第五十一話 旅立ち・リータの宣言
僕たちは宣言通り、族長を止める宣言を翌日に行った。ガルティアーゾの人々は多少驚いてはいたが、つるぎが事前に根回しをしていたらしく、それほど大きな衝撃を与えたりはしなかったようだ。また、ギルツィオーネが再び族長に就任するということも、あっさりと受け入れられた。僕は、野心を持った若者なんかがここでもう一波乱巻き起こすのではないかと予想していたが、杞憂だったようだ。どうやら住人のギルツィオーネに対する畏怖と信頼というのは思ったよりも大きいらしい。僕たちからすれば、ファーストインプレッションが最悪だったギルツィオーネに対しての評価は低かったので、このことは予想外だった。とは言っても、良い方での予想外だったことにはほっとしている。短い間とはいえ、曲がりなりにも僕が族長というこの集落では一番力のある者として時を過ごしたことは事実である。引継ぎの際に何か問題が生じれば、それはまだ族長である僕の責任になってしまう。さらに、僕たちはこれからここを出ようとしているので、なおさら神経を使っていた。立つ鳥跡を濁さずということわざがあるけれども、まさに、見苦しくない引き際を演出できたのではないかと思っている。
「さて。思ったよりもさらりと事が運んだな」
「そうだね。よかったよかった」
「で……」
僕とつるぎが顔を見合わせ、そして目の前に座っているリータに目を向ける。族長をギルツィオーネに引き継いだ後、僕たちは借りていた自分たちの家に帰り、旅路の支度をしていた。そこに勢いよくリータが飛び込んできて、
「お話があります!」
と言ったのが、ほんの十分前。
「話って何、リータ?もうしばらくの間そこに座ってるけど、何か話があったんじゃあないの?」
僕はなるべく優しい声色でリータに問いかける。この半年間、このガルティアーゾで一番親密な関係になった人間は間違いなくリータだ。立ち入った話は聞けていないが、リータには何か複雑な家庭の事情なんかもあるらしく、僕たちを本当の家族のように慕ってくれていることは僕たちが一番よく知っている。だからこそ、何となくリータが話したがっていることにも見当がついている。しかし、僕たちはあらかじめそのことについては話し合って先に結論を出していた。
「どうしたんだ、いつものような元気がないではないか。リータ。話があるなら、言ってごらん?」
つるぎも僕に追随して言葉を発する。僕たちがそう言うと、リータは俯かせていた顔をおそるおそる上げた。その目にはもうすでに涙が溜まっている。
「どうした?」
つるぎはリータのそばによると、いつかの時と同じように、涙を拭いた。つるぎのその行動によって、さらにリータが涙をこぼす。ボロボロという音が本当に聞こえてくるくらいの大粒の涙が、リータの頬を、つるぎの手を濡らす。
「わっ……私は、お二人……っが、大好き……です……」
嗚咽を交えながらも、涙と共に自らの心情を吐露し始めたリータ。呼吸を整えながら、ぽつりぽつりと話し始めていく。
「……お母さんは私を生んですぐに死んじゃって、お父さんも四年前、竜狩りの最中に事故にあって、そのまま帰ってこなくて……その後、私は、もちろん親戚には支援してもらってましたけど、独りぼっちでした。なかなか親戚ともうまくなくて、だから一人で暮らしてて……ずっと魔法に明け暮れて……」
なるほど。リータが一人で暮らしていたのには、そういった理由があったからなのか。今更ながらそんなことを知って、僕は驚いた。つるぎの顔を見ると、驚いた様子はない。たぶん、どこからかそのような話を聞いていたんだろう。
「だけど……お二人がここにきて、そして出会ってから、私、久しぶりに家族で過ごすのと同じ温かさを感じて……」
さらに涙がリータの双眸からあふれた。そんなに泣いたら干からびてしまうんじゃないかと心配になるくらいに、さっきっからとめどなく流れ出ている。
「だから……っだから私、離れたくないんです。お二人と……また、一人になるのはいやなんですっ……」
そう言うと、リータは急に椅子から立ち上がる。そして、深々と頭を僕たちに向かって下げてきた。
「だから、お願いしますっ……!私も、連れて行ってください……!」
僕とつるぎは再び顔を見合わせる。……やはり、つるぎの予想していた通りだった。絶対にリータは僕たちに付いて行きたいと言うだろう、とつるぎはあらかじめ予想していたのだ。そして、それに対する回答も、すでに僕たちの間で決まっている。
「顔を上げてくれ、リータ」
つるぎはリータに近づくと、リータの肩に優しく触れる。リータがゆっくりと顔を上げる。リータの足元には、涙によって大きなシミが二つ、出来上がっていた。
「これから私が話すことを、よく聞いてほしい」
つるぎはゆっくりと、優しく。リータに向かって話しかける。リータはつるぎのその雰囲気で何かを悟ったのか、寂しそうな、悲しそうな顔をする。つるぎもそれに気が付いたらしいが、動揺することなくあらかじめ用意してあった答えを言った。
「結論から言えば、私たちはリータを連れていくことはできない」
「……なんでですか……」
「それは、私たちの目的があまりにも危険なことだからだ」
「……目的って……?」
「私たちの目的は、私たちをこの世界に連れてきた神を殺して、元の世界に帰ることだ」
「……!」
リータの息をのむ声が聞こえる。
「そのための情報を、今のところ私たちは持ち合わせていないし、そもそもそんなことが可能なのかどうかもわかっていない。しかし、私たちはこの世界に来た最初の段階で、それを最終目標とすることを決めていたのだ。そして、それを実行するということも。そして、それを実行するためには、たぶんとても危険で困難なことが立ちはだかっているということも、私たちにはわかっている。だから、私たちには、私たちの旅にリータを連れていくことが出来ない。私たちのリータを、そんな危険な目に合わせることはできないし、したくないからだ」
つるぎはただ、淡々とリータに言って聞かせる。しかし、リータは納得がいっていない様子だった。
「でも、私だって、自分の安全くらいは自分で守れます……!そのことはカイトさんだって……」
「ああ、それはもちろん知っている。だが、これは私と海斗が話し合って決めたことだ」
つるぎがそう言うと、リータは驚いたような顔で僕を見る。僕はそんな視線を受けて、思わずそっぽを向きたくなるような気持ちにかられたが、ぐっとこらえて、そのままリータを見つめ返す。しばらくリータは立ちすくんでいたが、やがて口を開いた。
「……わかりました。もう、いいです」
ぶっきらぼうにそう言うと、リータは小走りで出て行ってしまった。
「あ、おい、リータ!」
僕はリータを追いかけようとしたが、つるぎに止められる。
「海斗。こうなることは予想していたろう?これ以上リータを傷つけてはいけない……仕方がないんだ……」
「……」
「仕方がないんだ……」
つるぎはもう一度呟く。僕も、リータを追おうとしていた足を止める。扉が閉まった。
「ママ!カイトのこと、ちゃんと運んであげてよね!」
ミーニャが偉そうに言う。
「なーに偉そうなことを言ってんのよ、あんたは」
ミーニャの母親が呆れながら言う。僕たちは、月に一度のワルフラカ帝国への行商の旅についていき、ワルフラカ帝国を目指すことにしていた。行商の中心はミーニャの母親らしく、話はスムーズにまとまったことを思い出す。
「すいません。迷惑かけます」
僕が彼女にそう言うと、
「なーに、元族長さんが付いてるとくれば、どんな怪物が出たって安心だよ!」
と言ってくれる。僕とつるぎは荷台に荷物を詰め込む。荷台の先には大きな体をした、マクラレという動物がいる。こいつに荷物を引っ張っていってもらうのだそうだ。
「ちょっと、カイト!」
僕が荷物を積んでいると、ミーニャが僕を呼ぶ。
「何?ミーニャ」
「リータお姉ちゃんはどうしたの?来てないみたいだけど……」
「ああ……ちょっと、いろいろあってね」
きょろきょろとあたりを見回しながら、ミーニャが実に鋭い指摘をしてくる。僕がそんな言葉で濁すと、
「ふーん」
とだけ言い、ミーニャは再び話し始める。
「で、いつ帰ってくるの?」
「え?」
「えっ?て、帰ってくるんでしょう?」
純真な目が僕を見つめる。
「帰ってくる……かなぁ」
僕は気の抜けた返事しかできない。帰ってくる、という表現が、頭の中からすっぽりと抜け出ていた。僕たちはもう二度とこの土地を踏みしめないと、そう思っていたけど。別に、そうじゃなくてもいいのかもしれないと、ふと思った。
「え!?まさか、本当に帰ってこないの?これでお別れなの!?」
ミーニャの方は、僕の言葉に慌てふためいている。
「ちょ、ちょっと……本当に?」
「……いや、わかんないけど……」
「……」
僕は相変わらず煮え切らない返事しかできない。でも、本当に「帰ってくる」だなんて考えてもいなかったから無理もないと思う。うん。ミーニャはしばらく黙ったあと、急に僕の袖をぐいぐいと引っ張った。
「うん?何?」
「しゃがんで」
僕がミーニャに尋ねると、ミーニャはそう言う。なにかと思ったが、おとなしく従うことにした。すると、顔を手で挟まれる。ミーニャの小さい手から、大きな体温が伝わってくる。そして次の瞬間、僕の唇に柔らかいものが当たった。
「!?」
僕は驚いて身を引こうとしたが、顔をはさまれているのでうまいこと行かない。ミーニャは目を瞑ったまま、僕の唇に自分の唇を重ねている。五秒ほどして、ミーニャが手と唇を同時に話す。
「……」
「……」
そして、お互いに沈黙。
「えっと……」
僕が何かしゃべろうと思い口を開くと、ミーニャがそれを遮るようにしゃべり出す。
「帰ってきなさいよ……瞬間移動とか出来るんでしょ……だって、カイトは村長にまでなったすごい魔術師なんだから……」
そう言って、また僕の袖をつかむ。ミーニャの気持ちには応えられない。だけど、純粋に嬉しかった。
「……じゃあ、そうできるように頑張るよ」
僕はミーニャの頭をポンポンと叩いて、軽く撫ぜる。
「おーい!準備できたよ~!」
そこで、ミーニャの母親の声がした。
「もう行かなきゃ」
「……絶対だよ」
僕はもう一度頭を撫でて、荷台の方に向かう。
「ずいぶんとお熱い別れだったな」
「……見てたの?」
僕が荷台に乗り込むと、すでに乗り込んでいたつるぎがそう言ってきた。
「まあ、子供のしたことだ。私は世界一、いや、宇宙一の絶世の美女でおまけに心まで広いからな。先ほどの濃密な別れのキスのことは許そう。君が浮気者だとは私は思わない。たとえ、君から唇を放さなかったという事実があってもだ」
やけに無機質な声でつるぎが言う。
「いや、あれはさ……」
僕は言い訳をしようと口を開くが、その時ちょうど荷台が動いて、危うく舌を噛みそうになる。
「言い訳をするようなことではないだろう?うん?」
つるぎは僕の頬をつねりながら言った。
「……怒ってんじゃんか」
「頬をつねっただけで怒ったと勘違いするようではまだまだだな。もし、彼女が子供ではなくて成人した女だったら、君の唇は神切に切られていた。こんなもの、怒った内に入らん」
「……さいですか」
荷台がゆっくりと進んでいく。ミーニャや他の何人かが僕たちに手を振ってくれている。僕たちも手を振り返す。リータの姿はない。
「リータ、大丈夫かな」
僕はぽつりとつぶやく。
「大丈夫だろう。彼女は、強いよ」
つるぎがそう返す。だんだんと見送ってくれる人たちが小さくなっていく。そして突然、聞きなれた声が響いた。
「つるぎさん!カイトさん!」
僕たちはその声を聞いて、思わず荷台の後ろから身を乗り出す。見ると、走ってきたのかリータが膝をついて息をしているのが見える。
「私、絶対強くなります!二人に、連れて行っても大丈夫だって思ってもらえるように、強く!だから……!」
そこで一度言葉が途切れる。もう一度大きく息を吸い込んでいるリータの様子が見える。
「だから!その時まで待っていてください!」
そして、ひと際大きな声が、大空の下に響き渡った。僕たちは笑顔で顔を見合わせると、それに応えた。
「ああ!待ってるからな!」
「絶対に、絶対に待っているぞ!リータ!」
大きく手を振るリータは、地平線で見えなくなるまでずっと手を振っていた。




