第二十三話 第三位魔法の習得
あの日、結局椅子を浮かせることが出来なかった僕は、何が悪かったのかを解明するために、もう一度『第三位魔法抄本』を読み直すことにした。そして、すぐに疑問点を解消できるように、リータの家にお邪魔している。
「そういえばさ、ちょっと気になったことがあるんだけど」
「はい、何ですか?」
僕はリータに尋ねる。
「いや、この前、つるぎが行っている練習を観に行ったときに思ったんだけど、ギルツィオーネっていったいどれくらい強いんだ?周りの男の子たちの間ではすごい緊張感が漂ってたから、きっとすごい強いんだとは思うけど……」
「そうですねぇ……一応ガルティアーゾの中では一番強いですよ」
「へえ、やっぱりそうなんだ」
「はい。でも、あれだけ強くて竜狩りにもたくさん参加しているのに、いまだに配偶者を持っていないんです」
「……別にいいんじゃないの?」
「いや、普通はあり得ないんですよ!夫の傷を癒すのが妻の役目でもあります。だからこの集落の女性は全員一応治癒魔法を使うことが出来るんです。それが当然だから……でも、族長はいまだに独り身です。傷ついても、そのままにしておいているんです。今はもうそこまでというほどでもないのですが、昔はとても偉大な魔術師だった族長のお母さまも、族長の傷を治そうとは試みているようですが、どうもうまくいっていないみたいですね」
「ふーん。それって、あれかな。前に言っていた、ギルツィオーネが魔法嫌いだっていうことと関係しているのかな」
「ええ、たぶん関係していると思います」
「そもそも、なんで彼はそんなに魔法のことを嫌っているんだ?」
「えっとですね、これは私も聞いた話なので、本当かどうかは定かではないんですけど……」
そう言ってリータが話したのは、次のようなものだった。
元々ギルツィオーネには三歳離れた弟がいたらしい。名前はマストロヤンニ。ギルツィオーネとマストロヤンニは、父親の指導の元、剣術を学んでいた。はじめは兄であるギルツィオーネが剣術でまさっていたが、時がたつにつれてマストロヤンニの方が強くなっていったらしい。また、マストロヤンニの方は偉大な魔術師である母親に、こっそり魔法を教えてもらっていたのだそうだ。基本的にこの集落では、魔法は女性しか扱わないので、マストロヤンニは必然的に男の中で最も強い魔術師になっていた。
さらに、剣術でも兄を圧倒し、マストロヤンニは剣と魔法の両方で最強の戦士になったのだそうだ。マストロヤンニの闘い方は、今までの戦士と違い、ふんだんに魔法を使ったものであった。相手との距離が開いているときは、魔法で攻撃し、間を詰められたら剣で対応するというような闘い方だったらしい。当然、普通の戦士には距離が開いている場合に攻撃を仕掛ける手段を持っておらず、一方的に攻められてしまう。そして、魔法による攻撃を回避し続けている間に間合いを詰められ、剣術によって攻め切られてしまうのだそうだ。この攻撃を受け切った人間は集落の中にはおらず、マストロヤンニは実質集落最強の戦士となっていた。
なので、先代の族長も、族長の座を兄であるギルツィオーネではなく、弟のマストロヤンニに譲ろうとしていたらしい。しかし、マストロヤンニ本人は族長の座を受け継ぐつもりなど全くなく、成人である15歳になったら、集落を出ようとしていたらしい。そして、族長の座を、長男であるにもかかわらず受け継ぐことが出来ないと知ったギルツィオーネは、マストロヤンニのもう一つの武器である魔法に対してすさまじい憎悪を抱くようになったという。その過程で、母親も不仲になってしまったのだそうだ。そして、マストロヤンニが15歳になったその日、マストロヤンニは族長の座を蹴り、そのことで父親と争いになり、そこで父親を殺して逃げるようにこの集落を去っていったのだという。
「っとまあ、こんな感じですかね。私が聞いた話だと」
「なるほど。つまり、自分が知らない間にいつの間にか弟が魔法を使えるようになっていて、自分よりも強くなったから。そして、そんな人間が自分の父親を殺した。だから、魔法を嫌っているわけか……何だかそれだけ聞くと子供っぽいな」
「そうですね……でも、これだけが原因ではないと思いますけど」
「まあね。たぶん、母親が魔法を自分には教えてくれず、弟には教えていた、という事実が、裏切られたような感情を生み出して、魔法を使う女性に対する不信感を今でも持っているんだろう。だから、未だに独りだし、魔法を嫌っている……本当のところはわからないけど……まあ、わかりもしない他人の心を分析するような真似は止めようか。悪趣味だし」
僕がそう言うと、リータは
「そうですね」
と言った。
ギルツィオーネが本当に魔法を使う人間を嫌っていることはわかった。僕がつるぎの稽古を見に行ったときに、すごい勢いでにらまれたのには、そういう理由があったからなのだろう。ということは。
僕は、嫌なことを考えてしまう。この集落の中で、魔法を使っていない女性が一人だけ存在している。それは、他でもない。つるぎだ。もしかしたら、始めから、つるぎを自分のモノにするために剣と狩りを教えているのではないだろうか。魔法を使わない、自分の理想の女性を作るために……いやいやいや、まさかね。そんなわけはないと思い、頭を振って、自分のくだらない妄想を頭の中から追い払う。
「どうしたんですか?」
リータは僕がいきなり頭を振ったのを見て、怪訝な表情をしながら聞いてくる。
「ああ、いや。何でもないよ。ちょっと、首の運動をね……あははは」
「そうですか?」
なら良いんですけど、と言って、リータは中断していた作業を再開する。自分のくだらない妄想を追い払おうとしていたなんて、恥ずかしくてとても言えない。
僕は、もう一度第三位魔法の発動を練習するために、集落外の草原にやってきた。前と同じように椅子を置き、十歩離れる。イメージをして、唱える。
「浮浮物宙中象」
しかし、椅子はやはり動かない。それもそうだ。集中力が全然なくなっている。ずっと、何となく僕の頭の片隅で、いや、心の片隅でもやもやとしたものが残り続けているから。それは、先ほど考え付いてしまったこと。つまり、ギルツィオーネがつるぎを狙っているのではないかということだ。なんでこんなにもやもやしているのか、自分でもわからない。だけど、理性で考えて、予想はつく。たぶん、僕はつるぎを誰にも渡したくはないのだ。
僕は思考を変えて、椅子をギルツィオーネに見立てることにした。もし、ギルツィオーネがつるぎを無理やり自分のものにしようとした時、彼は僕の敵になる、のだろうと思う。そうとなれば、彼は今から仮想の敵だ。絶対に負けてはいけない敵だ。僕は彼を倒す勢いで、練習に臨んだ。詳細にイメージをする。来た!浮いた!僕はすかさずに呪文を唱える。
「浮浮物宙中象!」
すると、先ほどまではピクリともしなかった椅子が宙に浮いた。
「やった!」
僕は思わずガッツポーズをした。手が握りこまれて、魔法が解ける。椅子は重力に従って、地面へと引き戻されていった。一度できてしまえば、二度目の発動は驚くほど簡単だった。また、「灑水《シャーシ―》」のようなタイプの第三位魔法も、当初の予想通り、「浮浮物宙中象」を習得した僕には難なくこなすことが出来た。僕は嬉しくなって、次々に第三位魔法を発動し続けた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
息が切れてきた。気が付くと、すでに辺りは暗くなりかけていた。空は紫がかったオレンジをしており、もう少しで太陽が沈んでいくことがわかった(あれが「太陽」という名前なのかどうかは未だにわからないが)。僕が持ってきていた椅子は、数多くの第三位魔法にさらされて、形もないほどになっている。
「……ちょっとやりすぎちゃったかな。『移宙間動餡』」
僕は宙系第三位魔法「移宙間動餡」を唱え、ボロボロになった椅子を回収する。そして、椅子の残骸を抱えながら、僕は集落に帰った。僕の気分は、さっきよりも少しだけ晴れていた。




