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男装令嬢と隣のお兄さん  作者: ちや
残り7年
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毎週日曜日の散歩

「……なあ、クリス。私の肩を顎置きにするのはやめないか?」

「んだよ。文字ばっか見てると、眠くなるんだよ」


 だりー、とため息をつく美少年が、私の肩で重心を取っている。

 座る位置が隣同士なため、傾いだ上体が余計に重さを伝えてくるのか。なるほど。


 あれからクリスは、毎週律儀に私を呼び止めた。

 最初は疑心でいっぱいだった目も、回数を重ねる毎に当然のものと化した。

 私が教えた文字の読み書きは、彼の身になったらしい。

 今では簡単な本なら、ひとりで読めるようになったそうだ。彼の成長の早さには驚かされる。


「それに、俺が近付くと、大抵のやつは喜ぶなり、赤くなるなりするんだぜ?」

「ほう。何枚猫を被れるようになったんだ?」

「五枚はいけてる」

「何故私には見せてくれないんだ、その五枚の姿を!」

「うっせー! 見せるか、ばーか!」


 頬を真っ赤に染めた少年が腰を浮かし、私の後ろへ回る。

 腰に回された両腕と、先ほどとは反対側の肩に乗せられた顎。

「お、楽」と言った気楽な声と、私の両脇に投げ出された脚に、さてはこいつ、私の性別を知らないな?

 抱え込まれるテディベアの心境を思い知った。


「おい、クリス」

「なあ、これ、何て読むんだ?」

「猜疑心だ」

「さいぎしんー?」

「相手を疑ったり、妬んだりする意味だ」

「ああ、俺にぴったり」


 膝の書籍へ伸ばされた白い指先が、興味をなくしたように腹へ戻される。

 ……今日も私の服装は、男装のそれだ。ズボンにサスペンダー。

 スカートもドレスも、アメリアの一件以来履いていない。

 彼にとって、私は同年代の同性の友達なのだろう。……友達に、この距離感は近過ぎるが。


「……いいにおいする」

「これでも一応金持ちだからな」

「けっ、金持ちめ」


 私の頭に頬を擦りつけ、クリスが悪態をつく。

 どうやら彼の言う『金持ち』とは、貴族のことらしい。


 手許の頁を捲ると、腹に回された腕に圧がかかった。

 緩めるよう、色素の薄い手の甲を、ぺんぺん叩く。


「捲るのが早かったか?」

「……あんた、何したらうれしいんだ?」

「どういう意味だ?」

「金持ちに、……媚売ったり、引っ付いたら喜んでくれたのに、……あんた全然だし」

「……私はきみを買っていないし、少年趣味もないからな」


 ……ぐ。頭が唸っている。

 宥めるように、彼の金糸をぺんぺん叩いた。

 柔らかで滑らかな手触りのそれは、さぞ愛好家に人気のものだろう。

 生憎と私はそういう性癖は持ち合わせていないため、愛好家に怒られそうな扱い方しか出来ないが。


 つまりは、彼は彼なりに私を喜ばそうと思って、この体勢に踏み切ったということか。

 ……何というか、つくづく歪んだ環境が価値観を狂わせているんだな。

 ますます腹を締められ、さすがに苦しい。


「気にするな。私はこうして外に出られて、誰かと話せるだけで充分嬉しい」

「そんなの、他の誰だって出来るだろ」

「そうでもない。きみはここにしかいないんだ」


 沈黙した頭が肩口に埋められる。

 ……さては本など読んでいないな? 知らんぞ、私は捲るからな? 前の頁には戻らないからな?


「……それより、誰にでもこの体勢を取っているわけではないよな?」

「ばっ……!! 当たり前だろ!? 誰がするか、こんなの!!」

「そうか、なら安心した。きみに焦がれる大勢が、列を成しているのかと思った」

「やめろよ、そういうぞっとするやつ……」


 私を解放したクリスが隣に戻る。

 立てた両膝に顔を埋める彼は、深いため息をついていた。

 遣る瀬なさそうな頭をぺんぺんする。

 じっとりと顔を上げた彼が、はたと瞬き、その表情に渋面を混ぜた。


「げっ、司教……」


 示された言葉に、小道へ顔を向ける。

 そこにいたのは温和な微笑に、丸眼鏡をかけた壮年の男性で、高位の祭司服を纏っていた。

 風になびく赤いストラが、こちらに気付いてふわりと止まる。

 普段遠目でしか見ることのない司教が、品の良い笑みを浮かべた。

 胸の前に白手套の手が当てられる。慌てて立ち上がり、恭しく頭を下げた。


「これはこれは、ユカ、お久しぶりですね」

「久しぶり……です、司教様。本日の説法も素晴らしくございました」

「ははは、構わないよ。その子と仲良くしてくれたんだね」


 柔らかな微笑みを浮かべる男性に、慣れない言葉遣いを取り止める。

 クリスへ視線を向けると、ぽかんとした顔をしていた。……何だ、その意外そうな顔は。


「ああ。友達のいない、偏屈な私の話し相手になってくれていたんだ」

「そう自身をおとしめる必要はないよ。きみは利口で、優しい子だ」

「さぞ駄々っ子に苦しめられただろうに、寛大だな、司教殿は」

「あの頃も、今を思えば懐かしいよ」


 優しい笑みの司教は、何を隠そう私の駄々で痛い思いをさせたひとりだ。

 当時の彼は司教就任前だったが、そのときの両親の悲壮な顔といったら……残念ながら覚えていない。

 あの頃の私は、自分のことで手いっぱいだった。

 5歳未満の話だ。見逃してくれ。


「これからも、その子と仲良くしてあげておくれ」

「こちらから頼み込まねばならんな。何せ私は変人で有名だ」

「ユカ……、全く。きみの未来に女神の祝福を」


 祈る仕草をした彼が、一言告げて大神殿へ引き返す。

 ……何の用事でここまで来たんだ? 用事を忘れて帰ったのなら、物忘れの心配をするぞ。


 軽く息をついて座り直すと、呆気に取られた顔でクリスがこちらを見詰めていた。

 間の抜けたそれは、普段のしかめられたものより、年相応に見える。


「……あんた、司教にあんな口利いてよかったのか?」

「向こうが許可したんだ。それに、偏屈についても事実だ」

「……わっかんねー……」

「私は変わり者だから、友達がいない。司教殿は私にクリスと仲良くするよう言ったが、私から友達になってくれとお願いしなければ、友達にはなれないだろうな。と話した」

「……あんたって、じぎゃくてきなんだな」

「ほう、そんな言葉を知っているのか」

「うっせー」


 立てた片膝の上で頬杖をつく彼が、そっぽを向く。

 しばらく沈黙していた清音が、不意にぼそりと零れた。


「いーんじゃねえの? さいぎしんと、じぎゃくてきで、仲良さそうだし」

「ははっ、後ろ向きだな。もっと明るくなることをお勧めしよう」

「かたっぽあんたのだし。あんたが明るくなったら、俺も明るくなってやるよ」

「難しい注文だな」


 くつくつ笑う私に、綺麗な顔が呆れたように笑う。

 どうやら捻くれものの彼は、有り難いことに偏屈な私と友達になってくれるらしい。

 気安くお礼を告げると、鼻を鳴らされた。

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