをみんなに見せたいんでしょう?僕の実力が期待はずれだって言ったのはあなたでしょう!?まだまだやりましょうよ!」
僕はだんだんと声が大きくなるのを自覚しながらさらに詰める。
「それとも何です!?もしかしてあなたの方が残念な実力なんですか!?もしかしてあなたの方が最高位冒険者の資格がないんですか!?ええ!?」
静まり返る観客席。僕の声と呻き声だけがこの闘技場に響く。エテスアラップは痛みで嗚咽交じりの涙を流している。血は絶えず流れており、僕が槍を動かし続けたせいか桃色の物体が中から飛び出そうになっていた。
「全然まだまだですよ!僕はまだまだやれますよぉ、エテスアラップさん!」
僕は笑顔で雷系第五位魔法「天轟雷空賦濁」の発動準備をする。ビリビリと空気を震わせながら、電気が僕の右手から漏れ出る。それを見て何かを察したのかエテスアラップが首を横に振る。声にならない叫びをあげながら、何とか逃げようと身体を動かす。そのたびに血が噴出し、僕にかかる。体中から血を流しているので、もう少しで失神しそうなところをそれでもこうやって意識を保っているところを見ると、意外にガッツのある人なんだなと、ふと思う。観客席からは再び怒号が上がり始める。エテスアラップの異常な反応に気が付いたのだろう。僕は最後まで笑顔で言う。
「じゃあ、いきますね!」
僕が元気よくそう言うと、どこからか声がした。
「それを放ったら本当にエテスアラップ君は死んでしまいますよ?」
そして僕が「天轟雷空賦濁」を発動しようとした瞬間、スパークが起きた。再び世界が白く塗りつぶされる。これは僕が起こしたわけではない。何が起きたのだろうと思い、辺りをうかがう。そして、自分の腕が掴まれていることに気が付いた。今、僕が魔法を放とうとした瞬間、その魔法が打ち消された。それはわかった。しかし、いつの間に僕の腕が掴まれた?いや、それ以前にいつの間に僕たちの近くに来ていたんだ?目が元の色を取り戻すと、僕の腕をつかんだ主の姿が鮮明になっていく。僕の腕をつかんでいたのは、エテスアラップと同じくらいの身長をした男性だった。特徴的な銀の髪の毛は、長髪で細くウェーブがかかっている。顔立ちもシュッとしていて、まるでギリシャ彫刻に出てきそうな感じだ。白いローブを羽織っており、一目でただものではないということを感じさせるたたずまいをしていた。首にはワルフラカ帝国の国旗の模様が描かれた装飾品を付けている。エテスアラップを見ると、今のスパークで完全に失神しており、全身の力が抜けていた。下を見ると、失禁していることもわかる。
「さあ、トービヤ君!エテスアラップ君を治癒してあげてください」
「は、はい!リリューク様!」
トービヤと呼ばれたそのおじさんは、先ほど僕に激を飛ばしてきたおじさんだった。本当に治癒の名人らしく、他の仲間数人を連れてエテスアラップを磔から解放すると、腹から槍を慎重に引き抜く。その間に周りの人間が止血の魔法や鎮痛の魔法をかけている。完全に槍を引き抜くと、そのおじさんは穴のぽっかり開いたエテスアラップの腹に向かって魔法を放つ。すると、どんどんと内臓の方から治癒が始まっていく。それを確認した後、そのおじさんは周りの人間に指示を出して、担架にエテスアラップをのせ、どこかに運んでいった。
「さあ、この戦いはもうお開きです!各自やることがあるでしょうから、解散してください!」
リリュークと呼ばれた銀髪の男は、僕の腕から手を離すと、観客席にいた人間にそう言った。すると、喧騒が静まり返り、観客席の人間たちがぞろぞろとここから出ていく。
「カイトさん、私についてきてくださいませんか?」
いきなり名前を呼ばれて少し驚きながらも、有無を言わさぬその圧力に屈して、僕は無言でうなずいた。




