あと2年
この世界は、衰退することが前提にある。
そうでなければ、神子を召喚することができない。
15歳になった今日この頃、各地で物騒な話をよく聞く。
魔物の活性化や、農作物の不作、病気の蔓延。
何より、瘴気の発生。
神子の召喚の話も持ち上がり、国は困窮している。
大神殿にも、連日多くの信者が詰めかけている。
クリスが「苦しいときの神頼みかよ」とぼやいていたが、人とはそういうものだろう。
環境が崩れて、はじめてこれまでの平穏を自覚するものだ。
私の両親も熱心な信徒であるため、足繁く大神殿へ通っている。
当然私も連れて行かれる。
声変わりを終え、聖歌隊を抜けたクリスは神官見習いになった。
彼は暇を持て余している私と、頻繁に会ってくれる。
「今日も空がくすんでいるな」
「瘴気の影響だろ?」
見上げた空が、ぼんやりとくすんでいる。何となく息苦しい気もする。
クリスが手をつなぐと、そんな息苦しさが和らぐのだから不思議だ。
私の手を引いた彼が、神官服を揺らして川辺を歩く。
「司教がさ、街の外はあぶねーから、外出るなって言ってるんだ。今、『聖域の森』にも近付いちゃいけねーんだって」
「聖域なのにか?」
首を傾げてクリスを見上げる。
彼はここ数年で成長した。愛らしい美少年が、麗しい美少年になったのだから、さぞかしファンも忙しいことだろう。
そろそろ私にも、その外向けの「猫を被った」姿を見せてほしいものだ。
未だに見せてくれない。不満だ。
あと身長が羨ましい。不満だ。
クリスが私の手を引く。
神殿の裏手にある小川が、か弱い日差しを受けて水面を反射させた。
「魔物が住み着いたんだとさ。討伐隊が何度か向かってんだけど、全然倒せねーんだって」
「そうか……」
クリスのふわっとした説明に、記憶を掘り起こす。
確か、神子が最終的に浄化へ向かう場所が、その『聖域の森』だったように思う。
瘴気が溢れる前は、木漏れ日の差す清らかな森だった。
この国の水源である滝が流れ、湖がある。
禊や聖水に用いられる湖だ。神聖視されており、一般人は司教の許可がなければ、聖域に立ち入ることが出来ない。
大変神聖な場所だ。
しかし、何故かその『聖域の森』に魔物が住み着き、街の人たちを苦しめ出す。
そして召喚された直後の神子は、その魔物へ挑み、敗退する。
改めて思うが、わざわざ実力差を見せつけるためだけのこの負けイベントは、何なんだ。
異世界へ引っ張り出された直後に、いきなり死線を潜らされる神子がかわいそうだろう。
「なあ、ユカ」
悶々と考え込んでいたら、強く手首が引かれた。
たたらを踏んだ私の身体が、クリスの腕に収められる。肩口に彼の額がぐりぐり当てられた。
……クリスは、出会った当初から他人との接し方が独特だ。
特殊な幼少期がそうさせるのか、あまりの距離感の近さに心配になる。
彼の見目は整っている。ファンも多いだろう。
……襲われたり、していないよな? 大丈夫だよな?
「……なあ、クリス。あまり気安く抱きついてはいけないぞ? きみが心配だ」
「他のやつにするわけないだろ!? ユカだけだって!!」
意気良く怒鳴られるが、それもどうなんだ?
彼の人付き合いについて、今後どう接してやればいいのか悩む。
あと2年後には神子が現れるんだぞ?
大丈夫か? 神子と適切なコミュニケーションがはかれるか?
真っ赤な顔に見下ろされ、宥めるように彼の背をぺんぺん叩く。
不貞腐れたクリスが、再び私の肩口に顔を埋めた。
「そんなんじゃなくって! 俺、じょーかが得意なんだって。だから、具合悪くなったら、すぐに来いよ?」
「ほう、贔屓だな」
「当たり前だろ! 俺、ユカが一番だもん」
腰に回された腕に力を込められ、ぎゅう、と抱き締められる。
……待て、エレナ。密やかに静かになりすぎるのをやめてくれ。暗殺はまずい。
クリスはちょっと孤独な、いたいけな少年なんだ!
「ありがとう、クリス。そのときは頼らせてもらおう」
「絶対だからな」
「ああ、絶対だ。だからそろそろ離してくれないか? 友人同士で、ここまでしっかりとハグはしないぞ」
「……ゆーじん、なあ」
ぽつりと呟いたクリスが抱擁を緩め、ちらりとエレナへ視線を向ける。
クリスから離れるとやっぱり息苦しさを感じるのだから、彼の浄化能力は本物だろう。小さく噎せた。
「そろそろ母上たちも戻る頃だろう。またな」
「……ん」
不意に肩を掴まれ、クリスの顔が近づいた。
驚いた私の頬に、彼の頬がふれる。さらりと揺れた金髪がくすぐったかった。
「女神サマのご加護がありますよーに」
時間にして数秒の出来事だろう。そっと離れた彼が、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
クリス、きみ、本当に他の人にもこのようなことをしていないだろうな?
魔性か? 魔性なんだな? 私はそんな子に育てた覚えはないぞ?