神官と心の交流
この世界は女神信仰が主流だ。
大神殿の礼拝堂にある女神像は圧巻で、建築美と合わせて壮観だ。
余程腕利きの彫刻家が手掛けたのだったのだろう。
白の石が生み出す布の質感、柔らかそうな肌の表現、今にも動き出しそうな生々しさ。
大神殿へ礼拝に来る度、美術館を見学している気分になる。
……わかっていただけた通り、私の信仰心は薄い。
それでも毎週律儀に礼拝に来ているんだ。内情くらい見逃してくれ。
司教の説法を黙して聞き、ぼやりと周囲を観察する。
……うちの両親は信仰心に厚い。
そのため私も、幼い頃より大神殿へと引き摺られていた。そう、我がまま暴君時代の私もだ。
サイレンのように大泣きし、お菓子で宥められていたあの私だ。
あの頃は、毎週やってくる礼拝の日が嫌で嫌で堪らなかった。
過去の自分のあんまりの醜態に、思い出してつらくなる。
……やめよう、十二分に反省しているんだ。私は過去を振り返らない主義なんだ。
10歳児の見る景色は、大変に広大だ。
ひしめく人々は圧倒的な人数で、内陣に立つ司教がとても小さく見える。
厳かな空気を聖歌で締め、今週の礼拝が終了した。
さて、突然だが今私は、美少年に当り散らされている。
熱心な信者である両親が献金している間、人酔いした私は、建物の外へと出ていた。
解散した人々で賑わうそこは中々落ち着けず、人のいない方へいない方へと進んだ末、美少年と肩が接触した。
咄嗟に謝罪したが、切れるナイフか何かなのか、少年の威嚇と怒声が止まらない。
正直困惑していた。お供をイオリにしなくて良かった。
今日のお供は侍女のエレナだ。静かに冷気を放つ彼女は、まだ幾分イオリよりも気が長い。
……何故うちの付き人は、こうも血気盛んなんだ?
「待て、そう怒鳴るな。折角の顔が台無しだ」
「うるせえな! みんな揃って顔顔顔顔! 俺がどんな顔してたっていいだろうが!!」
「きみの怒りのポイントがわからんな……」
繊細な美少女のような相貌を歪め、清らかな声が乱雑に吐き出される。
光を編んだような白金の髪がふわりと頬を撫で、同色の長い睫毛は瞬きの度に音を立てそうだ。
静かにしていれば、さぞかし整った容姿をしているだろう。
残念なことに、澄み切った泉のような水色の目は敵意に染まり、淡く色付く柔らかそうな唇も嫌悪に歪んでいるが。
何が彼をここまで怒らせているんだ?
少年が纏う法衣は、深い青と純白を重ねた声楽隊のもので、先ほどの素晴らしい聖歌を披露したひとりかと思い至る。
声荒く怒鳴る彼は、私よりも少し背が高かった。
まずは口を閉じさせようと片手を上げる。
「すまないな、少し静かにしてくれ。怒鳴られる理由がわからん」
「ちょ、おい!! むぐっ」
少年の鼻を軽く摘み、人酔いの気持ち悪さを深く息をついて逃がす。
ぱしりと手が払われ、少年が目尻を吊り上げた。
「いきなり何するんだよ!?」
「威勢が良いな。そう怒鳴るな。普通の声量で充分聞こえる」
「うるせえな! 俺の勝手だろ!!」
顔を真っ赤にした少年が、益々怒鳴り声を上げる。
中々の肺活量だ。いい加減息切れくらいしてもいいだろうに。
「一先ず落ち着け。私はきみと対等に話がしたい」
「ごちゃごちゃうるせーんだよ! 何言ってんのかわかんねーよ! こちとらスラム育ちで、学なんざねーんだよ!!」
「ふむ、そうか。きみと話がしたい。とりあえず、座らないか?」
少年の言葉に、これまでの私の発言がどこまで通じていたのか疑問に思う。
年は私と近いだろう。10歳前後の知識量とは、如何なものだろうか?
こういうとき、周りが大人ばかりだと参考にしにくい。
木陰を指差し、舗装された小道から茂みへ入る。
鼻を鳴らした少年が、苛立ちを体現するままどかりと座り込んだ。
……今更だが、声楽隊の制服を汚して良かったのだろうか?
「私はユカ。きみの名前を教えてくれ」
「……クリス」
「ではクリス。私と会う前から怒っていたようだが、何を怒っているんだ?」
「……うるせーな」
立てた膝で頬杖をついたクリスが、そっぽを向きながら悪態をつく。
……これは中々に手の掛かる子だな。世話係の神官も大変だろうに。
彼は私とぶつかる前から怒っていた。
私に怒鳴ったことは、恐らくただの八つ当たりだろう。
正直私が首を突っ込む事情でもないが、静かなエレナが静か過ぎることが恐ろしい。
私がクリスに背を向けた瞬間、彼の制服が別の色で染まりそうだからこそ、私は彼との確執を取り除かなければならない。
そうでもなければ、このようなお節介など焼かない。人命は大切だ。
「きみが怒っている理由を聞いて、咎めるつもりは……んー。私からきみを怒るつもりはない。きみが話した内容も秘匿……ないしょにしよう」
「あんたの話、わかりにくい」
「すまんな。友達のいない私には、小難しい本くらいしか友達がいないんだ」
「ふーん」
興味なさそうに相槌を打ったクリスが、小道の向こうへ視線を投げる。
遠くを見詰める物憂げな美少年とは、絵になる構図だろう。
木漏れ日が不規則に陰影を描き、彼の白磁の肌を光に透かす。
ぼそり、無愛想な清音が吐き出された。
「わかんねえんだよ。俺、身売りされて、色んなところ流されて、ここ来たのも最近でよ」
「そうか」
「いきなり、『きよく、かみにささげる』なんて言われても、はあ? ってなって」
「ああ」
「んで、俺のこと見る金持ちの顔だって、俺のこと買ったやつらと同じなんだぜ? 『きよく』って、綺麗って意味だろ?
どこがきれーなんだよ! 手垢まみれの小銭と同じじゃねーか!」
「……きみに小銭しか渡さなかったやつは、相当なケチだな」
「だろ!? ふざけんなって暴れたら、殴られてポイ捨てだぜ?」
思い出したら腹立ってきた! 憤る少年が背後の幹に背中を預ける。
乱雑な動作には苛立ちが込められており、彼がこれまで劣悪な環境で育ってきたことを物語っていた。
「本当は俺だって、他のやつらと同じことしてたのに、俺だけ顔がいいからって捕まって」
「それで顔の話に怒ったのか」
「……あんたに会うちょっと前、金持ちにしつこくされたんだ。あいつら揃いも揃って、顔の話しかしねえ」
「災難……大変だったな」
「ったく、何が『きよく、かみにささげる』だよ! どこがきよくだ! 金持ちもこの顔も大嫌いだ!」
唾棄の勢いで吐き捨てたクリスは、これまで私の身近にいなかった性質の人間だ。
限られた人物との接触、それも同世代ではなく年上となれば、相手は私に気を遣う。
クリスの言葉は等身大そのもので、彼がこれまで受けてきた物事の全てだ。
ひどい話があったものだ。彼の頭をぺんぺん叩く。
「……ガキ扱いすんなよ」
「喜べ。今私は、初めて誰かの頭を撫でたぞ」
「今の叩いてただろ。撫でるって、それじゃねーだろ」
「ははは、すまんな。次はもっと上手にやろう」
「いらねーし!!」
私との距離を広げ、少年が膝を抱えて威嚇する。毛を逆立てて、ブリッジを作る猫だな。
不意に威嚇をやめた彼が、拗ねた顔でそっぽを向いた。
「……俺の話、誰も聞いてくんねえし。みんな『そんなこと言うんじゃありません!』って口揃えてさ」
「耳に痛いはなし……んー? 衝撃を受ける? 聞いていて心が苦しくなる、から? か」
「はあ? 何で他人が苦しくなるんだよ。俺の話だろ?」
「きみはきみの仲間が、きみと同じ目に遭っていたら、喜ぶか?」
「……いやだ」
「そういうことだ」
複雑な面持ちで清音が呟く。
それが余計、彼が受けた扱いの悲壮さを助長させた。
……顔が良いのも考えものだな。アメリアにも抱いたような感想を再び抱く。
あとは、その体験そのものが『清く、神に捧げる』から外れているからだろう。
大神殿などというルールに縛られた中で、クリスの経験は異質だ。
しかし彼はまだそのルールを知らない。
臭いものには蓋をする。それを子どもに強いるのは、些か酷だろう。
彼はまだ分別のつかない、守られるべき対象だ。
「そうだな……。では、これからは私がきみの話を聞こう」
「……そんなこと言って、言いふらす気だろ」
「信用ならないなら、それでも構わないが。
私は毎週礼拝に来る。礼拝が終わったら、しばらくこの辺りを散歩しよう。そのときにきみが話しかけるかどうかは、きみの自由だ」
黙する少年が何を思っているのかはわからないが、放って立ち上がり、うんと伸びをする。
私を見上げる水色の目を見下ろし、にんまり、口角を持ち上げた。
「あと助言するなら、腹の中で何を考えていようと、誰も咎めはしない。……こんなことを聞かれたら、きみの上司に怒られてしまうな」
「はあ? 何て?」
「口にさえ出さなければ、考えることは自由だ。うちにも完璧な笑顔の下で、どす黒いことを考えているやつがいるぞ」
思い出したら笑えてしまう。勿論イオリのことだ。
最も、彼は口から毒物を発しているが。この上なく盛大に駄々漏れだが。
怪訝そうな眼下の顔まで、腰を屈めて顔を近付ける。
驚いたように丸くなった水色は、とても綺麗な色をしていた。
「案ずるな。きみは将来大物になる」
「は……? だから、何だよ? おおもの……?」
「次回は本を持ってこよう。見た目は持って生まれた武器だ。知識と言葉を備えて、笑顔で毒を包めば、これ以上ない策略家の誕生だ。将来が楽しみだな」
「いや、だからっ、わかる言葉で喋れよ!!」
「それを学ぶための本だ。じゃあな。熱心な母上も、そろそろ私を探し回る頃だろう。また来週だ」
「知らねーよ! こねーよ、ばーか!!」
真っ赤な顔で立ち上がったクリスが怒声を張る。
彼へけらりと笑って背を向け、大神殿の入り口までエレナの腕を引っ張った。
静か過ぎる彼女を手放したら、いたいけな青少年の心がまた深く抉れてしまう……。
察してもらえただろうが、クリスも攻略対象だ。
これでこれまで出会った攻略対象は、アメリア、イオリ、フラン、クリスの四人か。
確か攻略対象は全部で六人、ライバルキャラである女の子が、ユカを含めた三人いたはずだ。
正直、個々の話などは覚えていない。
クリスにそのような過去があったことも知らなかった。
そもそも接点を作ろうとも考えていなかった。
私の目標は、変わることなくアメリアと穏便に婚約を破棄し、母上の怒りを買う前に国外逃亡……風来坊になることだ。
クリスに肩入れするつもりなどなかった。
なかったが、放っておくには、少々酷ではないか?
誰だ、こんな話を土台に敷いたやつ。不覚にも悲しい気持ちになったぞ。