ふわふわのお兄さん
「いらっしゃ、あ、ユカくん! いらっしゃい。今日はお使い?」
「ああ、フラン。バゲットを頼みたい」
「えへへ、いつもありがとう」
ほんわか笑う少年が、指定したパンを包み、会計処理を進める。
ふわふわした飴色の髪と、桃色の目。イオリと違い小柄なフランは、中性的な見た目をしている。
笑った顔も愛らしく、話し方もおっとりとしていて、誰にでも人懐っこい。
贔屓にしているパン屋の看板息子だ。
察していただけただろうが、彼もまた攻略対象だ。
召喚された神子は、神殿、王城、騎士団、街を行き来することが出来る。
各場所ごとに登場するキャラクターが決まっており、例えばアメリアを攻略するなら、騎士団へ通う。といった具合に親睦を深めるゲームだった。
フランは街を選択すれば、出会うことが出来る。
やはりゲーム上でもパン屋として接客していた。
店の奥にはかまどがあるらしく、焼けた小麦のにおいがする。
硝子越しに覗く商品棚には、素朴なパンが多様な種類を有して並んでいた。
食べる専門の私にはよくわからないが、フラン曰く、それぞれに名前と特色があるらしい。
現代染まりした私には、ここにはない『メロンパン』や『チョココロネ』くらいしか、即座に名前を当てられるものがない。
砂糖やチョコレートなどの嗜好品は、まだまだ一般向けではないんだ。
店内には他の客もおり、硝子越しに商品を窺っている。別の客はジャムの瓶を眺めていた。
……先日食べたジャムが大変うまかったのだが、あれは何のジャムだったのだろう……?
「それじゃあ、お会計を――」
ふわふわ笑うフランが、レジのキーを叩いた。
チリリン、ドアベルが涼やかな音を立てる。
次いで響いた大声はお世辞にも上品なものでなく、目の前のフランの顔色が一気に悪くなった。
「おうおう、ネーブルさんよぉ! 今日も徴収に来ましたよっと」
「か、帰ってください! 前回で終わりって、言っていたじゃないですか!!」
「何寝惚けたこと言ってんだあ? なあ!?」
二人組みの柄の悪い男が入り口を占拠し、ひとりが棚を足蹴にする。
飾られていたジャムの瓶が転がり落ち、いくつかが派手に割れた。
客が悲鳴を上げ、店内の隅へ逃げる。
店の奥から主人が走ってくるが、彼等の姿を目の当たりにした瞬間、フランと同様に顔色をなくした。
「まっ、待ってください! 店で暴れないでください!!」
「だったら出すもん出せや!! てめぇの売れねぇパンを、かわいそーな子どもたちにくれてやっからよ!」
「リキューさんに感謝しろよぉ? なあ!?」
下卑た笑いを上げて、男が主人の胸倉を掴む。
……良く見れば、主人の頬には殴られた跡があった。幾日か経過した内出血だろう。
どうやら彼等は頻繁に揉めているらしい。フランの顔色にも納得した。
「リキュー卿といえば、最近妙に羽振りが良いことに不審を抱いていたんだ」
思い当たった名前に、記憶から情報を引っ張り出す。
私は基本引きこもりだ。
性格の都合上、茶会にも出席しない。
しかし貴族である以上、貴族社会の力関係は学ばなければならない。
情勢を調べることは、ちまちまと刺繍をするより向いている。
まあ、頭でっかちな子どもなんだ。
脚を組んで新聞を広げて、紅茶を啜るのが日課だ。中々おっさんくさいだろう?
私の独り言に、暴漢二人が鋭い眼光を向け、私を庇うように立っていたイオリが遠い目をする。
すまんな、イオリ。
「あんだぁ? ガキはすっこんでろ!!」
「なるほど。強盗したものを高利で売りつければ、確かに儲かるな。配布先が孤児院であれば、外聞には慈善事業と聞こえも良い」
「誰が強盗だあ!? 口が過ぎんのも大概にしろやぁ!!」
「巻き舌か。すごいな。私は出来ないんだが、どうすれば習得出来るんだ?」
「だぁーれが巻き舌の話をしたッ!?」
店主を掴んでいた男が手を離し、私へ向かって掴みかからんと腕を振る。
筋肉質なそれをイオリが抑えた。
手首を捻り上げ、関節技の要領で大男を捻じ伏せる。
冷めた目でイオリが足蹴にする下、男が痛みに悲鳴を上げた。
「いってえええええっ!!!」
「下衆が。汚らわしい手で私の主人に触れるな」
「イオリ、君の主人は私の父上だ」
「舐めくさってんじゃねえぞおおおお!!!」
扉を塞いでいた禿頭の男が、大振りのナイフを抜き放って突っ込んでくる。
客が悲鳴を上げる中、一層冷徹な目をしたイオリが、足許の大男を踏み潰してから身を屈めた。鈍い悲鳴だった。
瞬きの内に禿頭の男は床を舐めたので、うちの従者が何を行ったのかがわからない。
……君はご老公のお供の片割れか?
唖然とした空気の中、嫌悪感に満ち満ちた顔のイオリが舌打ちをする。
忌々しそうに白手套を外した彼が、無造作にズボンのポケットへそれを押し込んだ。
「失礼。憲兵へ連絡を」
「は、はい!」
無感動な表情で主人へ言付けたイオリが、こちらを向いた。
その瞬間、見慣れた心配性のイオリの顔になり、大股で私の前へ来た彼が跪く。
待て。躊躇いを持ってくれ。こら、手を握るな。
「ユカ様、お怪我はございませんか?」
「怪我をする要素など、ひとつもなかっただろう」
「ユカ様にもしものことがあれば……私は……っ」
「泣くな。この瞬間だけでも、君の感情の触れ幅があまりに広過ぎて、私は戸惑いを隠せない」
「お説教は後ほど山のようにさせていただきます! 全くユカ様はもっとご自重ください! 私は大変肝が冷えました!」
「待て。既に説教が始まっている。私たちはバゲットを買いに来たんだ。すまん、フラン。バゲットをくれ」
「えっ、あ、ああ……」
伸びた男達を恐々と見下ろしていたフランが、慌てたように顔を上げる。
手渡された商品に金銭を支払おうとするも、彼は受け取ってくれない。
眉尻を下げたフランが、勢い良く頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました!」
「出しゃばってすまなかったな。全てイオリのお陰だ。私からも礼を言う」
「ユカ様……ッ」
頬を染めたイオリが口許を押さえ、悶えるように自身の胸の辺りを掴んでいる。
……私は「ありがとう」まで言えていないのだが、君はそれでいいのか?
おい、10歳児にでれでれするな。一歩間違えると通報案件だぞ。
もう一度フランへ代金を押し付けるが、頑なに受け取ってくれない。
首を横に振った彼が、へにゃりと笑みを浮かべた。
「今回はお礼だよ。本当にありがとう!」
「駄目だ。釣銭が合わなければ、母上に勘付かれる。それは不味い。受け取ってくれ」
「え? でも……じゃあおまけ! 父さんからもお礼を……」
「駄目だ。既に定刻を過ぎているんだ。私は速やかに家に帰り、母上に虚偽の報告をしなければならない。気持ちだけ受け取ろう。ありがとう、フラン」
「……ユカくん、難しい言葉使うね……。うん、……わかった」
しょんぼりと落ち込んだ顔のフランが、会計処理をしてくれる。
渋々手渡されたお釣りを確認し、財布へ流し込んだ。
無造作に床に転がる暴漢たちを一瞥し、再び看板息子へ視線を向ける。
「この程度であれば、簡単に切り捨てられるだろう。今後、充分用心しておけ」
「……うん、ありがとう」
笑顔を曇らせた少年が、店の外まで見送ってくれる。
ちょっとした人垣の出来ていたそこに、内心冷や汗を掻いた。
憲兵が駆けつける前に、早々に立ち去らなければならない。母上にばれてしまう!
深々と頭を下げるフランを肩越しに振り返り、小さく手を振った。
イオリに手を引かれるまま、少しばかり早足で帰路につく。
バゲットを片腕に抱えたイオリは珍しい素手で、ひんやりとした指先を軽く握った。
「イオリ、大事ないか?」
「勿論です。お心遣い感謝いたします、ユカ様」
「……そうか。良かった」
ところでイオリが、鼻歌でも歌い出しそうなほどにご機嫌な顔で、声まで甘くでれでれなんだが。
君、将来神子に仕えるんだぞ。わかっているのか?
10歳児に振り回されている場合じゃないんだぞ!