世の中そんなに甘くない
さて、どんなゲームだったか……。
日記帳を開き、ペンの背を唇に当てる。
すっかり衣服もドレスから着替え、母上に吉報のみを伝えた。
久しぶりに倒れた彼女は、「本当に? 本当にこの子がお嫁に行けるの? 嘘ではなくて? 本当に?」と繰り返していたので、激しく良心が痛んだ。
……すまない母上。狂言なんだ。
曖昧に、相手の心変わりはわからないとうそぶくと、それまでの混乱した面持ちから一変、「あなたを受け入れてくれたのよ。これからは押して参りましょう」と鬼気迫る顔で肩を掴まれた。
……すまない母上。これは期限付きの契約で、相手にはこれっぽっちも恋情なんてないんだ……。
さて、私の婚約も決まってしまったことだし、今一度ゲームの内容を思い出そうか。
まず、ヒロインは日本人だ。
学校からの帰宅途中で、ここファンタジー世界へ召喚される。
展開は王道だった。
神子として召喚されたヒロインは、世界を侵食する瘴気だったかを止めるために、愛の力を得ていく。
女神の加護と、神子信仰が彼女を支え、6人の顔の良い男たちと恋愛関係を結んでいく、という流れだったはずだ。
その6人の中のひとりが、アメリア・アルタータ。今日婚約を結んだ彼は、攻略対象だ。
そして、彼との恋愛を阻む存在が、ユカ・ルクレシア。私のことだ。
ゲーム中のユカは、もっとクールで知的で辛辣な台詞を口にしていたはずだが、本家を模すのは難易度が高過ぎる。無理だ。
まず、ビジュアルがツインドリルだった気がする。
この時点で無理だ。私はもっと髪を短くしたいと思っている。
そしてドレス、お前はノーモアだ。
他にもあと二人くらいライバルキャラがいた気がするが、差し迫って必要な情報ではないため、割愛する。
今必要なのは、私の末路とアメリアの情報だ。
ゲーム上のアメリアは、背が高くて無口な青年だった。
騎士職についており、細身に映るが体格が良い。
個人的には筋トレ方法が気になったことを記憶している。
澄まし顔で後方に控えていることが多く、話しかけてもぶっきら棒だった。
……現在のアメリアからは想像もつかない姿だな……。
しかし流石は乙女ゲームの攻略対象。
無駄口を叩かずに物事を淡々とこなし、一途な姿勢はかっこよく見えた。
素っ気ない言葉だからこそ、思慕の情が直球なのも好ましい。
……現在の繊細そうなアメリアが、どこをどう辿れば、あのような無骨な人間になるのだろう?
経路が全く見出せない。
大体、剣よりピアノといった面持ちだったぞ? 何を違えたんだ?
物語面だが、先述の通り、私はアメリアから婚約を破棄され、国外追放の道を辿る。
過程としては、神子であるヒロインへの嫌がらせが公にされ、侮辱罪だったかで追放される感じだった。
ヒロインは無事瘴気を治め、功績が讃えられる。
晴れて攻略対象と結ばれる背景で、私は身ひとつで国を追い出されていた。
童話のような、メルヘンな影絵で締め括られていたが……いや、そんなことされたら死んでしまう……。
遠回しな死刑だなあ……。
契約上でも、物語上でも、今後起こるべく婚約破棄に備えて、少しでも生存率を上げたい。
……馬術と剣術だろうか? みすみす殺される気もないので、身を守る術は必要だろう。
今の私は、態度がでかいだけのひ弱な子どもだ。
あと可能な限り、神子との接触は控えよう。
家に迷惑をかけるのは本意ではない。
消えるのならば、ひとりでひっそりと消えよう。
そうだ、風来坊になろう! そのためにも、自力で生き残るための手段が必要だ。
そうかサバイバル術を身につければいいのか! やることが沢山出来たな!
アメリアは現在14歳。私は10歳。
神子が現れる時期は、アメリアが二十歳を越えてからだったように思う。
確か登場キャラクターの年齢がバラバラで、二十歳オーバーが何人かいたはずなんだ。
アメリアはその内のひとりだった。
となると、あと6、7年は猶予期間があるということか。
ならばアメリアもとっくに卒業している。契約は完遂され、問題なく婚約破棄されるはずだ。
母上には申し訳ないが、一族の面汚しは自主的に風来坊になるとしよう!
そうと決まれば、早速馬術と剣術の許可をねだりに行くぞ!
まずは父上を篭絡して、それから母上に申告だ!
探し求めた父上は、母上と一緒に団欒していた。
耳をそばだて、話の内容を盗み聞きする。
……どうも内容は、私の縁談の成立についてのようだ。……このタイミングで飛び込むのは不味いな。
……いや、しかし、上機嫌な母上はおねだりを通しやすい。
母上さえ陥落出来れば、あとは野となれ山となれだ。
緊張による固唾を飲み込み、表情をにこやかなものに変える。
数度扉を叩き、母上譲りの愛らしさを遺憾なく発揮した。
「父上、母上。お話の最中、失礼いたします」
「ああ、ユカ! 聞いたよ。婚約おめでとう」
甘い笑顔で私を抱き上げた父上が、何気ない仕草で私を膝の上に下ろす。
彼の愛情表現だと思えば甘んじて受けるところだが、如何せん恥ずかしいものは恥ずかしい。
私の中の俺の部分がつらさを叫んでいる。
中年と呼ぶにはまだ早い我が父親は、見た目は非常に整っている。
引き締まった体躯に、色気のある彫りの深い顔。
テラス席でお茶をすれば、女性の視線を浚ってしまうだろう。我が父はかっこいい。
しかしそれを打ち消す残念な部分、娘に大層甘い。
妻にも甘い。
ベタ惚れを証明するかの如く甘い。
最低でも10年連れ添っているはずなのに、なお甘い。一体ガムシロップを何杯入れる気なんだ。
「こんなに可愛いお姫様に、男がなびかないはずがない! 全く、世の連中は節穴揃いだな」
「ははは……」
「光を宿した白藤の髪も、澄み切った青空のような瞳も、柔らかな頬も、明るい笑顔も、媚びない姿勢も、きみを形成する全てが美しいよ、ユカ」
すまない、父上。やってきた縁談は、全てこちらから振り払っているんだ……。
最早賛美と称しても良いだろう、親ばか発言の羅列に羞恥心を堪え、震えそうな表情筋を微笑みに形作る。
父も母も機嫌が良さそうで、大変良い笑顔をしていた。……ねだるなら、今だ!
「折り入って、お願いがあるのですが……」
「何かな? 何でも言ってごらん、私の可愛いお姫様」
「馬術と剣術を、……習いとうございます」
「ははは、ユカは本当に活発な子だね!」
私を抱き締める腕から顔を出し、恐る恐る母上の様子を見遣る。
先ほどまでの笑顔を一変、無表情になった作りものめいた美しい顔に、喉の奥で変な音がした。
ゆらりと動いた彼女の指先が、悪女さながらに唇へ添えられる。青の目許が弧を描いた。
「……そうだわ、ユカ。アメリア様にご教授願いましょう」
「は!? いえ、ですが……ッ」
「そうよ、そうしましょう! そして親睦を深めるのですよ、良いですね?」
「母上、微笑みが邪悪でございます……」
「決して逃がしはしない……。少しずつあなたのお転婆に慣れさせて、アメリア様の価値観を麻痺させるのです」
「私は毒だった……?」
くつくつ笑う母上の姿に、父上がのほほんと「きみが楽しそうで、私も嬉しいよ」と囁いている。
……いや、父上、現実を見てください。母の目は狩人のそれです。
これは、本気で婚約破棄に備えて馬を習わなければ!
母から逃れるために、風来坊にならなければ!!
結局母上の思惑を覆すことは出来ず、週末にアメリアと遠乗りに出掛けることになった。