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第五十話 族長を辞める

僕がガルティアーゾの新しい族長として就任してからは、矢のように時間が過ぎ去っていった。僕が族長になってからすぐに、つるぎの案であった男女のどちらにも剣術と魔法の教育を施すことが実行された。一部の人々からは反対の意見が出たが、つるぎがその人たちを説き伏せてしまった。僕が驚いたのは、ガルティアーゾの多くの人々は意外なことに、僕たちが行った改革に好意的だったということだった。先ほども言ったように、反対派はごく一部だった。ギルツィオーネはどうしたかというと、つるぎの予想通り僕たちの行うことには反対の意を唱えることはなかった。そして、僕が族長になってから約一カ月がたったある日の事。


「さあ、海斗。行くぞ」


つるぎがいきなり僕にそう言ってくる。


「え?行くって、どこに?」


僕は寝惚けまなこをこすりながら階段を降り、いつもの席へと向かう。朝ごはんのいい匂いが徐々に僕の意識を覚醒させていく。僕が族長に就任したとき、新しい家を造る計画が立ち上がったのだが、僕たちはそれを丁重に断り、今でも与えられた家に住んでいた。つまり、個々での肩書や地位は変わったが、暮らしが変わったというわけではないということだ。そもそも僕たちはしばらくしたらここを出るつもりだし、家なんて新しく建ててももったいないだけだ。


「どこにって、寝惚けているのか?」


つるぎが席に座った僕に近づいてくる。そして、そのまま僕の膝の上に座ると、僕の頬に口づけをする。


「ほら。絶世の美女がキスをしたのだから、いい加減に目を覚まさないか」


「絶世の美女って自分で言うかね、普通」


「どこからどう見ても私は絶世の美女だろうが。なんなら試しに鏡に聞いてみようか?」


つるぎは自身に満ち溢れた顔で僕にそう言ってくる、


「鏡?」


「そうだ」


つるぎは僕の顔をじっと見ると、口を開く。


「鏡よ、鏡。世界で一番美しいのはだあれ?」


「……」


「ほら、鏡。答えろ」


バシバシと腕を叩いてくるつるぎ。


「え?僕が鏡なの?」


てっきり本物の鏡があるのかと思っていたが、そういえばこの家にはそんなものなんかなかったことを思い出す。


「当り前だろうが。他に誰がいるのだ?」


「いや、いないけど……っていうか、そういうことでもない気がするんだけど……」


「いいからさっさと答える!」


つるぎが僕に促してくる。僕は一瞬だけ口ごもったが、つるぎの視線には勝てず、口を開く。


「……世界で一番美しいのは九重つるぎです」


「おおおおおお!やはりか!いやー、そうだと思っていたのだが、実際そう言われるとなんだか照れ臭いな……」


僕がそう言うと、つるぎは少しだけ顔を赤らめて、照れた表情を見せる。


「ねえ、そんなことより、行くぞって何?」


僕はつるぎに尋ねた。

「そんなこと、だと?」


僕の言葉を目ざとく、いや、耳ざとく聞きつけたつるぎは僕の質問には答えず、顔を寄せてくる。


「そんなこととは何だ、そんなこととは!?」


つるぎはさらに顔を寄せてきた。つるぎの鼻が僕の頬にめり込む。


「私が絶世の美女じゃあないと、そう言いたいのか?」


「そうじゃないよ……まあ、よく自分でそんなこと言えるなぁとは思うけどさ」


「ふん。当然だ。なんなら先ほどは譲歩したくらいだぞ?」


「譲歩?」


「そうだ。私は『世界で一番』と聞いたが、本来なら『宇宙で一番』でも良かったのだ。それをおしとやかな私はだ。『世界』でとどまったのだぞ?これを譲歩といわずに何と言う」


「……さいですか……じゃなくて!行くって、どこに行くって言うのさ!?」


僕は無理やり話を元に戻す。


「どこって、まあ、とりあえずはワルフラカ帝国だろうな」


つるぎは僕の膝から降りると、あっさりとそう言った。


「え?」


「つまり、ガルティアーゾから出るということだ」




つるぎ曰、男女がどちらの教育も受ける、ということが人々の中に浸透するのが、思ったよりも早かったらしい。なので、一カ月ほどしかたっていないが、大丈夫だろうと踏んで、個々から出ていく決意をしたそうだ。僕たちはその旨を伝えに、ギルツィオーネの家までやってきた。


「何の用だ?族長殿」


ギルツィオーネは僕の顔を見るなり、忌々しそうな表情をしながらそう言う。


「少し話があってな」


つるぎがギルツィオーネに言う。


「話?」


ギルツィオーネはいぶかしげな表情をしながらも、僕たちを家の中へと案内した。


「話とはなんだ?まさか、族長の座を俺に返そうとかそういう話か?」


「おや、案外鋭いではないか。そう、そのまさかだ」


「……何!?」


つるぎの言葉にギルツィオーネは驚いた顔をする。そして、間を置かずに聞いてくる。


「どういうことだ?」


「私たちがここでやりたいことは、すべてやりつくした。私と海斗はそれぞれ剣術と魔法をそこそこのレベルまで修得したし、男女のどちらも剣術と魔法の教育を受けることが出来る用にも整えた。だから、私たちはここから去ろうと思っている」


「……それで?」


「それで、私たちがいなくなった後、正確に言えば海斗がいなくなった後、君にもう一度族長の地位に就いて欲しいのだ」


「……なるほど」


ギルツィオーネはそう言うと、しばらくの間黙ってしまった。僕たちもそれにつられて黙る。


「まあ、俺が族長になるのは別に良い。だが、お前たちは、自分たちがやってきたことをこの俺にかき消されてしまうのではないかとは思わないのか?」


ギルツィオーネが口を開く。その言葉は僕たちが予想していたものだった。


「だが、君はそうはしないだろう?」


笑みを湛えながらつるぎが言う。そのまま言葉を続ける。


「もしかしたら魔法を使わない女性が出てくるのかもしれないのだ。そんなチャンスを君が自らの手で潰してしまうなんていうのは、私には考えられない」


「…………」


ギルツィオーネは何も言わない。反論しないということは、肯定しているのと同じだ。つるぎはもう一度ニヤッと笑うと、椅子から立ち上がる。


「私たちは明日、族長の座を君に明け渡すことを宣言し、明後日にここを去る。そこから先は、また君が族長だ」


僕も席を立ちあがる。ギルツィオーネは何も言わないままだ。そのまま僕たちはギルツィオーネの家を後にした。


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