第五十二話 つるぎの思惑
荷台に揺られながら、夕日の暖かな橙色の光をドレスのように身にまとった草木が風と共に踊っているのどかな風景を眺め続ける。ワルフラカ帝国までの道のりは一日半以上かかるらしく、途中で野宿をはさむような形になっているらしい。僕たちはワルフラカ帝国に連れて行ってくれる、ミーニャの母親率いる行商の人たちにせめてもの恩返しとして、夜間の見張りは僕とつるぎの二人で行うと申し出た。彼女たちはそれを快諾してくれる。確かに彼女たちはある程度の魔法を使えるが、いくら魔法が使えると言っても、僕たちのように野生生物や怪物との戦いに慣れているわけではない。やはり、何処か不安に思うところがあったのだろう。
「こういう環境も、僕たちがやった改革で良くなるのかな」
僕はふと、つるぎに尋ねてみた。
「なるだろうな。ガルティアーゾではワルフラカ帝国へモノを売りに行くのは女性の仕事とされている。今までは女性は魔法しか使えなかったから、野生生物なんかの対処は大変だと聞いた。しかし、これからは剣を持った女性も現れる。だから、そういった人がこのような旅についていくことになったら、より安全に商売をすることが出来るようになるだろう」
「そっか……そういえばさ、どうしてつるぎは子供たちへの教育だけしか変えなかったの?他にも変える必要がある制度はあったと思うけど」
「それは、教育が一番変えやすいと踏んだからだ」
「変えやすい?」
僕は再びつるぎに聞く。どういう意味だろうか。
「そうだ。例えば、私が男女での仕事の機会を平等にするために『竜狩りを女性でも参加できるようにする』という改革を行おうとしたとしよう」
「うん」
つるぎは僕にわかりやすく説明しようとしてくれているらしく、身振り手振りを交えながら話を始めた。
「これは、明らかに周りの人間から強く反対されることがわかる。なぜなら、なにも訓練していない女性がいきなり竜狩りという命のかかった仕事に参加しても、竜狩りをしてきた立場からはっきり言って邪魔だし、なによりその女性が死ぬかもしれないからだ。そんな危険なことはさせられないわけだ」
「確かに」
「しかも、ガルティアーゾでは、性別によって仕事が分かれている場合が多い。つまり、仕事が自分の性的アイデンティティーを保つための要因として機能しているというわけだ。その仕事の面を私たちが改革しようとすれば、男性女性のどちらからも反対されるのはわかっていた」
「へー」
たった半年間しかいなかったガルティアーゾで、そんなことまで気が付いていたとは。しかも、つるぎは竜狩りのプログラムをハイスピードでこなしていたから、そんなことに気が付く余裕なんてなかっただろうに。やはり、つるぎは頭が切れる。
「しかし、不思議なことに教育に関してはガルティアーゾの多くの人間はたいして興味を抱いていなかった。いや、興味を抱いていないという言い方は誤解を生むな。正確に言えば、教育の持つ力に気が付いていなかったと言った方が良い」
「というと?」
教育と仕事は関係性が密なはずだ。それに気が付いていないなんてことがあるのだろうか?
「基本的にガルティアーゾで行われている教育は、男子には剣士になるための、女子は治癒魔法が使えるようになるためのものだ。男子はそこで身体を作り技術を得て、女子は魔法の理論を学び技術を得るわけだ」
「そうだね」
「この教育は、成人後の仕事に深くかかわっているのはわかるだろう?」
「うん。だって、竜狩りをするためには絶対に剣術とかをやらないと無理なわけだし」
僕は当たり前のことを口にした。だって、普通に考えるまでもなく体感としてそうだと感じるし。
「その通りだ。しかし、ガルティアーゾではそれぞれがどのような教育を受けているのかを知っている人がほとんどいなかった」
「……うん?どういうこと?」
僕は一瞬理解が追い付かなかった。つるぎはさらに砕けた表現で説明してくれる。
「つまり、男性は女性の教育と仕事の結びつきを、女性は男性の教育と仕事の結びつきを知らない人間が多かったということだ」
「そんなこと、あり得るの?」
僕は半信半疑でつるぎに尋ねた。
「それがあり得ていたからこそ、ガルティアーゾでは仕事が性的アイデンティティーを保つための要因として機能するようなことになっているのだ」
「それって、全員が知らなかったの?」
「いいや。そんなこともまたあり得ん。ギルツィオーネはわかっていた。過去にも、少なくとも族長になるような人間はわかっていたのだろうと思う。しかし、あえてそれを変えようともしなかったのだろうな」
「ふーん……」
僕はそう言いながら、自分の家族のことを思い出していた。最初は、家族に異性がいるのだから、そんなことは起きえないだろう、と思っていたけど、案外そんなものかもしれないと今は思える。だって、よく考えてみれば、僕は父さんがどこでどんな仕事をしているのか詳しく知らないし、母さんは僕が学校でどんなことをしているのかよく知らないはずだ。たぶん、これと同じような感じなんだろう。
「これに気が付いた私は、教育の面にのみ注力することにした。だから、教育しか変えなかったのだ」
「へー、っていうか、最初はそんな話だったっけか。すっかり忘れてた」
「君が聞いてきたんだろうが」
つるぎは呆れたような顔で僕に言う。
「そういえばそうだったね……だけど、うまくいくかな」
「まあ、そう簡単にはいかないと私も思っている。基本的には従来と変わらず、男子が剣を、女子が魔法を使うことには変わりないはずだ。しかし、その中で一割くらいの男子が魔法を、女子が剣を使うようになる可能性が出来ただけで十分だとも思っている。前ならそんな可能性は一パーセントもなかったからな」
遠くを見つめながら、つるぎは何かを確信しているような表情で言う。
「まあ、確かにそうだね」
僕も同意する。草原をオレンジに染め上げていた夕日はいつの間にか沈んでおり、少し欠けた月が、夜の闇を照らしている。荷台の揺れが少しずつ収まり、やがて完全に止まる。
「今日は、ここらへんで野宿だね」
ミーニャの母親がそう言うと、他の人々が野宿の準備をし始める。僕たちもそれを手伝うために荷台から降りた。少しだけ冷たい風が僕たちに向かって吹き付けた。




