第十五話 異世界・初めての夜
この世界に来てから初めての食事を美味しくいただいた僕たちは、夜も深まってきたところでリータの家をお暇して家路についた。
「美味しかったな」
「うむ、そうだな」
「だけどさ、今思い出したけど、一つだけ心配なことがあるんだ」
「心配なこと?なんだ?」
「いや、ほら、よく言うじゃん。知らない世界に来ちゃったら基本的に食べ物とか食べちゃダメだって」
「ああ、その話か……まあ確かにそうい言われてはいるな……しかし、今この瞬間の私たちは豚になっているわけでもないし、大丈夫じゃないか?そもそも私たちをここに連れてきた自称「神」というやつは、どっちかというと日本古来の神様ではなくて西洋文化圏の神なような気がするぞ。天使とか言っていたしな。ということは、異世界のモノを口に含んでも元の世界に帰れるんじゃあないか?」
「そうかな……?」
「というか、その心配って食べる前に出てこないとダメじゃないか?」
「本当はそうなんだろうけど、残念ながら今急に思い出したから……」
「まあ、食べてしまったものはしょうがない。美味しかったから良しとしよう。これで帰れなくなったらなったでなっただけのことをするさ」
「うん……そうだね」
僕たちは何となく遅い足取りで家に向かう。足が遅いのは、お腹がいっぱいだからということもあるかもしれない。だけど一番は、少ししか明かりがないこの集落でも全然問題ないくらいの光量で瞬いている夜空の星々の下に流れるゆっくりとした時間を、一瞬でも長く感じていたかったからなのかもしれない。
いつの間にか僕たちは家にたどり着いていた。つるぎが先に、「ただいま」と言いながら玄関をまたぐ。僕はまだ全然慣れていない我が家に入るのに、少しためらってしまう。
「なんだ、入らないのか?トイレか?」
つるぎは玄関先で立ち止まっている僕を見て不思議そうな顔をしながら聞いてきた。
「あ、いや。そうじゃない」
「そうか。なら早く入ったらどうだ?」
「う、うん」
僕はつるぎに促されて家に入りドアを閉める。
「おかえり、海斗」
つるぎが満面の笑みで、そう言う。いきなりの笑顔にドキドキしつつ、僕は動揺を悟られないように、つるぎに返す。
「ただいま、つるぎ」
なんとなくだけど、今のやり取りのおかげか、この家が僕にぐっと近くなったような印象を受ける。本当に今日からこの家に住むんだ。つるぎと二人で。……ん?つるぎと二人?二人屋根の下?若い男女が一つ屋根の下?
「なあ、つるぎ」
僕はつるぎを呼ぶ。
「うん?」
「二人で住むんだよな、ここ」
「そうだが?」
「ダメじゃないか?……その、倫理的に」
「ん?何を言ってるんだ、君は」
「いや、だからさ……」
言いかけたけど、よくよく考えたら、これ、僕が恥ずかしいことを考えているみたいな流れにならないか?いや、なるよな?
「いや!みなまで言わなくてもわかるぞ!」
つるぎはニヤニヤしながら言う。ああ、思った通りだ。
「要するにあれだろう?君は、私と一緒の家で生活するという環境下で、この私の美しくて魅力的な体を前に自分の理性を保つのが難しいのではと感じたんだろう?私のこの出るとこは出てて締まるところは締まっている、世の男性の理想の身体を前にして、自分のドロドロとした欲望に身を任せてしまうかもしれないと恐れているのだろう?!」
つるぎは僕に向かって早口でまくし立てた。顔は常にニヤニヤしている。
「いや、そういうわけじゃないけど……」
「そういうわけじゃないだと!?ふざけるな!じゃあ、君は私に欲情しないとでも言うつもりか!」
「それに対して僕はなんて答えればいいんだよ」
「欲情しますと答えれば良いのだ」
「それは問題発言だろうが」
「異性愛者で健全な男子高校生が一つ屋根の下で美人幼馴染に欲情しない方が問題だと思うが?性機能的に」
「よく自分で美人幼馴染とか言えるよな」
「事実だからな。それより話を逸らすな。欲情しますと正直に言えよ」
「やだよ。なんで言わないといけないんだ」
「そりゃあ、そう言われておいた方がこっちとしても覚悟が出来るからな」
「……か、覚悟って……?」
僕は思わず尋ねてしまった。つるぎは口角が片側だけ上がった意地の悪い笑みをたたえながら言う。
「君の理性が外れた時に思いっきり君をぶん殴る覚悟だよ」
ああ……完全につるぎのペースに飲み込まれてしまった。
「まあ、冗談はさておき……。そもそも気にすることではないと思うし、現に私は気にしていないし、君が気にしなければ気にする問題じゃないから気にしなくていいんじゃないか?なんだったら私が君に、そんなことを気にしなくてもいいように『気にしない運動』を教えて、君の気にしがちな気を気にしないようにして一緒に気にしない生活を……」
「多い多い!気にしないが多くて逆に気になる!」
「じゃあ、気にしないことだな」
「はあ……わかったよ。気にしないようにするよ」
「うむ、それが良い」
つるぎは満足そうな顔をすると、
「じゃあ、寝るか」
と言った。
「あ、うん。そうだな、そろそろ寝よう」
僕も同調する。
「じゃあ、一緒に二階に行くぞ」
「えっ?な、なんで?」
またしても変なことを言い出すのか!?僕が身構えると、つるぎは至極真面目な顔で
「二回の部屋割りをまだ決めていないし、君がいないと暗くて何も見えないだろう?」
と言った。
「明明光」
僕が唱えると、掌が明るく光る。三回目の発動にして、ようやく光の加減を調節出来るようになってきた。最初に発現した光よりはだいぶ目に優しい強さで光っている。便利だな、魔法って。僕が先頭に立って先に二階に上がり、つるぎのために上から階段を照らしてやる。
「やはり発光人間がいると便利だな」
つるぎがそんなことを言いながら階段を上がる。
「発光人間ってなんだよ……せめて魔法人間とかにしてくれ」
「それでは何となくカッコいいではないか」
「カッコよくていいだろ……」
つるぎが上がりきったところで、今度は廊下に手を向ける。家を探検したときに見たとおり、部屋が二つある。
「ほら、つるぎはどっちの部屋が良いんだ?」
「そうだな……では、私は奥の部屋を使わせてもらうとしよう」
「わかった。じゃあ、僕は手前の部屋で」
つるぎはそのまま奥の部屋に向かった。そして、扉を開けながら、こちらを向いて言う。
「寂しくなったら、いつでも私の部屋に来ても良いぞ?」
「行かないから安心してくれ」
「ほう、そうか?」
ではおやすみ、とつるぎが言うと、そのまま部屋の中に入っていく。
「ああ。おやすみ」
僕も返事をする。そして、ガタンという扉の締まる音を確認してから、僕も自分の部屋に入った。
着替えがないので制服のままベッドに寝ころびながら、ぼーっと考え事をする。この世界にやってきて、まだ24時間もたっていないくらいだろうに、一週間くらいの濃密な時間を過ごした気がする。異世界の発見、モウグニーシュとの遭遇、ガルティアーゾ族との遭遇、その集落での族長とつるぎの闘い、僕の魔法の発現。いろいろなことがいっぺんに起こりすぎだ。もう少し細切れでやってきてほしかったが、そうなると僕たちはあのままあそこの草原で野垂れ死んでいたかもしれない。そう考えると、これはこれでよかったのだろうか?まあ、どっちでもいいか。結果として僕たちはこのまま無事に夜を過ごすことが出来そうなんだし。
「ふふぁ~あ」
あくびが出てきた。なんだか思考もぼやけてきたし、瞼も重い気がする。僕は一度、静かに深呼吸をすると、寝る体勢を整えた。
「そういえば、明日はいつ起きればいいんだ?」
独り言をつぶやく。そういえば、この世界って時間の概念があるのか?そんな疑問が出てきたが、体がどんどん沈んでいく感覚がする。ズルズル、ズルズルと、まるで泥にでもなったかのようだ。このままでは・・・…瞼が……眼球をえぐってしまう……




